第10話 孤児院と前世


 私はそろそろここを離れなければならない。


 昨日の夜空に浮かんでいた月は、ほとんど満月に近かった。

 月が満ちて、亜竜の繁殖期が終われば私はここを出て南の街へ行く。それまでは家に置いてもらう。そういう約束だった。


 既に部屋の荷物はある程度まとめてある。元々私が持ち込んだものなんてほとんどないから、荷物は少ない。

 この家から持って行かせてもらう物は、ディアが保存の魔法をかけてくれたカレンデュラの花冠ぐらいだ。


 ディアは、今世で出来た初めての友達だ。

 今までお世話になった分幸せでいて欲しい。あわよくば、たまに森へ様子を見に来させて欲しい。もちろん、焼きたてのパンをたくさん持ってくるから。


 それでも、やっぱり別れ際というのは重要だ。最後はとびきりの笑顔が見てみたい。


「……クロ。ディアって何をしたら喜ぶと思う?」


 いつものように昼食の残りを貰いにきたクロに問いかけると、クロはきゅるんとした顔で私に近寄ってきた。


「ミレリア、ミレリア!」

「私?」

「ミレリアがいたらディアは喜ぶよ!」

「……それはどうかな」


 いつまでもここにはいられない。私はフレミリア様じゃないから。

 言い淀んだ私に、クロは言葉を続けた。


「もしかして元気ない? クロがとっておきの秘密を教えてあげる!」

「秘密?」

「あのねあのねっ! ディアはフレミリアのことを愛してるんだよ! でも全然伝えられなくて、毎日ラブレターを書いてたんだよ! 今もこの家にあるよ!」

「……それって私に話していいことなの?」

「フレミリアになら言ってもいいと思う! 秘密だよ!」

「じゃあダメじゃない!?」


 気づいたら共犯にされていた。仕方がないので墓まで持って行こうと思う。


 でも、クロに話を聞いたおかげで良いことを思いついた。

 私はフレミリア様の代わりにはなれないが、思い出の何かを作って、彼に見せることは出来るかもしれない。


「クロ。ディアがフレミリア様との思い出の中で、特に大切にしてることとかってある?」

「これ以上は怒られちゃうよっ!」

「明日、クロの大好きな木苺のタルト作ってあげる」

「花火、花火じゃないかな!」


 即答だった。

 なんて話が早くて現金な生き物なんだ。


「花火?」

「フレミリアの火の魔法でね、お花の形の火を空に打ち上げるの! すごく綺麗なんだよ!」

「もっと私に出来そうなことで教えてもらえる!?」


 そんなのフレミリア様にしか出来ないじゃないか!


「あ、でも代わりなら……」


 ふと思いついた。

 爆蘭ハゼランという花は、花の中にある種子に油が含まれていて、火をつけるとパチパチと炎を散らしながら燃える。


 その様子が綺麗だからと、お祭りなどで売られては、子供たちが爆蘭の茎を持って花を下にし、火花が散る様子を眺めるのが夏の風物詩になっていた。きっとその様子は『花火』というものに似ているはず。


 私は買えなくて悔しかったので、自分で育てるようになり、私物化していた孤児院の庭に今も植えられている。

 そういえば、ちょうど今が開花時期だったんじゃないだろうか。


「クロ。この森に、爆蘭という花はある?」

「ないよ、ないよ! 今まで見たことがないよ!」

「じゃあダメかぁ」

「どうしてダメなの?」

「孤児院の庭にはあるはずなんだけど、そう簡単に戻れないから……」


 ディアに話したとして、その時点でサプライズは失敗する。この案はなかったことにしよう。


「他に何か、」

「困ってる? 連れて行ってあげようか?」

「え?」

「困ってる、困ってる! ミレリアのこと大好きだから、助けてあげる!」


 クロがそう言った瞬間、グニャリと視界が歪んで、猛烈な吐き気に襲われた。


「ッ、クロ、っけほ、何したの!?」

「いってらっしゃい!!」


 そうだ。クロは正直者だから嘘をつかない。












 次の瞬間、私は見慣れた景色の中に投げ出されていた。

 森とは違う土の匂い。

 慣れ親しんだ、私の庭。


「ほ、ほんとに来ちゃった……」


 クロのことは大好きだが、妖精という生き物に相談なんて二度としないようにしよう。


 ワープさせられたせいなのか、痛む頭を押さえて起き上がると、私が暮らしていた部屋が見えた。まだここを離れてからそんなに立っていないのに懐かしく感じる。


「違う違う、早くしないと。シスターに見つかったら大変なことになる……!」


 森へ追い出したはずの人間が戻ってきたとなったら、今度こそ花街へ売られるかもしれない。


 私は慌てて爆蘭を探した。探すといっても、勝手知ったる庭だ。爆蘭はすぐに見つかった。


「よし!」


 案の定水やりはされていなかったが、どうにか雨水だけで耐えていてくれたようだ。少し萎れたそれを根っこごと掘り出して手に握った。


「クロ。帰りは……」

「ミレリア?」


 おっとりとした優しい声。私にだけは冷たかった声。そんな声が、私の名前を呼んだ。


「……シスター」

「あらあら! 庭に誰かいると思って来てみたらミレリアじゃない! あなた、あの森から帰って来れたのね?」

「……はい。でも私、水晶華は見つけられませんでした。だから」


 ここから出ていきます。

 そう繋げようとしたけれど、出来なかった。


「いいのよ。あなたを『お使い』に行かせたことを私、すごく後悔していたの」


 シスターがギュッと強く私を抱きしめたから。


「…………後、悔?」

「えぇ。まずはお茶でも飲みながら話をしましょう。許されないことをしたのは分かってる。それでもせめて、謝らせて欲しいの」


 ずっと、私を虐げてきた人。遂には森へ追放した人。

 頭では何かあるんじゃないかと怪しんでいる。それでも、心が喜んでしまっているのは、確かで。


「……分かりました」


 ちゃんと、話を聞いてから判断しよう。

 そう決めた私は、シスターの後をついて久しぶりに孤児院の中へ入った。


 案内されたのは応接室だった。

 孤児院の掃除はほとんど私がやっていたけれど、大事なお客様が来るからと一度も入れてもらったことがなかった部屋だ。

 こんな造りになっていたのか、と内装を眺めて、ふかふかのソファへ座る。


 シスターは高級そうな茶器を二つ出して、お気に入りだという紅茶を淹れてくれた。

 こんなことは、私の16年間の中で考えられないことだ。


「どうぞ。美味しいのよ」

「……いただきます」


 美味しいけど、やっぱりディアが淹れてくれた紅茶の方が美味しい。

 そういえば財政難だと言っていたのに、こんな高級な茶器がある、なんて──────。


「あ、れ……?」


 まるでクロに飛ばされた時みたいに、視界がグニャリと歪む。頭がぼおっとしている。何これ。強烈な眠気で目を開けてすらいられない。

 歪んでいく視界の中で、シスターが歪に笑っているのが見えた。











 気がつくと私は見覚えのない部屋にいた。手足は縛られていて、台の上に横たわっている。

 ここ、どこ─────?

 ぼんやりとする頭考えても、何が何だが全くわからない。


「あら、起きた?」


 シスターの声が聞こえた。シスターは手に禍々しい色の本を持っている。


「し、すた」

「あなたを追い出してから、本当に惜しいことをしたと思ったのよ。教団でも怒られたの。あの人たちも、もっと早くこの本を読ませてくれたら良かったのに」

「なん、でこんな」

「魔力がないってことは、あなたの中身は空っぽだってことなのよ。シンシア様を下ろすのにピッタリ。あとは人格さえ消せば完璧ね」

「しんしあ」


 聞いたことのある名前。

 ────シンシアを崇めてるクローテッド教団ってあったでしょ?


 不意にベルさんの言っていたことを思い出す。

 復活したとか、してないとか。今、シスターは『シンシア様を下ろす』と言った。


 それはつまり、復活させるということ? 下ろすというのは、私に?


「さぁ、早くあなたを空っぽにしましょう」


 逃げなければならない。

 そんなことは分かっているのに、おそらく薬を盛られた上に縛られているせいで、身体はピクリとも動いてくれなかった。


 シスターは禍々しい本を見ながら、何やら呪文を唱え始めている。


 本が光るたびに頭がぼんやりして、何も考えられなくなる。頭が、グラグラする。私の大切なものがどんどん消えていくような、そんな気持ち悪い消失感。


 ディア。ディアのところへ、帰らないと。

 早くあの森に帰らないと。帰らないと、いけないのに。


「たす、け」

「助けなんて来ないわよ。何のために私がシスターになって、あの忌々しい森の近くで機会を見計らってきたと思ってるの?」


 シスターが何かを言っているが、何も頭に入ってこない。

 それより私は、早く、あの森へ─────。


 本がより一層禍々しく光った、次の瞬間。

 ブツッ。頭の中で音がして、私の意識は途切れた。














「さぁ、教えて。あなたの名前はなぁに?」

「……わたし、わたしの名前、は」

「そう。あなたの名前よ」

「ふれ、みりあ」

「……え?」

「私はフレミリア。フレミリア=カレンデュラ」

「あなた、一体何を言って」

「私は、西の魔女。許さない。絶対に守る。死なせない。あの子のことは、私が。私が、わたしが、わたし、わたし、わたし?」


 圧倒的な何かが身体の中から溢れ出す。

 それは周囲の全てを薙ぎ倒して、すぐに消えた。



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