第8話 ピクニックとうたた寝


「あのね、あのねっ! 今日は天気が良いよ! 一日中晴れるよ!」

「クロ!」


 ふわふわの黒兎が、いつも通りいきなりキッチンに現れた。


「それじゃあ今日は、サンドイッチにしてピクニックにしましょうか!」


 私がそう言うと、クロは嬉しそうに私の周りをぴょんぴょんと回り始める。

 微笑ましい様子にニコニコしていたら、クロはいきなり頑丈な壁にぶつかって跳ね返り、そのまま抱えられた。壁ことディアは無表情ながらも、しっかりクロを支えている。


「こいつのリクエストばかり聞かなくてもいい。一昨日もピクニックだったじゃないか」

「でも楽しいじゃないですか」

「そうだよ、そうだよ! ディアはミレリアが大変じゃないかと思ってるだけで、本当は……んぐ!」

「うるさい」


 素早い動きでクロの口が封じられる。


「この前は家の前だったから、今日は花畑のところまで行くのはどうでしょう!」

「……危なくないか?」

「ディアが一緒に来てくれるから大丈夫です」

「まだ行くとは言ってない」

「ふふっ」


 絶対来てくれるんだろうなぁ。

 そう思ったら思わず笑ってしまって、ディアは尚更不機嫌そうな顔をした。


「…………籠はどこだ」

「ピクニックのですか? 今から詰めるところです」

「詰め終わったら呼べ。俺が運ぶ」


 ピクニックに行くための籠は少し重い。だからといって持てないほどではないのだが、いつもディアが持ってくれるので私は一度も持ったことがない。


 ディアはクロを私に渡すと、そのままキッチンを出て行った。

 おそらく、ピクニックへ行く支度を整えに行ったのだろう。


「ディアって結局優しいよね」


 腕の中のクロは感心した顔で私を見上げている。


「ミレリア、すごい! ディアに我儘を言う時、フレミリアにそっくり!」

「えぇ?」


 それはそれで、ちょっと複雑な気分なんですけど。











 それから、ベーグルサンドと冷たいアイスティーを作って籠に詰め、カレンデュラの花が咲き誇る花畑へ移動した。家から持ってきた大きめの布を地面に敷き、その上に籠を置く。


「はやく、はやく!」とクロが急かすので、早速籠を開けると、全員分アイスティーを注いでいる間にどんどんベーグルサンドが無くなっていく。喜んでもらえて何よりだ。


 ベーグルサンドは、名前通りベーグルで作るサンドイッチだ。食パンで作るサンドイッチとは違って、生地はモチモチと弾力があり、しっかりしている。

 その利点はといわれると、私は具をしっかり挟めるところだと思う。牛乳をしっかり泡立てて作った生クリームや、森で取れた果物をたっぷりと挟むことが出来るのだ。

 最近のディアは街まで食糧を買いに行ってくれているらしく、具材のレパートリーも増えた。


 あり得ない速度で食べていくクロを横目に、ディアもしっかり自分の分を確保していた。彼が食べているハニーマスタードソースのかかったものは我ながら自信作だった。


「美味しいですか?」

「美味しい」


 そう言ったときの顔が強張っていないのを見て、この森に来たばかりのことを思い出した。

 食べ物を美味しく食べられるように努力すると言っていたんだっけ。


「……俺の顔に何かついてるのか?」

「いいえ。何も」


 ただ幸せだな、と思っただけで。


 可愛い妖精がいて、ディアが美味しそうに食べ物を食べていて、カレンデュラの花は綺麗で、たまに風に揺れている。こんな光景は二度の人生の中で見たことがないのに、不思議と懐かしいような気がしてきた。

 首を傾げていると、ベーグルサンドを食べきったクロが私の膝に乗ってきた。


「わ。どうしたの?」

「お昼寝、お昼寝!」

「確かに、今日はお昼寝日和だね」


 日差しはポカポカしていて、風は穏やかだ。

 クロにならって私も身体を横にする。そよ風が気持ちいい。

 瞼が落ちてくるのはあっという間だった。











 寝過ぎた、と。

 目が覚めて一番にそう思った。


 だって、雲ひとつなかった青空は、いつの間にか太陽が沈んで夜になっている。どうして誰も起こしてくれなかったんだろう。

 服の袖で頬を拭って上半身を起こすと、クロが頬にすり寄って来た。


「クロ、おはよう。ディアは……」

「寝てるよ! ミレリアが寝たあと、自分も横で微睡んでるうちに寝ちゃったみたい」


 クロの動きを目で追い、視線を横に向けると、そこには小さな寝息を立てて眠るディアがいた。

 クロが悪戯したのか、頭にはカレンデュラの花で出来た花冠が乗っている。


 綺麗な顔をしているな、と改めて思った。ただそこで寝ているだけなのに、まるで絵画のようだ。鼻梁はスッと通っていて、伏せた長いまつ毛は透き通った肌に影を落としている。


「起きてください」


 軽くディアの身体を揺する。


「こんなところで寝ちゃったら、風邪を……」


 ひくのかな。一瞬疑問が浮かんでしまって、言葉を飲み込んだ。ディアが風邪をひいている想像が全くつかない。


 そのとき吹いた風がヒヤッとしたので、自分の心配をすることにした。ディアが起きるまではここにいるとして、少し肌寒いからブランケットみたいなものがあったら嬉しい。


「……確かその辺に」


 地面に敷いた布の予備があったはず。

 手を伸ばしても届かない位置にあったので、一度立ちあがろうとすると、パシッと手首を掴まれた。


 驚いて振り返ると、目を薄く開けたディアが見えた。彼の大きな手は熱を帯びていた。


「どこ……いくんだ」

「ブランケット、を」

「……どこにも、行かないでくれ」

「…………行きません」


 大人しくディアの隣に戻る。

 急に顔が火照って熱くなったので、冷たい夜風が心地よくなってしまった。


 この人は、私がここを出たらどうなってしまうんだろうか。


 早くここを出ていかないと。そう思っていたのに、気がついたらずっとここにいたいとも思っている。


「…………ディア」


 この人に幸せになって欲しい。

 でも彼は、私と一緒にいても幸せになれない。こんなのはただの気休めだ。フレミリア様が帰ってくるまでの、気休め。


 それでもいいからここに居てあげたいと思うには、友達だから、という理由だけでは足りなさすぎる。


 夜空の月が満ちていく。もうほとんど満月に近い。


 前世も併せたら結構生きているはずなのに、自分の感情のことすらまだよく分からない。

 私は、隣で眠るディアの息遣いを感じながら、ただひたすら夜空を見上げていた。

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