第3話 北の魔女とお茶会
見慣れない部屋で目が覚めた。
パチパチと何度か瞬きをすると、意識が覚醒してきて、床に乱雑に積まれた本が目に入る。
「あぁ……」
ここは、カレンデュラの森のディアの家だ。正確には、フレミリア様が物置として使っていた部屋。
私は数日前から、ここでお世話になっている。
私がフレミリア様ではないと分かり、泣き暮れたディアが涙を枯らした頃には、彼の表情からすっかり感情が抜け落ちていた。
「それでは、お前はなぜここへ来た?」
慈悲の欠片もない冷たい声。
おそらく、本来の彼がこちらなのだろう。さっきまでのあれは、愛するフレミリア様にだけ見せる姿だったのだ。
「もし森を荒らすつもりで来たなら、如何にあの人に似ていようと容赦はしない」
「そんなつもりは少しもありません! 私は孤児院から、その、お使いを頼まれて」
「お使い?」
私が疎まれていたこと。お使いを口実に追い出されたこと。森を彷徨ってここへ辿り着いたこと。順序立てて説明すると、ディアはつまらなさそうに溜息を吐いた。
「……別に、どうでもいい。水晶花ならくれてやるから、森から出ていけ」
「話聞いてました!? 例え花を持ち帰ったとしても、今度は花街に売られるだけなんですって!」
ディアの目をじっと見つめてみる。
すると、やはりフレミリア様と同じ外見には弱いのか、スッと目を逸らした。
「……じゃあ森から出ていけ」
「森の外まで案内してくれるんですか?」
「なぜ俺が?」
「私一人じゃ出れないからですよ! ここに辿り着くまでも散々彷徨ったんですから!」
「…………そもそもここには、あの人以外辿り着けないようにしているんだが」
迷惑そうな顔でそんなことを言われても、辿り着けてしまったんだから仕方ないじゃないか。
ふと、魔の森へ入った者は戻ってこない、という噂が頭の中をよぎる。あのときカレンデュラの花が目に入らなければ、私は死んでいたかもしれないと思うと、今更ながらゾッとした。
「私、南へ行きたいんです。方角を教えてくれるだけでもいいですから」
「南はダメだ」
「どうして!?」
「今は南に住み着いている亜竜の繁殖期だ。おそらく、縄張りに踏み込んだだけで襲われる。死ぬのを覚悟で行くなら止めはしないが」
「……それは、いつぐらいまで続くんですか?」
「さぁ。月がもう一度満ちるまでには終わるんじゃないか?」
ひと事すぎる。さっきまでとは本当に大違いだ。
それでも私は南へ行きたい。でも、だからといって一度孤児院へ戻り、チャンスを待つわけにもいかない。
こうなったら、やっぱりこの人だけが頼りだ。
「お願いです。その時まで、私をここに置いてもらう、ということは……」
「何故?」
「何故!? ……ええと、フレミリア様はお優しい方だったんですよね」
「そうだ」
「それなら、あなたが身寄りもお金もない上に殺されかけて、心底困っている女の子を見殺しにするというのは、どう思われるんでしょうか?」
ディアは心底嫌そうな顔をして、顔を引き攣らせる。
私も相当卑怯な手を使っている自覚はあるが、こうでもしないとこの人は私を助けてくれないだろう。
黙り込んだディアを祈るように見つめていると、彼は殺意を押し殺したような声で言った。
「…………月が満ちるまで、だ」
「えっ、いいんですか!? やったぁ!」
「もし、お前が家の物を、何か一つでも傷つけようものなら殺す」
「…………はい」
というわけで、私は物置に住むことを許されたのだった。
物置とはいえ、そこそこの広さがあるし、窓も付いている。まるでどこかの独房のようだった、孤児院の私の部屋よりよほど待遇がいい。
「さて、と」
あまりにみすぼらしいから、とディアが貸してくれたワンピースを身に纏い、部屋を出る。
おそらく師匠と同じ顔の女がみすぼらしい格好をしていることが耐えられなかったのだろうが、白い木綿のワンピースは動きやすい上に通気性がよくて、とても気に入った。そして何より、私に似合っている。
「……今日は何をしようかなぁ」
さて、なんて気合いを入れてみたが、しなければならないことは特にない。
家事全般でお礼を返そうと思っていたのだが、何せこの部屋には全自動の復元魔法がかけてある。片付けなんかしなくても、使った物は自動で元の位置へ戻る。
フレミリア様が生きていた頃と同じ場所へ、だ。それどころか、この家には状態を保存する魔法もかかかっている。
例えば、ショートケーキ。テーブルの上に置かれたショートケーキは食べかけのまま、私が来た日からずっとそこにある。これは恐らく、フレミリア様が食べかけだったものだろう。
上に載っている苺は今も艶やかな赤色だ。そんなところが、余計に痛々しい。
本当にすごい執念だと思うと同時に、胸が痛んだ。
肝心のディアはというと、ずっと部屋に引き篭もっていたかと思えば、不意にリビングへ出てきて、ぼうっと窓の外を眺めていたりする。
ちなみに、彼は食べ物も食べず、睡眠も取らない。龍族の身体はどうなっているのだろうか。人間目線から言わせてもらうと、生きたまま死んでいるみたいだ。
ただ唯一決まった時間に、綺麗な花束を持ってカレンデュラの花畑へ出かけていく。そこに彼女のお墓があるのだろうか。
とにかく、毎日そんな感じなので、私たちは相互不干渉のまま数日を過ごしていた。
しかし、半ば脅して泊めてもらっている身分でお礼もしないというのは、流石に申し訳ない。
「よし、ディアの分もパンを焼こう」
パチン、と手を叩いて台所へ向かう。
台所の使用許可は取ってあるし、何度か自分の食事を用意するために使ってみたのだが、案外魔法に依存しない作りになっていたので私でも使うことが出来る。
フレミリア様もパン作りが好きな方だったのか、材料もしっかり揃っていた。鮮度に心配はあるが……そこはディアの魔法を信じるとしよう。だって私も久しぶりにパン、食べたいし。
「まずバターを溶かして……」
今日作るのはちぎりパンだ。あれは焼きたてが格別に美味しい。
私は溶けたバターを型に塗り、強力粉に塩、イースト、砂糖、牛乳をボウルで混ぜる。
それがひとまとまりになったら、生地にバターを加えて、生地に薄い膜がはり、弾力がでるまでこね続ける。こうして出来たものを常温で2倍の大きさになるまで放置して、一気に焼くのだ。
その辺に積まれていた本を読んで発酵待ち時間を潰し、生地が膨らんだのを確認してから、ちぎって型に詰める。そして、火の魔法石で予熱したオーブンへ入れた。
中を覗き込むと、どんどん生地が膨らんでいく様子が見えて、久しぶりの光景にウキウキする。やっぱりパン作りは最高だ!
大喜びでパンが焼ける様子を見ていると、パンが焼ける匂いに釣られたのか、部屋からディアが出てきた。どうやら、私が変なことをしていないか確かめに来たらしい。
「何をしている?」
「パンを焼こうかと。一緒に食べませんか? 私のパン、結構美味しいですよ!」
「……やっぱり、違うんだな」
ディアの綺麗な顔には、くっきりと絶望が浮かんでいる。今の会話のどこに絶望する要素があったのだろう。
何が、と尋ねる前に彼は冷たい声で言った。
「食べるわけないだろ。お前が毒を盛ったかもしれない」
「そんなことするわけないじゃないですか。それにこれ、ちぎりパンだからどこかにだけ毒を盛るとか無理ですし」
「……とにかく、俺はいらない」
酷すぎる。やはり彼はフレミリア様の前で特大の猫を被っていたらしい。
なんて傍若無人なんだ、と思いながらも、正直初めて会ったときの様子の方が怖かったので、何故か安心してしまった。
これは私が悪いんじゃなくて、ただ私がフレミリア様じゃないからダメなんだ。そう分かっているからこそ、あの涙を見てしまったからこそ、悲しい。
彼の猫を被った態度も、フレミリア様によほど好かれたかったからなのだろうと思うと、胸が締め付けられて怒る気力もない。
「そうですか? 焼きたては最高の出来なのに!」
ニッコリ笑って、おそらく焼き上がったパンをオーブンから出す。
匂いを浴びるだけでニコニコしちゃう。ふわふわのホカホカだ。最高。早く食べてあげなくちゃ。
「……皿はその棚の中にある」
「ありがとうございます!」
ディアの指示に従って皿を取りに行こうとすると、部屋の中を突風が吹き荒れた。バンッとものすごい勢いでリビング中の窓が開く。
「っ、え!? 今の何ですか!?」
「……面倒なのが来たな」
盾にするようにディアの後ろに隠れると、全開になった窓の一つから人影が現れた。
「お前さぁ、まだ人間みたいな暮らししてるんだ。ほんっと健気だなぁ」
その人は、これまた見たことがないぐらい綺麗な男性だった。クッキリしたアーモンド型の瞳は薄い黄色で、長い黒髪を頭の後ろで縛っている。艶やかな髪は、突風に靡いて揺れていた。
私が思わず見惚れていると、彼もディアの後ろにいた私に目を向けたらしく、パチンと目が合う。
その瞬間、彼は唖然とした顔をしたあと、震えた手で口を抑えた。
「……カレンデュラの君?」
この間極まった様子。まずい。
この人もフレミリア様の知り合いだ。
「生まれ変わったんですか!? まさか、まさか本当にまた会えるなんて!」
今にも抱きしめられそうな様子なので、チラッとディアを見上げると、彼は大きなため息を吐いて口を開いた。
「ベル、違う。コイツは別人だ」
「何言ってんの。ディアが一緒にいるのが何よりの証拠でしょ。姿形もフレミリア様そのものだし」
「姿が似ているだけだ」
ディアがここ数日間のことを説明すると、ベル、と呼ばれた男性は、「こんなに似ているのに」と呟いて私をマジマジと見つめた。
どうやら私は、本当に"フレミリア様"に似ているみたいだ。
「勘違いして悪かったね。僕はベルフィル=ノースウィンド。北方の魔女を務めているものだ」
「……魔女?」
「当時、魔法が使えたのは圧倒的に女の人ばかりだったからね。男の数は少なかったから、魔女と一括りにされていただけなんだよ」
「なるほど……」
北方の、ということはつまり、西方の魔女だったフレミリア様の同僚のような人なのだろう。
それにしても、魔女の生き残りがいたなんて。いや。こんなことで驚いていたら、心臓がいくつあっても足りないか。
自分を納得させて頷いていると、彼はオーブンを見て、目を輝かせて笑った。
「いい匂いだね。もしかして何か作ってたの?」
「ちぎりパンを作っていました。ベルフィルさんも食べますか?」
「やったぁ! 立ち話もあれだと思っていたんだ。お茶にしよう」
「……お前が言うな」
ディアは嫌そうにそう言って、渋々席に着き、お茶の準備を始めた。どうやらベルフィルさんのことはある程度信用しているようだ。
ディアの魔法でお茶が入ったので、ちぎりパンを一応三等分して席に着く。
今日の出来はどうだろうか。……うん、美味しい。会心の出来だ。
ディアは仏頂面でお茶を飲んでいるだけだったが、どうやらベルフィルさんは喜んでくれているようで、物凄い勢いでパンを頬張ってくれている。
「うわ、めちゃくちゃ美味しい。ふわふわだぁ。……君、そういえば名前は?」
「ミレリアです」
「ミレリアね。僕のことはベルでいいよ。親しい人はみんなそう呼ぶから」
「ベル、さん」
「どうしてベルはさん付けなのに俺のことは呼び捨てなんだ」
「あ、すみません。でもその、私をフレミリア様と勘違いしてた時に呼び捨てにして欲しいって言いましたよね? だからつい馴染みが……」
ディアはバツが悪そうに黙り込む。そして、「紅茶の茶葉が切れた」と席を立って取りに行ってしまった。
「逃げたな。あんなの魔法で出来るだろうに」
ベルさんはケラケラと笑っている。私も思わず笑ってしまった。
「ディアはフレミリアのことが大好きだったからね。最初は大変だったんじゃない?」
「はい。ものすごく大変でした……」
「だろうね。彼女が亡くなったときなんて、本当に酷かったんだよ。……今はまだマシになった方だ」
ベルさんは優しげな顔で笑う。
あれでマシになったというなら、当時はどんな有様だったのだろうか。
そうだ。ディアをそうさせたフレミリア様というのは、どんな人だったんだろう。ずっと気になっていたことが、言葉になって口から出る。
「あの。フレミリア様ってどんな方だったんですか?」
「……実は僕もあんまり知らないんだよね。一応婚約者だったんだけどさ、ほとんど会う機会なかったし」
「こっ、婚約者!?」
「形上、ね。戦争中だったからさ、次世代に強い血を残さないとっていう政略結婚」
び、びっくりした……。
普通に考えたら分かることなのに、ディアのフレミリア様愛が凄かったから、すごい勢いで聞き返してしまった。
てっきり両想いだと思い込んでいたが、もしかすると片想いだったのだろうか。よく思い返してみれば、師弟関係だとしか言われていない。
「あはは。百面相だ。全部顔に出るタイプ?」
「え」
「ディアと彼女は恋人同士じゃなかったと思うよ。そしたら会うたびに僕は睨まれてなかっただろうし、今も嫌われてないはず」
確証はないが、さっきの態度から考えるとしっくりくる。おそらく当たってるんじゃないだろうか。
「他に、フレミリア様と親しくしていた方はいらっしゃるんですか?」
「あんまりいないだろうね。彼女の魔法はほとんど暴走するみたいな感じで、周囲を焼き尽くすものだったからさ、ディアが来るまではこの森を一人で守ってたんだ」
「一人で!?」
「そう。魔力量が多すぎてコントロールが出来ないからって。この辺も何回か焼け野原にしたらしいし。僕は噂で活躍を聞くぐらいだったんだけど、憧れてたなぁ」
全然フレミリア様像が掴めない……!?
そんな人がどうして、ディアのことを拾ったんだろう。ただ、とにかく強い魔女だったということは分かった。
他にも聞きたいことがあったのだが、ディアが戻ってくるのが見えたので、話を中断して紅茶をいただく。
うん、今日も美味しい。安心する味だ。
「いつまでお喋りしているつもりだ。早く本題を言って帰れ」
「あ、帰ってきたんだ。ディアはせっかちだなぁ。ほら、ちぎりパン食べた?」
「…………ベル」
「分かった、分かりましたよ。本題に入りまーす。今日はね、伝言があって来たんだ」
ベルさんはそう言って、真面目な顔になる。
「シンシアが復活したそうだよ」
「…………っ!?」
その名前は私でも分かる。
シンシア=クローテッド。人魔大戦をたった一人で引き起こした、闇の魔女だ。
最後には人間に倒された、というのが読み聞かせの終わり方だったはず。
あまりの強さと残酷さから魔王と呼ばれた彼女が、復活した?
「シンシアの姿は捉えられてないんだけどね、シンシアを崇めてるクローテッド教団ってあったでしょ? あそこが最近、主は復活したって触れ回ってるの。だから俺も北の森に戻ってる。ディアも気をつけてね」
「……くだらない。アイツの首は、俺が折った」
ディアは、感触を思い出すように、手を広げて握り潰す。
え、何その話。めちゃくちゃ怖いんですけど。
ベルさんは苦笑して、ディアを嗜めた。
「まぁ、教団が厄介になってきたのは本当だし。備えるに越したことはないでしょ」
「……そんな内容なら手紙でいい」
「読まないだろ、お前は」
確かに読まなさそう。
口に出していないのに、ディアは私を睨んできた。理不尽だ。
「じゃあ、ディアがうるさいから帰るとするか。また何かあったら来るね」
ベルさんは立ち上がり、私にも手を振ると、訪れた時と同じように突風と共に消えた。その余韻で、家中の窓や食器がガタガタと鳴っている。
あれが、魔女の力なんだろうか。人間が使っている魔法とは本当にレベルが違う。
北を任せられるということはベルさんもとても強い魔女なのだろうが、あんな人が戦ってもギリギリだったなんて、人魔大戦とはどれだけ苛烈な戦いだったのだろうか。
真偽は定かではないにしろ、魔王が復活したなんて話を聞いてしまっただけに、胸の奥の方がザワザワした。
魔王は獣に力を与え、魔獣として操ることで戦ったと言っていたが、まさか魔王側についた『教団』があったなんて……。
「……おい」
「え、なんですか?」
不意にディアから話しかけられたので、思考を断ち切ってそちらを向くと、何か言いたげな顔をしていた。
「…………いや。なんでもない」
なんでもないのに呼ばないでください。
怪訝そうな顔で見つめたが、彼はお皿やティーカップを魔法で棚に直して部屋へ戻ってしまった。相変わらずよく分からない人だ。
それにしても便利な魔法だな。お皿洗いもしなくていいなんて、と思い、ディア用に切り分けたちぎりパンがなくなっていたことを思い出す。
「結局、全部食べてくれたんだ」
たったそれだけなのに、何か自分が役に立ったように思えて、頬が緩んだ。
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