6 かくして長い一日が終わりを迎える




 せっかくの休日が、どうしようもなく台無しだった。


 槍で殴っても、攻撃はまるで効かず、空を切る。それはまさに、影が立体を得たかのような存在だった。

 しかし風圧が煙を払うように、単なる物理攻撃でも影の動きを阻害することは出来るようだ。


「とんだ休日だったなぁ、ガキども!」


 門番たちも応援に駆け付け、彼らが開いた道をわたしたちは駆け抜けた。


「"惨月節3月の終わりは、死月節4月の始まり"、か――」


 誰かのつぶやきが耳に届いたけど、誰の声かは分からなかった。




 何が起こったのだろう。

 見たままを思い出す。


 荒くれものたちが現れて、騎衛衆に討ち取られた。彼らは無法者がそうされるように、当然の「対応」をされて行動不能になった。"かたちを損ねる異物"がなくなれば、じきに傷は癒える。罪人たちは翌朝、檻の中で目覚めることになったはずだ。


 しかし、異変が起こった。

 本来ならすぐに止まるはずの出血は広がりを止めず、それはやがて泥のような黒い染みをつくり、その泥沼に荒くれものたちは吸い込まれていった。残されたのは、彼らを貫いていた槍。逃走の途中に見かけたが、その衣服も地面に散っていた。失われたのは、それを着ていた肉体だけ。


 それから、震動。

 黒い沼から、異物が産み落とされた。


 沼は消え、黒い影法師だけが残った。いったい何人の荒くれものが街にいたのか、その斃れた人の数だけ、『妖威』と呼ばれるそれが現れたのだ。


 ……いや。


 そんなことは今、どうでもいい。


「な、何なのよ、あなた……!」


 汚れた衣類をまとった荒くれものの残党が、わたしたちに迫っていた。


「あァ、クソが……。散々だ! なんだってんだ!」


 そいつは濁った眼をしていたけれど、正気だった。穴の開いた脇腹を押さえていながら武器を片手にしていることが、正気と呼べるのならだけど。


 騎衛衆が討ち漏らしたのだろうか。まるで竜が火でも吐くように男は食いしばった歯のあいだから鋭い息を漏らす。恨み言とともに。


「こっちはなぁ……! 人探しに来ただけだったんだよ! 金がもらえるって話だったんだ! 『凶犬きょうけん』、それと『学生服』……! ふう、ふーっ! それなのにっ、クソっ、あぁ痛ェなぁ……!」


 わたしたちは必死に逃げるあまりその男に気付かず走り、通り過ぎようとして、ミネイが足をかけられ転んでしまった。髪を掴まれ、その首に刃物が押し付けられる。


 男の目は血走っていた。怒りで真っ赤に燃えていた。傷は痛むのだろうが、呼吸はだんだん落ち着いていく。いや、荒く激しくなっていく。呼吸が安定しない。


「きれいな服とか着やがってよ……! 学生? ふざけんな……! 何なんだよこの格差は! オレが汗水垂らして働いてるってのに、のん気に学校でお勉強? お友達と青春ってか? クソ喰らえ……!」


 男は何かに怒っていた。何に怒っているのか、もしかすると自分でもわかっていないのかもしれない。


 そこにいない自分に、だろうか。


 なんにしても、その怒りをぶつける先を求めていた。


 手近なところに、自分よりも非力で、かたちの良いものがいた。


 男の怒りの、嫌悪の、嫉妬の象徴。


「てッ、手を放して……! 痛い! ハゲるでしょ馬鹿ぁ!」


 ミネイが泣き叫び、男は悦びに笑みを浮かべる。


 わたしの心臓はどくどくと脈打っていて、背筋は冷たく、思考を、感情を冷却し、冷めた目でその光景を見つめている。


「放してってば! こっ、こっちは四人いるんだから……! さっきの化け物に比べたら、あなたなんかぜんっぜんコワくないんだから! こっちには『狂犬きょうけん』がいるんだから……!」


「馬鹿お前っ、変なこと言って話ややこしくするな……!」


「このお方を誰だと心得るぅ……っ!!」


 ……意外と元気そうで、ひと安心。それにしても誰のことだ、狂犬って。


「うるっせェなあ……! ひとのこと馬鹿にしやがって……!」


 こちらのやりとりに、男が完全にキレた。


「彼女を放してください」


 静かな、しかしよく通る声だった。


「あァ!?」


 男が睨んだのは、長身の青年。


 青年の手には、いつの間にか短刀が握られていた。

 あるいは脇差とも呼ばれる長さの、質素な拵えの柄と鞘。その鞘を左手に、彼は右手で柄を軽く握っている。


「もう一度言う。放せ。殺すぞ」


「――――」


 ゾッとした。それは男も同じだった。その足元でミネイが尻もちをつく。その横にナイフが落ちた。


「失せろ」


 男はまるで助走するかのようにその場で足を空回りさせてから、わたしたちに背を向け、這う這うの体で逃げ去っていった。わたしたちが逃げてきた場所へと。


「あ、あのう……イツセさん……?」


 戸惑うミネイ、それとエイリク。イツセの表情はまだ険しく、視線は路地の角へ。


「お前もだ」


「おっと……」


 物陰から現れたのは、汚れた赤毛。左目に眼帯をした大男。


「漁夫の利、火事場泥棒と洒落込むつもりだったが、まさか藪蛇だったとは」


「お前は口がよく回るな」


 イツセが刀を抜いた。それはともすれば、両手を離したように見えたかもしれない。


 しかしその両手にはそれぞれ、鍔のついた柄と、鞘。


 刀身やいばはどこにもなかった。


「子供だましの小細工、と思いてェところだが……まさかなァ?」


「分かるなら、退け。この距離でも、お前は死ぬ」


 それが戯言じゃないと、この場の誰もが理解した。


がその気になれば、一瞬だ。刀はかたちに過ぎない」


 その見えない「空白かたち」に、わたしたちはあの影法師に対するものと同じ「恐怖」を覚えた。


 勘が告げる。本能が理解する。そうした感覚がわたしを襲う。


 ソレは、わたしたちを殺すもの。


「……話に聞く、『無刀剣』。まさか、こんなところで出会うとは――」



 皇太子さま、と。



 そうして一難去って。


「いちばん安全じゃなかったのかよ! もしかしてもう街じゅうこの有様なのか!?」


 エイリクが叫んだ。


 街を大回りして西側の「水月門」前まで来たわたしたちを待っていたのは、閉じた門の前に集まる黒い人型の群れだった。


「違う。あれは桔花邸うちに集まってるんだろう。兄上たちの方も『木実門』側に移動しているはずだ」


「ど、どうするよイツ……、皇太子殿下さま!」


「イツセでいい。……騎衛衆と離れたのは失策だったか。しかしまあ、やりようはある。あいつらは私たちに気付いていない」


 どっちが前で後ろなのか判別はつかないが、下半身の融けかかった人型、といったような風貌のそれらは門の前でゆらゆら揺れている。


「後ろから各個撃破だ。『陽性攻式護法』を」


 イツセ――殿下は、淡々とそう告げると、


「"我、甲を以て乙を制す"――失せろ、悪性」


 詞句を唱え、煙を払うように腕を振るった。


 直後、門の前で蠢いていた黒い塊が――ある部分だけごっそりと、消えてなくなる。


 ぐるり! ――と、影法師が首をこちらに向けたのが分かった。


「なんかこっち見たぞ……! というかお前、!?」


「詞句だが」


「略式なのか!? 意味不明にもほどがある! それが皇太子パワーなのかそうなんだな!?」


「前に話しただろう。私が二年留年していたのは、護法の一級資格を取るためだったと。実力だ。権力の濫用とかではない」


「なんにしたって三級程度の素人アマチュアに今の作用パワーを求められるのは無理が過ぎるってえの……!」


「つべこべ言ってるヒマがあれば、詞句の詠唱を。来るぞ」


「はいはいド正論どうもありがとう!」


 状況は切迫していた。だけど不安はなかった。殿下の口元には笑みさえ浮かんでいた。


 その時、わたしはふと思った。


 ……本当に、、と。




 ほどなくして、その騒動は幕を閉じた。


 影法師は姿を消し、その痕跡は跡形もなくなった。

 市民の被害は少数、死者は当然、ゼロ。


 騒動の原因となった荒くれものたちは、一人として行方が知れない。



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