5 まるで物語のように
「さて悪党、話を聞こうか。あまり弟妹たちの前で血は見せたくないんだ」
騎衛衆は容赦がなかった。
市井の人々に襲い掛かる悪党たちを見るやいなや、容赦なくその胸を手持ちの槍で突き刺し、地面に縫い留めた。悪党たちの大半はその一撃で
住民への被害は最小限に済んだようだ。頭を叩き割られた男性の他には目立った被害はない様子。件の男性も騎衛衆の医療班が見ている。それならば、自然回復に任せるよりも早く、蘇生するだろう。
この街の、この大陸の人たちは老いを知らない。
その身体は傷を負ってもやがて癒え、致命傷を受けても絶命しない。よほど酷くなければ、一夜もあれば生き返る。肉体は規定されたカタチに無事戻るが、残念ながら死亡前後の記憶を欠損する。それを除けば、この大陸の人々にとって「計画外の死」はさほど問題ではない。貴重な一日を失うだけだ。
わたしたちはそういう風に出来ている。
だからそこに、容赦はない。
必要なら、取り押さえにかかえるより、槍を用いて蘇生しないよう地面や壁に縫い付ける。
「なるほど、噂に聞く隊長さんの顔見知りか。これはますます当たりだなァ」
ハントに体勢を崩され地面に倒れ、今にも槍をその胸に受けそうな格好でありながら、眼帯男に怯える様子はない。いたって冷静で、顔には獰猛な笑みが浮かんでいる。
死は誰しもにやがて訪れるもの。しかしそれは決められた日にやってくるものであり、今日ではないと知っている。男の笑みは、そういう笑み。特に貧民窟のならず者、荒くれものであれば、殺されるほどの痛みさえも笑い飛ばせるのだろう。
しかしそれは、「化け物」の価値観だ。清く正しく生きる市井の人々にとって、こんな状況にもかかわらず笑みを浮かべているこの男は、化け物以外のなにものでもないだろう。
「怪物が……」
槍を持ち上げるも、ハントはそれをすぐには振り下ろさない。彼の言う「弟妹たち」……わたしたちがすぐそこで見ているからだ。
「さて……。何が狙いだ? ここで騒ぎを起こし、その隙に別動隊が『桔花邸』を襲う算段でもあったか? 残念だが、こちらの守りは完璧だ」
「隊長さんよぉ、一つ聞きてェんだが……あんた、どうして気付いた?」
「ん?」
「俺たちみてェなゴロつきが区内を歩いてりゃァ、目立つのは分かる。巡回の騎衛衆が目ェつけてたのかもしれねェ。それぞれに動いていた部下たちを即座に取りまとめた、あんたの手腕、指導力っていうのはさすがとしか言いようがねェ」
「褒めても逃がしはしないぞ」
「……しかしそれにしたって、
「……何が言いたい」
各所から上がるうめき声を除き、その場は静まり返った。
「まるで正義の味方みたいに隊長さんが現れたのは、いったいぜんたいどういう訳なんだ……!?」
わたしの中で何か形容しがたい、どろどろとした感情が沸き起こる。
この眼帯男は、なんだ? さっきから、何を言ってる? 何が言いたい?
まるでハントがこの事態を予期し、都合よくこの場に助けに入ったかのように……そう揶揄するような口ぶりだ。
ハントは戸惑った様子だったが、それでもはっきりと、答えを口にした。
「勘、だが?」
「そうかそうか……!」
突然、男が笑い出した。
「勘か! 俺もそうだ。そういう勘が働いたんだ。まるで最初から答えが分かっていたかのように、ここにきて、そこの学生たちを見つけた! これはなんだ? 吉兆か? それとも凶兆なのか? あるいはどれもこれも、俺のこのザマも、ぜんぶ計画通りって訳なのか……!?」
その意味の分からない言動に、わたしたちは知らず足を引いていた。
「じゃあこの計画を仕組んだのは誰だってんだ! 俺はどこのどいつに操られてる!? こいつはなんだ! それとも何か? これが皇太子さまの御心って訳か……!?」
……殺せ。
「兄上」
「!」
呼びかけに、ハントはハッと息をのみ、顔を上げた。イツセを見、その険しい表情に気付く。
「何か、変です」
イツセの視線はハントでも眼帯男でもなく、少し離れたところで壁に縫い付けられている荒くれものの一人に向けられていた。その足元には釘付きの棍棒が転がっていて、小刻みに揺れ動いていた。
家屋の壁には血の染みが広がっている。
……広がり続けている……?
男は白目を剥き涎を垂らしながら、苦しげに胸に突き刺さる槍を引っ搔いていた。傷口から血が滴る。全身が小刻みに震えている。振動が、各所から起こり広がり、連鎖している。
ずぶり、と。肉が盛り上がるように槍が蠢き、地面に落ちた。
入れ違うように、痙攣する男が自身の血で出来た黒い染みの中に――取り込まれていく。
ずどん、と震動が走った。
「なん……ッ!? 地震か……!?」
まるで地面が盛り上がったかのように錯覚する震動は、一瞬。
そこから崩壊が始まった。
家屋の壁が崩れ、地面が陥没する。死体が消え、代わりに何かが現れる。
……何が?
「兄上……あれは、『妖威』です。街に『妖威』が現れた!」
それは、人影が地面から立ち上がり、身を起こしたもののようだった。
「『妖威』……だと!? まさか、ここは帝都だぞ! 【小帝区】だ! "結界"がある! あれが破れるはずが!」
イツセはそれを『妖威』と呼んだ。
わたしたちは誰もがそれを知っている。だけど、自分の目が信じられなかった。
だって、それは
人ならざる人外、ここならざる魔境に棲まう妖怪変化、化け物の類い。
わたしたちはそういうものがいると知っていたし、この都市の外、大陸の片隅や人の手の届かない自然の領域にそれらはいて、人に害を為すそれらが近付かないよう、人は都市に"結界"をつくり隠れ住んでいる――もはやわたしたちとは関係のない、別世界の存在。そう高をくくっていた。
でも、現に目の前にそれはいる。明らかに人ならざる、何かが。
知識として知ってはいても、今この場にいる全員がそれを目視したのは初めてで、だから誰もすぐには動き出せなかった。
思考は巡る。
あれは、わたしたちの知らないものだ。あれは、未知の存在だ。つまりあれは、何をするか、何を起こすか、誰にもわからない。あれは、脅威だ。
あれは、わたしたちを殺せるかもしれない。
死が突然、目の前にやってきた。
「逃げろ!」
腹の底に響くような、闇夜を引き裂く雷鳴のような怒鳴り声だった。
あの眼帯男が、わたしたちに向かって叫んでいた。
「クソったれが! やっと頭が回ってきたぜ……! 薬でも盛られてたのか!?」
男はハントの槍を押しのけ、身を起こそうとした。
「っ、お前……!」
「命が惜しけりゃ俺に構わずあんたも逃げな! アレはマズい。俺も初めて見るが嫌でも分かる。あれは正真正銘の化け物だ……!」
ハントは眼帯男を怒りの形相で睨みつけるも、すぐに視線を影法師の群れに向けた。
そこには騎衛衆と、取り残された人々がいる。
「騎衛衆! 陣形を組み市民を守れ! 連絡班は"屋敷"に入って応援を呼べ!」
頬を叩くような勢いのある声だった。騎衛衆が活力を取り戻したかのように動き出す。
「イツセ、お前たちは路地を使って桔花邸へ。なるべくこの通りに人が寄らないよう声をかけていってくれ」
「兄上……本で読みました。僕も実物を見るのは初めてですが、アレに"物理"は通じません。そのくせ、こちらに危害を加える……」
「っ……、俺たちでは歯が立たぬと?」
「"
「俺の苦手な分野だな……! だが分かった。騎衛衆護法隊一同、集合! ……イツセ、お前たちはとにかく逃げろ! 桔花邸だ! あそこがいちばん安全だ!」
一喝を受け、わたしたちは我に返った。
「逃げろっても、兄貴! そこら中にわんさかいるぞ!」
「護法が通じるなら多少は殴れるんだろう!? 俺が道を開く、お前たちは行け!」
年長であるイツセに先導され、わたしとミネイ、エイリクはハントの開いた道を抜け、路地へと駆けた。
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