3 よく聞く庶民たちの噂話




「じゃあなガキども、あんまり遅くなるんじゃねえぞー。最近は門限が厳しいんだからな」


 口は悪いがなんだかんだ気の回るマイセルに見送られ、わたしたちは今度こそ桔花邸をあとにした。


「門限はちゃんと守れよ。明日は大事な日なんだから」


 ハントが「遊ぶ」と言っていたのはもちろん冗談で、彼とは少しして別れることになった。


 明日……新学期の始まりであり、今年は特別な年でもある。


 それは一般には……街を行き交う市井の人々には知らされていない。しかし誰もが感づいている。なにせ、桔花邸に各地の姫君が集まっているのだから。


 妃選び、花嫁選びが始まる。次期皇帝が動き出す。

 そんな年は、始月節の一日、帝国立学習院の始業式は【小帝区】だけでなく、この大陸全土にとって特別な一日になる。


「明日かぁ……。皇太子さまねぇ……。ほんとに出てくるのかなぁ?」


 と、市井の人々と比べれば、どちらかといえば「身内」にあたるミネイが誰ともなしに呟いた。


 事実だけ見れば、わたしもミネイも、それから少し前までエイリクも、皇太子さまと同じ屋根の下で暮らしていたはずなのだ。ミネイとエイリクにいたっては生まれも育ちも【小帝区】、桔花邸。庶民とはいえ、代々皇族に仕えている家の者だ。幼いころのミネイは皇后陛下におしめを替えてもらったことがあるという。ミネイの家では武勇伝のごとく語り草となっている。

 つまり皇太子とは雲の上の存在ではなく、身近な、親戚のえらいお兄さんくらいの心の位置ポジションに居ても不思議ではない、はずなのだ。


 しかし、


「わたし、生まれてこの方、一度も会ったことないんですけどー」


 皇太子は、庶民の前にその姿を現さない。その毎日の食事を用意する厨房預おばちゃんも、当然その息子も、皇太子のご尊顔を拝んだことがない。


 唯一知っていると思われるのは、わたしたちの身近なところでいえばハントと、執政官のセツカあたりだろう。


「なんで殿下さまは顔を見せないんだろうね? 皇帝陛下はうぇいうぇいしてらっしゃるのに」


 ミネイの台詞にイツセが噴き出した。「不敬だぞー」とエイリクに小突かれる。イツセは咳払いしながら、


「その皇帝陛下も『お披露目』までは正体を隠していたというから、これは皇族の伝統なんだろう。正体を隠し、庶民の中で青春期を共に過ごす。そうすることで市井を知るんだ」


 イツセの言葉に、わたしはいちおう補足しておく。


「顔を見せないことで、誰もその正体が分からない。もしかすると、今通りすがった人がそうなのかもしれない……そう思うと、みんなお互いに不敬な真似は出来ないでしょう」


 皇太子殿下は隠れているのではなく、常に人々のそばにいる。あの人かもしれないし、この人かもしれない。そう思えば人々は互いを尊重し、不埒な真似をしなくなる。


 相互監視、という言い方も出来る。

 人は他人の目があると、おかしな真似をしなくなるものだ。逆に、見栄を張ろうとする人もいるだろう。良い働きを心がける人もいる。親の目があると子供が悪戯しないように、頑張って成果を見せようとするように。


 暗殺対策、という実利的な面については、わざわざ言うのも野暮だろう。


「ほへえ~……」


 ミネイが理解したのかなんなのか、間抜けな声を上げる。帝国市民の子供なら誰もが抱く疑問で、その答えとして親から聞かされるであろう説話を話しただけ、なんだけど。


「つまり、このあてくしが殿下さまかもしれない訳だね?」


「どうしてそうなる」


「だって、皇后陛下に抱っこされた経験があるもの」


「それを言うならおれだってそうだよ。というか皇太子さまは男だろ」


「女かもしれないじゃん?」


「え、お前……女だったの?」


「いろいろと突っ込みどころがあるなぁキミぃ!?」


 幼馴染み同士でじゃれ合っているのを横目に、イツセがしみじみと呟く。


「つまり、この国の子供たちがみんな、皇帝陛下の息子であり娘なんだよ、きっと」


「なんかイイ話でまとめようとしてますケド」


 わたしは今来た道、その向こうにある桔花邸を振り返る。街のどこからでも見える、この【小帝区】最大の建造物「星見台」の頂きが目に入った。


 明日の晩、あの頂きに明かりが灯される。

 皇太子が【小帝区】の人々の前に、はじめて姿を現すのだ。いちおう、その日の朝には帝国立学習院の学舎で発表がある訳だが、「公に」現れるのは明日の晩だ。


 話題に上がった皇帝陛下、皇后陛下のお二方はご出席なされない。遠く、首都の王城から眺めてはいるのだろうけど、直に参列することはない。

 なぜなら、これが次期皇帝が執り行う、初めての公務であるためだ。


 ここは【小帝区】。皇太子が自治する、一つの国なのだから。


 ……今はわいわいしているわたしたちも、明日からは変わらざるを得なくなる。


 それを想うと、今この時がとてもいとおしいものに感じられた。




「ところで、真面目な話――」


 特に目的もないのか、街を闊歩しながらミネイが唐突に声を潜めて、言った。


「……誰、だと思う?」


「誰って……、」


 反射で訊き返しつつも、会話の流れからさすがのわたしもその意図は察している。


 こういう話題は、この街では珍しくもないものだ。


 やれ皇太子は絶世の美男子だとか、いや違う百戦錬磨の美丈夫だとか、さっきのミネイのように、正体を隠しているのは実は美少女だからで……、などと、様々な憶測が飛び交っている。


 しかし現実的な話、帝位は男女問わず第一子が継いでいる歴史があり、皇太子が女性の時は『晴夢の儀』も「婿選び」と呼ばれ、執り行われた事実がある。今回に限っては、「女性説」はあり得ないのだ。


「……賭け、しようぜ」


 エイリクみたいな馬鹿な発想をするものも、少なからずいることだろう。不敬このうえないのだが。特に、明日発表となれば、そういう話題はいつもより盛んになるし、実際に金品を賭けるものが現れも不思議じゃない。


 街を行き交う大人たちと、わたしたちのいちばんの違い。それは、わたしたちが学生であるということ。

 そして例年、皇太子は学生としてこの街で生活している、ということ。

 つまり正体不明の皇太子は、わたしたちのごく身近にいる人かもしれない、という訳だ。


 そう思って普段から生活していれば、おのずと「この人じゃないか」と思うような人物の一人や二人、アテが出来る。


 そんな彼らの夢を壊すようで気は乗らないが――その「正体」を知っているわたしとしては、いちおう言っておかなければならない。


「思ってるような人じゃないかも、しれないよ?」


「えー、たとえばぁ?」


 視線が泳ぐ。

 大変、発言コメントしづらい。それこそ、どこにいて、何を聞いているかわからないのだから。ミネイももっと慎重に口を開くべきだと心底思った。


 わたしは何とかひねり出し、無難な答えを口にする。


「……初等部の生徒、かも?」


「いやぁ、アヤミちゃん、それはねえよ」


 我ながら一考の価値ある「嘘」だったのだが、エイリクが即座に否定する。


「だって見ただろ、あの『学生会長』"クーリント"さまがいたんだぜ? それにお姫さまたちはみんなおれたちと、トシが近い……。間違いなく高等部の生徒だ」


「まあ、それはそうか」


 ふと、思い直した。この「賭け」にわたしは必勝出来るのだと。あとは、ごく自然にそれを行うにはどうすればいいかを考えるだけだ。最初から答えを知っていた、とあとでいちゃもんをつけられないように。


 ……「クーリントさん」か。


 先日、姫君たちは皇太子殿下との謁見を果たしている。クーリントさんというのはわたしたちより一つ上の学年で、『学生会』の長を務める少女であり、名門クーリント家から今回の『晴夢』に参加している「姫君」の一人である。桔花邸に身を置くわたしたちは他の庶民より先に、姫君たちのご尊顔を拝謁しているし、なんならうち一人とは言葉も交わしているのだ。

 つまり、身近なところにその正体を知る人物がいる、ということ。上手くその方向で持っていければ……?


「わたしはぁ、ハント兄さまがそうだったらいいなぁ……!」


「もはやお前の願望じゃん」


「『皇太子のいとこ』っていうのは実は仮の姿、本当は兄さまが真の皇太子なのだった……!」


「いや……」


 エイリクは突っ込もうとしたのだろうが、あながち「ない」とも言い切れないと思ったのかもしれない。それを代弁するように、イツセが言う。


「ありかもしれない、それ。兄上が皇太子。実は本当に『いとこ』なんだけど、真の皇太子はとっくのとうに亡くなっていて、兄上が皇帝陛下の養子として皇太子の座を引き継ぐんだ……」


「不敬だよ」


 いちおう、イツセに釘にさしておく。内輪で話しているとはいえ、ここは仮にも街のど真ん中なのだ。空想フィクション大好き陰影陰キャのイツセくんとはいえ、口にしていいことと悪いことがある。


 どこで、どんな人の耳に入ることか――


「おーう、そこ行くさァ」


 その時、背後から低い声がかかった。


 学生さん。必ずしもわたしたちのことではないかもしれないが、いちおうそうした身分であるわたしたちは揃って声のした方を振り返っていた。


 見ればそこには、ガラの悪そうな男が三人。薄汚れた着物を着くずし、腕をまくって浅黒い素肌を晒している。ちじれた髪、無精ひげ。三人ともに、あまり身なりがよいとは言えない風貌をしている。


 わたしたちは一瞬、面食らった。

 この都市に、こうした人種はほとんど見かけないからだ。


 しかし、いない訳ではない。大都市の片隅に、必ず存在する暗がり。【小帝区】はいちおう帝国首都【ニルバナ】のはずれにある。そして【ニルバナ】と【小帝区】の狭間には、掃き溜めのように存在する「貧民窟スラム」があった。


 そうした闇から、にじみ出た悪意。


 しかし、なぜ?


 その問いが、わたしたちの動きを止めた。


「ちょおーっと、オジサンたちとお喋りしようや」



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