2 よく見られる庶民と皇族関係者のじゃれ合い
人には
わたしたちは生まれた時から「余命」が決まっていて、そしてその"生まれ"からどのような人生を歩むのかがおのずと分かる。農民の親の元に生まれれば、農民に。貴族の家に生まれれば、貴族として。
わたしたちにはそうした「
そこに生じた「変数」が、『学習院』――帝国立学習院の存在。
帝国の子供であれば、生まれの立場など関係なく皆、学校に通うことが許される。そこで子供たちは様々なことを学び、農民が学者へ、貴族が職人へとその立場を変えることが出来るのだ。進む路線を替えるだけだとしても、そこに職業選択の自由が発生したのだ。
そして卒業し成人になると、自らの人生を決定する権利が与えられる。
わたしたちの余命ははっきりしていて、そしてそれが害されることはよほどの「変事」でもなければ起こりえない。だから、わたしたちは人生に計画を立てる。どのように生活し、いつごろどのような相手と結ばれ、あるいは一人を貫くか。そうした人生設計を立て、なるべく計画通り、変わりなく余生を過ごす。
帝国はその人生設計を受領し、領民それぞれの人生を管理する。たとえば二十代の終わりごろに結婚しようと考える男がいれば、同じように考える女を紹介する、といったように。
変わらないことは美徳だ。そこには安心があって、平和がある。
しかしそこには倦みがあって、本来なら門の前で真っすぐ屹立し人々を睥睨していなければならない門番たちも、まるで警戒や注意というものを怠っている。
そして、退屈は人々に
「――"中の人"が、なんだって?」
背後から不意にかかった声に、しかし門番の男はなんの警戒もなく振り返り、
「うぉおお……っ、隊長どの……!?」
門の向こうから現れた青年を見て、素っ頓狂な声を上げた。慌てて
かくして、ここに場合によっては懲罰を喰らいかねない、大人の駆け引きが始まった。
「不敬罪がありましたー。加えて職務怠慢でーす」
「ハゲオヤジ、あんたの顔も今日で見納めのようだなぁ!」
「! ……!」
禿頭の門番マイセルはそばであおる学生たちを黙らせようと睨んだり、青年の後ろで寝ぼけている同僚を起こしてくれと懇願の視線を送ったりと忙しなく表情を変化させていた。
門の"中から現れた"その人は、言うなれば門番の直属の上司にあたる人物だ。年齢でいえば彼より若く、まだ学生とはいえ、マイセルはその青年に頭が上がらない。
マイセルと同じ槍を手にしてはいるが、門番よりも「騎士」という表現の似合う武装した青年だ。高い上背に幅のある体格、それを銀の胸当てや手甲で覆っている。
赤い短髪を撫で上げ、よく日に焼けた小麦色の肌のなかに爽やかな印象を受ける青い瞳が輝いている。
カグラギ・ハント――現皇帝の甥に当たる、この【小帝区】の騎衛衆筆頭である。
「さて、マイセルさん。お前さんは帝国騎士団参加、『騎衛衆』の組員である訳だ」
「は、はあ……」
「そして、この門の向こうには今、同じ帝国の騎士団とはいえ、いちおう所属の違う"武力集団"がいる訳だ」
「はい……」
「それ以前に、ここには他国の姫君たちが、そして何より皇太子殿下がおられる訳だ」
「…………」
だから、「中の人」という表現は不敬である。もしもそれを偶然耳にした「中の姫君」の虫の居所がちょうど悪かったりしたら、それを理由に政治的な
「俺みたいに、突然誰かが現れても不思議じゃない」
……姫君というものは、ある種の爆弾なのだ。いくら帝国の統治下にあるとはいえ、かたちでいえば「同盟国」であり、帝国の「一部」。その気になれば――
「門番の役割はなんだろうか。それは門を守り、怪しいものの侵入を防ぐことだ。常に気を張っていなければならない。馴染みの顔をしていても、いつ謀反を起こすともしれないのだからな。お前さんたち門番は、こういう状況において、俺たち騎士団の先鋒、一番手としての働きを求められる。……まず、
「……はい。重々承知しております……」
「うむ。分かっているならいい」
頷くと、ハントは快活な笑みを浮かべた。一方のマイセルはちゃんと反省はしたようだが、それでも何か納得がいかないものがあるようで、
「しかし隊長どの、俺はこれでもいちおうね? ちゃんと見張ってましたとも! しかし、そいつ! 後ろのユーゴウ!」
マイセルは同僚を売った。実際、ふと冷静になって考えてみると、彼だけ説教を受けているのも理不尽だった。ハントは軽く頷くと、手にしていた槍を振り返りざまに背後の寝坊助に叩きつけた。
――が。
「隊長殿。我々は職務を忠実に果たしております」
もう一人の門番ユーゴウはそれを躱し、顔にかかる長い前髪をかきあげた。
「だ、そうだ。マイセル、お前さんも身体が鈍らないようにしておけよ。なんならここで、通行の邪魔にならない程度に二人で槍の稽古でもしておくといい。そうすれば不埒者もここを通ろうとは思うまい」
さて、と――隊長の仕事を終えたハントはわたしたちの方を振り返った。さっきまでの凛々しい「隊長」とは違う、人懐っこい笑みを浮かべていた。
「お前たちをどうしてくれようか」
「いや、ハントの兄貴、あのハゲがおれたちに突っかかってきたんだよ。おれたち、もう行くところだったし?」
「突っかかってねーよ、職務を遂行してたんだよ。普段こっちに現れねえ顔がこそこそしてるんだ、そりゃ疑うだろうが」
「おぉ、そういえばエイリク、お前の顔を見るのもなんだか久しぶりだなぁ」
どこぞの皇太子と違って、ハントは出自も正体もはっきりしている皇族の人間だ。本来であればこのように
皇太子の「花嫁選び」が始まってからというもの、ハントは姿を見せない皇太子に代わって【小帝区】の表の代表者の一人を務めている。ずっと桔花邸の中で書類仕事をしているか、首都に出向いているかといった具合に多忙で、『晴夢』が始まってしばらくしてから屋敷の外に逃げたエイリクとは顔を合わせる機会がほとんどなかったのだろう。
一方、
「ハント兄さま! このわたしの可愛い顔も見てください!」
「うん? どこからかミネイの声がするが。……うん? ああ、小さすぎて気付かなかった。正直、毎日顔を合わせているから見飽きた部分ある」
「この野郎めー!」
仮にも皇族の飛び蹴りを喰らわせる庶民の娘である。
……平和だ。
わたしとイツセはちょっと心に距離を置いて、その光景を眺めて微笑んでいた。
「ところで、兄上」
と、
「どうして、ここに? 在学中とはいえ、仮にも騎衛衆隊長が祝日にお出かけとは感心しませんが……」
「厳しいご指摘だなぁ。だから、俺が遊ぶために、部下たちを叱咤激励してるんじゃないか」
「この隊長どのは……!」
部下から抗議の声が上がるが、ハントは快活に笑い飛ばし、ちらりとわたしに目を向けた。
「アヤミの姿が見えたからな。堂々と屋敷を出ていくから、気になって見に来たんだ」
「ハント兄さま! わたしは!?」
「おぉ、そういえば物陰をこそこそ進む不審者も見かけたな。これは腹に一物あるに違いない。エイリクともども営倉に入っておくか?」
「えー、なんでこいつと。ハント兄さまが密室でじきじきに取り調べてくれるなら俄然歓迎ですが!」
わいのわいのするわたしたち一同を、通りを行きかう人たちが微笑ましげに身ながら歩き去っていく。なんだか恥ずかしい。それこそ「中の人」たちが出てこないかと不安になる。
……それにしても、堂々としていても逆に目についてしまうのか。屋敷から抜け出すのは、これがどうしてなかなか難しい。
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