少しだけ世界に魔法をかけて

ぐらたんのすけ

少しだけ世界に魔法をかけて

 

「本当に君は、いつまで子供でいるつもりなの?」


 上司の厳しい叱責に、ただ頭を下げていた。

 反論できるものならしたかった。でも何を言えばいいのか私には分からなかった。

 ただただ噛みしめる唇が、ひたすらに痛かった。


「ユミさー、まほーしょーじょごっこ覚えてる?」


 上司の愚痴を溢す帰り道、同僚のサキと居酒屋に来ていた。

 サキは既に相当酔っているのか、怪しい呂律で私に言った。


「小学校でさ〜、流行ってたよね、ラブリージュリア」

「その名前を出すのは辞めて」


 苦笑しながら酒を煽る。


 彼女は小学校からの幼馴染であった。

 当時はまるで同じ家に住んでいるかのように、ずっと一緒にいた記憶がある。

 ラブリージュリアというのは私のキャラネームだった。

 サキはキュートティアラだった筈だ、イメージカラーは赤と青。


「しないの?変身」

「今はもう出来ないんじゃない?純粋な心を持った人じゃないと変身出来ない設定だったじゃん」


 顔を赤くした彼女の戯言を適当にあしらう。


「もう出せないの?ミラクルビーム」

「うーん、急にミラクルビーム打ったらみんなビックリしちゃうからダメかな」

「でもさ、ミラクルビームだったらさ、あんな奴一撃だよ......」


 そう言いながら彼女は眠りに入っていってしまった。

 あんな奴、そう言われて上司の顔が思い浮かぶ。

 ミラクルビームは悪い奴ほどよく効くビーム、それをあいつに向かって打ったら消えてくれるのだろうか。

 私も少し飲みすぎたかな。

 グラスに残ったお酒を流し込んで天井を仰いだ。


 

 当時、私達の学校では魔法少女モノのアニメや作品が大流行りしていた。

 学校の帰り道、雑誌の付録に付いてくる魔法少女風の手鏡やステッキを大量に集めていたものだ。

 むしろその付録目当てで雑誌を買い漁った程である。

 その中でも流行の最先端にいたのは、私達二人だった。

 二人で近所のパトロールをしたり、架空の悪者を協力してやっつけていた。

 そんな日々がずっと続くと思っていたし、続いてほしかった。

 でも所詮は子供の流行だった。

 段々とみんなは魔法少女に興味をなくし、少し大人っぽい本や雑誌が流行し始めた。

 それでも魔法少女を辞めなかった私達は、周りからは子供っぽい、流行に乗れないおこちゃま達だと見られていたのだろうか。

 それは子供心に嫌なモノだったのは覚えている。



「うぇー、飲みすぎた〜」

「知ってる、私が送ってあげたんだから」


 次の日、デスクに辛そうに突っ伏す彼女を横目に支度をする。

 私の勤める会社はデザイン系の業務を主に行っている。

 仕事をする事自体に辛さはない。寧ろ楽しいくらいだ。

 学生の頃から憧れていた仕事でもある。

 

 ただ、


「だから、何回言えば出来るようになるの?ホント仕事出来ないね」


 こうやって頭ごなしに怒られるのは未だ慣れないモノである。

 それが若さ故の反発なのか、皆通ってきた道であるのかは分からなかった。

 ミスしたつもりも無かったし、文句の一つでも言ってやろうかとふと顔を上げた時に思い浮かんだのは、昨日のサキの言葉だった。


 ――ミラクルビームだったらさ、あんな奴一撃だよ......。


 一撃。その憎たらしい顔面に向かって一撃を。


 「ちょっと、聞いてるの?」


 私はその言葉を聞いた瞬間に勢いよく立ち上がった。


「昨日ミスした所、修正してきました!確認お願いします」


 そう言って私は上司のデスクに昨日の仕事の修正資料を置いた。

 上司は怪訝そうな顔をしながらも資料を確認し始めた。

 ふんぞり返って書類を確認する上司に対して心の中で悪態を吐く。

 偉そうなだけで、きっとこの人だって私の一撃には敵わないだろう。所詮口だけの人間なのだ。

 オフィス中の視線が私に集まっている空気を感じた。

 上司も私の視線に気づき、書類から顔を上げてこっちを睨んでいる。


「これ全部君がやったの?」

「そうですが」


 鼻を高くして腰に手を当てる。けれども、帰ってきた反応は予想とは違うものだった。

 上司は一通り目を通したあと、額に手を当てながらため息を付いた。


「全然駄目、何一つ出来てない。何も学んでない、よくこの会社入れたね。だいたい…………」


 そうやって上司の小言は小1時間ほど続いた。

 説教する暇なんてあったら仕事しろなどと思いながら聞いていた。

 上司の話の大半は左から右へと聞き流す。難しい話はそれに限る。

 第一、眼の前の人間が正しいことを言っていると思えなかった。

 聞く気にもならなかった。


「すいません……」


 それでも何も言えないから、私はひたすら頭を下げていた。


 


 その日の夜は風が強かった。冬の近づく気配を肌で感じる。

 帰り道は昨日と変わって一人だった。


 ――また魔法少女になれたらいいのにね


 ふと淋しくなってサキにメールを送る。


 ――なればいいじゃん


 冗談交じりに送ったそのメールに、思っていなかった返信が来て少し面食らった。

 多分サキも冗談で返したのだと思う。

 

 でも思った。どうして私は今魔法少女になれないと思っているのだろうか。

 あの日のことを思い出す。なれないんじゃなくて、”なるのを辞めた”んじゃないのか。

 流行においていかれるのが怖くて、早く大人になりたくて。


 次の日は休みだったので、実家に戻ってきた。

 私の使っていた部屋は手つかずで、でも母親が定期的に掃除をしてくれていたのか思っての外綺麗だった。

 押し入れの奥、隠すように仕舞われていた鍵付きの可愛い箱を引っ張り出す。

 流石にホコリが被っていた。思い出をなぞるようにホコリを払う。

 それから開けようと手をかけたが、鍵がどこにあるのか分からず開けることができなかった。

 幼心の曖昧な記憶を頼りに、鍵の在り処を虱潰しに探してみる。

 人形の服、女児向けアーケードのカード、すっかり干からびた化粧道具。

 そうして最後に行き着いたのがサキだった。


 ――......マジで言ってる?


 鍵を探してほしいと言うとサキは少し引いた様子を見せた。

 そこでようやくふと我に返って恥ずかしさを覚えたが、渋々ながらもサキは見つかったら連絡すると言ってくれた。

 その日は箱だけを持って家に帰った。


 数日後、サキは私の部屋にいた。


「これでしょ?」


 そう言って彼女は鍵を渡してくれた。

 小さな、陳腐で見るからにすぐ壊れてしまいそうな鍵。

 ゆっくりとそれを差し込んで回す。

 カチリという音とともに錠が開き、私達は顔を見合わせた。


 ――魔法少女なんて子供っぽい。


 過去の痛い記憶が蘇る。

 言ったのはサキだった。もう小学5,6年生くらいの年だったろうか。

 私はそんなことないとムキになって言い返したと思う。

 でも実際、学校の子で魔法少女を話題にする子はもうほぼ居なかった。

 キスの仕方だったり、告白のシチュエーションだったり、そんなのは私には早いと思っていたし興味もなかった。


 ――私達が魔法少女を辞めたら、誰が秘密結社を倒すの!?


 怒鳴りつけても、サキは苦い顔をして私を見つめるだけだった。

 それが私には怖かった。

 今までずっと一緒だったサキが別のステージに上がろうとしているのに、私はまだごっこ遊びのおこちゃまなのだと子供ながらに痛感した。

 その後彼女はなんと言っただろうか。思い出す勇気はなかった。


 また世界の危機が訪れたら、一緒に変身して戦おうね。

 涙ながらに約束して、魔法少女は封印したのだった。

 そしていつの間にか約束も忘れてしまっていた。

 子どもの流行というのは目まぐるしいもので、あれよこれよと適応するうちに大人になってしまっていた。


 箱の中には思い出が詰まっている。乱雑に詰め込まれたありとあらゆるグッズ達。

 種類もこだわりもなく集めていたのを思い出す。

 私はその中から一つ、桃色の手鏡を手に取った。


「これじゃない?私が使ってたの」


 サキも箱の中から一つ、水色の手鏡を取り出す。

 2つの手鏡は他のステッキやカードに比べて、明らかに擦り切れていた。

 あの頃はどこへ行くにも、この手鏡は欠かせないものだった。

 鏡の部分を覗くと、当然のように私はいた。

 そこにキュートジュリアは居ないのだった。


「変身!」


 大きな声を出して手鏡を天井に向かって突き出してみる。

 サキは呆気にとられていた。唐突な私の行動に困惑しているのだろうか。

 部屋の中に私の声が響くだけで、何も起きるはずはなかった。

 そう、昔もそうだった。何も起こらないけれど、確かに私は変身していた。


「昔は……」


 昔の私達には確かに不思議な力があった。

 私は魔法少女ラブリージュリアで、サキはキュートティアラだ。

 二人揃えば世界を脅かす悪を倒せると本気で信じていた。


「ねぇ、もう一度、魔法少女にならない?」


 私は言った。本気だった。


「馬鹿じゃないの?」


 サキは呆れたような、可笑しいような笑い方をした。


「魔法少女になったらさ、あの馬面の馬鹿上司だって何でもないし、どんな悪者だって……」


 そう言っている間に、サキがもう笑ってないことに気がついた。

 部屋の中はとても静かだった。


 あぁ、懐かしい。嫌な懐かしさだ。

 

 魔法少女など関係なしに、嫌でも過去の情景が脳裏で発熱する。

 私はこの空気を知っていた。

 彼女が今から何を言おうとしているのか、分かってしまった。


「あのさ、ユミ」


 うつむいた彼女が怖かった。幼い子供に向かって語りかけるような、諭すような口調が。

 皆言うことは一緒なのだ。

 もう私は動けなかった。サキは私の目を見ずにゆっくりと言った。


「ユミはさ、あの人のことが嫌いで、ウザくて仕方ないんだろうけど。でもそれって全部ユミの為を思って言ってると思うよ」


 やめてくれと、心の底から思った。


「確かに言い過ぎだと思うときはあるしさ、ムカつくことばっかりだけどさ」

「やめて」


 思わず口に出すと、ユミは部屋に入ってから初めて、私の目を見て言った。


「ユミさ、いい加減」


 ――大人になりなよ。


 たしかに彼女は言った。今も昔も変わらないのは、その言葉だけだった。

 それを聞き取る前に私は部屋を飛び出していた。


 ずっと、サキは私の一歩前を歩いていた。ずっと私より少しだけ大人だった。

 置いていかれるのが怖かったから、ずっとサキの真似をしていたのだ。

 同じ流行に乗って、同じデザイン系の仕事に憧れて、同じ会社に入社した。

 魔法少女だって、ホントは辞めたくなかった。

 あの頃は無敵だったから。わたしたちが世界の中心だったのに。

 

 いや、もしかすると私達では無かったのかもしれない。

 私は彼女の足を引っ張るだけの幼稚な人間だったのかもしれない。

 あの時からずっと彼女より子供だったのだ。いつまで経っても大人になれない子どもだったのだ。

 上司が言っていた、何度も言われた一言を反芻する。

 

“いつまでも手を引いてもらえると思うな”


 本当にその通りだと思った。その通りであるからこそ、思った。


「やっぱり大人になんて……なりたくないっ……」


 無性に涙だけが溢れた。

 サキは私を大人にしようとしてくれていたのだ。

 彼女はずっと私の手を引いてくれていたのに、私はその手を払いのけた。

 そんな事は生まれてから初めてであったから、どうすればいいのか分からなかった。

 誰もいない公園の、そのベンチでひとり座っていた。

 手には桃色の手鏡が未だ握られていた。


 私は幼い頃からずっと魔法少女で居たかったのだ。

 そんな事を言うと皆口を揃えて私を馬鹿にするだろう。


 ――ガキっぽくてダサい。

 ――いつまでも子供でいるな。


 いつだって、誰だって心の中に魔法少女のようなものは居たはずだ。

 純粋な心と、真っ直ぐな正義感。カッコいい。かわいい。そしてどこまでも強い。

 そんな理想的な存在。

 いつから、そんなモノに憧れるのをダサいと思ったのか。

 どうして理想を求めると大人になれないのか、認めてもらえないのか。

 

 そんな世界の方が、間違っているではないか。


 大の大人は、魔法少女になどなれやしないから文句を言うのであろうか。

 そんな考えなら、否定してやると思った。

 涙を袖で拭う。


 なれないと諦めた元魔法少女共の代わりに、私は天高く手鏡を掲げた。


「変身!」


 乾いた声が、乾いた空に響いた。

 


……………………………………………………………………………………………………


 

 私は魔法少女になる。そう決意した。

 だから次の日会社を休んだ。パトロールの為だった。

 私は魔法少女なのであるから、パトロールをするのは当然だ。

 人の為になるような行動をしたかった。それの第一段階がパトロールであったのだ。

 

 私は魔法少女ラブリージュリアとして、この世界を正すのだ。


 けれど悪者なんてそうそう居なかった。

 あのときは架空の悪者がいた。それは絶対悪だったしどこにでもいた。

 しかし今はそうはいかない。途方に暮れていた。


 途方に暮れて、暇な時間だけが過ぎて。ただぼーっと、SNSを眺めていた。

 

 そんな時駅前で暴力行為をしている動画を見つけたのだ。

 強そうで悪そうな男が、ひ弱な男を殴っている。

 憤りを感じた。弱いものを痛めつける絶対悪が、そこにはいた。

 私はその場所を調べてすぐに向かった。

 

 けれどそこにはもう何もなかった。

 当然であろうか、少し落胆して帰ろうとしたときだった。

 もともと治安の悪い街であった。喧嘩だったのだろうか、遠巻きに見ていただけだったから分からなかった。

 ガタイの良い男が一方的に、ひ弱そうな男に怒鳴りつけていた。

 

 止めたかった。止めるのが魔法少女の役目であるのだから。

 でも何もできなかった。自分が介入したところでどうにかなる問題ではなかった。

 だから私はその様子をカメラに収めてSNSに投稿したのだった。

 その日はそれだけだった。それしかできなかった自分がやるせなかった。


 その次の日はちゃんと出勤した。

 サキは少し気まずそうに、少し言い過ぎたと謝ってくれた。

 その日はミスもせず、サキとも仲直りして少し気分が良かった。

 けれど仕事も何もかも少し味気ないように感じた。


 定時に仕事を上がり即刻帰宅した。

 無論、パトロールの為だ。

 SNSで悪者を探すために、再びスマホを開くと、いつもより沢山の通知が来ていることに気がついた。

 それらは全部、昨日の投稿についてだった。

 ありとあらゆる罵詈雑言が、怒鳴りつけていた男に向かって放たれていた。

 ダイレクトメールにも、一つ通知が来ていた。

 

 ――投稿、消していただけませんか。


 ダイレクトメールには本人らしきアカウントからそう届いていた。


「は?」

 

 思わず声が出た。なんて勝手な言い分だろう、悪いのはお前なのに。

 そんな苛立ちで頭が一杯になったが、ふと冷静になる。

 そしてそのメッセージをスクショして、そのまま投稿するのだった。


 結局その動画の炎上は収まらず、アカウントはいつの間にか消えていた。

 こんな大事になると思っていなかったが、それと同時に胸の奥のわだかまりも消えてゆくようだった。

 

 でもその時は知らなかった。

 動画に映っていたひ弱な男は、何度も見知らぬ人に迷惑行為を繰り返すような男であったことを。炎上した男はその男に向かって叱りつけていただけだった事を。

 

 なんの宛もなく再びあの駅に行くと、世界は悪者ばかりであることに気付くのだ。


 路上喫煙、ポイ捨て、立ちション。

 私が魔法少女を辞めてしまったばっかりに、世界はこんなにも汚れてしまったのか。

 私はすべてくまなく動画に収め、SNSに投稿する。

 これが私に出来る最大限の魔法だ。

 胸ポケットには桃色の手鏡を大事にしまっていた。

 

 全部は魔法少女キュートジュリアの名のもとに行われる、正義の活動だ。


 吐く息がほんのりと白く漂う。公園の周りに植えられた草木も、どこか少し元気をなくしているようだった。

 ベンチも乾燥して少しサラサラとした感触を私に伝える。

 

 あの日魔法少女に変身した公園に、再び来ていた。

 ここは落ち着く。私が子どもの頃からずっと遊んでいたというのもあるだろうか。

 今でも遠くから子供たちの遊ぶ声が聞こえてくる。

 少し懐かしさと寂しさを覚えるのは、やはり私が大人になってしまったからであろうか。

 そうやって子供たちをずっと眺めていた。

 もしかしたら、羨んでいたのかもしれない。仲間に入れてほしかったのかもしれない。


 

 遠目に少女が一人、泣いているのが見えた。

 複数の男の子が、その少女を囲んで囃し立てているように見えた。

 あぁ、助けなきゃ。そういう純粋な心からの行動だった。

 私はその集団に黙って近づいていく。

 今、魔法少女が助けに行くからと、心の中で少女に語りかけている。

 男の子たちは、小さかった。小柄な私でも存分に見下ろせるほどに。

 そうして不思議そうに私を見上げる男の子の一人に向かって、思い切り手を振り下ろした。


「えっ......」


 子供は困惑しているようだった。

 私の平手の威力は大したものではないと思うが、子ども一人泣かせるには十分すぎるものだった。

 泣き声が公園に響き渡る。蜘蛛の子を散らしたように子どもたちは駆けて行った。


「おねえちゃん、ありがとう」


 泣いていたはずの女の子は、目を腫らしたまま私に向かって言った。

 冷えていたはずの手が、じんわりと痛みを伴って熱を帯びている。

 子供にとって、眼の前から悪を消し去れば、それで解決なのだ。

 それは私にとっても同じだった。

 

 私の右手は、たしかに無敵だったあの頃に戻っていた。

 握りしめる手鏡には、たしかにキュートジュリアは映っていた。



「ねぇこれヤバくない?」


 サキがそうやって見せてきたスマホには、酔った男性が路上で迷惑行為をしている動画だった。

 私が撮影したものだ。なんだか嬉しくなった。

 自分の活動がこうやって皆に伝わっていることで、世の中はどんどん綺麗になっているのだと実感した。


「信じられないことする人もいるんだね」


 私はそう言う。

 魔法少女だから、正体がバレてはいけないと何となく思っていた。

 だから誰にも、私の活動は教えていない。


「まじこういう人、死んだらいいのにな」


 突然、サキは軽く口にした。

 サキがそんな事を言うのに少し驚いた。


「どうして?」


 思わず聞いた。


「だって、悪い奴なんていないほうがいいじゃん?」

「それでほんとに、死んじゃったらどうするの?」

「ほんとにって……そんな死ぬわけ無いじゃん」

「もし、もしもの話」

「うーん、別に私にはなんも関係ないし、なんとも思わないかな」


 サキはスマホに目を戻しながら、何でもなさそうに言った。

 それはまさしく私の求めていた返答であった。

 世間一般の人は悪人がどうなろうと構いはしない、寧ろいなくなってほしいと願っている。

 

 ――私の出番だ。


 私のカバンの中で、手鏡が光ったような気がした。


 私はその日以来会社に行くのを辞めた。

 それから一日をすべて魔法少女の活動に使った。

 だんだんと一日に成敗する悪者の数も、いいねやフォロワー数も、私の中での満足感も指数関数的に増えていくのだ。

 

 それと同時に私の活動を批判する者たちも現れてきた。


 ――宗教的で怖い

 ――やりすぎだ、お前も一度軽犯罪くらい犯したことがあるだろ


 そういう人たちはきっと自分を正当化しようとしているだけなのだ。

 みな等しく悪者、言い訳をしてごまかしている。自分を正しいと信じてやまないから、悪は生まれてゆくのだ。

 だから私が成敗しないといけないのだ。芽は出る前に種ごと掘り返さなければ。

 

 いつでも桃色の手鏡は肌見放さず持っていた。

 私はこの手鏡を使って変身して、スマートフォンという魔法のステッキで悪を打ち倒すのだ。

 

 そうやって何日が経っただろうか。

 

 仲間たちの情報提供のお陰で、私は家から出ずに彼らを裁くことが出来た。

 居ないと思っていた魔法少女達は、ここに居た。

 皆私の意見に賛同してくれる。やっぱり世界のほうがおかしかったのだ。

 嬉しかった。報われた気がした。

 世界に、魔法がかかっているような感覚だった。

 

 いや、違う。私が魔法をかけて綺麗な世界にしたのだ。

 だから私には心地の良い意見しか届かないし、悪者は皆で倒そうという雰囲気が出来上がっていた。

 一つずつ、理想に近づいていた。

 

 そうしてまた一人の悪者の人生を終わらせるため、エンターキーを押そうとしたその時だった。


 ――ピンポーン


 インターホンが暗い部屋に響いた。

 ドアを開けると、ぞこに立っていたのはかつての上司だった。


「あなた、いつまで無断欠勤してるつもり?」


 久方ぶりの肉声だった。

 開口一番、説教か。呆れたものだ、お前より何十倍も世界に貢献しているというのに。


「本当に、社会人失格だよ。連絡何度入れたと思ってるの?あなたのせいでいくら仕事が遅れたか……」


 女はすごい剣幕だったが、何を言っているのかよく分からなかった。難しい言葉を敢えて使い、私を丸め込もうとしているのだと思った。

 私は黙って部屋に戻った。


「どこ行くの!」


 怒鳴る声と、部屋に上がり込んでくる声が同時に聞こえた。

 あぁ、やった。

 私は嬉しかった。こいつもやっぱり悪者だった。私は間違っていなかった。

 ようやくボロを出してくれた。


「皆さん見て下さい!不法侵入です!」


 咄嗟にカメラを向ける。

 これは沢山いいねがもらえる、拡散されるという確信があった。

 それが世界の平和につながるということも、信じてやまなかった。

 カメラを向けられた女は何を思ったか、顔が一気に憤りに染まるのが見えた。


「やめなさい!」


 不快な金切り声を上げながらカメラを塞ごうとしてくる。

 

 「あっ、暴力! 暴力ですよ!!」


 それは女ではなく、動画を見て、拡散してくれるであろう視聴者に向けたものだった。


 「あなたは! …………あなたは何がしたいの…………」


 女は座り込んでしまった。泣いているようにも見えた。

 私は魔法少女なのだ。魔法少女であると同時に大人なのだ。

 私の言うことは正しいし、私が世界の中心なのだ。


 無抵抗になった彼女の姿を見て、暫くは出さないつもりだった必殺技を、出すなら今しかないと思った。

 

 私は急いでキッチンに向かって包丁を手に取る。


「さぁ、皆さん見て下さい……今から……必殺技を打ちますよ……」


 手は震えていた。何しろ初めてだったから成功するかどうか不安だった。


「皆さんには……初めて見せることになりますね……名前は、ミラクルビームって言うんです、はい。子供の頃に名付けて……」


 ゆっくりと、けれど確実に私は女に歩みを進めていた。


 「皆さん誤解しないでほしいのが、これ、正当防衛ですから。先に手を出してきたのは向こうですから」


 女は私の持つものを見て部屋から逃げ出そうとする。しかし乱雑に置かれた洗濯物やゴミに足を取られ転んでしまった。

 もう逃げることはできないだろう。


「誰か!」


 そう喚く背中に向かって私は叫んだ。


「ミラクルビームッ!」


 包丁が、私の腕が、必殺技が女の背中に振り落とされてゆく。


 ただそれが届くことはなかった。

 包丁は私の手の届かないところまで転がった。

 

「サキっ、何するの!」


 突然入ってきて私を床に押し倒したのはサキだった。

 サキは私に馬乗りになって何度も叩いた。


「あなたが会社に来なくなって! 皆どれだけ心配したと思ってるのこの馬鹿!!」


 私の声を無理やり掻き消すように、サキは大声で叫んだ。


「なんで……」

「課長はあなたの家知らないでしょ、案内したの。何があったか知らないけど、ありえないよ!! 人を殺すとこだったんだよ!!」


 悪者なんて死んだらいいといったのはサキなのに。

 私には関係ないからどうでもいいといったのはお前なのに。

 私が何したってお前は私を否定しようとするんだ。

 嘘吐くなんて、お前も悪者じゃないか。


 分からなかった。

 どうして自分の意見が通らないのか、どうして皆私を褒めてくれないのか。

 

これだと私だけ、子供みたいじゃないか。


 「うわああぁっ!!」


 手当たり次第に辺りのものをサキに向かって投げた。

 サキは何度もやめてと叫んでいたが、私は手を止めなかった。

 そのうち投げるものがなくなり、苦し紛れに最後手に掴んだのはあの桃色の手鏡。

 それだけは投げることができなかった。

 この道具があるから、私は魔法少女でいられるのだ。この手鏡が壊れてしまえば、もう二度と変身は出来なくなってしまう。

 

 鏡をただ握りしめ、どうしようもなくなった。

 その隙を見て、今度はサキが何度もぶってきた。


「魔法少女なんて! なれるわけないじゃん! あんたは、いっつも自分の気に入らないことから逃げて、自分が正しいと思ってるだけの子供だよ! 昔から、昔からあんたは何も……」


 サキのビンタは優しかったが、逆にそれが涙を誘った。

 端から見れば、子ども同士の取っ組み合いの喧嘩のようだった。

 今思えば、こんな喧嘩をしたのは初めてだろうか。

 思わず顔を覆うと、彼女の手は、私が持っていた手鏡に直撃した。


 ――パキッ


 小さく音がなった。


 「あぁっ!」


 思わず私はサキを突き飛ばした。自分が思っていたよりも何倍も強い力で突き飛ばしてしまった。

 彼女は壁にもたれかかって動かなくなってしまった。

 でも、そんな事はもうどうでもいい。

 急いで手鏡を確認すると、確かに割れてしまっていた。

 それを見ていると、言葉が何も出てこない。

 

 ヒビの入った鏡面にはラブリージュリアなど居なくて、ただ醜い悪者だけが映っているのだ。

未熟で、幼い。力だけが大きくなった子供のままで。


 それでも私が打ち倒した彼女は。人の命を確かに救ったサキは、大人になっても正義の少女であり続けている。

 魔法が解けてしまった今、その事実が、ひしひしと脳を締め続けていた。

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