第4話 結婚しようよ

 改めて、俺はレティのことが好きだ。

 自覚した今となっては、俺を討ち取ってみせた鮮烈な剣も、凜とした高潔な魂も、弱者を救おうとする慈愛の心も、防具で隠れていた涼やかな美貌も、なにもかもがドストライクである。こうなるべくしてこうなったと言えよう。

 それで言えば、レティが魔王の俺に好意を抱いてくれたことこそが奇跡なのだ。

 あの夢のような両思い発覚記念日からこっち、なにを見ても景色が脳まで到達せずに眼球の表面を流れていき、レティ以外の誰に喋り掛けられても右から左へ抜けていく。

 もうしばらくは夢見心地でこの幸福を噛みしめていたいところだが……。


 当初、俺はレティにとって好きになるのになんら障害のない人間の美少年・ギルとして潜入し、彼女を油断させ、あわよくば籠絡しようとした。最終的に彼女を暗殺するためだ。

 だが蓋を開けてみれば、彼女は魔王の俺を好きで、はなから「ギル」に恋愛における勝ち目はなかった。

 ところが、その事実を知った瞬間に、同時に俺もずっと彼女に惹かれていたのだと気づいてしまった。


「サミュエル!! 作戦変更だ!!」

「えっ!?」

 さっそく、俺は夢で側近のサミュエルに事態を説明した。

 やはりというか、サミュエルは眼を白黒させて大汗をかき、「ま、待って下さい、ちょっとい、意味が……」としばらく情報の咀嚼に四苦八苦していたが、「いやっ!!」と唐突にカッと目を見開いた。

「ゆ、勇者はまだしも、誇り高き魔王たるあなたさまが、人間ごときにそのような想いを抱かれるなど言語道断でございます!! あり得ません!!」

「『ごとき』はよせと言っておろう。感情は計算で生まれるものではない。レティはそれほど魅力的な女なのだ……ちょっと剣術バカのきらいはあるが。現実逃避は生産性がないぞ、サミュエルよ」

「もしかしたら勇者はあなたさまの正体に気づいていて、罠にかけようと嘘をついているのかもしれません!!」

「レティは間違いなく本心を打ち明けていたし、そのような搦め手を使う女ではない」

「我ら魔族の悲願はいかがなさるおつもりですか!!」

 サミュエルは悲痛な声で俺に取りすがろうとする。

「人間どもに奪われた我らの宝を取り戻す、お父上のためにもそれを成し遂げるのと誓いを立てられたことをお忘れになったのですか!?」

「むろん、忘れてなどいないとも」

 サミュエルがそこに一番怒ることは分かっていた。

 俺とて考えは用意してある。

「サミュエル、残酷なものを好むのが魔族の趣味とはいえ、戦がこの世で最も愚かな外交手段であるという真理は魔界でも変わらぬ。無血に勝る結果はなかろう」

「……どういう意味ですか?」

「知れたこと。平和的に! 交渉で! 人間の王に我らの宝を返還させるのだ!!」

「!!?」

 サミュエルは呆気にとられて固まった。

 ふ、そうだろうそうだろう。

 この俺の鮮やかな方向転換は、生半可な智者では追いつけまい。

 だが、相手の不意を衝くのは説得において重要だ。このまま畳みかける!

 俺は自分を大きく見せる術を心得ている。

 いつだって臣民は、偉大なる魔族の王の深遠な考えに圧倒される定めなのだと分からせてやる。

「俺の指名によって現在の魔界の実権はラザラスが握っている。どのみち今後の魔界は人界との講和に向かっていく。宝を奪還できない限り、いずれはまた人界に決戦を仕掛けるにしても、だ」

「そ、それは……そう、ですが、だからこそ、講和に応じるにしても少しでも魔界に有利な条件を引き出すために、また人類の戦力を削ぎ次の勝利を確実にするためにも、人界の要たる勇者を抹殺する必要が……」


「政ッ!! 略ッ!! 結ッ!! 婚ッ!!」


 俺は己の引く夢魔の血を駆使して、この夢の中の玉座の背後にババンとその四文字を花火のように打ちだした。

 サミュエルがぎょっと目を剥いてよろめく。

「せ、政略結婚……!?」

「そう!! 古来、交戦国どうしの和約を成立させ、両国の民を納得させる手段としてこれが用いられてきた!!」

 すると、空気に呑まれかけていたサミュエルがそれを振り払うように懸命にかぶりを振り、

「ま、魔界と人界では前例のないことです!! 前代未聞ですよ!!」

 俺はふんと鼻を鳴らして一笑に付した。

「もともと俺は前人未踏を好んでいるぞ。転生にしても結婚にしても、先人がしなかったことを試してこそ最新世代だろう」

「で、ですがっ!」

「講和で少しでも魔界を有利にする、人類の要を押さえる……もし俺とレティの政略結婚という手法が取れるなら、どちらも無血で達成できると思わんか? よいかサミュエル、これは俺とレティがそれぞれ男と女に生まれ、俺が転生して再会し、かつ、種族の差も敵対関係も乗り越えてりょっ、……りょ、両思いになるなどという奇跡が起こらなければ、取りたくても取れなかったあり得ざる第三の道なのだ! 魔族にとっての新たな希望でもある!」

「……!」

 サミュエルの目が泳ぎ出す。うむ、よいぞ。

「そして俺が人類に連なる者となれば! 我らが魔族の宝を、国王から交渉で取り戻す道も拓ける! これまでは交渉のテーブルそのものが用意される余地すらなかった二種族の関係が、劇的な改善を遂げるかもしれん! 血を流さねばなにも変わらない時代を終わらせられるかもしれんのだぞ、ただ結婚するだけで!」

「…………っ!」

 政略結婚というものの費用対効果をぞんぶんに説かれたサミュエルは、よろよろと後退してついには小刻みに震えだした。感激からくる震えである。

「……お、仰るとおり……勝利に拘る以上に、同族の血を流さねばなにも変わらぬ時代を終わらせたいという思いは、私もギルバート様と同じでございます……私はいつの間にか、長い生の中でその初心を忘れていたようです……」

「うむ」

「こんなに長く生きているのに生まれたときから今までずーっと景気は悪いですし……というか人界との戦争って、勝っても負けても絶対黒字になることないですし……魔族って人類より遙かに繁殖能力が低いから、戦争による人口減少と少子高齢化のダブルパンチで明るい未来がほぼ見えませんし、そんな先の話は後の世代に丸投げして自分が生きてる間だけ良ければいいやと気楽に生きようにも、寿命が長すぎてどうやったって当事者になる羽目になりますし……。これまではどうしようもないからと、そういう事実から必死に目を逸らし続けて生きてきたのですが……」

「う、うむ、そんな風に考えていたのだなお前。とにかく、分かってくれたか?」

「はい! このサミュエル、ギルバート様の描かれる新しい未来、しかと受け止めましてございます!」

 なにやら想像以上に魔界のお先真っ暗感を痛感していたらしいサミュエルが、途端に目を輝かせて大きく頷く。

 よし、サミュエルを賛同を得られたのはでかいぞ。なにせ転生体で人界にいる今の俺にとっては、すぐに動かせる手駒といえばサミュエルだけだ。


 まぁ政略結婚というのは名称の問題で、俺とレティの場合はバリバリの両思い恋愛結婚なのだがな!! ふはははは!!


「では勇者暗殺よりも効率的な道が見つかった今、次の手はどのようにいたしましょう? 取り急ぎ、転生のことを知っているラザラス様にも状況の変化を説明する必要があるかと存じますが……」

 サミュエルが仕事モードの真剣な目で訊ねてくる。

「ラザラスへの説明はお前に任せる。あいつはあの通り四角張った性格でもともと講和の準備を進めていたところなのだし、さほど実務に混乱は生じまい。道理を説けば納得を得るのは難しくなかろう」

「はっ、拝命いたしました。ギルバート様ご自身は?」

 俺はふふんと得意げに笑った。

「レティ本人と話しに行くに決まっておろう! しょせんここまでの話は、俺たちが勝手に盛り上がっているだけのこと。実際にはまだなにも始まっていないのも同然なのだからな! それくらいの順序は俺もわきまえている!」

 あと単純に本来の俺で会いにいきたいし。

 内緒話を聞かせてもらえるのはそりゃ心躍るが、人間の少年「ギル」の姿では意識すらしてもらえないし、俺自身の言葉を伝えられもしないのだ。こんなにもどかしいことはない。

「……しかし、ギルバート様が転生していることを公表するのは時期尚早では? こちらにいまだ戦意ありと取られて、講和がご破算になる可能性もございますよ」

 サミュエルが心配そうに顔をしかめる。

「今はまだ、ふたりきりで話すだけだ。機密性は問題ない。そのために夢というものがある。それに、転生体の姿で行くわけがなかろう?」

 あ~~~~楽しみすぎる、あいつ魔王の俺の姿で会いに行ったらどんな顔するんだろうな~~~~!!

 ましてや結婚の打診なんてしたら、真っ赤になるだけじゃ済まないんじゃないかぁ~~~~??


 にやけからの高笑いが止まらない俺を、サミュエルは「お手伝いいたします」とどこか生暖かい目で見つめながら言った。

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