第2話 いっぱいいっぱい孤児院ライフ

「だぁあああっ!! おとなしくしろアンディ!! 喧嘩するなボブ!! コリンはその箒どこから持ってきた!? 戻してこ……おいブリタニー? なんだそのぱんぱんの頬、なにを食って……あっ逃げるな!!」

 やばい。

 この俺が孤児院ライフ三日目にして限界を感じている。


 折悪しくついこの前、年長者が一気に卒院していったらしく、外見年齢十五、六歳の俺は数少ない年長組に組み込まれてしまった。

 この孤児院には下は四歳の子までいるので、もはや日常が無法地帯。

 お目付役の年長者である俺たちはもう西へ東へ走り回る羽目になっている。

 六歳のブリタニーの首根っこを掴み、「いやぁぁセクハラー!」と金切り声で叫ばれながら、子どもの無鉄砲さと無限の体力に味わったことのない絶望が襲う。なんでこの俺が、こんな乳臭いガキにセクハラを訴えられなきゃならんのだ?

 魔王たる俺の周囲には、当たり前だが高位の魔族しかいなかった。

 赤ちゃんとか自我も覚束ない幼児などひとりも周りにいなかったのだ。

 まして、人間の子どもの適切な扱い方など、いくら博覧強記の魔王でも知るわけがない。

「ギル?」

 鬼ごっこ気分で暴れ回るブリタニーに付き合いきれず、廊下でぜぇぜぇと息を切らしていると、花壇に水をやっていたレティが中庭から戻ってきた。

「大丈夫? 下の子たちの面倒、ギルたちに任せちゃっててごめん。うちの子たちはみんな元気だから、大変でしょう」

「た、大変なんて、これくらいなんてことないですっ。むしろもうこの賑やかさに慣れて来ちゃいました!」

 あっっぶねぇええ、さっきかわいこぶるのも忘れて大声で叱り回っていたのを聞かれちゃいないだろうな!?

 内心肝を冷やしながら、大きな瞳から星を飛ばして完璧な美少年を装う。

 レティはそのきらめきをモロに食らったはずだ。手応え充分!

「そう? まだここへ来て日が浅いんだし、困ったことがあったら遠慮なく相談してね」

 健気な美少年に心打たれたんだろう、レティはそう言い置いて掃除用具を取りに去って行った。

 もちろん帯剣などしていない。

 俺はその背に冷徹な視線を送る。


 ふん……平和なものだ。

 今この瞬間にも、かつて倒したはずの宿敵が賽を投げるように気まぐれにお前の生死を弄び、さぁどんな死を遂げさせてやろうかと舌なめずりしているというのに。

 こんな近くに魔王がいるとは知るよしもない。

 そう思うと、美しい籠の中をはたはたと飛ぶ短命な蝶でも観察しているような甘美な気分になる。

 いつでも殺せてしまう、死の運命が決している生物というのはなぜこんなにも美しく感じられるのだろう。

 レティと相対するとき、毎秒俺はその感慨に浸る。外からは絶世の美少年の耽美さがマシマシになっているようにしか見えんだろうがな。

 高貴な魔王たるもの、審美眼と感受性も鋭敏でなくてはならない。

 この騒がしい孤児院ですら、俺にかかれば世界最高の美術館に早変わりだ。


 それにしても、仮にも院長だというのにレティはよく働く。

 こういった施設では子どもは自らの居場所にしがみつくために率先して昼も夜も雑務をこなし、疲れ切って眠るものだと思っていたが。

 ここの孤児たちときたら、勉強に遊びに食事に鍛錬にと全力で、労働力として使われている素振りなどこれっぽっちもない。

 彼らがのびのびと活動している間、院内の雑務を片付けているのはレティだ。

 やれやれ、人が好いというべきか?

 俺にはとても真似できない精神だな。



 転生して五日目にはようやく肉体が魂に完全に馴染んできた。

 よしよし、一部を除けば非常に順調。意図したとおりに魔術が機能しているのは確実だ。

 その晩満を持して、俺はかなり早い時間に入眠した。

 孤児院では二、三人で一部屋を使う。

 男子と女子は別だから、俺のルームメイトは同年代のロビンという赤毛の男子だ。

 俺は魔王、王城の広い部屋をひとりで使うのが当然の男。

 他人、それも人間と狭い一室を共用することなど夢にも思ったことがない。

 共同生活などという面倒事に気乗りしない俺は、とにかく近寄りがたいオーラを出しまくった。

 しかしロビンは入所したばかりのこの俺にも気安く話しかけてくる図太いヤツで――この圧倒的な魔王の喋り掛けるなオーラが分からんのか? こいつの神経は麻縄五本分以上の太さに違いない――寝る前にも雑談をしかけて人の睡眠の質をガン下げしてくるのが常なのだが、俺はこれを回避する策をしっかり講じていた。

 一日目の夜にロビンのそうした厄介さを把握してから、俺はあえて睡眠時間を削り続けていたのだ。

 そういうわけで転生体が馴染みきる五日目には、俺はロビンが振ってくる雑談が耳に入りすらしない深い眠りへと即座に入ることができたのだった。


「あぁ、ギルバート様! お久しゅうございます!」

「サミュエル。貴様も息災そうでなによりだ」

 夢の中で、さっそく俺は側近の魔族サミュエルと再会を果たした。

 王城の執務室を再現したこの夢は、いわば通信空間だ。俺の身体も転生体の少年姿ではなく、元の成体の姿を取れている。

「予定通り通信が繋がってようございました」

 と、サミュエルがモノクルを整えながら言う。

 俺やサミュエルは夢魔の血を引く魔族なので、夢をあれこれカスタマイズすることに長けているのだ。

「転生魔術のほうはつつがなく機能しておりますでしょうか?」

「ん? あ、ああ。まぁ、おおむね問題はない」

 実を言えば、この転生体になってからというもの、レティを前にすると妙な挙動が再三確認されているのだが、なぜか俺はそれをサミュエルに打ち明けることを避けた。

 ま、まぁちゃんと転生自体は成功したわけだし?

 余計なことをこぼして功労者たる臣下をいたずらに動揺させるのは、王の器のすることではないからなっ。

 いいだろ、まだ言わなくて。

 俺は玉座に腰掛けたまま悠然と微笑み、

「さすが、お前の編んだ魔術だ。褒めてつかわす」

「……! は、ありがたき幸せ!」

 サミュエルはピンク色の頭を深々と下げて感激している。

 それから恐る恐る顔を上げ、

「……して、勇者暗殺計画の首尾はいかがでしょう?」

「……ああ、そのことだがな……」

 俺はちょっとした座標のズレで人界に転生したことと、それが功を奏してたまたま勇者と出会い、彼女の運営する孤児院に潜入できたことをサミュエルに話した。

 聞き終えたサミュエルは愕然と顎を落とし、その場に崩れ落ちてがばっと額を床に擦り付け出す。

「も、申し訳ございませんギルバート様!! よもや転生先の座標がずれていたとは……!!」

「構わん、構わん。結果的にはあそこに落ちたおかげで勇者と会えたのだ」

「腹を切ります!!」

「切らんでいい!」

 サミュエルは良く出来た忠臣だが、それが行き過ぎてときどき心底めんどくさい男だ。

 数百年の付き合いからすでに慣れっこの俺は適当にあしらい、

「なんにせよ首尾は上々だ! 勇者の懐にも潜り込めたし、人となりに接してみればあれほどの戦働きが嘘のような平和ボケ極まる激チョロ女ときた。あれならいつでも殺せるさ。俺のこともただの野生の美少年と思い込んで、すっかり魅了されている様子なのだ」

「さ、さようでしたか! いやぁしかし、あの勇者が女であったとは……」

「ククク、それについては俺も驚いたがな。こう想定外のことが続くと面白くもある」

 俺がにやりと邪悪な笑みを浮かべると、サミュエルがゾクゥ! と分かりやすく背筋を凍らせて居住まいを正す。あ~~~~これだよこれ、側近はこうでなくちゃなァ~~~~。孤児院のガキどもの傍若無人っぷりを思うとあまりにも癒やされる。

「な、なにをお考えで……?」

「なに、いつでも殺せるものを、すぐに殺してしまっては面白くないと思ってな!」

 俺は実際にレティと接してみて思いついた、例の恐るべき計画について話した。

 期待を裏切らず、サミュエルは至上の美食を前にしてでもいるかのように瞳孔をかっぴらき、俺を尊崇の目で見つめた。

「なんっっっと残酷な!! さすがはギルバート様、あの忌々しい勇者すらも魔族的アトラクションと化してしまおうとおっしゃるのですね!? あれほどの勇士に最高の絶望と死を贈れば、それはもう甘美な愉しみとなるでしょう!!」

「ふふふふふ、その通りだサミュエル。肉だって酒だって熟成したほうがうまい。勇者だってそうだろう……?」

「ええ、勇者だってそうですとも!!」

 他人の不幸は蜜の味というが、特にサミュエルは残忍な想像だけでもよだれを垂らすことができる筋金入りの魔族的感性の持ち主なので、俺の計画に諸手を挙げて賛成してくれた。

 いやー話の分かる臣下で助かる。

 これで心置きなくレティのそばに潜伏し続けることができよう。

「で、政はどうなっている? 予定通り、弟が政務を執っているか?」

 次なる重要な話題に移ると、サミュエルが改まって「はっ」と頷く。

「弟殿下……ラザラス様の執政としての力量は確かなものでございます。ただ、まぁ、なんというかラザラス様の宮廷は……皆そう言ってますが、やはり息苦しいですね……」

 サミュエルの率直な感想に、俺ははははと声を上げて笑った。

「それでこそだ! ラザラスは遊びがないのが売りの男よ! ああいう性格だからこそ、俺は万一の場合の後継にヤツを指名しておいたのだからな。戦後を任せる人材としては、断然父よりはマシだ」

 弟ラザラスはこの兄に似ず派手なところはなく、覇気を誇るというよりは質実剛健を絵に描いたような男である。魔族には珍しいタイプだ。

 箪笥かと思うようながっしりした図体に、整っている割には地味さや陰鬱さの漂う目つきは女には嫌われがちだが、俺の弟らしく能力は確かでなにより真面目。男の尊敬を集めるタイプといえよう。実を取ることができるので、ヤツなら変な意地にこだわってすべてを台無しにすることもない。

 魔族はプライドが高く、かつ弱肉強食という真理に対して真剣なので、魔王という至尊の個体が討ち取られれば、少なくともいったんは負けを認める。

 まぁ、俺の場合は一枚も二枚も上手の智者であるので、転生というジョーカーを切って最終的には勝利を掴めるわけだが?

 ラザラスには俺の転生作戦を伝えてあるから、間違っても俺の生存を人間に悟られぬよう表向きは講和に応じ、同族を率いつつそつなく話を進めるだろう。

 これが父ならそうはいかない。損害を無視して今すぐ徹底抗戦に打って出ただろう。

「……父はどうしてる?」

 訊ねると、サミュエルは顔を曇らせて答えた。

「ギルバート様が討ち取られた怒りのあまり倒れられてから、どうもご様子が……」

 魔族の死因のそれなりの割合を占めるのが憤死である。

 プライドが高い種族なので、俺と違って謙虚さの足りない個体は思うようにいかない出来事があると冗談抜きで憤死してしまうのだ。

 特に俺の父、先代の魔王はプライドが可視化されたらこの星の外まで届こうかというような高さで、魔族らしい魔族だ。憤死しかけた経験は両手の指じゃ足りない。

 俺のせいで父の数千年の人生の最期が憤死でシメ、なんてことになったら笑い話にもならんな。

「敗戦後、景気も悪化して世論は厭戦ムードに支配されておりますから、それももどかしく思われていらっしゃるのでしょう。再び戦端を開かんとなさるのを、今のところはラザラス様が押しとどめてくださっていますが……」

「分かった、養生させて差し上げてくれ。今は雌伏の時。最終的な勝利は俺が持ち帰ってみせる。かつて人間に奪われた我らの宝もな。その宿願が果たされれば、また戦になるまでもなくきっと父上もおとなしくなるさ」

「はっ」

 サミュエルは折り目正しく返事をした後、忌々しげに声を低める。

「……それにしても悔しゅうございます。なぜギルバート様が、人間などという下等種族に……」

「出た、お前のそれは何度言えば直るのだ?」

 今までにも数え切れないほど聞いたサミュエルの繰り言に俺は呆れた。

「人間は確かにちょろいが、種そのものが下劣というわけでは決してない。無条件に自分達の優位を信じてはならん。相手のうわべだけを見て軽侮している限り、そいつは必ず負ける。よいか、サミュエル」

 魔族にはどうしても人類に対する差別意識が根深いが、俺はこれほど愚かしい思い込みはないと考えている。

 というか下等種族があんな強いわけないだろうが。

 人間は事実として非合理的で非効率的、成長終了までにかかるコストが膨大なくせにちょっとしたことで死ぬし、個体を増やす際にすら下手すると死ぬし、ちょろくて浅はかだが、下等な生物ではない。

 強さも美しさも人間の中にはある。レティを見てみろ。

 魔王を殺す勇者だって人間から生まれてくるのだ。

 差別したさに現実をねじまげて認識すべきではない。

「……わ、分かりました……。失言でした、申し訳ありません」

 サミュエルは俺の放つプレッシャーに恐怖を滲ませ、震え上がって即座に反省の弁を述べた。

「よろしい。ではまた、この夢で会おう」

「お待ちしております。ご武運を、ギルバート様!」

 すうっと意識が浮上していく感覚。

 サミュエルの声が遠ざかり、この眠りの終わりが来たのだと分かった。

 ……目が覚めれば、またあの孤児院でガキどもの世話に奔走せねばならんのか……。

 俺の静寂と平穏のためにいっそ全員処してしまいたいがやむを得ん、熟成中の超高級肉や超高級酒をちまちま世話をするようなものだと思おう。

 そもそも魔族は長命、快楽のためなら気の長さは折り紙付きだ。

 今はレティに不審がられるわけにはいかんからなっ。


「ギル」

「ウォ!!??」


 起きたらてっきりあの小憎らしいガキどものうちの誰かと顔を合わせるものと思っていたのに、目の前にやたらめったら美しい顔があって心臓が天井まで吹っ飛んでいったかと思った。

 二段ベッドの下の段を宛がわれている俺の顔を、レティが覗き込んでいる。

 すわ夢かと思うが、俺の夢ならサミュエルが問答無用でついてくるはずなのでこれは現実らしい。

 心臓バクバクで目が飛び出さんばかりの俺を見て、レティはいつもの起伏のない表情の中に少しだけイタズラっぽい色を浮かべてみせる。

「なかなか起きてこないから見に来たんだけど、……ふふ、元気そうだね」

「……!!」

 それを見た瞬間、俺は心拍数を狂わせながら心の中で叫んだ。


 かかかかかっ、軽々しく笑うなーーーーッッ!!

 安売りするな笑顔を!!


 今なにがおかしかったんだ!! 具体的になにで笑ったのか教えてくれよ今すぐ!!

 いくら紅顔の美少年でもさすがに爆睡した矢先の寝起きはちょっと不細工だったとか思われてたら最悪だし!!


 ……あっおいいや待て、元気ってなん……え?

 最悪を越えた最悪の可能性が脳裏をよぎるんだが。

 は?

 まさかそういう「元気」……ってこと??

 お前そういう冗談を言えるタイプだったのか??

 そんな清楚な、精霊じみた見た目とあんなに鮮烈な剣技でありながら、そういうギャップまで持ち合わせているというのか!?


「ゲンッ……ハ? ナンノコト? ベツニ? フツーデスケド?? ハ??」

 顔が燃えるように熱い。猛然と毛布をたぐり寄せて、おくるみのように全身を覆う。

 ヤバイ分からん、一体コイツになにを見られてなにをからかわれたんだ俺は!!??

 悲壮な蓑虫と化した俺に構わず、レティは至極マイペースにポケットから飴玉を取り出してぽいっと開きっぱなしの俺の口に放り込んだ。あ、あまい。

「でも、寝過ごすくらい慣れない環境で疲れが溜まってたのかな。それみんなには内緒ね。舐め終わって目が覚めてきたら食堂へおいで」

「………………は、はい」

 レティは俺の無事を確認しただけでさっさと部屋を出て行ってしまい、後には毛布で防御を固めた俺ひとりが残された。

 俺はそろそろと起き上がり、声もなく苦悶する。

 どっ……どっちなんだこれは……変に気を遣われたわけじゃないならいいが……。

 クソッ、もしこんなくだらんことで俺に対する好感度を下げてたりしたら許さんからな、勇者め!!



 俺が孤児院に入って一週間も経つ頃には、子どもたちも新しい遊び相手以上の人間関係を結ぼうという意識に切り替わってくるらしい。

 今まで俺のことを口やかましい登り木の代わりくらいにしか考えていなかったような男児は、魔王的にはガラクタにしか見えないなにかの蓋? 金具? を宝物だと言ってこっそり見せてくるようになった。

 ませている女児は手のひらを返して俺にひっつきたがり、おままごとの夫役だか彼氏役だかを嬉しげに押しつけてくる始末だ。

 まったく、魔族なら不敬の一言で突っぱねられるものを、人類の美少年は楽じゃない。 しかしまぁ、苦労の甲斐あってレティの懐柔のほうはこれ以上なく順調だ。

 ヤツの俺に対する信頼と親愛は日ごとに増している。

 疲れていないか、不便はないかとやたらと訊いてくるし、仕事っぷりを褒めちぎってくるし……あとよくこっそり飴くれるしな。

 アレは完全に俺に好意を抱いている。

 酸いも甘いもかみ分けた人生で、あまたの女に言い寄られてきた俺が言うんだから間違いない。

「ロビン、ギル、ちょっと魔物狩りにいってくるね。もし私の留守中に不審者が出たら、いつも言ってる通り、先手を打ってぱかーん、ってするんだよ」

 言いながら空中を蹴るな。手本を見せるな。

 レティは、今日は村の周辺の警邏に行くようだ。

 勉強のない日やレティが仕事の日は、子どもたちが率先して家事をする。

 庭で洗濯物を干していた俺たちに一言声をかけ、手を振りながら出掛けていった。俺を怖がらせてしまったと勘違いして以来兜は外していくことが増えたが、ああして武装していると、やはり勇者なのだなと実感する。

 だが挨拶していくのはいい心がけだ。

 俺より先に古株のロビンの名を呼んだのは減点対象だが、特別に許してやろう。

 天使の微笑みで「いってらっしゃーい!」と手を振り返した俺に、ロビンがふうと息をつく。

「あーあ、分っかりやすぅ~」

「あ? なにがだ」

 レティの目がないのなら取り繕う必要もない。不機嫌を隠さずに横目で睨むと、この生意気なルームメイトは「被ってる猫がデカすぎるだろ、お前」と白い歯を見せる。

 コイツはとっくの昔に俺の地を知っている。

「ふたりとも、お疲れ~。みんな寝たよぉ~」

 そこへ、若年者たちがお昼寝タイムを愉しんでいる孤児院の中から、ひょっこりとロビンと同い年の少女がやってきた。

 ふわふわした長い茶髪のアメリアは、おっとりした性格で孤児院ではみんなのお姉さん的ポジションだ。

 新入りの俺にあれこれ案内してくれたのがロビンとアメリアだったので、レティが不在の間は(執拗に構ってもらいたがる美形好きの女児たちから逃れるために)この年長組三人でつるむことが多い。

「レティ様、今日もお仕事だってねぇ~。寂しいねぇ」

「ふん、あれは少々働き過ぎ……アメリアよ、なぜ俺を見る?」

 アメリアは意味深にくすくす笑い、首を傾げた。

「うふふ、いやいや。だっておうちにいるべき人がいないのは、寂しいでしょ~?」

「…………」


 ここは孤児院だ。

 この場にいるのは、当たり前だが全員孤児だ。

 魔王たる俺がそうした者も、この中には含まれているはずだということは重々理解している。


 しかし俺が口を開こうとしたとき、先んじてロビンが意外なことを言った。

「そうだな。俺らと違って、お前は寂しくもなるだろ」

 ……俺らと違って?

 その言い方はどうも引っかかる。ま、まさか俺が人間じゃないなんて勘づかれちゃいないだろうがな。

「どういう意味だ? お……俺も同じ孤児だが?」

 しらばっくれて訊ねると、ロビンはアメリアと顔を見合わせて、あっけらかんと答えた。

「そーいや言ってなかったか。俺とアメリア含め、ここにいる孤児たちは全員、奴隷だったんだよ」

「……なに?」

 出し抜けに登場した奴隷、という単語に少しばかり思考の整理が必要になった。

 ……あー……、あぁ、アレだ。

 人間が人間を隷属させるアレ。

 個々の強弱に関わらず奴隷の子は奴隷だなどとよく分からん理屈を並べ立てて、世代を超えて継承させていくシステムだ。

 待遇はほとんどが凄惨で。

 場合によっては、本人たちがそうと自覚できないほどすり込まれてしまっていると聞く。

 そんなものでも必要なのだと主張する人類はいるかもしれないが、魔族は趣味は残忍だが良くも悪くも弱肉強食なので、奴隷なんて仕組みで個体ごとの力量を無視したりはしない。よって俺には馴染みのない概念だが、知識としては一応知っていた。

 ロビンは特に構えたところもなく続ける。

「その反応、お前は違ったみたいだな」

「……まぁ、あいにくと俺は普通の孤児だ」

「ハハハ! 普通の孤児ってなんだよ。……身内が魔族との戦で死んでたりする?」

「いや、違う」

「……そっか。まぁ世の中色々あるよな」

「お互いな」

 そこは本当に色々あるからな。魔王だって転生して人間に紛れてる時代だ。

 ロビンはほっとしたように笑い、

「要するに魔族との戦で雇用主がどばっと死んでくれたもんだからさ、俺たち晴れて自由の身になれたわけ。……っつっても、俺たちはよくても親はその幸運が訪れるより先に使い潰されて死んじまってたから、自由になっても身寄りがなかったんだけどさ」

「……」

「レティ様がね、教育を受けてレティ様のお墨付きをもらえば自由市民になれるように新しい制度を作ってくれて、この孤児院まで建ててくれたの。だから卒院していった子たちは教育課程を終えて、みんな独り立ちできてるんだよ~」

「この国の貴族とか金持ちとかってマージでゴミだからな。あいつらのやることといったら、もう感性がほぼ魔族っつーか! 当人たちやお身内には悪いけど、戦後のほうが国の上層部はよっぽどクリーンじゃねぇのかな。魔王討伐の功績がなけりゃ、レティ様だって奴隷救済制度の創設なんて無茶は通せなかっただろうし。奴隷に限った話なら、ぶっちゃけ俺たちは運の良い世代だったと思うよ」

 黙り込んでいる俺の反応をどう取ったのか、そう笑った直後にロビンは慌てて顔の前で両手を振る。

「……あ、いや、元奴隷じゃないからって別にお前は気にすることないんだからな。むしろここのヤツらならみんな、お前があんな目に遭ってないならなによりだって言うさ」

「……ふうん。なるほどな」

 戦後、強者どもが一掃されたおかげでこれまで虐げられてきた弱い個体が日の目を見た魔界のように、人界にも多様な影響があったというわけか。

 だがしかし! なんといっても俺は魔王。

 人類にとっての損害は俺にとっての成果だ。

 一面的な善悪でものを語るのはナンセンスというもの。

 魔族にとっての正義といえば強いこと、勝利すること、それだけだ。

「奴隷は戦わされなかったのか?」

 俺はふと浮かんだ疑問をロビンたちにぶつけた。

 するとロビンは言うに及ばないというように、

「奴隷が兵士に向いてるわけないじゃん! 武器持たせてもらえて、同じ身分どうし大勢固まれる状況なんて普段の生活じゃ絶対にあり得ない。誰だって今がチャンスと逃げるに決まってんだろ」

「ついでに積年の恨みも晴らしていくかもだしね~」

 さらっと怖いことを言うじゃないか、アメリア。見直したぞ。

「ま、貴族どもは貴族どもで、自分たちこそ特別で優れてる存在なんだってプライドを証立てるために謎に自信満々で戦いに行くんだもんよ。引っこんでても良かっただろうに、なんか浮ついた変なテンションでおてて繋いでさ、第一陣で打って出て帰ってこなかった」

「ふん、そんな考えではそりゃ負けるな」

 よくある話だが、長年他者、それも同族を日常的に虐げていた者は自分でも気づかぬうちに全能感で脳が変になる。

 彼我の優劣を盲目的に信じているといずれは足をすくわれるのが世の理だ。

 俺は戦場で命を賭ける覚悟があるのなら、原則誰であれ強者とみなすべきだと考えているが、あとになってレティが出て来るまでの連中がちっとも歯ごたえがなかったのはそういう部分もあったわけか。

 断言した俺に、ロビンとアメリアは少しバツが悪そうに、だが心底安堵したように笑った。


 貴族だなんだと人類の内情なんか知ったこっちゃないが、目の前にいるのが魔王とも知らないで……いや勘づかれちゃまずいのだが、とにかくまぁ、のんきなものだな。

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