転生魔王と勇者が両思いになって結婚できる確率

花村すたじお

第1話 魔王転生

 遙か昔――――ではないな。つい三年前まで、人界と魔界は血みどろの戦いを繰り広げていた。

 超絶強くて有能な魔王の辣腕により途中までは魔族が優勢だったのだが、残念ながら大戦は魔族が敗北。

 人間の勇者が敵本陣に単身切り込み、一騎打ちで魔王を倒したことが決め手となった。

 なんたるザマだ、魔王!

 俺は激怒した。

 敗北など魔王には許されない。

 もちろんリベンジだ。

 こんなこともあろうかと、超絶有能な魔王は死んだら転生する大魔術を準備しておいたのだ。えらい、えらすぎる。


 そうして俺、つまり魔王ギルバート・ゲートシュタインはこの世に舞い戻った。

 なんと高位の魔族は人間のように赤ちゃんなんてダサい時期を通過する必要なんかないので、この世界にぽんと生まれ落ちた時点で肉体的には十五、六歳だ。

「……ふ、転生魔術は成功のようだな……」

 クールに呟き、前に比べたら小さく頼りない手をにぎにぎと開いたり握ったりする。

 空を仰ぐと、これはいい、俺の門出を祝福するような晴天ではないか。

 抜けるような真っ青な空は人界特有のもの。

 変な角とか触手とかも生えていない鳥がちゅんちゅん鳴きながら平和に飛んでいる。

 春だなぁ。

「……人界かここ」

 あー……うん……まぁ……転生地点の座標が多少狂ったくらいは許容範囲だろう、うん。

 魔界の王城に発生するはずだったのだが、どうやら手違いで人界に生まれてきてしまったようだ。

 気落ちすることはない、俺は少年の身体でふんと気合いを漲らせる。

 水たまりに映っている自分の美少年フェイスを覗き込み、

「い、いやこれはこれで、かえって手間が省けた。いかにも人畜無害そうな子どもの振りをして人間社会に潜り込み――――予定通り、あのにっっっくき勇者をこの手で抹殺する! あいつさえ倒せば、勝利ムードに湧く人類の結束は総崩れになり、次の戦を有利に運ぶことができよう! 魔界は今度こそ、人界に勝利するのだ!」

 ふふふふふふ、と前の身体なら側近が怯え散らかすような悪い笑みがこぼれる。


 あの勇者……。

 まったくこの俺と斬り結んで勝利するとは、貧弱な人間の身でよくもあそこまで鍛えたものだ。

 無骨な兜のせいで顔はよく見えなかったが、体格も小柄だったし、声も野太さとは無縁だった。

 人間は個体数が多いからたまーにああいう理外の存在じみた突然変異が生まれる。

 忌々しいが敗北は敗北。相手の技量を正しく評価し、次は確実に勝てるやり方を取るべきだ。

 可憐な美少年として人間社会に紛れ、あの勇者に接近するのは案外悪くない手かもしれない。

 魔王というのは謙虚に受け止めて反省のちに成長できる至尊の生命体なのだ。


「そうと決まれば中央に向かうか。あの勇者め、どーせ魔王討伐の功績でいい暮らししてるに違いな……、ん?」

 どう見ても僻地の森のど真ん中、遙か遠くの王都に向かうべく決意を新たに一歩踏み出したとき、「きゃああああ!!!!」とものすんごい女の悲鳴が森の奥から聞こえてきた。

「……リアクションが大げさなヤツがいるようだな……」

 ふう、やれやれ。

 俺は魔王。ピンは絹を裂くような悲鳴からキリは大地が割れるような絶叫まで聞き慣れている。

 しょせん平和ボケした人界のトラブルだ、山賊に襲われたか魔物や熊に出くわしたか、そんなところだろう。貧弱な人間ならそれっぽっちのことでもどっちみち人生終了だが。ご愁傷様だ。

 俺は意に介することなく再び歩き出す。


「た、助けて!!!! 誰かァ!!!! 魔物が……!!!!」


 あ、魔物だったか。うーん耳に心地よい悲痛な声だ。

 しみじみと聞き入りながら下草をかき分け、獣道を進んでいく。

 しかし馬車道の数が足りてないにもほどがあるだろう、これは。人界は交通網の整備ひとつとっても遅れていていけない。


「いや、いやぁぁ!!!! 死にたくない!!!! たすけっ……、……」


 お、止まった。

 必死に助けを求めていた声が急に静かになったので、逆に足が止まった。

 来た道をちょっと振り返ってみる。

 これは死んだかな。どうやって死んだのだろうか。魔物とひとくちに言っても色んなタイプがいるから、死に様だって十人十色の時代だ。

 魔族はゴシップよりエログロが好き。

 これはもう種族の性質なので、目と鼻の先で酸鼻極まる死の気配がすれば俺とて好奇心を刺激されてそわそわしてきてしまう。

 見に行こうかどうしようか。

 迷ったのは数秒のことで、気づけば俺は結局惨劇の現場へ直行していた。

 まぁ人界を制するのは決定事項にしても、ちょっとの寄り道くらい構わないだろう。

 強者たるもの常に余裕を持ち、目の前の些細な事物を楽しむものだ。


 早足の間にも想像を巡らせる。

 森にいる魔物というと蛇系か?

 熊系かもしれんな。

 はたまた女怪系?

 色々と可能性は考えられる。どれに遭遇しても凄惨な死が確定してしまうのだから人間というのは大変な生き物だな。


 ウキウキしながら来た道を戻った俺は、しかし目に飛び込んできた予想外の光景に石化することになる。



「ありがとうございます……!! 勇者様が来て下さらなかったら、私、私……!!」

「いや、たまたま通りかかったから」


「…………」


 おいふざけるな。

 めっちゃ勇者いるぞ。いきなりいるんだが。


 俺は木陰から半端に顔を出したまま唖然としていた。

 忘れもしないあの甲冑!! 剣!!

 無垢な若木のような素朴な立ち姿!!

 まだ少年だろうと分かる高めの声!!

 鉄火場であろうと冷静さを保つ胆力!!

 取るに足らない弱者への無駄な気遣い!!

 見返りを求めず功績を驕らない滅私の精神!!


 王都でいい暮らししてろよ逆に!! なんでこんな僻地の森にいるんだよ!! 仮にもこの俺を討った勇者様だろ!!


「……? あれ、君……」

「!!」

 勇者がこちらに気づいた瞬間、俺は慌てて木陰に引っこんで魔術的な防御を強化した。よし、人間の振りはこれで完璧。勇者であろうとも俺の正体を見抜くことはできないはずだ。

「もしかして君も襲われた? 怪我はない?」

 ぐぇええええ~~~~やめろ~~~~お前はホント誰にでも優しくするんじゃない~~~~!!

 おめでたい勇者は木陰でびくつい……いや綿密な勝利の作戦を練っている俺に歩み寄ってくる。

 ていうか魔物、熊系だったか。

 危ないところで助けられた女はいいが、一太刀で両断したらしい魔物の首を携えたまま近寄ってくるんじゃないよ。ぼたぼた血が流れ続けてるし、もし俺が人間の少年だったら心筋梗塞モノだぞ。捨ててこい。

 ツッコみ続けているうちに勇者はあっという間に俺のもとへたどり着き、顔を覗き込んできた。

 こんな間近で勇者の顔(兜)を見るのは初めてのことだ。生死の懸かったつばぜり合い以外では。

「彼女の連れ……じゃなさそうかな。こんなところで子どもがひとり、なにをしてたの? 親や保護者は……」

「あ、う……あ、あの、……」

 な、なぜうまく声が出ないんだ?

 ええい、いや、逆転の発想だ!

 こうなったらもじもじした感じの演出に利用する。

 身体能力に優れる魔族には体内の水分の操作くらい朝飯前だ。潤ませた瞳で勇者の顔を見上げる。

 どうだ? この顔の火力は。

 なにも知らない人間からすれば艶やかな黒髪に宝石のような深紅の瞳の紅顔の美少年だ。心惹かれぬヤツはいまい!

「? ……あ、そうか」

 案の定、勇者は小首を傾げてすっと顔を引いた。

 ふっ、やはりか。しょせんは勇者といえどひとりの人間。美の前には無力だろう。

 おののけ、ひれ伏せ、ありがたがれ。死に直結するような油断をしろ。

 ここまでの美貌は庇護欲をそそられずにはいられまい。

 魔王はこんなところまで完璧なのだ。

 と、

「すまなかった、こんな兜姿で話しかけられて、怖かっただろう」

 勇者はそう言って、魔物の首をその場に放置するなり、兜を脱いだ……えっ。脱いだ。


 脱いだ?


「ほら、大丈夫。怖がらないで」

「エ……、エ、……オ……!!??」

「……あれ……? 兜より怖がられてる……?」

「オ!!??」

「言葉が分からないとか? 外国の子なのかな」


 勇者は不安げに質問を投げかけてくるが、そ、そんなことよりもだな?

 兜の下から現れたその素顔。

 流れるような長い銀髪に金色の瞳の、ちょっと冷たい感じのこの、俺ですら見たことがないような美しい……う、美しい……。


「お……、お、女ァ!!??」


「良かった、言葉は通じてる」


 ……勇者って、女??



 勇者、女だったらしい。


 俺はすっかりその新事実に打ちのめされ、呆然としている間に人間の村に連れ帰られていた。

 当たり前だが村には大勢の人間がいて、助けた女と俺を連れて戻ってきた勇者を嬉しそうに出迎えた。

 みんな勇者が女だということも分かっていて慕っているのが一目で分かった。

 聞きかじった大人たちの話では、あの女は隣村の住民で、あの森には軽い気持ちで木の実を取りに入ったらしい。

 魔物が出るという噂だが、少しくらいなら大丈夫だと思って。他に出入りする人がいないなら、木の実も手つかずで残っているだろうと。

 そんな軽率さで尊い犠牲者たちの遺した忠告を無視した割に、たまたま勇者が通りかかってくれたとは幸運な女だ。


「はい、どうぞ」


 で、俺は。

 村の一画に建てられた、特段でかくも豪奢でもない勇者の家に招かれて、お茶とクッキーを出されてしまった。

「…………」

 唇を噛みしめ、テーブルを挟んだ向かいに座っている女を、ちらっと見る。

 女だ……何度見ても女だ……。

 何回か見たらあるとき突然むくつけき剛の者になってたりとかもしない……。

 めっちゃ美女……。いや美少女か……。まだ二十になるかならないかってくらいの……。


 ああああ~~~~なんでだよ~~~~人間の、こんなわっかい、女に殺されたのかよ俺~~~~魔王なのによ~~~~!!


 精神体だけで床を転げ回っても事実は覆せない。

 信じられない、信じたくない、がっ……!

 認めるしか、ない……!

 勇者は、女……!

 クソッ、諜報部隊はなにをしてたんだ!? 確かに魔族からしたら人間の性別なんかその辺のゴミよりどーーだっていい些事だが、俺はどんな些細な情報でも報告をあげるように命じていたはずなんだが!?

 仕事しろ!!


 ……い、いけないいけない……冷静になれ。俺は魔王。いつだってデキる至尊の一個体。

 もし勇者が女だと知っていたとしても、それでなにが変わった?

 俺は人類を打倒せんと前進を続け、いずれヤツと対峙し、敵として剣を交えただろう。

 道筋はたったひとつ、変わらなかったはずだ。

 ……俺の敗北でさえ、同じだったと思う。まずはそこを認めよう。


 うむ、そう思うと勇者の新事実にこれ以上騒ぎ立てる必要などないな。

 見たところ勇者はこの俺の完璧な偽装にだまされきっているようだし。

 ふ、今度俺の美貌に屈し、手のひらで踊ることになるのはそっちだぞ勇者め。

 人間の美少年だと思っている限り、お前は俺には勝てん!!

 というかそうだ、勇者が女なら好都合じゃないか?

 ますます美少年には弱かろう!! 籠絡されて隙だらけになるに違いない!!

 勝ったな!!


「彼女は村の男衆が隣村に送り届けることになったそうだけど、君の家はどこ? 教えてくれたら帰してあげるから、安心して」

 声には出さず高笑いする俺に気づきもしないで、おめでたい勇者は心配そうに訊いてくる。

 今こそ美少年のしどころというヤツだ。

 俺はきらきらと星を飛ばしてきらめく目で勇者を見つめ、

「勇者様、優しいんですね……僕なんかまで村に連れてきて、家に入れてくれるなんて……はぁ、こんなのって夢みたいだ……」

 魔王は演技だってこなせるんだ。

 儚げな演技にうっとりと憧れと好意を滲ませてみせると、勇者はあまり起伏のない表情をそのままにまた小首を傾げた。

 お、やったか?

「勇者の中身が女でがっかりさせちゃったかと思ったけど、そう言ってくれるなら嬉しいよ」

「ッング!! ゴホッゴホッ!!」

 全然やってなかった。

 まずい、さっき思いっきり至近距離「女ァ!!??」って目をひん剥いた矢先に美少年ぶってもあんまり効かないぞ!?

 というか考えてみたらアレじゃないか、……あ、あれって……めちゃくちゃ失礼だったのでは……? 美少年というだけで帳消しに出来ないマイナスだったりしたのでは……??

「あ、あのぅ、その節は本当に、失礼を……」

 かわいこぶって両手で握りしめたマグカップが虚しい。

 勇者暗殺を志すこの魔王が、こんなところで躓いてる場合じゃないのに……。

 だらだらと冷や汗を背中に流しながら縮こまっていると、勇者が初めて、ふっと笑った。

 ふっ、て。

 控えめに、花がほころぶように、無表情の冬に一気に春が来たみたいに、ふっ、て。

 俺の目の前で。笑っ……。

 

 現、実……?


「そ……そんな、意識が遠のくほど気にしないでいいから……」

「……はっ!!」

 おずおずと手を振られて飛びかけていた魂がひゅっと身体に戻ってくる。

 な、なんの秘術を使ったんだこの勇者! まさか俺の正体に勘づいて……!?

 い、いや。

 それはない。

 もし勘づいていたなら、この勇者はそんな搦め手は使わない。

 あのときだってそうだった。やるなら正々堂々、不利も罠も呑み込んで敵陣のただ中へ切り込み、ちゃんと俺と勝負するはずだ。

 やはり俺の偽装は完璧に機能している。

 俺は気を取り直して、美少年パワーを引き続きこれでもかと行使する。

 弱々しく微笑んで、

「す、すみません……! がっかりなんてとんでもないですっ。男でも女でも、勇者様はとってもかっこよくて優しい人類のヒーローで、僕の憧れで……。こ、この世界で一番、綺麗な人、ですっ!」

 言い切ると同時に、言っちゃった~~! みたいな感じで顔を伏せる。

 人間はなぁ~、ちょっろいからなぁ~。こういうのにす~ぐ騙されるのだ。長年人間という生物を研究してきた魔王は知っている。

 伏せた顔がこっそりほくそ笑んでいるとも知らず、勇者は素直に感じ入っている気配だ。

「ありがとう。ねぇ、顔を上げて」

 俺はそっと言われた通りに顔を上げる。

 視線を上げた先では、勇者が嬉しそうに微笑んでいた。

 そのとき、頭をいきなり横から殴りつけられたような衝撃があった、ような、錯覚をした。

 か、簡単すぎてショックなくらいだったってことだ。

 可哀想に、この勇者め今ので絶対俺に参ってしまったぞ。はーっ人間はちょろいなホントに、ちょろいちょろい……。

「勇者様、じゃなくて……。今さらかもだけど、ちゃんと自己紹介するね。私、レティ・ハワード。君の名前は?」

「……」

 ……。

 ……。

 レティ、いい名前……あっ、……あっ返事しないと返事……あっギルバート・ゲートシュタイン……あっダメだ本名は魔王ってバレる……あっ演技、演技しろ演技……えっと……。

「ぎ、ギルって、いいます……。あの僕名字、なくて……」

 とっさについた嘘に、レティは静かに頷いた。

「じゃあ、ギルって呼んでも構わない?」

「……ウ゛」


 憎き勇者の唇が「ギル」という二音を発したとき、また意識が飛びかけた。

 な、なんなんださっきから!

 無茶な転生の弊害か!?


 なんとか魂の尻尾を引っ張り戻し、大きく頷く。

「は、はいっ」

「私のこともレティって呼んで。ギルの家はどこにあるの?」

「……えと、その……な、ないです、家。孤児で……お金稼ぐ宛てもなくて……自棄になって、魔物が出るって噂のあの森に入ったんです」

 こんな嘘八百がすらすら口から出て来る俺はさすがの魔王だ。

 人間はやたらと他個体に共感し、互助しようとする弱い種だからな。可哀想、とちらとでも思った時点で俺の思うつぼよ。

 狙い通り、レティは「ギル」と言う名前の存在しない孤児に同情したようだ。

 コイツは表情こそ乏しいが、まったく分かりやすい目だ。その透明度の高さを恨むがいいさ。

「そうだったんだ。今もまだ、自棄になりたい気持ちは続いてる?」

「い、いえ……」

「じゃあうちに来る?」

「えッッ!!??!!??」

「元気な子だ……」

 俺の腹の底から飛び出た爆音を間近で食らって鼓膜を痛めたレティが冷静に呟く。


 冷静って……お前……お前本気か?

 会って五秒で同居オッケーなのかお前という女は?

 ちょっと同情したらもうそこまで防衛ラインが下がるのか?

 バカか? 人間? バカなのか?


 ……いや俺はいいんだが。

 これ以上なく好都合だが??

 こっちは最初っから、勇者であるお前を排除する気で転生したんだし?

 人界に転生してしまったのは手違いだったが、こんな爆速でお前とエンカウントできて?

 騙して懐に潜り込んで?

 いつでも命を絶てる位置をもう手に入れたも同然なわけで?

 俺は大歓迎だ。大歓迎だが、……。……。


「私に遠慮する必要はないよ」

 凍り付いている俺が単に驚いているだけだと考えたのか、レティが付け足す。

「この村で孤児院をやってるんだ。君が孤児なら助けたい」

「……孤児院……」

 孤児院か、存在は知っているぞ。

 人間は弱い個体、寄る辺のない個体を保護する施設をわざわざ作る。

 一部とはいえ身銭を切ってまで彼らを養育しようとする者がいると。

 弱肉強食の魔族ではまずあり得ない思考だ。

 だが、レティ。魔王を殺したお前がそうした変わり者のひとりだったとはな。

 ……俺を討ち取ったほどのヤツが。王都で左うちわで暮らさずに、貧しい土地で孤児院の切り盛りをする道を選んだのか。

 い、いいじゃないか。どこまでも、俺に都合がいい。

 こいつの周りにはひとりとして護衛はいないようだし。

 これじゃいつだって殺せてしまうぞ?

 簡単すぎて笑えてくるくらいだ。なんならもう今すぐにでも、やろうと思えば……。


「……いきなりすぎた?」

「……あ、いえ! う、嬉しいです。良かったら、孤児院、入らせてほしいです……」

「! そっか。良かった……!」

 レティはほっとしたように愁眉を開き、席を立った。

「少し待ってて、資料を持ってくるから……」

「…………」

 勇者の家らしく、部屋の壁には剣が飾られている。

 無防備に背を向けたレティの背を突き刺すくらい、魔王の俺には容易いことだ。

 だがレティはそんな未来、これっぽっちも想像していないだろう。

 人間の勇者も、戦場では手強くても、平時に同じ人間として出会えばこの通り、赤子の手をひねるようなものだ。

 ふ、俺の作戦通りだな!

 やはり数ばかり多くてしぶとい敵の結束は要から突き崩すのが上策!

 人間どもは魔王を討ち取ったと思い込んで油断しているが、その隙にレティという種の希望さえ殺してしまえば、残った人類はふたたび魔族への恐怖に支配される!

 怖じ気づき、勇者を欠いた人類の残存戦力などたかが知れている。

 俺が玉座に戻り次第、今度は絶対に勝てる戦ができるはずだ!


「…………」


 俺は壁の剣をじっと睨んだ。

 勝利の味を噛みしめているのだ。

 今まさに、俺は人類種に勝利した。と、言っても過言ではない。


 そして思い出したが、やはり魔族は、俺は、ゴシップよりエログロが大好きだ。

 森で悲鳴を聞きつければ、案じるでも救助するでもなく、いったいどんな死を遂げたんだろうかと好奇心がうずいて駆けつけるし、あらゆるパターンの死が見たい。

 世にも珍しい死に様と、それに至るまでの複雑な経緯は、魔族にとってこれ以上ない娯楽。

 甘味よりも遙かに脳髄を痺れさせる生きがいのひとつなのだ。

 そう、そうだ。

 どうせ殺すならより残酷なほうがいいに決まっている。

 もっともっと油断させ、信じ切ったところでババンと裏切る! そのほうがこの女の絶望は深いに違いない!

 つまり、とてつもなく、凄惨な、死!

 魔王を討伐した栄光も地に落ちて、運命的な出会いを果たしその可憐さに惚れ込んだ絶世の美少年に殺される大戦の英雄! こんな残酷があるか!? いやない!! ないったらない!!


 ……まぁその絵ヅラを作るためだから。

 魔王の寿命からしたらちょっとの寄り道くらいどうってことないしな。

 むしろこれぞ魔王、って所業じゃないか?


 ふ、感謝しろよレティ。

 この場はこれで収めてやる。

 決定権は常に俺の手にあるのだ。

 俺の気まぐれで生きるも死ぬも決まる身で、せいぜい長生きしてみせるがいい。


 慈悲深く、俺は壁の剣から視線を外した。

 レティはこのような恐るべき計画が動いているとは露とも知らずに、足取り軽く資料を持ってきて、熱心に孤児院の仕組みと手続きについて俺に説明した。

 俺はその日のうちに手続きを済ませ、孤児院への入所を決めた。

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