2.捜査


「っていうことがあったんですよ。事件ですよ、お嬢様。」


俺は昨日の出来事を思い返しながら、紅茶を注ぐ手を止めた。お嬢様は、俺の話に耳を傾けながら、静かにカップを持ち上げている。朝の光が窓から差し込んで、侯爵家のタウンハウスのティールームを柔らかく照らしていた。


「まるで、ディクスン・カーの小説だな。」

「なんですか、カーって?」

「密室殺人と言えば、ジョン・ディクスン・カーだろう?」


だからそのなんちゃらカーが何かわかんないんだって。


「まぁ、そのカーっていうのは置いといて、めちゃくちゃ不可解な事件ですよ。お嬢様の出番ですよ!」

俺はお嬢様のティーカップに新しい紅茶を注ぎながら言った。お嬢様は紅茶の匂いを楽しむようにカップを鼻先に近づけ、それからゆっくりカップに口をつけた。

うむ。優雅な所作である。


「聞いてますか?お嬢様。」


「聞いている。が、特段私の出番だとは思わんな。ホワイトチャペルも捜査からはずされているんだろう?」

「グリムゾンガードが捜査を担当するそうですよ。事件捜査の専門家でもないのに。」


本来なら事件が起これば通称ホワイトチャペルと呼ばれる、アルビオン警察本部が捜査に乗り出すんだけど、今回はグリムゾンガードと呼ばれている王宮警護兵団が捜査をすることになっている。昨日知り合ったトマス殿や団長が所属している国王直轄の兵団で、赤い制服が特徴なのでグリムゾンガードと呼ばれている。捜査の専門家ではない彼らがどれだけやれるのか…お嬢様が出しゃばった方が絶対良いのに。


「宮殿の中でも王家のプライベートエリアで起こった事件だからな。被害者はウィリアム第一王子殿下付の筆頭メイドなんだろう?緘口令が敷かれているはずだ。」


そうなのだ。事件発覚後、宮殿の使用人でもなければ正規の来訪者でもない俺は団長からめちゃくちゃ厳しく怒られたうえに尋問されて、昨日見たこと聞いたこと、すべて絶対に口外しないことを約束させられた。まぁ、現在進行形でお嬢様にべらべらしゃべってるわけだけど。


「鍵のかかった宮殿の一室で、メイドが撲殺されていたとなれば大問題だからな。外部に捜査権を渡すわけにはいかないだろう。」

「それにしても、変な事件ですよ。被害者のメイドはローザ・ロドリゲスっていうらしんですけど、メイド頭のカロラインさんが言うには、前王妃様の婚礼の時に一緒について来た人らしいんですよ。しかも、机やら椅子やら、他にもいろいろあったはずの家具が部屋から全部なくなってるって。実際俺が見た時、被害者以外は部屋には何にもありませんでしたし。肖像画が一枚かかってたくらいで。しかも、昨日鍵を壊すまで5年間もずっと開かずの間で、誰も使えなかったはずなんですって。おかしいでしょう?」

昨日のカロラインさんとの会話を思い出す。あの後だいぶ打ち解けて、ファーストネームで会話できるようになったのだ。

顔面を蒼白にした彼女は、何かを心底怖がっているようだった。


「まるで『黄色い部屋の秘密』だな。犯人はどうやって部屋に入り、部屋から出たのか。今回の場合は被害者が部屋に侵入した方法も謎ということになるか。」

お嬢様はつぶやくようにそういうと、紅茶を一口飲んで続けた。

「それでも、実際に起こっている以上、方法は必ずある。実現された事象は謎ではなく結果でしかないからな。」


「え?謎が解けたんですか?」

嘘だろ。事件の概要をちょっと話しただけなのに。


「わかるわけがないだろう。密室は謎ではなく、あくまで結果だという話だ。謎を解くというのは、『どうやって』と『どうして』を解明することなんだ。前にも言ったと思うが、要は方法と動機だ。そのうち、方法について言えば、今回の件では『被害者と犯人がどうやって部屋を出入りしたか』を解き明かすことが重要だ。しかし、これは『どうやって密室が作られたか』とは全く別の話だ。これを混同すると、事実を見誤る危険がある。結果に至る方法を現実的に分析すれば、自然とその過程は明らかになるものだ。だから、密室は謎ではないということだな。」

なるほど。お嬢様が何を言ってるのか全くわからん。

ぽかんとした俺を無視してお嬢様はさらに小難しい話を続けた。


「犯人と被害者がどうやって部屋を出入りしたか、その方法には限られた仮説しか立てられない。例えば、心理的密室という手法がある。ジョン・ディクスン・カーの『三つの棺』が有名だが、実際には密室ではなく、密室だと錯覚させられていたというトリックだ。この手法では、犯人は普通に部屋を出入りしている。あるいは、もっと単純に、秘密の扉や通路が存在する可能性もある。エラリー・クイーンの『Yの悲劇』では、犯人が隠し通路を使って犯行に及んでいるし、隠し扉を利用して犯人が突然消えたように見せるトリックも、ミステリーではよくある手法だ。そして、犯人が人間ではなく、部屋の出入りが可能な、何か別の存在である可能性も考えられる。」


「えぇ。心霊現象的なこといってるんですか?お嬢様らしくないですよ。」

超現実主義のお嬢様がそんなことを言い出すなんて…

信じられない。


お嬢様はうっすら微笑んで

「例えばオラウータンとかな。」と続けた。

意味が全く分からない。


お嬢様の言葉を反芻して考える。

心理的密室と、秘密の通路、そして人じゃないものの存在…

心理的密室は難しくてよくわからんので、おいておくとして、秘密の通路とか部屋か。

すごくありそうだ。王宮クリスタル・パレスは400年ほど前に建設されていて、そのころは暴動や戦争やらで建築物には秘密の避難経路が作られることが多かった。それに、現場になった棟は王宮の中でもよく言えば歴史的、はっきり言えばすごい古い棟だし。隠し通路とかありそう。


「いずれにせよ、可能性があるというだけの話だ。捜査で明らかになるだろう。それより、本当に問題なのは動機だ。なぜ被害者はその部屋にいたのか、なぜ殺害されたのか。こちらの方が解明するのが実際には困難なものだ。」


「動機なんて、それこそ被害者の知り合いに聴取すれば済むもんじゃないですか?」

疑問を口にする。お嬢様の話は難しいのだ。7歳児のくせに。


俺の方に一瞬お嬢様は視線を流してつぶやいた。


「エルキュール・ポワロよろしく、人の秘密を暴くというのは現実ではなかなか…骨が折れるものだ。」


少し遠くを見たお嬢様の横顔からは、彼女が何を考えているのか読み取ることができなかった。

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