第19話 少年を買う

「あ、奈子、お前この後…」

「ごめん、用事!」

授業を終え晃の言葉も聞かずに

足早に帰宅してアトリエに雪崩込む


私は今、少年を買っている


「おかえり、なこ」

机に座り込み

素足をゆらゆらとさせていた少年は

待ちわびたとばかりに

机からおりてこちらに歩み寄る

「ごめん聖音くん、すぐ始めるね」


あの時、聖音がもちかけたのは

私個人への絵画のモデルの仕事だった

高校時代に貯めた使うあての無かった

バイト代が思わぬ形で溶けていく


展示会の締め切りまでは1ヶ月を切っている

スケジュールを何度も反芻して

焦る気持ちを落ち着かせる

(このペースなら間に合うはず…)


キャンバスの前の定位置について筆を取る

聖音はベルベットのソファーに腰掛けて

にっこりと微笑む

その瞳は底の見えない暗闇を

宿しているようで直視する事を躊躇う


絵を描き始めて数時間の後、

ふぅと息を吐いて時計を見る

もう直に聖音の仕事が終わる時間

聖音を見るとやはり疲れているようで

時折あくびをして目を擦る


「もう終わりにしようか?」

「いいの?」

「うん、このペースなら間に合うし」


私の言葉に聖音が笑顔になる

「やったぁ、下でお菓子食べていい?」

伺うような目に首を縦に振ると

どたどたと1階へ駆け下りる

私もお菓子をもらおうと1階へ降りると

母が聖音にお菓子と飲み物を出している

「お母さん私もー」

「もうちょっとで晩ごはんだから奈子はダメ」

「えー」

集中して疲労した脳が糖分を求めるが

母の言いつけなので仕方なしに

夕飯を待つことにする

聖音は幸せそうにお菓子をほおばる


展示会の締め切りまで1週間を切った

今日が聖音を家に呼ぶ最後の日


完成をまじかに控えたキャンバスを

眺めながら聖音の到着を待つ

程なくしてチャイムの音が鳴る


「いらっしゃい」


聖音を迎え入れて定位置につく

描き終わるまであと数時間

筆を進めるごとに聖音と離れる時間が近づく

完成までもう少し、

息を吐いて聖音に目を向ける

その目には依然として影が写る


その瞳に、見惚れてしまった


ほんの数秒見つめ合う

筆を進めるのが惜しいと思ってしまった


私の心を見透かした様に少年の瞳が揺れる

「なこ」

私の名前を呼び腕を広げる

導かれる様に少年に歩み寄る

赤い瞳が間近に迫る

「わかってるんでしょ?なこ、ボクのお仕事」

少年の瞳が笑みに歪む


まともな事務所であれば子役を個人の家へ

送るなど危険に晒すような仕事は

まず受けないだろうと予想は出来る


それでも私は聖音の誘いを

断る事が出来なかった


私は今、少年を買っている、

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