第8話 父と子

30分ほど歩くと

古びたアパート群が見える

その内の1棟の前で夏月が立ち止まる

そっと背中に手を添え

歩みを促す、埃っぽい階段を一段一段登る


チャイムを押すと程なくして

扉が開いた30代ほどの男性が迎える

男性は夏月の親らしい

端正な顔立ちをしていたが

その目には疲労が伺える

「えっと、夏月くんを送りに来ました」

男性は傍らの夏月に目をやると

あぁ...と小さくこぼし気まずそうに目を背ける

夏月も俯いたまま目を合わせようとはしない

「わざわざ、ありがとうございます」

男性が事務的に感謝を述べドアを開け放つが

夏月の足は家の中へとは進まない

いつの間にか私の服を掴んでいる

行きたくないと訴えるように


ふと開け放たれたドアの先を見ると

廊下には夏月の物と思われる服が乱雑に

置いてあり下駄箱の上にはチラシや書類が

未開封のまま置かれている

「すみません、お邪魔します」

「えっ?」

突然の申し出に困惑する男性を置いて

夏月の手を引き家の中に入る

突き当たりのリビングダイニングには

更に沢山の服と物が散乱しており

キッチンのゴミ箱はコンビニの弁当の空箱と

インスタント麺のカップで溢れている

台所の水場はいつ使ったか定かでない

食器がそのままになっている


「あ、あの...」

「酷いですね...これ」

遠慮がちに話しかける男性に本音が漏れる

キッチンに向かうと溢れたゴミを

押し込みながらゴミ袋の口を縛る

「あの、何を?」

困惑する男性に応える

「お掃除です、今日、お仕事は?」

「ありませんが...」

男性にゴミ袋の場所を聞き数枚取り出す

その内1つを男性に押し付けると

締まりきったカーテンと窓を開ける

薄暗かった部屋に朝の光が差し込む

「夏月!夏月にも手伝ってもらうよ?」

笑顔で言うと夏月の顔が

少し明るくなった気がした


黙々と部屋の物を仕分ける2人を見守りながら

台所の洗浄に取り掛かる

水の溜まった鍋には謎のヌメリが付着していて

借りたゴム手袋とスポンジは

今日で寿命を終えると悟る


お昼過ぎに自分の腹の虫が休憩時間を告げる

朝より幾分スッキリとして

明るくなった部屋の中

集中している2人に声をかける

「そろそろお昼にしましょう

コンビニで何か買ってきますよ」

ハッとこちらに目を向ける2人の顔は似ていて

少し笑みが浮かぶ

「私も行きます、夏月、何がいい?」

そう話しかける男性はまだ少し

不慣れな様子で2人の不器用さを感じる

「おにぎり、シャケの」

恥ずかしそうに応える夏月の目はまだ合わない

それでも少しだけ嬉しそうな声に聞こえた


コンビニからの帰り、公園の前を通りかかる

夏月と初めて出会った場所

何となしにブランコを見つめる

「夏月小さい頃ブランコが好きだったんです」

男性はブランコに近づき

近くのベンチに腰かける私もその隣に座る

「妻と…夏月のお母さんと

良く遊んでいました」

懐かしそうに空のブランコを見つめる

あの時の夏月もこんな顔をしていたのだろうか

真夜中の公園に、1人で…

「どうすればいいか、分からないんです」

ポツリと漏れたのはきっと本心

「夏月は元々手のかからない子だから

大丈夫だって、だから責めて不自由は

無いようにって働いて…」

そこまで言って自分の言葉を否定する様に

首を横に振る

「逃げていたんです…

夏月からも、妻が居ない現実からも…」

言葉尻には涙がまじり

それ以上言葉を紡ぐ事を止める


しばらくすると顔を覆っていた手を外し

私に向き直る

「すみません、こんな事を言って…

夏月のことも、

貴女には世話をかけっぱなしだ」

苦しげな笑顔で言うと立ち上がり帰路に戻る

頼りない背中をそっと追う


「おかえり」

家に戻ると夏月が机の上を片付けていた

書類と小物を壁際へ寄せ空いたスペースに

買って来た物を広げる

夏月はおにぎりを男性は惣菜パンを

無言で黙々と口に入れる

(親子そろってハムスターみたい…)


昼休憩を終え作業を再開する

黙々と仕分ける男性の手が止まった

見るとその手には1枚の写真

まだ若い男性と女性が写る

女性の猫の様な目元が夏月に似ている

男性はそれをゴミ袋に入れる

(!?)

驚いてゴミ袋から写真を救出するも

男性は何も言わない

致し方なしにそれを懐に入れる


日が沈み辺りが暗くなった頃やっとの思いで

掃除を終えるゴミ袋3つ分の処理は

男性に任せる事にする

「ふあ〜終わった〜」

たまらず伸びをする私に

夏月はいつもの仏頂面を向ける

「暗くなってしまいましたね

送って行きますよ」

男性が上着を手に取り寄ってくる

大丈夫だと言っても引き下がってくれない様子

に観念して好意にあまえる


「本当にありがとうございました」

帰り道あの公園の前で解散しようとすると

男性が口を開く

「貴女には本当に感謝しています」

貴女と呼ばれ自分がまだ名乗って居ない事に気づく

「あ、奈子です、私、黒木奈子(くろき なこ)」

「奈子さん…?」

男性はポカンとして名前を呼ぶ

「貴方は?お名前」

促された男性がハッと口を開く

「花村玲(はなむら れい)です…」

「玲さん、今日はお疲れ様でした

押しかけちゃってごめんなさい」

玲の名前を呼び今更に謝罪をする

すると何故か安心したように笑顔を向け

その目に涙を溜める

「え、あの、本当に、ごめんなさい…?」

涙の理由がわからず謝罪の言葉を

もう一度繰り返す

「いや…名前を呼ばれたの…

凄く久しぶりで…」

玲が告げる理由は予想外の物で

殊更に困惑してしまう

「妻が亡くなってからずっと

父親だから、夏月には僕しか居ないから

ちゃんとしなくちゃって…ずっと…ずっと…」

大切な人を亡くした悲しみも

父親としての重圧も1人で耐え続けた彼の心は

どれほど辛かっただろう、

昼間に見た頼りない背中を思い出す

「玲さん…」

懐から写真を取り出し彼の手に握らせる

「大切にしてあげてください

夏月くんの事もご自身のことも、」

「…美月」

絞るように愛しい人の名前を呼ぶ声に

応える者が居なくとも

その想いは枯らす事のないように

秋口のまだ暖かい風が涙を包む

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