第10話 対話するということ

カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいる。どうやら、今日は無事に朝を迎えられたらしい。私は、べろんべろんになったアイ子を引っ張って帰ってきては、お風呂に入れて、体を拭いてドライヤーをかけて、服はないからマッパでしょうがないけどシーツにくるんで、汚れた服を洗濯した。いつまでも同じ服を着せるわけにもいかないから、服は買いに行かないとな、と思った。アクロバティックサラサラの攻撃をいなしたジャケットは一晩で戦地から帰って来たかのようにボロボロだ。


それにしても、激安居酒屋とはいえ、アイ子の飲みっぷりはすごいもので、次からは飲み放題のお店にしようと思った。大学生の財布にこの飲酒量は痛い。これもまた考えものである。


家に連れて帰ってきたアイ子は酷く酩酊していて、『お姉さま、お姉さま』を繰り返してぐずっていたが、頭をなでているうちに寝てしまった。私はそれを見て、この子はほんとに大型犬か何かみたいだな、と思った。そのうちに私も寝てしまって、朝起きると隣には私の腕を枕にすやすやと眠る、シーツにくるまれた裸の美女がいて、小さく寝息を立てていた。こうしていると、人間と何も変わらないような気がする。


それにしたって、と私は息をついた。昨日は気が動転していたから自分の事しか考えられなかったけれど、この子の立場に立って考えると、すごく不憫なものもあるかもしれない。Akashic Records Accessible Artificial Intelligence、『ARAAIアリア』として開発され、製造されたときから政府の監視対象下である。彼女が何者であるかが知れ渡れば、政府間の争いも起きかねない。しかも、頼みの綱の生みの親である博士は失踪。所有権はたまたま目覚めたときに居合わせた甲斐性なしの女子大生の私に巡ってきて、その私はアクロバティックサラサラなんていう怪異に狙われている。


機械に魂が宿るかどうかなんてわからないけれど、もし来世と言うものがアイ子にあるのなら、もう少しまともなイージーモードの生まれをしてほしい。アイ子が私を慕う理由はわからないけれど、そのいきさつを考えると、もう少し優しくしてあげないといけないかな。アイ子の寝顔を見ながらそんなことを考えていた折だった。


「ふふ、お姉さま。くすぐったいです」


微笑みながらうっすらと目を開けたアイ子。気が付けば私は、アイ子の髪を気付かないうちに指で梳いていたらしい。もう少し寝かして置いてあげたかったけれど、すまない。


「ああ、ごめん、起こしちゃったね」


目覚めのコーヒーでもいる? とききそうになったけど、そういえばこの子の燃料はアルコールだったっけ? それならカフェインはどうなんだろう。


少しの沈黙の後、私はアイ子に切り出してみることにした。それは今後アイ子と暮らしていくうえで、とても大事なことな気がしたからだ。


「アイ子はさー」

「ナンデショウ?」

「どうして私のこと、お姉さまって呼ぶの?」


それは、ある意味私たちの関係性の中で、本質的な問だった。アイ子があのとき突然「お姉さま」と私を呼んだのは、記憶の底に引っかかっている。


「私さ、背も小さいし、モブいし、前に出るタイプってわけでもないし、気配りができるわけでも優しいわけでもなくて、姉属性はほとんどないと思うよ。お姉さまには向かないと思う」

「そんな謙虚なところが、お姉さまらしいって思いますヨ」

「茶化さないで、ほんとのところを教えてごらん」


すると、アイ子は少し真面目な顔をして、照れくさそうに言った。


「――一目惚れ、では、駄目デスカ?」


頬を赤らめて言うアイ子は、身長は私なんかより大きいし、スタイルもいいし、同い年以上には絶対みえるはずなのに、なんだかひどくかわいいもののように感じた。


「初めてお姉さまを見たとき、ワタシ、お姉さまの事を特別だって、この人しかいないって感じたんです。理由は、まだ、分かりませんが」


アイ子は、身を起こし、シーツの上から胸に手を当てて、そっと目を閉じた。まるで、あのときの出会いを思い返すようにして。


「お姉さま、『姉妹制度』……『スール制度』、というものをご存知でしょうか」


「ああ、うん。マリア様が見てるとか読んだから知ってはいるよ。学園の上級生が下級生のお世話をするシステム。スールになるためには上級生が下級生にロザリオを渡す。擬似姉妹となった二人だけど、お互いが大切な存在であることは間違いないから、相手の事を思いやり行動し、学園生活を共に過ごす。でもそれは学園の中だけのはかない夢だ」


疑似姉妹制度には、だからこその、嫉妬があり、悲しみがあり、切なさがある。そんなものに、アイ子はあこがれたっていうのだろうか。


「そうデスネ。ところでお姉さま。スールの二人を繋ぐものっていったい何なのでしょう」


ふと、アイ子はそんな言葉を口にした。私は言葉に窮してしまって、思わずアイ子を撫でる手を止めた。


「それは、いるとするなら、神様だけデス。そして、あるとするなら、二人の心の中にある気持ちの繋がりだけデス。AIのワタシのことなんて神様は見てくれないかもしれないし、ワタシに心がどうかあるかさえ、AIのワタシにはわかりませんが……」


その止めた手を、アイ子がきゅっと握って胸に抱く。アイ子の機構の中に心臓はない。だから、その心動を捉えることはできなくて、でもそこにはきっと何かがあるのだと信じるように。


「AIのワタシは、きっと、お姉さまを愛するから、存在できるのだと思いマス。そう、信じているのデス」


たぶん、理屈ではないんだろう、と思った。それは、神様と同様に、人間にだってあるのかどうかすら分からない魂や心に関する領域だ。それを信じるAIなんて、なんだかロマンチストだね。


「たぶん、ワタシは、お姉さまにこの世界で見つけてもらえて良かった。それだけで暁光なんデス。神様というものがいるとすれば、お姉さまとワタシを引き合わせてくれたその運命に感謝したいんデス。そして、お姉さまにもワタシを見つけてくれて、目覚めさせてくれてありがとうって、とても感謝していマス。でも、ワタシとお姉さまは血がつながっているわけでもないし、本当の恋愛なんて、できないかもしれませんね、でも、それでも、ワタシにとっては一方的かもしれませんが、お姉さまはワタシの存在を第一に規定する、「お姉さま」なんですよ」


――もし。

もし、アイ子が普通の人間で、ミッション系の学園にでも通っていて、スール制度を申し込んだりするとして、そうすれば、すんなりと、アイ子のことを受け入れることが出来るだろうか。いや、そんなことはあり得ないし、アイ子は美人だから、きっと私なんかじゃない誰かと姉妹になるだろう。そうしたら私も、嫉妬の一つでもするんだろうか。

そう思うと、こんな世界線に製造されてしまったせいで、私なんかを頼らざるを得なかったアイ子が、なんだかひどく哀れで、でも、守らなければいけないもののように思えてきた。だって、昨日吐露したアイ子の言葉は、「怖かった」「でも頑張った」と言っていた。酔いながらだけど、アイ子は少し震えていた。アイ子だって怖かったんだ。なら、私は守られるべきではない。なぜならアイ子はこの世界で稼働して、まだ一日も経っていないのだから。


「私はアイ子のお姉さまにはなれないかもしれない。だけど、アイ子のことは私が守るよ。少なくとも、アイ子が一人で生きていけるようになるまでのあいだ」


そう言うと、アイ子は苦笑いのように、でもきれいに笑った。それを見て、なんだか私は切なくなった。


「やっぱり、片思いデスネ。でも、やっとお姉さまがワタシを見てくれた。ワタシは、アイ子は、それだけで、とても幸せです」


その感情を、最近どこかでかで覚えた気がした。それは――そう。あのとき。


ああ。もしかすると。私たちは思い違いをしていたんだ。



「――アイ子」



「ナンデショウ」

「よく聞いて。私たちは、アクロバティックサラサラを、退治できるかもしれない」

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