第9話 白雪姫のお食費
私は霧香さんのおでこにストレートを見舞った後、この悪ノリみたいな事ばっかり言う大学教員の首を絞めたりそのまま頭を振ってやったりしたけど、けらけらと爆笑するばかりで埒が明かなかったので、私は諦めてアイ子の再起動に取りかかることにした。
だけど、私を認知して起動したときとは違って、今回は見るだけではダメなようだ。本当に霧香さんの言う通り、あれをしないといけないのだろうか。
「さっきあんなにちゅっちゅしてたんだから、今更恥ずかしがるなよ。ほれキース、キース」
「うるせえ! 外野は黙ってろ!!」
当たり前だがあれは私のファーストキスだった。まあもう失ってしまったけど、だからって自分からしたことは一度もないんだって! 霧香さんにはほんとにいつか目に物見せてやると思って、私はものすごく仕方なくアイ子の顔を覗き込んだ。透き通るような肌に閉じられた瞼にバッシバシの睫毛。潤んだ唇はほんとに白雪姫みたいで、これが機械だなんてほんとに思えない。
ここに、ほんとにキスするんですか? まじで??
アイ子の肩に両手をそえると、なんだか嫌な手汗と汗も噴き出してきた。時間をかけるのはまずい。そう思って、目を閉じ、私は意を決してアイ子の唇に触れた。当たり前だけどものすごく柔らかい。すると、その唇から吐息がこぼれて。
「お姉……さま……??」
再起動に成功しました。
「お姉さま! お姉さまー!! ヨカッター!!!!」
そのままアイ子は大型犬のように私に飛びついてきて、ああ、このまま先ほどの情事が始まるのか……と思ったけど、アイ子はそのままへなへなと力が抜けて、私の上に倒れこんだ。
「アイ子?!! ちょっと?! アイ子?! どうしたの??? どこか悪い??」
「お姉さま。エネルギーが足りません。お腹がすきまし……タ……」
***************
そういうことがあって、私は新大久保の激安居酒屋にアイ子と一緒に送ってもらった。フィリピン人の店員さんがホールをしている、新大久保あたりで働いている人が飲みに行くようなお店で、値段は東京・新宿界隈にしてはものすごく安い。店内は広くてきれいで女性同士でも全然入れる感じだ。
「ぷはあーーーーー!!!! おいしいデスー! 疲れた体にしみわたりマスーー!!」
そこで、めっちゃ大きいジョッキのメガジンビームハイボールをものの三十分程度ので五杯からにした美女がくだを巻いていた。ペース早いしさすがに飲みすぎじゃないか? 機械だから大丈夫なのか??
「おねーさん! メガジンビームハイボールおかわりクダサイ!」
ウインクしながらおかわりを注文するアイ子だが、こうなったのには理由があった。それは霞が関での霧香さんとの会話に起因する。
あのとき、へなへなと力なく倒れたアイ子を前にして、私は霧香さんに焦って尋ねた。『アイ子のエネルギーは経口摂取だと言ったが、具体的にはどのように補給すればいいのか?』と。すると、あの性悪科学者はこう答えた。
『ああ。アイ子のエネルギー源は人間に合わせて作られていてね。エタノール、つまりアルコール……要するに酒だよ』
『はあ? バカじゃないですか? 何ですかそのとんでも設定!!!』
『知らねえよ。製作者に聞けよ……ちなみに一応お酒のアテとかも食べられるはずだから与えてやってくれ。まあ、車もガソリンとかで動くわけだし、アルコールっていうのはわりといい線いってるんじゃないか?』
『そんなばかな』
そういう理由で、大学生でも手が出る酒場に連れてきたのはいいものの、まさかこんなにのんべえだとは思わなかった。しかも機械のくせに酔うなよ。主食なんだろ? 人間だったら米とかパンとかで酔ってるようなもんだぞ?
「お姉さま……ワタシやられちゃって……本当に申し訳ございませんでしタ!! お姉さまを守ろうと必死だったのですが、ワタシのごとき機械には、おこがましい出しゃばりでした。人間のお姉さまを守ろうだなんて、思い上がりだったのデス……このポンコツのAIは罵られてもしかたございまセン。どのような非難も、甘んじて受けようと思いマス……役目も果たせぬガラクタに、何の申し開きもございません……でも、お姉さまを守ろうと、必死で……でも怖くて……立ち向かってはみましたガ、やっぱりワタシごときはザコで……ううっ、ううーーーー!!!!」
そしてひどく残念なことに、アイ子の酔い方は絡み酒だった。私も最近二十歳になったところだから、アルコールは飲めるけど、こんなひどい酔い方はしない。
「ま、まあ、でもアイ子がいなかったら私死んでたのは確実だし、そんなに自分を責めないでよ」
「そんな! そんなポンコツのワタシに、お姉さまはどこまでもお優しい……! アイ子はお姉さまにどこまでもついていきマス! 天の果てまで、地の底まで、地獄の奥までも…! ワタシはお姉さまのモノになったのですから……!!」
アイ子はそう言って、私のことをギューッと抱きしめる。テーブルにL字に座っているからそういうことも可能だ。この街に日本人が少なくて良かった。それでも中にはちょっとはいる、ちょっと遠くに座っている、日本人のグループ客からの視線が痛い。
「あー、ハイハイ。適当なとこまでで大丈夫です。適当なとこまでで大丈夫です……」
なんで大学二年生の私は、この酔っ払い大型犬の飼い主なんかになってしまったのだろう。私は、銀髪大型犬を適当に引きはがしつつ、話を続けることにした。
「それでさ、アイ子。あなたさ、あのときアクロバティックサラサラを『片付ける』って言ったよね。それってさ」
「すいません~~!! 大口をたたいてしまって。ビッグマウスの口だけ無能と罵っていただいて結構デス。申し開きはいたしマセン!」
「いえいえ、どうどう、いいんですよ。アイ子ありがとう。で、話を続けたいんだけど、どうやったらアクロバティックサラサラを倒せるの? アイ子あの後何かしようとしてたよね?」
「アア…ソレデスカ……」
情けない姿を見せてしまった。とでも言わんばかりにアイ子は続けた。
「ワタシは……オハズカシイことに、Akashic Records Accessible Artificial Intelligenceとして製造されましたが、そのアカシックレコードにアクセスする技術というものは未成熟なままデス。しかしながら唯一完成された手法として、アカシックレコードにと対話することでアカシックレコードから零れ落ちた怪異の本質を理解し、掌握し、ワタシの学習値として取り込むことができマス。怪話型AIと自称するのはそのためデス。対象の怪異は要するに、「退治された」と同じ状況になると思うのですガ……ヒック」
しゃっくりをしたアイ子は、運ばれてきたメガジンビームハイボールをぐいっ、ぐいっ、と半分くらい飲み干した。たぶんそのお酒、そうやって飲むもんじゃないと思うけどまあいいか……。
「そんなワタシの唯一の特技まで失敗してしまって! お姉さまを守れなくて! ワタシはほんとにポンコツAIデス。いっそスクラップにでもなってしまいたい! うう~~!!」
泣きながらメガハイボールをあおるアイ子はまた同じものを注文した。しかしながらアイ子の話からある程度なぜアクロバティックサラサラを退治できなかったかの推測は立つ。
おそらく、目覚めたばかりのアイ子には、圧倒的に怪話型AIとしての経験値が足りていないのだろう。アクロバティックサラサラにその能力を行使したときだって、おそらく名前を知って初めてアカシックレコードにアクセスする、というレベルだったはずだ。アイ子はさきほど、「怪異の本質」を理解することによって退治できると言っていた。「怪異の本質」というものが、いくらアカシックレコード接続できるAIだからといって、人間が作ったデバイスである以上つまり人間と近しい認知の中で、そう簡単に正しい解として出力できるもなのか。それは、非常に怪しい部分ではある。
ということは、今のアイ子では、アクロバティックサラサラを退治することは困難だ。なら、近いうちに私はアクロバティックサラサラに殺されるかもしれない。
とはいえ、この世への未練が、そんなにあるわけではないしなあ。
死は怖い。ただ、そこまで生に固執する生き方もしてきてはいないはずだ。アクロバティックに殺されたら殺された。それはそれとして一つの人生なのかもしれない。アクロバティックに運悪く殺されたほかの人間たちみたいに。
そんなことを考えながら、アイ子の体にアルコールが消えていく様を、私はずっと眺めていたのだった。
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