アクロバティックサラサラ
第5話 アクロバティック・サラサラ
アクロバティックサラサラは、主に北海道、東北、茨城、大阪、広島等で目撃される怪異であり、四国・九州や離島での目撃証言はない。一説には二〇〇三年ごろに福島県で投身自殺した女の霊であるとも言われているが詳細は不明である。
だから、目の前の二メートル以上ある赤い服を着た巨女をアクロバティックサラサラと仮定するならば、一般的にはこの東京都のど真ん中には出現するはずもない。ただ、目の前にいてアイ子と対峙するこの怪異は、アクロバティックサラサラそのものだ。
だが、アクロバティックサラサラは、アイ子なんかには用はないというように、そのぽっかりとあいた眼孔の空漠を私に向けた。やっぱり、アクロバティックサラサラの狙いはわた――
そう気づいた時にはもう遅い。アクロバティックサラサラは、十メートル近い距離を一飛びし、一瞬にして私に迫る。接近してからの動作はスローモーションか走馬灯のように感じられて、再び、あ、これ、私死ぬんだと思った。アクロバティックサラサラの長い腕が振り上げられ、ムチみたいにしなり、そして私の首を――
捉える前に、時間は加速して、アクロバティックサラサラは私の視界から消えた。そして代わりにアイ子のきれいな横顔が視界に飛び込んでくる。そこで私はアイ子がアクロバティックサラサラのどてっぱらに拳をぶち込んで、遠くへ吹き飛ばしたのだと知った。さすが機械の体。なんてパワーだ。
「お姉さまに手を出す悪党はゆるしまセン!」
そう、啖呵をきったアイ子は、そのまま私を彼女の背後に移動するように促した。
「お姉さま、あのバケモノの名前は、『アクロバティックサラサラ』間違いないデスカ?」
「う、うん。そうだけど」
「承知しました。では早々に片づけマス。アカシックレコード・コンタクト。『
アイ子が、そう耳慣れない言葉を口走った瞬間、彼女の白銀の髪がうっすらとだけど、青く輝いた気がした。対するアクロバティックサラサラは、先ほどとは違い、アイ子のパワーを警戒しているのか、ムチのようにしならせた長いリーチで遠くから私を切り裂きに来る。それを何とかいなしながら、アイ子の言葉がついえることなく漏れいでる。それはまるで、霊を下したイタコか何かのようだった。
「応えて。アカシックレコード。『アクロバティックサラサラとは――』
『アクロバティックサラサラ』という言葉は、具体的な意味や定義として一般的に使われるものではなく、特定の文脈や造語として使われている可能性があります。このような言葉は、日常的な日本語の中にはないため、考えられる解釈としては、以下のようなニュアンスが含まれているかもしれません。アクロバティック:運動的でダイナミックな、身体の柔軟さや巧妙な動きを伴う様子。サラサラ:軽く滑らかで、重くない、風通しのよい、または触り心地がよい状態。したがって、『アクロバティックサラサラ』という言葉が、何か動きや表現、質感に関連することを形容している可能性があります。例えば、軽やかで流れるような動きをしながらも、複雑でダイナミックなアクロバティックな動きのようなイメージが考えられます。この表現がどのような文脈で使われているか、または特定のコンテンツやキャッチフレーズなのかにより、さらに詳細な意味がわかるかもしれません」
「アイ子! こんなときに一体何を??!!」
アイ子は私の言葉には答えない。それは、機械のバグのようでもあり、呪文の詠唱のようであり、何者かとの対話のようでもあり、一つの儀式のようでもあった。
ムチのように振るわれるアクロバティックサラサラの腕の流れ弾は、その場にいた通行人の数人の首を飛ばし、体を割き、辺りに血が飛び散って数名が叫び声をあげるけれど、あらぬ方向に逃げ出したりしてアクロバティックサラサラの爪の餌食になっている。明らかに凶暴でどでかい行動のおかしい女が目の前にいるのに、なんだかみんなおかしくないか。構わずアイ子は続けた。
「『違います。実話怪談のアクロバティックサラサラのことです』
『アクロバティックサラサラ』は、実話怪談の一部として使われる特定の言葉です。実話怪談の中で語られるエピソードや出来事に対してユニークな名前がつけられることがあります。この場合、『アクロバティックサラサラ』は、何か不気味で奇妙な出来事、特に幽霊や怪異に関する話のタイトルや説明として使われているのではないでしょうか。この『サラサラ』は髪の毛や動きに関連する音や質感を表現しているかもしれませんし、『アクロバティック』は普通ではない、奇妙で複雑な動きや状況を示唆しているかもしれません。怪談の具体的なエピソードを知っていると、より詳しく解釈できるかもしれませんが、そうした言葉は怪談特有の雰囲気や恐怖を演出するためのユニークな表現として使われることが多いです』
『ものすごい長身で赤い服を着て、ビルの上から飛び掛かって来ては人を襲うアクロバティックサラサラと言う怪異についての詳細を』
『アクロバティックサラサラ』は、非常に恐ろしい特徴を持つ怪異です。ものすごい長身で赤い服を着た姿は、視覚的にも印象的で不気味さを強調しています。この怪異がビルの上から飛び掛かって来て人を襲うという行動は、異常な身体能力やスピード、そして強烈な威圧感を伴っており、『アクロバティック』という表現がぴったりです。こうした怪異は、目撃者の証言や実際の事件と結びついて伝承されることが多く、通常の人間の行動をはるかに超えた『超自然的』な存在として語られます。『サラサラ』という言葉は、彼女の髪の質感や動きの軽やかさを指しているのかもしれません。こうした特徴が怪異をさらに異質で現実離れしたものとして印象づけています』
『では、応えて。アカシックレコード。そのアクロバティックサラサラの『本質』は?』
『アクロバティックサラサラ』の本質を考えると、怪異としての特徴が象徴するいくつかの要素が浮かび上がります。
一、異形の象徴
『アクロバティックサラサラ』は『ものすごい長身で赤い服を着た存在』として描かれており、その異常な身体的特徴が恐怖の源となっています。異常に高い身体や赤い衣装は、非日常性や異世界感を強調し、人間の視覚的な恐怖を引き起こします。怪異の存在が人間の理解を超えたものとして表現され、日常世界の安定を脅かす存在として機能していると言えます。
二、 不安定な動きと予測不能性
『ビルの上から飛び掛かる』という行動は、現実的には不可能な身体能力を持ち、普通の論理では説明できない不安定さを持っています。これは人間の予測能力を無効化し、何が起こるかわからない不確実性を増幅させます。この『アクロバティック』な動きは、人間が制御できない力としての怪異を象徴し、その圧倒的な力に対する恐怖を煽ります。
三、 視覚的な恐怖の象徴
赤い服という視覚的特徴も重要です。赤色はしばしば危険や警告、さらには死や血を連想させます。この色が怪異にまとわりつくことで、視覚的なインパクトがさらに強まり、目撃者に対する恐怖の感情がより強烈なものとなります。視覚的な記憶が恐怖のトラウマとして残ることが多いため、この鮮やかな赤は、怪異としてのインパクトを強化しています。
四、髪の『サラサラ』の象徴
『サラサラ』という音や質感が何を象徴しているかは、一見つかみにくいかもしれませんが、軽やかな音や触感のような特徴は、通常の恐怖とは対照的な柔らかさを持ちながらも、怪異に対する違和感を強調しています。この微細な部分が逆に不気味さを増幅させ、『この怪異はただの恐怖だけでなく、何かより深いものを象徴している』という感覚を持たせるのです。
五、人間心理の投影
最後に、こうした怪異の本質は、人間の深層心理に潜む不安や恐怖、特に予測不能な存在に対する恐怖を体現している可能性があります。現実世界の問題や不安(社会的な不安、未来への不安など)が、怪異の形を取って具現化しているのかもしれません。『アクロバティックサラサラ』の姿は、人間が理解できない恐怖や危険が、具体的な姿を持って現れた象徴と見ることができます。
要するに、『アクロバティックサラサラ』の本質は、人間が理解できない異常性や恐怖の象徴であり、その奇妙な動きやビジュアルを通じて、不安や恐れを具現化した存在と解釈できます」
多分、アクロバティックサラサラの攻撃をいなしていたのはこのための時間稼ぎだ。
アイ子はまるで目に見えない何かと対話し、アクロバティックサラサラの本質を理解しようとしていた。まるでそれさえわかれば退治はたやすいとでも言うように。
「ナルホド。理解しました。ではイキマス!」
そしてアイ子は、とどめと言わんばかりにアクロバティックサラサラのムチのようにしなる腕をガードしつつ掴み取った。きっとトドメを差すには、物理的接触が必要なのだろう。アイ子の髪が青色の発光の度合いを上げ、アクロバティックサラサラを掴む右手が青い炎の光を放って燃え上って、そして。
『『
アイ子の青色の発光は、その言葉とともにふっと消え去ると、アクロバティックサラサラが同じ色の光に包まれ激しく輝いた。アクロバティックサラサラが苦悶の声を上げる。まるで、青い炎が怪異を焼いているようだった。これがアクロバティックサラサラの最後、と思ったそのとき、強い衝撃と共に、私の視界がぐにゃりと歪んだ。
ばりいいいいいいいいんんん。
という、大きな破砕音と共に、さらに何かに衝突する感覚。だけど、何か柔らかなものがクッションになったような感触。見れば向こうには青い炎なんて消し去ってしまった、先ほどまでとは寸分違わぬアクロバティックサラサラがいて、その鋭い蹴りが私を通り沿いの店のガラスを突き破って、カウンターまで蹴り飛ばしたのだと知った。でも、骨は折れていないようだし、ケガもない。どうしてだろうと思って見ると、その鋭い蹴りから私を守り、吹き飛ばされた後のクッションになったのは、他でもないアイ子なのだと知った。アイ子は私を守ってくれたのだ。
「アイ子!」
呼びかけるけど、返事はない。気を失ってしまったから? あるいは内部が破壊されたかどちらかだ。私はアイ子を守るように後ろにかばい、アクロバティックサラサラを見る。赤い服を着た、サラサラの髪の、異常な長身の女。両腕には幾多のひどいリスカ跡。そしてその双眸が、眼孔にぽっかりと開いた漆黒の穴が、見下ろすように、私を――見る。
その瞳が、なんだか悲しくて――
刹那、激しい衝突音と共に、アクロバティックサラサラにトラックが突っ込んだ。跳ね飛ばされたアクロバティックサラサラは、西武新宿駅の壁にぶつかって破って跳ね上がると、そのまま放物線を描くように西部新宿駅を超えて、丁度走って来ていた山の手の電車に跳ね飛ばされた――音がした。あっけにとられる私の前に、一台の黒塗りのセダンが止まる。そのセダンからは、漆黒のスーツに身を包んだサングラスの痩身の男が下りてくる。さながらメン・イン・ブラックだった。
「大丈夫。私はキミたちの味方だ。ここを離れよう。あれはどこまでも追いかけてくるぞ」
そういって、動かないアイ子を担ぎ上げ、私をセダンに押し込んだのだった。
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