第4話 私にそんなこと言われても

いきなり腕を外したアイ子に、私は半分パニックに陥ってしまった。いやあ、現代日本で、そんなSFチックなことがいきなり起きるわけないですよ。なんかの手品じゃないの? 頭の中で納得させようとしたけどやっぱり無理で、目を白黒させたり震えながら取れた手を指さす私に対して、霧香さんはもう無理だろうと言ったふうに首を振った。


『今日はここまでだな。もう帰んな。詳しい話はまた後日にさせてもらう』



そういって連絡先だけ交換して、私は北新宿の洋館を後にした。北新宿の洋館とか、シティハンターの世界みたいだなと思った。送っていくか? と霧香さんは気を利かせてくれたけれど、すぐそこですので、と言って私は断った。霧香さんに気を遣って断ったわけでもなんでもなくて、ほんとに家が近いから歩いて帰ることにしただけだった。今は頭を冷やすために、夜風にでも当たってみたかった。


私は新宿の中でも割と薄暗い北新宿方面から新宿駅の方に戻り、京王新宿駅の脇を抜けて、線路沿いの家路を歩いている。夜更けと言っても終電前のため、ガタンガタン、と電車が動いていた。通り抜けていくヘッドライトと街明かりに照らされて、私は今日の出来事を思い出してみる。


なんだっけ……? 大学の先輩たちに連れられて、そう、大学の廃校舎の七不思議を探索しに行って? それで、あるはずのない十三段目の階段を踏んで、あるはずのない次の階があって? そこには赤と黒の魔王城みたいな部屋があって? そこで真っ白なドレスに身を包んだ白雪姫を見つけた。

その後、金髪ロリの大学教員に捕まって、北新宿の公園の近くの洋館に連れて行かれた。そこで、廃校舎の白雪姫は、ロボでAIなのだという。


なんだその漫画みたいな超展開は、と思った。今日の事は全部夢でした。朝起きればなかったことになってます。はいはい。全部忘れましょう。と、心の中でひと心地ついたのに――。


「お姉さま。ドウシテ浮かない顔をしているのですカ?」


隣を歩く、へそ出しのタンクトップにジャケットを羽織って、ダメージジーンズにスニーカーという、このあたりで最近はやりのファッションではあるけれど、彼女が着るとほんとに芸能人か何かに見える。女の私でも見惚れてしまいそうだった。


そうじゃなくて。


私は二、三度首を振って正気に戻ろうとした。今私が現実に疲れ切っているのは目の前の彼女が原因なのだ。その大本に見惚れてどうするっていうのか。


「や、夢ではなさそうなんだなって思って……」


眉間の辺りを軽く押さえながら、私は言った。


「え、お姉さまとの感動的な目覚めのキスですカ? もちろん嘘ではないですヨ?」

「あーはいはいそんなこともありましたね! 忘れようとしてたところを思い出しましたわ! ちがくてそうじゃなくて! 私が言いたいのはよくわかんないロボでAIが実際に存在していて、しかも私の家に泊まりに来ようとしているってこと!」


何でもアイ子は霧香さんの研究の師匠筋にあたる人である、「アラヤ博士」と言っていたっけか? が開発したAIなのだそうだ。だから、私は当然霧香さんの家にアイ子を置いて来ようとした。だけどアイ子は全力で嫌がって、私の家に一緒に住めないなら洋館を破壊するとまで言い出したのだ。そんなこと言われても。私は友達の一人も一度も家に上げたことがないって言うのに。ああでもボディはロボだし思考はAIだし機械と同じか。でも彼女を見ているとAIと人間のどこが違うんだろうって思えてくる。チューリングテストみたいだな、ふと思った。昔々、アラン・チューリングという人が考案した「機械が「人間的」であるか」を判別するためのテストのこと。従前、機械が思考できるかという事を証明するためには、「機械」と「知性」の定義を明確化する必要があった。


けれどチューリングは、「機械は思考できるか」という問題を「機械は我々が(考える存在として)できることをできるか」という意味に置き換えることにより、「人間の、物理的な能力と知的な能力の間の、公平で厳しい境界線」を引くことを可能としたのだった。ここで、チューリングは以下のようなゲームの提案をした。


チェスでなかなかいい試合をするペーパー・マシーンを作るとする。実験の被験者としてA、B、Cの三人を用意し、AとCはチェスがあまり上手くない。Bはペーパー・マシーンのオペレーターであり、その手を伝えるための仕掛けを施した二つの部屋を使う。そしてC対AもしくはC対ペーパー・マシーンでゲームを行うと。Cは自分の相手がどちらなのか、なかなか分からないかもしれない。 というものだ。


少なくとも、私は「アイ子」という自称AIと会話する限りでは、チューリングテストのCのように、彼女がAIなのかどうなのか判断がつかないでいる。あるいは、本当に彼女はAIなのだろうか。例えば、ボディはロボットでも人間の脳によって動いていう、ということもあり得るかもしれない。一方で、霧香さんは、十三段目の階段には人払いをかけていた、と言っていた。あれがもし、機械やAIとは違う霊的な意味を指し示すのであれば、こんな人間と見紛うAIがいるような世の中だ。もしかすると、目の前にいるのはAIでも何でもなくて、あるいは物の怪の類なのかもしれないと思った。


「ワタシは、お姉さまと少したりとも離れるのは嫌デス」


機械にしては芸細に、おねだりをするように瞳を潤ませながらアイ子は言った。今にも泣きべそをかきそうな表情だった。チューリング・テストの事なんて考え事をしていた私は、なんだかちょっと申し訳ない気持ちになって、いやこれが機械に騙されているということかもしれない、と思い直し、気を取り直して夜の空を見上げた、そのときであった。


私が見上げた先には、京王線沿線に聳え立つ、虹色にライトアップされたガラの悪い建物――歌舞伎町タワーがあった。その刺々しい見た目のタワーの頂上に立つ、一つの人影があったのである。その人影を人影と認識したのには、ひとえに、真っ赤な服を着ている、という認識を私の脳が持ったからであった。夜に生える赤いワンピース。赤い帽子。それに……あれ? 二二五メートルの高層ビルの上という、遠くにいるから明確には分からないけれど、なんだかあの女、大きくないか? 身長二メートルくらいはありそうな気がするけど? そう彼女を認識したとき、私の意識は彼女に吸い寄せられ、そしてこの遠距離で合うはずもない視線が――彼女と合ってしまったのである。距離を超越した視線の交錯の先にあったもの。そこにるはずのそれは存在しなかった。彼女の眼孔の中には眼球なんてなくて、ブラックホールみたいに漆黒に満ちている。だけど、彼女は恍惚とした表情で、にやりと笑った。


とっさに、やばい、と思って目を反らし、瞬きをしてもう一度彼女の姿が幻覚ではなかったかどうかを確かめる。幻覚ならどれだけよかったか。けれど、いる。彼女は歌舞伎町タワーの上に確かにいて、そして私を認めると、怒ったような表情をして、そしてそのまま、こちらへ飛び降りる――。


「あ、危ない!」

「? 何ですカ? お姉さま??」


二二五メートルの高さからの自由落下の地表までの到達時間は約六・七七秒。その間も、彼女は私を凝視し続け、そして、たまたま歌舞伎町タワーの隣に止まっていたベンツに着地!!


がしゃああんん、という破裂音と共に、車のパーツが散り散りになる中、赤い服の女――二メートル近くはあるだろうか。は、私を見ていた。私だけを見ていた。そして彼女を目の前にしてやっと、彼女の流れるような美しい黒髪と、そして腕に刻まれた無数のリストカット跡が目に入った。私のオカルト知識の上で、彼女ような存在は、出現する場所さえ無視すればこう称するのが一般的だ。



アクロバティックサラサラ。



思考を回している暇はなかった。彼女は圧倒的身体能力を持って、自由落下の着地後のエネルギーを推進エネルギーに変え、一目散に私めがけて飛び掛かってきたのであった。え? なんで私? どうして私? 他にも人はいくらでもいるでしょうにっておもったけど後の祭りだ。もし、彼女が現代の実話怪談の中で語られる「あれ」だとするならば、私はもうこの数秒後には死んでいるはずだろうから――


と、覚悟を決めた直後、なんだかその時が来るのが遅いなあ、と思って目を上げてみると、赤い服の女と真っ向から掴みかかる白髪の今風コーデのこちらも長身のアイ子がいた。私と彼女の間に、割って入ってくれたのかもしれなかった。ただ。凶暴性に関しては赤い服の女が本当にとんでもないくらい上である。


「お姉さま! 何ですカ? この凶暴な怪人は……!」


ああ、たぶん、私はその怪異を知っている。ビルの屋上に立ち、長身、赤い服、赤い帽子に透き通る肌。眼孔には闇をたたえて。腕にひどいリスカ跡……。


知り合いとかじゃないけどさ。たぶん、その怪異は知っているよ。


「たぶん、そいつはアクサラ……最近発生した新しい実話怪談。アクロバティック・サラサラだ! 東京にはいないはずなのに、どうして……!」


組み合ったままの状態で、アクサラの放った蹴りを手で捌きつつバックステップでアイ子はかわした。アクロバティックサラサラはアイ子よりもかなりでかい。もしかするとそれは、戦闘力の差に直結する――?


だって言うのにアイ子は自信満々に啖呵を切って見せた。


「なるほど。お姉さまを狙う。悪の怪人。恋敵――デスカ」


いや、それはちょっと違うと思うけど。


「アクロバティックサラサラ。あなたが何者であろうとも、お姉さまは渡しまセン。お姉さまは、私のデス。いまからそれを思い知らせてあげましょう……」

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