愛に理由などありましょうか(いや、ない)


「あたしのこと、妃にしたいだなんて嘘ばっかり。本当はペットにしたかったんでしょ? 寿命で死んでしまったカワウソの代わりに、モフモフしようとしてただけなんでしょ!」


「違う!」


 エリオットは叫んだ。


「コツメカワウソの毛は、そんなにモフモフできない! なぜなら水棲の動物だからだ! 確かに乾いている状態ならば空気をため込む構造になっていて平方インチあたり100万本もの毛が生えておりかつ二重構造のため綿毛のようなモフモフがビッシリでフワッフワで最高だが、うちではプールで過ごしてもらっていたから大体いつもびっちょびちょで、モフれる機会はごくわずかだった! それになにより君には毛が生えてない」

「前半の長文要らなかったわよね!? やっぱりカワウソが大好きなんじゃないの。あたしよりカワウソと暮らしたいんでしょ!?」

「違う! こっつんは、こっつんはコツメカワウソだ! 一般的にカワウソと言われる動物は何種類も居て、たとえばオオカワウソとコツメカワウソだと全然別の生き物になる。コツメカワウソは体長50cm前後で人間の新生児程度だが、オオカワウソはその名の通りカワウソの仲間では最も大きな種で体長140㎝、体重は30kgを超えるものもいてちょっとしたわんぱくガキ大将くらいに大きい! そのぶん気性も荒く大食漢で、魚だけでなく獣を襲って食べることもある。なんと小型のワニを捕食した事例もあるんだ、顔立ちだってハッキリ言って可愛くない! 私が愛したこっつんはコツメカワウソだ! オオカワウソのことは、むしろ怖いとしか思っていないんだ!」

「カワウソ属の話を掘り下げなくていいのよ!!」


 あたしは絶叫した。


「肝心なのは、あたしがとんでもない勘違い女だったって言うこと! あんたがあたしのことを可愛いっていうのは、人間として、女としてじゃなくて、動物として見てたっていうことっ! ああもう本当に恥ずかしい、バカみたい。今すぐ消えてなくなりたいわ……!」


 あたしは叫ぶだけ叫ぶと、ふっと力が抜けてしまった。崩れ落ちるように膝をつく。


「……自分が美人じゃないなんて、分かってた。今まで地味顔だとか、花がないとかブスだとか……顔も胸も平らだとか散々言われてきたもの。でも、今になって思えばそれだってちゃんと人間扱いされてる。あたしは……コツメカワウソなんかじゃない……あたしの主食は麦……魚は、どちらかというと嫌いだもの……」

「ジーナ……。コツメカワウソは魚だけじゃなく、植物も食べるぞ」

「だからコツメカワウソの生態を掘り下げなくてもいいって言ってるでしょうが!!」


 ああ駄目だ、もう叫びすぎて、頭がくらくらしてきた。


 あたしは床に座り込んだまま、自力では建てなくなってしまった。へたりこんでいたのを、エリオットに抱き起こされる。彼に抱きしめられて、あたしは泣いた。エリオットに失望し、その慰めにエリオットの胸を借りて、わーわー泣いた。


 エリオットはあたしの頭を優しく撫で、背中を叩いて、ゆっくりと慰めてくれていた。


 ひとしきり泣いて、泣いて……ずいぶん時間が経ってから。エリオットは、あたしに囁いた。


「ジーナ、君に見せたいものがある」

「……何。こっつんの別アングルとかなら要らないわよ。鏡をみればいいんだから」

「違う。とにかく来てくれ」


 エリオットはあたしの手を引いて歩き出した。あたしはすすり泣きながら、エリオットの手を引かれるまま廊下を進んで行った。

 途中、隣国の姫君とすれ違った。彼女は「何よぉ」と頬を膨らませていたが、あたしもエリオットも彼女の方を見なかった。広い王宮の廊下を進み、階段を上り最奥へと進んでいく。


 エリオット王太子の私室は、王宮の奥まったところにあった。立派な扉と大きな部屋。もちろん、普通の民間人が入れるような場所ではない。そんなところにエリオットは手をつないで、あたしを連れ込んで行った。


「ジーナ、着いたよ。私の部屋だ。目を開けて」

「うん……っと。何?」


 あたしは涙でびしょびしょになった目をぱちぱちとさせながら、なんとか開けた。分かりやすく、『王子様の部屋』だった。豪華な調度品、広い部屋、よく片付いていて美しく整った家具。特に変わったところはないと思うけど、あたしをこの部屋に連れてきて、見せたいものとは一体……?


「これを見てくれ」


 エリオットはデスクの引き出しを開け、そこから何か取り出した。それは小さな肖像画で――あたしは息を呑んだ。描かれていたのは5歳くらいのエリオット――と、丸い顔につぶらな目をした、ふっくら可愛いネズミ類!


「ハツカネズミのつかやんだ」


 ……ハツカネズミのつかやん。

 また名前のことが気になったけど、とりあえず何も言わないでおく。


「こっつんより前に飼っていて、やはり寿命で亡くなってしまったが、心から愛していた。彼だけじゃない、他にもいる」


 そう言ってエリオットは次々とデスクから小さな肖像画やロケットを取り出していった。コツメカワウソも入っていたが、他にもネズミ、イタチ、フェレット、ビーバー、ヌートリア……だいたいそういう系統の顔の動物たちがズラリと大集合している……!!


「あ、あの……これは……?」


「これでわかってもらえただろうか。私が君をこっつんの身代わりになどしていないということが」


 えっと……つまり、その……どういうことだ?


「順番が逆なのだよ。私はかつて愛したペットの顔を好きになったのではない。もともとこういう顔が好きなんだ。可愛くて愛おしい。だから、そういう生き物を愛でた」


 ……えっと……。


「でも――その、結局のところ、あたしも動物と同一視されていたということになるのでは?」

「なぜそうなる?」


 エリオットは本気で、意味が分からないという顔をした。


「何度も言っているだろう、最初から君は私の理想の顔をしている。最高に可愛いと思う顔だから、ペットを選ぶ時にもそうなるし、女性を選んでもそうなる。君のことはきちんと人間に見えている――だから、あえていうなら、人間以外の動物も人間と同一視しているということになる……かもしれん。そんな感じはしないのだが」

「というか、それはそれで酷い、変態ですね」

「……。否定したいが、君を動物扱いしていると誤解されるくらいなら、獣姦嗜好があると思われた方がマシだな」


 マシなのか? それでいいのか王太子っ!?


 ……しかし……あたしは王子の言葉で少しずつ、考え方を改め始めていた。


 確かに……好きな動物と恋人に共通点があったからって、同一視していると考えるのは、ずいぶんと乱暴な偏見だった。

 エリオットの他にもそういう人は普通にいるだろう。猫が好きで、猫のような目をした女の子を可愛く思い、そして結婚までした男を知っている。その男の、妻への愛はニセモノだったのだろうか。妻は不幸になっただろうか。

 涙がひいてくると同時に、あたしは冷静になっていく。そう――冷静になれば、分かること。

 何であたし、こんなに大騒ぎをしてしまったのだろう……。


「…………そう、ですよね……。なんか、ごめんなさい……」


 まだ残っていた涙を雑に拭って――あたしは今更ながら、ぼんっと赤面した。


 あ、あたし……何を泣いてるの!? 大体なんでこんなに混乱した!?


 エリオット王子が、あたしのこと好き好き言うのは嘘だった――だからどうしたというのだ。初めから信じていなかったじゃないか。仮に真実だとしてもどうでもいいって言ってたじゃないか。

 それをこんなに泣いて喚いて、馬鹿丸出しにして、なんだこれ?

 これじゃあまるで、エリオットに愛されてなかったことがショックみたいな。

 あたしのほうが、もう大好きになってしまってるみたいな。

 まるでそんなことになっちゃってるみたいじゃないか!


「う、うああああうぅぅ」


 あたしは顔面を覆って呻いた。それを何か、誤解したのだろうか。エリオットは表情を曇らせ、あたしを慰めるように撫でてきた。


「……あなたが、我ら王侯貴族の者たちと自身とを比べ、容姿が劣っていると感じていたのは知っている。だが私にはそれが不可解だ。私は、心が良ければ容姿が悪くても気にしない、ではなく、あなたの容姿が優れていると思っている。可愛くて、抱きしめたくて、妻にしたくて仕方がない。ただただそういう気持ちでしかないのだ」


 親指の先があたしの頬をなぞる。あたしの顔の造作、一つ一つを慈しむように。


「多くの人間は、私の姿を見て麗しいと褒めてくれる。それに対し、異論を唱える者はいない。……私は私が好ましく思ったものを好きだと言っている。どうしてそれを、他人に否定されなくてはいけないのだろう。愛おしく思う、あなた自身からでさえも」


 エリオットの体温が、あたしの冷えた頬を温める。


 そう……結局のところ、あたしは自信がなかったのだ。

 あたしには地味な顔にコンプレックスなんかない、エリオットとはどうせ身分の垣根がある――ずっとそんな風に思っていたのは、自分に言い聞かせていただけだった。

 あたしは信じられなかったんだ、王子様が自分のことを好きになってくれるということ。

 信じさえすれば、すんなりと受け入れられた。とても素直に、彼の思いと、あたし自身の思いを。


 そしてあたしの瞳をじっと見つめて、エリオットは囁いた。



「私が、ジーナの好きなところ、可愛いと思う箇所を並べ上げるのはとても簡単だ。だけどなぜそれを好ましく思うのか、説明を求められたら困ってしまう」

「……はい。ごめんなさい……」

「一目見て好きになった。それでは足りないか?」


 あたしは首を振った。

 十分です。あなたの言葉が真実ならば、ただそれだけで十分です。


「ジーナの姿を見かけると、近づきたくなる。近づくと触れたくなる。その衝動に理由は必要か」


 要りません。あたしも、そんな理由(もの)は持っていないから。

 エリオットの指があたしの唇に触れた。理由は分からないけれど、あたしはそれで、目を閉じた。


「……ジーナに口付けがしたい。あなたが目を閉じてくれている。それ以外に何か、必要なものがあるだろうか」


 あたしは一度首を振り、それからひとつだけ、贅沢を言った。


「もう一度、好きって言って……」

「大好きだ」


 一瞬の間すら置かずに彼は言い、呼吸する隙も無くキスをした。

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