愛すべき理由②


「ジーナが来てるだって?どうして、それを早く言わない!」


 壁一枚を隔てた向こうで、エリオットの声がする。あたしは貴賓室一人、じっと座っていた。しばらくするとドタドタという足音が近づいてきて、直後に扉が開かれた。あたしの顔を見るなりエリオットは顔をほころばせる。


「ジーナ、遊びに来てくれたんだね。嬉しいよ」


 満面の笑顔で言うエリオットの後ろには、隣国の姫君が立っていた。

 間近で見ると、ますます美しい。エリオットの陰に隠れるようにして、あたしのことを上から下までじろじろと見ている。エリオットが部屋に入ってくると、ちゃっかり自分もすぐ後ろについてきていた。あたしが何も返事をしないでいると、エリオットは首を傾げた。


「ジーナ、どうかしたのか。長旅で疲れが出たのか」

「ねえ、エリオット様。この方、わたくしにもご紹介してくださる?」


 後ろで姫君が声をかけた。


「もしかして婚約者のアステリア様かしら。公爵令嬢の……」

「いや、彼女はアステリアではなく……というか、アステリアとの婚約は破棄したのです。あれ、言ってなかったっけ?」

「ああ、そう言えばそうおうかがいしておりましたわね。では、こちらはどういったご関係で」


 麗しい微笑みを浮かべた、姫君の目元が笑っていない。

 ……この女……あたしの格好を見て、爵位がつくような令嬢なんかではないことを理解しているな?

 エリオットは彼女の悪意のある姿勢に全く気づかなかったらしい。ニコニコとあたしの前で手を広げて紹介する。


「ジーナ・モビールさん。さっき話をしたでしょう? 最近、文通を始めた木綿問屋の娘。最近は返事をもらえるようになったのだが、いつも楽しい話を書いてくれるのです。私の、このところの楽しみがジーナとのやりとりなのだと」

「ああ、あの。ペンフレンドの村娘」


 姫君はそう言って腰をかがめた。


「初めまして、ペンフレンドの村娘さん。わたくしはリーゼロッテ・テラ・ミス・エリンティア・サンタマリア・ゴート。プリンセス・リリィと呼ばれることもありましてよ」

「ジーナです。どうも、お構いなく。あたしもう帰りますので」


 あたしはそれだけ言い捨てて立ち上がった。

 廊下に飛び出すと、すぐのところでエリオットが追いかけてくる。


「待ってくれ、ジーナ。せっかく来てくれたのに、なんでそんなに早く帰ってしまうんだ?」

「だって、あなたはあのお姫様と楽しく過ごしている最中でしょ?」

「楽しくって……。でも、もうじき夕食時だから姫は客室の方へお帰りいただくよ。ジーナは私と一緒に食事をしよう」


 あたしは何も言わずにエリオットの手を振り払った。あたしが塩対応するのはいつものことだけど、何か違う雰囲気を感じ取ったらしい。エリオットは凛々しい眉を寄せて真剣な顔であたしの肩を強く掴んだ。


「ジーナ、どうした?」

「どうしたもこうしたも……無いって」


 あたしは苦い顔で吐き捨てた。エリオットは不安そうな顔になる。


「でもジーナ、何か怒ってる?」

「怒ってなんかいないわ。ただ呆れてるだけよ、自分のバカさ加減に!」


 そう口にして、あたしは初めて自分の気持ちを自覚した。そう――あたしは呆れたのだ。エリオットにではなく、自分自身に。


 さんざん「好きだ」とか「顔が好みだ」とか言われて、花祭りで花束をもらって一緒に踊って、身分差とか結婚とかは難しくても、少なくともエリオットからの気持ちは本物だって、あたしは王子様に好かれてるって、そんな風にちょっと調子に乗ってた。嬉しいとか思ってしまってた。バカだ。


 呆れて笑ったつもりだったのに、なぜかじわっと目から涙がこぼれだした。慌てて拭ったけれど、エリオットには目撃されてしまったらしい。彼は真剣な顔であたしの両肩を掴んで、顔を覗き込んだ。


「何があった?教えてくれ」

「何も。ただ思い知ったの。あなたがあたしの顔が好きだっていう、その理由……」

「ジーナの顔が好きな理由……?」

「そう。はじめはね、あなたのお母さんがあたしに似てるんじゃないかって、そんな風にも思った。それを確認したら、このマザコンやろうってひっぱたいてやろうかと思ってたけど、あれと比べればマザコンの方がどれだけマシだったか」

「あれって?」


 あくまでとぼけるエリオット。あたしはきっと強い視線で王子を見上げた。


「もう分かってるのよ、あたし。あなたはあたしの顔を見て、あれに似てると思ってたのね。ずっとあたしのこと、あれっぽいって思ってたんだ」

「だからあれって何……」


 エリオットは困惑しながらも、なにか悟ったらしい。ハッと目を見開くと、アタシの顔を覗き込み、強い口調で問い詰めてきた。


「もしかしてジーナ、肖像画を見たのか?……幼い頃の私が、コツメカワウソのこっつんを愛でているところを!」


 あたしは無言で頷いた。その子の名前までは知らなかったけどね。


 ていうかなんだよ、コツメカワウソのこっつんって、ネーミングセンス最悪だな。名付け親は反省しろ。変な名前つけられた子の生涯を慮れ。っていうか今すぐ自分も同じ名前に改名して最低3年名乗り続けろ。それで生きづらくなかった場合に限り、人に名付けてオーケーという法律を作るべき。


 そう――ジュリアンに案内されて行った倉庫の肖像画には、10歳ぐらいのエリオットと、ペットが写っていた。エリオットがカワウソと言ったから、カワウソという動物なのだろう。初めて見る動物だった。

 可愛いか否かで言えば、客観的に、可愛い生き物だった。

 つるんと丸い顔に黒目がちのつぶらな瞳、小さくて低い鼻と、そのすぐ下にある小さな口。ふくらみもへこみも無いのっぺりとした胴体……。ジュリアンは何も言わなかったけれども、あたし自身が一目で理解してしまった。

 そしてあたしは今、みっともないくらいに泣いている。


「あたしはカワウソの代わりだったのね!」


 あたしは叫んだ。自分の言葉に自分自身がショックを受けて、涙がボロボロと溢れ出す。あたしは顔を覆ってわーっと泣き出した。

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