しょうがないなあ、もう……。

 閑話休題。とりあえず服を着替え(ボタンがいくつか弾け飛んでいた)、髪を整え、気持ちを落ち着けたジュリアン。片膝をついた彼の前で、エリオットは仁王立ちになっていた。あたしは少し離れたところで椅子に座らされ、状況を見守っている。


 エリオットは見たことのない厳しい声で弟を追及していた。


「お前がジーナとの結婚に反対していることも、その理由も理解はしている」

「…………はい」

「だが、いくらなんでもやりすぎだ」

「……申し訳ございませんでした。兄上」


 ジュリアンは素直に謝った。しかし、エリオットはなおも顔を険しくする。


「私に謝ってどうする。謝罪するべきはジーナだろう」


 ジュリアンはこれには何も答えず、エリオットもこれ以上何も追求しなかった。ただ無言のままずっとジュリアンの言葉が続くのを待っている。この兄は激怒してはいるが、弟への情を失ったわけではない。根気強く弟の言い分を聞き出そうとしているのだ。できれば彼と和解をするために。


 窒息するほど長い時間、息苦しい時が流れて、ジュリアンはポツリポツリとつぶやき始めた。


「……兄上は、いずれ王となる人間です。強く賢く、勤勉で、誰よりも国民のことを思い、この国の繁栄を願い、努力をしてこられました。……僕は、それをずっと見てきました。誰よりもあなたに王になって欲しいと願いながら、ずっと、誰よりもそばで……」


 エリオットの表情が苦々しいものになる。

 ジュリアンは俯いたまま、独り言のように話す。


「……歴史上、悪妻を迎えたために失墜した王は、枚挙に暇がありません。妃選びは兄上にとって最も大きな選択と言えます。それを……どこの羊の毛だかわからない綿毛女と結婚だなんて。僕はどうしても、許せなかった……」


 なんだよ綿毛女って、今生まれて初めて言われたわよ。悪口なのかどうかもよくわかんないし。なんかふわふわしてて可愛らしい感じで、綿毛女、ちょっと気に入っちゃったじゃないのよ。


「どうか……どうか目を覚ましてください兄上! ご自身にふさわしい女性を妃に。兄上に憧れている姫君は世界中にいるのです。どうか」


 ジュリアンの目に涙がにじみ、ぽたりと音を立て床を濡らしていた。弟の涙の懇願にエリオットも少し毒気を抜かれたらしい。凛々しい眉を垂らし、困ったように頭をかいた。大きくため息をついて、弟の前にしゃがみ込む。


「……おまえの気持ちはよく分かった」


 優しい声でそう語りかけた。


「私は、ジーナが王妃にふさわしくないとは思わないが……おまえと同じように考えている人間は、たくさんいるのだろう。私はお前たちを説得できるだけのことをしなくてはいけないな」


「兄上、それは……ジーナとの結婚はやはり諦めないと? それほどにこの女が良いということなんですか?」


 こっくりと静かに頷くエリオット。


「私の運命の伴侶はジーナしかいない」


 あたしはそうは思ってないけどね。

 今そういうことを言う雰囲気じゃないので黙っておいた。


「それに、私は正直言って王座にも固執していない。たまたま長男に生まれ、周りが期待しているからできるだけそうであろうとしているだけだ。もしも他に、私よりも王たりえる人物がいたならば、私は喜んで玉座を譲るつもりでいる」


 ジュリアンは顔色を変えて立ち上がった。


「玉座を譲る? なんてバカなことを! 兄上、冗談でも口にしてはなりませんよ!」

「冗談ではない。実際、もし私が死んだらおまえにその座が回ってくるんだ。父もそのつもりでおまえに帝王学を仕込んでいるし、私もおまえになら王位を渡して問題ないと思う。おまえが王、私がただの王族であればジーナとも結婚しやすくなるな。妃に求められる条件がずいぶんと緩むから……」


 そう口にしてからエリオットは再びポンと手を打った。


「……ん。いいかも、それ。万事解決するじゃないか。本当にそうしようかな」

「兄上!」


 ジュリアンはこれ以上ない大きな声で絶叫した。


 ジュリアン……やっぱりあたしどちらかというとあんたの味方だわ……。


 ジュリアンが国王として及第点なのかどうかよく知らないけれど、それをさておいてもエリオットの方が優れているというのは見てわかる。何せ、この男には華があった。おそらくボロを着ようとも失われることがないだろう。これをカリスマ性というのか、あるいは国王の風格というのか。


 類まれな長身に鍛え上げられた体、凛々しい眉、理知的な眼差し、立ち居振る舞い。一挙手一投足に人の目を惹き付ける力がある。

 何よりこの男の顔面は、すこぶる麗しかった。形のいい唇から漏れる声は低いのに透き通っていて、誰もが聞きほれるほどに美しい。彼が国王になれば、民は皆目を凝らして耳をすませ、彼の一言一句を聞き逃すまいとするだろう。


 そんな彼を前にすると、確かにジュリアンは頼りないほどに貧弱に見えた。そしてジュリアンはそれを自覚している。だが彼は、妬んではいないのだ。ただ自分より優れた者、圧倒的に美しい人間をひたすらに憧れ、尊敬している。

 ジュリアンの言動は、100%、兄への好意から来るもの。

 

 あたしはジュリアンに共感していた。

 もちろん、ジュリアンは王子様で、地味な村娘であるあたしとの共通点なんて何もないけれど、エリオットへの気持ちだけは痛いほどわかるつもりだった。

 恐れ多い――エリオットが立派な王になる道を邪魔したくない。


 そんな献身的な弟に、「自分は王座を譲ってもいい」という兄、エリオット。彼は一体何を考えているんだろう。


 顔を赤くしたり青くしたり忙しくしているジュリアンに、エリオットは至極真面目な声で語る。


「私はジーナと結婚したい一心だけで言っているわけではないぞ。ジュリアン、おまえはきっと、国民に愛される王となる。この私よりもずっと、民の心を癒し、慕われるであろう」

「そ……そんな馬鹿な。僕のどこが、兄上より優れていると? 一体全体、この僕のどこがあなたより、民に愛されるというのですか!」


 強い口調でものすごく自虐的なことを言うジュリアン。あたしもそれはちょっと気になって、黙って展開を見守った。エリオットはじっとジュリアンを見つめ返し、きっとした声で当たり前のようにこう言った。


「お前の方が、愛され系って感じする」


 ジュリアンの目が点になる。あたしの目も点になる。きらびやかな王宮に白々とした空気が流れていった。


 ……はーなー、もー。

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