人違いです。
自分がアステリア嬢だと肯定はせず、かといって否定もせず、ただ黙って、続きを促す。王子はフンと鼻を鳴らした。
「我が王家にとってルードヴィッヒ家と姻族になることは何の利益もない。ただ侯爵から、娘は未来の王妃とするにふさわしい、気高い淑女だと推されての縁だった」
ふむ、なるほど。政略結婚ってわけでもないのね。それで相手の顔も知らないってのも変な話だけど。
「王妃とは、ただ王の隣に飾り立てられていればよいものではない。妃は王と共に公務をこなし、この国の未来を背負って立つのだ。外見の美しさなどではない、賢く誠実でなくてはならない」
おっしゃる通りだと思います。王子のほうが人違いで婚約破棄というスカタンなことを今まさにしてるけども。だからこそお妃は賢いほうがいいでしょうね。
「この学園の卒業をもって、アステリア嬢は正式に私と婚姻を結ぶ手はずになっていた。だがその前に、あなたのことを調べさせてもらった。女性の身辺を探るなど、卑劣と誹ってくれて構わん。国民の命がかかっているのだ、私にはやらねばならないことだった」
うん、その通り。卑劣どころか、王族のあるべき姿、真面目でいいひとだと思う。人違いしてるけど。
「三年間、専門の調査員をこの学園に派遣し、綿密に記録を取らせてもらった」
三年間も間違い続けていた? なにそのスカポンタンな調査員、首にしろ。
「そうして、あなたの裏の顔を知ったのだ……三年間、授業を受けることは一度もなく、贅沢な私室を構えて遊び惚けていたと」
あ、調査してたのは本物のアステリア嬢なんだ。報告書は間違ってない。調査員は優秀だ。スカポンタンなのは王子だけか。
「大体この学園に入学したのも、妃教育はおろか貴族の令嬢としての教養すら身に付けず逃げまわっていたからだ。業を煮やしたルードヴィッヒ卿に無理やり放り込まれたのだろう」
あら、それは初耳。そうなんですかアステリアさん?
振り向いて確認してみると、脂汗だらっだらの美少女がいた。顔面に「やべぇどこまでバレてるんだ?」と書いてある。合ってるらしい。
「――というわけで。君は、このエリオット・シューバッハの妻にはふさわしくない。この婚約は破棄させていただく! 文句は無いな?」
あっはい、文句は無いです。あたしは。
だってあたし、アステリアじゃないもん。
「ふぇ……っ」
後ろでなんか小さく泣き声みたいなのが聞こえたけど、異論があるなら出てこいやって話。アステリア嬢、どうやら本気で打たれ弱いというか、嫌なことから全力で逃げるタイプの女性らしい。どうせ婚約破棄を免れないなら、王子に叱られるストレスからだけでも逃げたいと思い、出てこれないのだ。
……まあ、気持ちは分からなくはない。
あたしは無言のまま、王子を見上げた。
エリオット・シューバッハは、本気で怒っていた。絶世の美男子が怒った顔は怖い。ただでさえ長身なのに、育ちの良さからなるまっすぐに伸びた背筋。凛々しい眉を吊り上げ、桃色づいた形のいい唇をへの字に食いしばり、青い瞳で見下ろされると、トラウマになるほど迫力があった。
…………ただ、怒られてるのはあたしじゃなくてアステリア嬢であり人違いをされているだけなので、逆にこの緊張感が面白可笑しくて仕方ないんだけど。
いや本当、笑っちゃいそうなのよ。だってこの状況、王子様はものすごくシリアスなんだもの。人違いだけど、王子様的には真実、長年婚約者だった女性に残酷な刑を告げているシーンなわけで。
――そう、王子様は、これ以上なく真剣だった。
「…………アステリア。残念だよ」
湿っぽい声で、王子は呟いた。その瞳もわずかに濡れている。
本当はきっとすごく優しい人なんだろうな。そして真面目な人。なにより愛情深い人。
強い怒りは期待していたからこそ。婚約者の身辺調査も、王子としての責任のため、国民のためせざるを得なかったのだろう。卑劣な行為だと誹っているのは彼自身だ。彼が王子でアステリアが妃候補でなければ、怠け者で弱虫の少女もその慈愛で包み込み、妻に迎えていたのかもしれない。
王子様、立派なひとだ。人違いしてるけど。
心身ともにイケメンだ。ちょっと頭は悪いかもしれないけど。
王子はあたしの手を取った。あたしの手の甲に、額を押し付ける。まるで詫びるように。
「……身分などどうでもいい。たとえあなたが平民の娘でも、ただ真面目に、課題と向き合えるだけの強さがあればよかった。それだけあればどれだけ時間がかかろうともいずれ妃にふさわしい女性に成長し、夫婦で助け合って国政に臨めた」
お望み通りあたしは平民、木綿問屋の娘ですよ。問題はアステリアじゃないことだけど。
「叶うことなら……あなたと結婚したかった。……残念だ……」
ホント、残念だよ。その声とセリフ、心臓にギュンッと来たよ。人違いでさえなければギュンギュンだったろうよ。
ああでもほんと、いい男だなあ。アステリア嬢は惜しいことしたわね。こんな人に愛されて王妃にまでなれたなら、これ以上なく幸福だったでしょうに。
……本当、残念だこと。
王子はあたしの手から額を離し、代わりに唇を寄せた。触れる直前、あたしはそれを振り払った。
「アステリア?」
「違います」
「…………え?」
王子の目が点になる。その間抜け面に、なんだかちょっと憐憫の情が湧きかけたけれども……あたしは容赦なく、真実を告げた。
「人違いです。あたしはアステリアではありません。あたしの名前は――」
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