第25話
「って勝手に終わらすなー!」
「いやでも、ぼく死んだんじゃ?」
「あなた、ただ足から落ちて捻挫しただけよっ! 大袈裟なんだから」
「捻挫かい。なんかヤバい音がきこえた気がしたけど」
「あなた掛け声で『頑張って登った感!』出していたけれど、実際30センチくらいしか登ってないわ」
「なにそれ、ウケる」
「んーまぁ冷静に考えて今日のところは引きあげましょう。後日、政府に調査隊の編成を要望し、ふたたび花の採取を行います」
(最初からそうしろよっ! あぁ、ぼくの努力とケガはなんだったんだ……)
「それじゃあ帰りましょう。でも助手君、その足で運転できる?」
「ンー、ちょっと痛いですが」
「どうしても無理そうなら、渓谷で作業している大学生にお金を渡して運転代行を――」
刹那、淡い花の香りがただよった……。
(この香り……すこし懐かしい気がする。虫を誘うための酩酊性のある花粉に包まれているようでもあり、腐食により爛れているようでもある)
風がふいていた……風上には、巨大な、緑色の蛇状の生き物がいて、香りの発生源はそそこからであった。
(アンリバイル・エルグ……っ! こんなところにも生息していたの?!)
エルグは……テリトリーに入り込んだ異物におびえているのか、わずかに後退を開始している。
(そうだわ、エルグならこの崖、登れるんじゃ?)
たしか……私の記憶が正しければ、彼らは木の上にも生活圏をもっている。
その湿り気を含んだ肉体は、吸着性をもち、急斜面を這い登ることができるのだ。
もしかしたら、いけるかも?
「ゲ……あのゲテモノは、研究所の近くに住んでいるヤツじゃないですかっ!」
「エルグは人の機微を察知できるといわれているわっ! 友好を示せば、私たちに協力してくれるはずよっ! 薬箱に彼の好きな薬があるわ。与えてみましょう!」
私は荷台から薬箱をもちだし、警戒しているエルグを脅かさないよう、しずかな足取りでちかよった。エルグは身じろぎをし、体をゆすり、威嚇行動を開始した。その蔦状の体をもちあげ、自身の体をおおきく見せようとする。
「博士……あのゲテモノは、肉を喰らうとききますっ! 危険ですっ、離れてくださいっ!」
「だいじょうぶ……彼らは死肉しかたべられない、臆病な分解者なのよ。
この大きな体ににあわず、堅実にコツコツと生きているエルグを、私は愛しているの……。賢い植物だから、私の心を読み取り……敵ではないと認識してくれるわ」
(凪の心……。そう、夜の……船の止まっていないしずかな波止場のような、おだやかな海を胸の中に抱くのよ。静寂に包まれた波止場には……そうね、迷い船をみちびくやわらかな灯台の灯りと……すこし冷たい、けれど慈愛に満ちた月灯りがあるの。私はそれを道しるべに、しずかな海の上を航行するの)
エルグのもとに到達した時、もう彼はおびえていなかった。地面に蛇のようにのびきって、リラックスしていた。
(いい子ね♡撫でてあげたいけれど……対毒手袋を忘れてしまったのが悔やまれるわね)
私は薬箱から目的の触葉薬をとりだし、エルグの体に投与した……。
エルグはおいしそうに薬液を吸収すると、鎌首をふって、よろこびをアピールした。
(博士、すごい! あのゲテモノを手なずけているぞっ!)
食事を終えたころ合いを見計らい、私は崖の上に咲くユメヒヤシンスを指さした。
(エルグ。お願いがあるの……)
エルグは意図をくみとったのか、ずるずるゆっくりと移動を開始し、崖をよじ登りだした。
ゆっくりゆっくり……
ずるずるずるずる……
わずかにさしこむ星灯りが、その緑色の肉体を覆う、ぬめりを照らしている……。
(こうしてみると、大きなナメクジみたいね。塩をかけたらちいさくなっちゃうのかしら?)
そして……
「すごいわっ! 頂上まで到達したわっ!」
フルフルフル……
エルグは、鎌首をふってよろこびをあらわしているわっ!
そして、ユメヒヤシンスを尻尾(?)でつかんで、崖をふたたびおりてきた。
エルグは花を私のまえにおくと、疲れたのか、ふたたび地面にのびてしまった。
「ありがとう♡あなたとても賢いのね!」
私は花を回収し、薬箱に入れた。
「どう助手君。あなたより使えるわよ♪
すこしは好きになったかしら?」
「見た目が怖いからすこし厳しいカモですよ」
「も~。こうして伸びているとこみれば、ナマコみたいでかわいいでしょ? そうだわっ! アンリバイル・エルグをモチーフにした、ゆるキャラを作りましょう! そのグッズで一攫千金をねらうのよっ!」
「へ~なにかアイデアはあるんですか?」
「ちくわとかどうかしら?」
「……あまり食欲をそそられる見た目ではありませんね」
エルグはずるずると這いながら、岩影へと姿をけす。あとはわずかな花の香りだけが残っていて、私たちの後ろ髪をひいていた。
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