第30話 勝利の後
砕けた岩にまみれながら気を失っているメランを見下ろし、俺は全身から力を抜いた。すると樹皮の上に付着した木片がぼろぼろと落ち、次第に普通の皮膚が身体の表面に現れ始める。
この『龍樹細胞』の発現は肉体に強烈な負荷を強いる。もともと回復直後だったこともあって、今は立っているのがやっとだ。
肩で大きく息をしていると、ふと背後からカインの声がした。
「人間業とは思えないな」
首を捻って後ろを見やると、横たわるユーリスの傍らで地面に座り込むカインの姿がある。近くには意識を取り戻したカイルとミーティアの姿もあった。
全員の無事を改めて確認でき、俺は安堵の息を吐く。
「全員ちゃんと無事だな?」
訊くと、ミーティアが小さく手を振ってくれる。
しかし、その動作で力尽きてしまったのか、彼女は背中から大の字になるように寝そべった。戦いで汚れ切った身だからもう地面に直でも気にならないという様子だ。
俺もそれに倣ってこのまま寝そべることにした。頭をぶつけかねないがそこは手を犠牲にすればよかろう。というかもう立っていられない。一旦座りたい。
そう思っておもむろに重心を後ろに傾けると、誰かにぐっと背中を支えられた。
見るとそこにいたのは、ほとんど全裸のハルモニアさんだった。
「大丈夫ですか?」
「いちおう。……ごめんなさい力は入らない」
「それはお気になさらず」
完全に脱力したせいでハルモニアさんに抱きかかえられている状態。姿勢を正そうにも、もうそんな力はどこにも残っていない。いろんな意味で申し訳なかった。彼女がまったく気にしていないあたりが申し訳なさに拍車を掛けている。温かくて柔らかい。何がとは言わない。
とはいえ身体中、傷は痛むし倦怠感も凄い。今は無理が利きそうになかった。
なので、背中に当たる温みのことはあまり考えないようにしようとしたら、もう一人駆け寄ってきた。アリアーレだ。
「手伝います! っていうか私が運びます! これ着てください!」
アリアーレは焦り散らかした顔で自分の着ていた黒衣を脱ぎ始める。
謝礼を述べてそれを受け取ったハルモニアさんは、俺を荷物のようにアリアーレの背中に乗せた。幼い男児のように担がれて運ばれる俺。まあまあ恥ずかしい。肩を貸すとかでよくない?
だが、そんな異論を唱えるのも億劫なほどの疲労状態だったので、俺は渋々ながら現状を受け入れた。自分も疲れているであろうに、大男を背負って懸命に歩くアリアーレの姿を見ては何も言えまい。
皆のところまで近づくと、カインがカイルの手を借りて立ち上がった。代わりに俺はアリアーレの背から降り、地面に座り込む。
「巴蛇の髄液ね、解体せずに取れる分は取り切ったよ。ほとんどユーリスくんに使ってこの通りちゃんと回復した。まぁかなり生傷は残っているし、しばらく意識は戻りそうにないけど」
「それはよかった。ゆっくり休ませてやれ。頑張ったからな」
「だね。彼が居なければ全滅だった」
俺とカインはどちらからともなく目を見合わせた。
英雄を志すユーリスの意志は間違いなく本物だ。
傷つきながら何度も立ち上がり、けして剣を手放さず、その身をもって仲間を守り、最後まで敵に立ち向かわんとした。
かつてグラディオール・ベン・ベネディクタは最強の魔物『龍樹』を倒し、世界に安寧と平和を齎した。
だが、彼を英雄足らしめているのは、その偉業故ではない。
そしてユーリス・エルクレゴは、その道に至る為の最初の一歩を踏み出した。
その意志が、動機が、衝動が、やがて彼をさらなる高みへと至らせるだろう。
目を瞑り横たわる青年へ最大限の賛辞を心の中で送っていると、突如としてぬぼーっとした声が上がった。
「でー、これからどーするの?」
大の字で寝転がったまま、ミーティアが気の抜けた声で誰にでもなく問う。
俺はメランが倒れている方を向きながら言った。
「とりあえずメランが目を覚ます前に拘束しておきたいが……モーリュの葉を使った縄は意味なかったしな」
どうしようかと逡巡すると、ミーティアから声が上がる。
「あー、それね。多分もう大丈夫。さっき魔法使えたのはあの刺青みたいな術式にあらかじめ魔力を取り込んでたからだと思うから」
「そういうもんなのか?」
「多分だけどね。不安ならモーリュの球根を摩り下ろして飲ませれば確実。毒あるから危ないけど、あのでっかい蛇の体液って毒はどうなの? 治る? それとも死ぬ?」
「髄液な。まぁ、大抵の毒は中和する」
「じゃあそれでいこ。確か馬車にまだ予備があったはずだし」
ミーティアが言うと、カインがパチンと指を鳴らした。
「僕が持ってくるよ。ついでにユーリスくんを野営地まで運ぶ」
「あっ、私も手伝います!」
アリアーレが挙手して名乗り出る。助けて貰った恩返しだと言わんばかりの押しの強さにカインも異論は唱えない。二人でユーリスの肩を担ぎ、野営地へ戻っていく。
すると、黙って周囲を見渡していたカイルが目を細めて唸った。
「あれは生きておるのか? 原形は留めているようだが……」
遠くの方で横たわるノワールとアーテル。上体を起こしたミーティアがカイルと同じ方を見て呟いた。
「一応障壁は張ってあげたんだけど……動いてないねぇ」
「ふむ」
おもむろにカイルがより近くにいたノワールの元へ歩いていく。
うつ伏せに横たわるノワールの肩を抱いて上体を起こすと、脱力した彼女の腕が地面を叩いた。メランがやったような気絶を装った奇襲を警戒したが、どうやら意識はない様子だ。
そのままカイルが手首、腕、首元、胸元と順に指を当てて確認すると、こちらを向いて小さく頷いた。ノワールを肩に担いだまま同じようにアーテルの元へ行き、脈拍を測ると先と同様に首を縦に振る。一応二人とも生きてはいるらしい。
「こやつらも拘束の上、野営地に運んでおこう」
「手伝おっかー?」
ミーティアからの協力の申し出を、カイルは首を横に振ってそれを拒否する。
「否、ミーティア嬢は団長殿に手を貸してやれ。大蛇の始末もせねばなるまい。ハルモニア殿、すまぬがそちら任せてもよろしいか?」
「かしこまりました」
そう言って、カイルもノワールとアーテルの手足を縛った後、先行した二人を追っていなくなる。
カイルに名指しで頼られたハルモニアさんは、俺の方に身体を向けて一礼した。
「わたくしは蛇の解体を担当します。ミーティア様には解体後の焼却処分をお願いいたしますので、しばらく休んでいてください」
「はーい!」
「俺も手伝います。一人でやってたら時間が掛かる」
ゆっくりと立ち上がりながら言う。体力というのは少し座っただけでも結構回復するものだ。そうと分かっているからか、ハルモニアさんは少し目を細めたものの拒否はしなかった。
「ではエルザ様は刃を入れやすいように鱗を剥がしてください」
「分かりました」
ミーティアの「がんばってねぇ」という声援を背に巴蛇の死骸の方へ歩く。
ハルモニアさんが遠くへ吹き飛ばされている大剣を拾いに行き、その間に俺は脊髄側の鱗を剥がしていく。爆風が鱗を貫通して肉を焼けたおかげか、かなり楽に剥がせるようになっていた。
戻ってきたハルモニアさんがひょいと跳んで巴蛇の上に乗り、邪魔にならないよう俺は下に降りる。大剣を使って背中を切り裂いて肉を広げると、爬虫類としては極太すぎる背骨が露わになった。
「とりあえず肛門あたりまで背中を割って脊髄だけ取り除きましょう。どうせこの惨状ですし、無理に解体するよりあとはまとめて焼却処分した方が良い」
「肛門と言うと、どれくらいでしょう」
「鱗を剥がしてある辺りまでです」
「なるほど。では脊髄は小分けに折っていきますので、エルザ様はそちらをお願いします」
ハルモニアさんは肉を割いては背骨に大剣を突き立てていく。
俺は運びやすく小分けになった背骨を段々に積み上げていく。
黙々と作業している中、不意にハルモニアさんから質問を投げられた。
「エルザ様。差し支えなければ先程の力のことを伺っても構いませんか?」
「まぁ見られたからには隠し通せませんし、答えられる範囲でよければ」
「それで結構です。では、あの力の覚醒はいつ頃に?」
俺はぴたりと動きを止める。最初の質問にしては前提をすっ飛ばし過ぎだと思い、俺は巴蛇の上にいるハルモニアさんを見上げた。
「最初に聞くこと、『あの力は何か?』じゃないんですね。もしかして知ってました?」
ハルモニアさんの表情が若干曇る。まさしくやらかしたと言わんばかりの顔。あまりに露骨すぎてスパイ失格だなぁと、俺は思わず笑ってしまった。
「気づいていた、とまでは言いませんけど、屋敷の使用人が依頼に同行するなんて普通ありえないですからね。それにいくら人手不足とはいえ、皇家が新設の傭兵団に頼るなんてどう考えても異常です。だから別にハルモニアさんの落ち度ではないですよ。ベルガ皇子もそれは承知の上でしょう」
そう言いながら脊髄を積み上げると、ハルモニアさんも止めていた手を動かし始めた。
「……わたくしも仔細までは聞かされていません。ただ『覚醒のきっかけ』を探れとだけ」
「なるほど」
氏族にのみ受け継がれる門外不出の力のことをベルガ皇子がどうやって知り得たかは分からないが、回りくどい方法で俺に接触し、スパイを送り込むような真似をしてまでも、どうにかして『龍樹細胞』の詳細を知りたいというわけだ。
では、動機は何だろう。
今なお続く戦争への軍事利用か、国政を脅かす脅威として見られているか、はたまた単なる知的好奇心か、あるいはそのすべてか。
しばし熟考したが、考えても仕方のないことだとすぐに思考を切り捨てる。ここで変にはぐらかしたことを言っても面倒を先延ばしにするだけだ。
よって、俺は素直にすべて話すことにした。
「この力が発現したのは六歳の頃で、発現の条件は身体機能が著しく低下した状態から急激に回復すること。時間制限付きで持続時間は数分から一時間程度。これは身体の状態によって変わります」
「具体的には?」
「回復前の傷が浅ければ短く、深ければ長くなります。今回はもう引いているので、浅い方ですね」
身体から『龍樹細胞』の力が消えていることを確認して言うと、ハルモニアさんは酷く怪訝な顔をした。
「あれで、ですか……?」
「力の源泉が規格外の化け物なせいで『龍樹細胞』にとってはあれでも軽傷なんですよ。……他に訊きたいことは?」
改めてハルモニアさんを見上げて問うと、彼女は首を左右に振った。
その後、お互い無言で粛々と作業を進める。仕事を分担したおかげか効率よく作業は進み、ものの十分ほどで解体は終了した。
その間に、野営地に向かった者たちも戻ってきている。カイルだけいなかったが、ノワールとアーテルが目を覚ました時、御者たちを巻き込んで暴れかねないという事で見張り番をしているとのことだ。
「ミーティアとアリアーレで巴蛇の焼却を頼む。時間掛かってもいいから完全に焼いて灰にしてくれ」
「りょ。アリアーレちゃん、いける? 疲れてない?」
「大丈夫です、まだまだいけます!」
魔術師組が巴蛇の死体の処理に向かう。そして俺は積み上げた脊髄を一つ手に取り、カインとハルモニアさんを伴ってメランの元へ。
気絶中のメランを三人で取り囲むと、カインが懐から小さい瓶を取り出した。半透明の濁った溶液が入っているそれを見せびらかし、俺が持つ脊髄を指差して言う。
「野営地でアリアーレちゃんがモーリュの球根から毒を抽出してくれた。これに髄液を混ぜて飲ませよう」
「よし、じゃあ蓋開けろ」
差し出された瓶に髄液を流し込む。といっても数滴程度。溶液の見た目に大きな変化はない。
カインは膝をついてメランの口元に瓶を当てると、零さないように少しずつ口の中に溶液を流し込んだ。
メランは何度か激しく咽ながらも、やがて嚥下する。
しばし観察。毒による痙攣反応は出ないことを確認してから、一応モーリュの葉を練り込んだ縄で両手足を縛り、担ぎ上げる。
すると、周囲の光景に視線を通わせたカインが、呆れたようで感心したような呟きを漏らした。
「しかし、何回見ても酷い有様だね。どれだけの研鑽を積めばこれだけの魔法を使えるようになるのやら……」
「自分の身体に術式を刻むような奴だ。想像もつかないな」
「まったくだよ、本当に」
深い溜息を吐きながらカインは言う。
ふと、砂と灰が舞い上がった。
剥き出しの身体に当たる風に、俺は少しだけ身体を震わせる。視線の先にはチリチリと音を立てて燃やされている巴蛇の亡骸。肉の焦げるニオイが鼻腔を刺す。
そして改めて実感する。俺たちは勝ったのだと。
そんな感慨に耽っていると、いつの間にか上半身裸体の俺を見ていたカインが眉根を寄せて言ってきた。
「後のことは僕に任せて、団長さんは野営地に戻りなよ。いつまでもその恰好じゃ寒いでしょ」
「そうだな。頼む。……そうだ、髄液の採取だけ忘れないでくれよ」
歩き出したカインに向けて言うと、返事の代わりに手を振って返してくる。
俺は重みでズレるメランを担ぎ直してから、ハルモニアさんの護衛の下、野営地へと戻るのだった。
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