第28話 SIDE:OTHERS 恐ろしい魔術師・後
「いったい、なにが……おきて……っ!」
その光景に混乱してしまって、魔法を撃つ手が止まる。それからさほど時間も掛からずにメランの身体は全快してしまった。
何が起きたのか全く分からなかった。
いや、今はそんなのどうでもよくて、最悪だ。回復された。今までの全部がなかったことにされた。私とミーティアさんの魔法も、エルザさんの奮戦も、全部!
露わになっている上半身には、もはやかすり傷一つ残されていない。
メランは首を回して、辺りをさっと一瞥した。
「
肺の中を空にする勢いで息を吐き、メランはこっちを見た。
そして足元に転がっていた魔晶を拾って右腕の穴に無理やり嵌め込む。たぶんミーティアさんの杖に付いていた魔晶だ。魔晶から刻印を伝って全身に魔力が走り、メランは顔をしかめて辛苦を顔に張り付ける。
しかし、それも束の間のこと。
メランはすぐに平静を取り戻し、他の仲間には目もくれず向かってきた。
「アリアーレ……もういい……にげ、ろ……!」
目の前でエルザさんが、死力を尽くして立ち上がろうとする。
力む度に傷口から血が滲んで、口からは塊みたいな赤が溢れ出る。腰に携えたナイフを辛うじて握りしめて、エルザさんはメランを睨みつけた。
メランは、そんなエルザさんの姿を見て、ゆっくりと両手を叩き合わせた。
「実に見事だ。私以上の深手を負いながら立ち上がるとは。誇れ、フォレスティエの遺児よ。誰にでもできることではない」
メランが彼の名を呼んだ。奴が知っている筈のない『氏族』の名を。
エルザさんの表情は見えないけれど、きっと私と同じような顔だったのだと思う。メランは不敵な笑みを浮かべてさらに続けた。
「敵に聞かれるような場所で無駄な話をするべきではなかったな。元マクギネス傭兵団の団員であり名前はエルザ。それに該当する人物は、私の知る限り一人しかいない。貴様だ、エルザ・フォレスティエ」
指をピンと突き立てて、メランはエルザさんの目の前に立った。
ぜえぜえと掠れるエルザさんの呼気が殊更強くなる。動揺と焦りが空気を伝って私にも伝播してきた。
「どうした、焦っているのか? 名前を知られている程度で」
「……――!」
私でも見切れるほど大雑把な挙動で、エルザさんはナイフを持った手をメランの首筋へ伸ばした。
当然、あっけなく受け止められてしまう。
しかもメランは腕を捻ってナイフを取りこぼさせるだけでなく、あろうことか腕の骨を折った。
歯を食いしばって耐えたエルザさんの代わりに私が絶叫した。激情に任せて杖を構えて魔法を放つ。曲射させた光弾はエルザさんを躱してメランを襲ったけれど、奴は一瞥することさえせずに腕の一振りでそれを弾いた。
膝から崩れ落ちるエルザさんを見下して、メランは薄い笑みを浮かべる。
「悲鳴も上げぬとは底知れぬ胆力だ。つくづく賞賛に値する。……まったく、優秀な者を殺すのは敵であろうと惜しいな」
首を絞められながら持ち上げられるエルザさんの胸元に、メランは黒い瘴気を纏った手刀を押し当てた。
「っ……や、めろぉおおおああああああああああっ!」
魔法ではもう意味がないと思ったから、私は杖を鈍器代わりにしてメランに殴りかかった。手刀を解かせて杖を受け止めさせることはできたけれど、対した時間稼ぎにもならない。杖は魔晶ごと砕かれて、「【アディス】」の一言で私はあっけなく吹き飛ばされた。
背中を岩肌に強く打ち付けてしまい、呼吸が出来なくなる。ぼやける上に明滅する視界の中で、誰かがメランに斬りかかった。たぶんユーリスさんだ。
しかし先が折れて刃の欠けた剣は、素手で軽々と受け止められてしまう。
「むのうじゃない……っ、とりけせぇ……!」
「
子供から玩具を取り上げるように剣を奪い、メランは裏拳でユーリスさんを払いのける。そしてあろうことかその剣を、地面に倒れたユーリスさんの顔元に放り投げた。
「もはや足掻きとすら呼べぬ弱々しい嘆きだ。剣を振るう資格も、素質も、致命的なまでに足りていない。取るに足らないとはまさに貴様のことよな」
「……っ!」
「だが私は貴様のような愚図が嫌いではない。故にお前は見逃してやる。芽が出るよう神に祈りながら日々の鍛錬に励むといい」
メランは再び手刀に瘴気を纏わせた。爪の先が胸筋を割いて、エルザさんが喉から苦悶を漏らす。
私もユーリスさんも動けない。
他の三人も気を失ったまま。
「だれ、か……っ!」
私は神にも祈るような思いで、潰れた声で助けを呼んだ。
どんなことでもする。
どんなものでも差し出す。
だから彼を助けてと、私は願うように呟いた。
その祈りは、けして神には届かない。
だが、神ではない別の者には、あるいは届いたのかもしれない。
何かが翻る音が聞こえて、次の瞬間、空から降ってきた何かがメランの腕を踏みつけるようにして着地した。
「申し訳ありません、遅れました。これより加勢いたします」
うなじで結ばれた紫色の長髪を揺らしながら、戦う使用人ハルモニア・カウスが戦場に降り立ったのだ。
メランから離れ背中から倒れたエルザさんが、彼女の背を見上げて名前を呼ぶ。
「ハルモニア……」
「ここはわたくしにお任せを」
そう言い、ハルモニアさんは予備動作もなくメランへの攻撃を開始する。
その姿はまさに舞踏家の独壇場。野盗退治で私たちに見せた時以上の動きで、岩を打ち付ける
彼女がメランを抑えてくれている間に、私は半ば這いずるような形でエルザさんのもとまで寄る。近づいてから身体を起こして、虚ろな目で空を見上げる彼の顔に触れた。
「エルザさん、私に捕まってください……運びます」
力には自信がある。体力の尽きかけた今だって、鎧のないエルザさん一人くらいなら運べる。いや、運んでみせる。
けれどエルザさんは、私の言う通りにはしてくれなかった。
「駄目だ……奴はここで倒す。
「もう、戦える身体じゃないです! 私も皆も、それに誰より、貴方が一番っ!」
今までどうにか抑え込んでいた涙が溢れてきた。ただでさえぼやけている視界が更に滲む。
それから涙が落ちる感覚だけがあって、たぶん彼の顔を濡らした。
しばしの沈黙があって、エルザさんは途切れ途切れの不規則な声で呟く。
「……奴の、やったこと、見ただろう。髄液だ。一滴でいい、持ってこい」
私ははっとして巴蛇の亡骸を見た。もう脊髄から髄液が溢れ出てはいないけれど、たぶんまだ採れる。
言うまでもなく、あの髄液を摂取すれば傷が治る。全回復したメランがその証左だ。エルザさんは魔物の専門家で、髄液の効力を知っていたから私にメランを巴蛇に近づけさせるなと言ったのだ。
私は下唇を噛み、手の甲で涙を拭ってから、エルザさんの顔を見た。
「ここで待っててください」
「頼むぞ」
「はい」
力強く返事をして、私は立ち上がった。
もうまともに力なんて入らない足を無理やり前に押し出す。
倒れそうになったら手をついて立ち上がり、絶対に膝はつかせない。
今こそ証明の時だ、アリアーレ・マクギネス。足を止めず前に進め。必ず役に立って、けして失望させるな。ここで自分の価値を示して見せろ!
走って、走って、やがて巴蛇の亡骸にぶつかるようにして立ち止まる。
息も絶え絶えだけれど、息を整えている時間なんてない。
黒い鱗を伝って歩き、首の断面を見る。地面に零れた分はもう土に混ざってしまっていた。これでは掬い上げることはできない。どうしようかと逡巡し、私は適当な大きさの石を手に取って脊髄を殴りつけた。
何度も何度も殴りつけて、ようやく骨を砕く。
砕いた骨の一部を持ってエルザさんの元へ向かおうとすると、後ろから「避けて!」という声がした。
声の方を見ると、ハルモニアさんと戦っているメランが、悪鬼のような表情でこちらに腕だけを向けているのが見えた。
渦を巻いて放出された黒い瘴気が、風よりも早く襲い来る。
何とか避けようと走り出すも、間に合わないと直感した。
瞬間、瘴気が直撃し、身体が吹き飛ぶ。
ただし、吹き飛ばされたのは私ではない。
満身創痍を越えて、なけなしの気力だけで立ちはだかったユーリスさんだった。
私の後ろを転がるユーリスさんは、もはや意識を繋いでいること自体が嘘のように傷ついている。
しかも今の一撃で、ただでさえ傷ついていた防具は砕け散ってしまった。
それでも並々ならぬ執念でもって立ち上がった彼は、大量の血と涎を垂らしながら呟く。
「おれは、むのうじゃ、ない……。みんなをまもる、えいゆうに、なるんだ……」
そう言って、ユーリスさんは力尽きて倒れてしまう。
地面に吸い込まれるようにして落ちる身体を、私よりも早くカインさんが支えた。
「カインさん!」
カインさんはユーリスさんの身体をゆっくりと地面に横たわらせると、一息ついて私を見上げた。
「起きるのが遅れて申し訳ないね。彼は僕に任せて。君は団長さんを」
「じゃあユーリスさんにもこれを……!」
巴蛇の脊髄を差し出しながら言う。傷を癒すのに一滴で十分ならユーリスさんに使う分も取れるはずだ。
しかし、カインさんは手の平を私に向けてそれを制した。
「無用だ。巴蛇の髄液の効力なら僕も知ってる。だから脊髄の穴に指突っ込んでからきた。君はさっさと団長さんのところへ走れ。残りの二人も僕が看る」
「……はい!」
皆のことをカインさんに託し、私はひた走る。
つまずきそうになりながらも止まることなく進み、エルザさんの元へ。
先程と同じように彼の横に膝をつき、持ってきた巴蛇の脊髄を見せてあげる。
「持ってきました」
「……垂らしてくれ」
それに従って脊髄をエルザさんの口元に近づけるも、垂れてこない。
悪寒が走る。まさか走っている途中に乾きでもしたのかと。
けれど、すぐにカルロさんの言葉を思い出して、それを実行に移した。骨の穴に指を差し込み、濡れた感触を確かめると、そのまま髄液の付着した指をエルザさんの口に入れる。
「舐めてください。指についてます」
エルザさんは言われるがまま口を閉じ、私の指を舐めた。
生温かくぬるっとした感覚。人に指を舐められたのは初めてだったから少し奇妙な感じだ。エルザさんの口から指を引き抜いて、自分でも同じことをする。別にこれは趣味ではなくて、あくまで身体を治すため。
すると、すぐに身体の芯が熱を帯びたような感覚に見舞われた。
ちょっとだけ苦しくてこそばゆい。身体中の傷が蒸気を上げてどんどん治っていく。舐めた量が微量だったからか完治はしていないし、消費した体力は戻っていないけれど、さっきまでに比べればだいぶマシだ。
より深い傷を負っているエルザさんの傷も、徐々に治っていく。
ただ、なんというか、治り方が私とは少し違う。
私の場合は時間を巻き戻したように傷口が閉じていって治ったけれど、エルザさんの場合は傷口が樹皮のようなもので縫合された。
それが何であるのかわからない内に治癒が終わってしまう。
肘をつきながら身体を起こしたエルザさんは、眼前で繰り広げられているハルモニアさんとメランの戦いを目にすると、すぐさま立ち上がった。
「他の皆を頼む。俺はあいつを倒す」
「だ、大丈夫なんですか?」
幾らか回復したとはいえ、彼もまた私と同様に完治はしていない。依然として身体は傷だらけだ。
しかしエルザさんは振り返って私を見ると、まったく憂いのない声で語りかけてくる。
「心配か?」
「むしろ心配じゃないと思いますか?」
「思わないな。お前は俺のこと好きすぎだ。ちょっと異常なくらい」
「……」
彼の口からそんな言葉が出てくるとは思っていなかったから、返答に窮した。多分顔も赤くなっていたと思う。
エルザさんは私から目を逸らして正面を向くと、静かにこう答えた。
「よく見てろ。今から少し幻滅させてやる」
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