第27話 SIDE:OTHERS 恐ろしい魔術師・前

 霧のように舞う砂が落ちてくる音と、燃え盛る木が破裂する音だけが響く。

 メランが使った魔法は、木も、草も、岩も、地面も、果ては水さえも焼いて更地に変えてしまった。私とミーティアさんが同時に撃った魔法ですらこんなことにはならなかったのに、いったいどれだけの研鑽を積めばこの領域まで至れるのだろう。


 痛む身体を腕の力だけで持ち上げる。

 顔を上げた先には、地に伏せている仲間の姿があった。カインさんを守るように覆い被さっているカイルさんと、先端が砕けた杖を握り締めて倒れるミーティアさん。

 いまだに魔力を帯びた杖が徐々に砕けていくのを見て、私は悟った。


 私が意識を失わずに済んだのは、たぶん彼女が守ってくれたからだ。

 いや、私だけじゃない。メランが魔法を撃つ直前、彼女が皆に障壁を与えたのだと思う。魔力の急激な高まりを感じて、私は自分一人を守るので精いっぱいだった。未熟な私とは比べ物にならないくらい彼女が凄い人だったから、誰も死なずに済んだ。


 それでも、もうこの場に立っている人はいない。

 敵も、味方も、全員が倒れてしまっている。


「……ぁ……エル……ザ……さん……」


 十mくらい離れた場所で横たわる彼の名を呼ぶ。熱と煙で喉がやられたのか、思った以上に声が出ていない。


 メランの魔法を一番近くで受けたせいで、大柄な身体を覆う鎧は吹き飛んでいる。インナーはほとんど燃え尽きてしまい、ボロボロの紐みたいになっていた。その下には傷だらけの身体が露わになっていて、いつもの私ならラッキーだなんて思いそうなものなのに、今は痛ましさしか感じない。


 立ち上がるほどの気力はなかったから、腕の力だけで身体を引きずる。たっぷり時間をかけてエルザさんのところまでたどり着いた後、心臓に耳を当てるように身体をもたれさせるとどくどくと心臓の音が聞こえてきた。


 よかったと安堵したのも束の間。背後で、何者かが立ち上がる気配がする。

 位置関係的に、味方じゃない。立ち上がる気力がないなんて弱音を吐いている状況ではなくなってしまった。奥歯を噛みしめて力を振り絞り、ふらつきながら何とか立ち上がる。


「残ったのは……足手纏い、だけか……」


 魔法を軽減するよう編まれた黒衣すらなくなり、露わになったメランの上半身には見慣れない刻印が刻まれていた。まるで魔晶に刻み込む術式のよう。上半身全体を刺青のように覆い、前腕の途中まで繋がっている


 そして左前腕には、何かを嵌め込むように穿たれた穴が空いていた。

 よく見ればそこだけじゃない。焼け爛れて炭化寸前の右腕の同じ場所にも同じくらいの穴が空いている。

 どうしてか、私はそれが何を意味するのか分かってしまった。


「身体に、魔晶を……っ!」


 あの穴はきっと、魔晶を埋め込んだ痕だ。身体の刻印も術式に違いない。身体に魔力を直接取り込んで魔法を発動している。だからさっきも詠唱せずにあれだけの威力の魔法を使えた。


 そう分かった瞬間、身体が芯から冷え込んだ。

 魔力は、今や生活の基盤となっているが、本来生物にとっては有害なもの。魔物という存在が私たちにとって最も身近で分かりやすい例だ。魔力を過剰に取り込んだ『生物』は、やがてその面影を残すだけの『怪物』に成り下がる。


 それをわかっていながら、あの魔術師は、自分の身体に術式を刻んだ。

 私の目にはもう、彼の魔術師は怪物に見えている。

 人の形をした怪物は、ほんの数秒私に目をくれると、興味を失ったように視線を逸らした。次に視線が向いた先には、エルザさんがとどめを刺したの亡骸がある。


「巴蛇か……僥倖だ」


 一歩進む度に倒れそうになるのを、前進の勢いだけで耐え凌いでいるかのような覚束ない歩み。巴蛇の亡骸にぶつかる形で足を止めて、剝がれかけの鱗に手を掛けた。


「とめ……ろ……」


 潰れた喉から無理やり捻りだしたような声が、足元から聞こえてくる。エルザさんが目を覚ましたけれど、膝を曲げて介抱することはできない。

 それをしたら最後、私は立てなくなるだろう。

 だから必死に堪えて、視線だけを向けた。


「奴を、巴蛇に……近づけさせるな……」


 半開きの瞼から覗く瞳は虚空を見つめていて、私と目が合うことはない。

 きっと一息が地獄の苦しみの筈なのに、エルザさんはお構いなしに叫ぶ。厳密には叫ぶというほどの声量はないけれど、血を吐き出しながら喋るその姿が、私にはそう見えた。


 だから私は、それに応える為、携えた杖を地面に突き立てた。

 あらん限りの魔力を先端の魔晶に集めて、解き放つ。


「無能が……っ!」


 瞬く間に彼我の距離を殺し、光弾が巴蛇ごとメランを飲み込む。

 魔法の反動で、私自身、後ろに吹き飛んでしまった。焦げた砂利の上を何度も転がる。肩や背中の痛みに喘ぎながら顔を上げると、巴蛇の傍らで身体から煙を上げて尻餅をつくメランの姿を見た。

 倒れた。でも、まだ意識がある。


「もう、一回……!」


 何とか立ち上がろうと力んだその瞬間、視界の端から人影が現れる。

 エルザさんの次にメランの炎を近くで浴びた、もう一人の仲間。

 ズタボロの防具に身を包んで、得物である長剣の穂先を引きずりながら、ユーリスさんはゆっくりと、しかし一歩ずつ確実に、メランの元へ向かっていく。


「おれは……むのうじゃ、ない……っ!」


 うわごとのようにそう呟きながら、ユーリスさんはメランの目の前まで歩みを進めた。

 剣の柄を逆手に持ち、けして放さぬよう両手で握りしめ、振り上げる。


「――ぅうあああああああああああああああああっ!」

「【アディス】」


 獣のような雄叫びと共に剣を突き立てようとしたユーリスさんの身体は、メランがたった一言呟くとたちまち黒い瘴気を帯び、直後、大きく吹き飛ばされた。


「ユーリスさんっ!」


 悶えているユーリスさんから視線を移し、膝をついて無理やり身体を起こした私は、もう一度杖を構えた。

 今度は吹き飛ばされないよう、出力は絞って、その分数を撃つ。

 こぶし大の光弾を絶え間なく浴びせ、メランの姿が巻き上がった土煙の中に再び消えた。


 人が魔力を扱う際は少なからず身体に負担を強いる。さっき、メランに詠唱魔法を撃ち込んだ直後は、肩を上下させるほどに息が上がった。今の傷ついた身体では、こんな小さな光弾一つ撃つだけでひとしお身に染みる。


 それでも私は撃つのを止めない。

 ここはエルザさんの団だけれど、元は私が立ち上げようと提案した団だ。

 碌に戦うことすらできない半端な魔術師が、戦う覚悟すらできていない一介の小娘が、私欲の為に皆を巻き込んだ結果こうなった。


 その責任は紛れもなく私にある。

 十一年前、エルザさんは狂狼ハティに殺されかけていた私を助けてくれた。

 傷つき、血を流しながら、自分より強い相手に立ち向かっていくあの姿は、今も私の目に焼いたまま。


 エルザさんは私の英雄だ。

 だから、なんでもいい、彼の役に立ちたかった。剣を握ることはできなかったから、代わりに杖を持つことにした。魔術師として魔法を学び、彼の進む道から万難を排したかった。

 とにかくどんな形でもいいから、あの人の人生に貢献したかった。


 なのに、私はまだ何の役にも立っていない。

 そんなの駄目。許されることじゃない。自ら守った相手の顔さえ忘れるほど、当たり前に誰かを助ける彼は、仲間の死を許さない。なにより私自身が強く思う。みんなを死なせたくない。エルザさんを死なせるなんて絶対に嫌だ。死んでも嫌だ。そんなの一瞬だって耐えられない!


 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! そんなことになるくらいなら人だって殺してやる!


「……ぁぁああああああああああ――――――ッ!」


 そんなどす黒い思いの昂ぶりは喉を焼く叫びに変わり、私は自覚もなく、連射にはとてもそぐわない膨大な魔力を込めて光弾を放った。

 ただの人間が受ければ、おそらく身体が消し飛ぶくらいの魔法。

 当然、私は踏ん張ることができずに吹き飛んで、懲りずに地面を転がる。


「……――っ!」


 直撃の瞬間、メランが目を見開いたのが見えた。

 多分、防がれたと思う。魔法の炸裂と同時に、ユーリスさんを吹き飛ばしたのと同じ黒い瘴気がメランを包み込んでいた。


 代わりに吹き飛んだのは巴蛇の頭部。骨と内臓が露わになっていて、肥大化した脊髄からどくどくと髄液が漏れ出している。

 メランは零れ出る髄液を片手で掬って、そのまま右腕に塗りたくった。

 塗った先から焼け爛れた腕が蒸気を立ち昇らせて、たちまち再生していく。


「手間が省けたぞ小娘……」


 メランは髄液の付着した手の平を口元に持ってきて、おそらくそれを舐めたのだと思う。

 それをきっかけに、右腕だけではなく全身の傷が、同じように再生し始めた。

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