第26話 悪足掻き

 ノワールの気絶を確認した後、俺は棍棒を近くの草むらに投げ捨ててから大剣を拾いに戻った。

 それからメランの元へ向かうと、ちょうどアリアーレとミーティアも到着する。


 ミーティアに軽く支えられながら歩くアリアーレは、俺の姿を見るとすぐさま駆け寄ってきた。細い指で俺の顔についた泥を払いのけ、まるで痛ましそうなものを見る目をする。


「大丈夫ですかエルザさんっ!」

「ああ。別に怪我もしてない、平気だ」


 ぺたぺたと顔を触ってくるアリアーレの手を優しくどかす。その背後で、メランとノワールを交互に見やったミーティアが感嘆の声を上げた。


「遠くから見えてたけどさ、ちゃんと戦えば強いんだね。びっくりした」

「言っただろう。やり方さえ考えれば勝てるって」

「ねー。まさか『タイマンなら俺の方が強い、キリッ』って意味だとは思わなかったけど」


 妙な決め顔で言うミーティア。まさか俺の真似か。似てない。ただ可愛いだけ。


「そもそも懸念点はメランの魔法だけだったからな。それを封じて分断に成功した時点で俺たちの勝ちはほとんど決まった。後はアーテルだが……」


 言いながら、カインが潜んでいた方を見上げる。

 すると、ちょうどそのあたりで凄まじい旋風が巻き起こった。細切れになった葉や木の枝が洪水のように溢れ出し、それらに紛れて血に濡れたアーテルが落ちてくる。


 そのまま自由落下して身体を強打し、転がるアーテル。

 次いで旋風が起きた場所からカインとカイルが姿を現し、坂道を滑って下りてきた。二人もアーテルに負けず劣らずボロボロだが、数の利を取ったおかげか辛勝した様子。


「あーっ! ほんっとに頭おかしいなこのガキはっ! おかげで全身切り傷だらけだよまったく!」


 惜しげもなく苛立ちを露わにするカインを、咎めるような口調でカイルは諫める。


「無茶をして前に出るからだ。某に任せておけばよかろう」

「嫌だね。カイルさんが血を吹き出して戦ってるのに僕だけ安全圏からちまちまなんて格好悪いでしょ。僕一応男だよ?」

「……そうであるな。まことおのこであった」


 カインの背を叩くカイル。痛みから切迫した表情で声にならない悲鳴を上げるカイン。キッとカイルを睨む。カイルは何食わぬ顔で視線を逸らすが、カインはそれを許さない。カインはカイルのカインでカイルをカインしてカイルだった。もう頭がおかしくなりそう。どっちか名前変えて。


 こんがらがってしまったので名前は呼ばずに二人へ声を掛ける。


「無事か?」

「団長さんほどじゃないけどね。もしかして無傷かい?」

「まあな」

「元マクギネス傭兵団は流石に強いね。あっぱれだよ。褒めたたえてあげる」


 カインは大げさに両手を叩き合わせながら言う。いや、叩き合わせているのは見た目だけで音はなっていない。憎たらしい奴だ。


 二人もこちらに向かってこようとしたが、その時、アーテルが動き出す。

 あれだけの傷を負ってまだ意識があるのかと誰もが戦慄する中、ふらふらと立ち上がったアーテルは血を吐きながら吠えた。


「ま、だ、だよねぇ、オジサン……っ! まだ、やれるでしょぉ――ッ!」


 飛び掛かるアーテルにカイルも抜刀の姿勢で構えるが、アーテルの身体は突如飛来した光弾に撃ち抜かれて瓦礫の山に埋もれていった。四肢を投げた状態で動かなくなったのを見るに、アーテルも遂に意識を失ったようだ。


 光弾の発射元を探すように、カイルはこちらを見る。

 その視線をなぞるようにふと見やれば、ミーティアが杖を構えて気まずそうにしていた。


「……え、やっちゃ駄目だった?」

「いや、そんなことはない。良い判断だ」


 言うと、ミーティアは当然だよねという表情をして杖を地面に突き立てる。


「だよね、よかった。ほら、うちのところそういうの妙に気にする人ばっかでさ。人の獲物獲るなとかそういうの。一緒の団なんだから誰がやったって手柄なんて変わんないでしょうに」

「まぁよく聞く話だな」


 同調すると、ミーティアは嬉しそうで嫌そうな声を上げた。


「やっぱり? ほんとくだらないよね。十代の若い子が言ってる分にはまだ可愛げもあるんだけどさぁ」


 なんとなく反応しづらい話に押し黙ってしまった。

 しかしミーティアは特に気に留めた様子もなく、愚痴りながらもいそいそとメランの拘束を始めた。それを横目に俺はこちらに来ようとするカインとカイルを制止して指示を出す。


「カインたちはそっちの二人を頼む」

「あぁ、だね。了解したよ」

「あいわかった」


 踵を返す二人を眺めつつ、そのまま周囲に視線を通わしていると、おそらく同じことを思ったアリアーレがぼそっと呟いた。


「ユーリスさん、どこに行ったんでしょう……」


 と、ユーリスの潜伏場所あたりから特徴的な音が鳴る。パキパキと枝葉を立て続けに何度も折ったような音だ。

 次第に距離を詰めてくる異音に全員の意識が注がれる。

 そして。


……っ!」


 それを見た瞬間、俺は息を詰まらせながらその名を呼んだ。

 黒く艶やかな鱗を持つ大きな蛇の魔物が、今まさにユーリスを襲いながら姿を現したのだ。


「ユーリスさんっ!」


 アリアーレが裂帛の声を上げるが、名を呼ばれた当人に返事をする余裕はない。

 ユーリスは剣の柄と穂先を掴んだ状態で耐えながら、巴蛇の毒牙から逃れようとしている。


「くっそ……っ! なんで俺ばっかり、こんなっ……!」


 地面に背中を押し詰められ、ユーリスを食さんと圧を掛ける巴蛇。

 俺は大剣を抜きながら駆け出し、すでに腰元の太刀に手を掛けているカイルに向けて叫んだ。


「カイル、目だ! 奴の視界を奪え!」

「うむ」


 抜刀からの二閃。寸毫すんごう遅れて、巴蛇の両目から血飛沫が舞う。

 紙を引き裂くような巴蛇の悲鳴が響き、剣ごと振り回されたユーリスが勢いよく投げ出される。

 それとほぼ同時に、俺は巴蛇の身体に飛び乗る形で跳躍した。


『巴蛇』は、ヤマカガシと呼ばれる陸蛇から変異した魔物だ。変異前に見られる特徴的な斑点模様は変異の過程で消え失せ、やがて青銅よりも堅牢な黒い鱗を持つようになる。血栓形成を引き起こす毒は魔物化の影響で強制的な瀉血を引き起こすものに変質しており、その毒牙に掛かればまず間違いなく死に至る。


 しかし、巴蛇の最大の特徴は毒ではなく、成体時の巨大な体躯にある。


 成体の巴蛇は、象すら一飲みすると言われる大蛇。竜種を除いてここまで過度に身体の大きさを変える魔物は他に存在しない。その上、魔物の中でも群を抜いて凶暴な性格をしており、蛇種でありながら上位捕食者である竜種を喰らう唯一の魔物としても知られている。


 幸い、この個体は大きさからして幼体だ。おそらく変異してから一年と経っていない程度だろう。

 であれば、まだ鱗も柔らかく皮下脂肪も薄い筈。故に臓器を直接狙いやすい。 

 振り落とされぬよう、鱗に捕まって耐え凌ぐ。身体の揺れが収まり、肌が背中の俺に気づくまでの一瞬を狙い、心臓を狙って大剣を突き立てた。


「くたばれッ!」

「――――――――――!」


 鱗と脂肪を貫き、凝固した魔晶と思われる硬い感触に到達する。

 体重をかけて大剣を根元まで突き立てると、巴蛇はしばらく蠢いて、それから動かなくなった。死亡確認をしてから大剣を引き抜き、刀身を濡らす血液や体液に触れないよう地面に突き立てる。


「ユーリス! 噛まれてないか!」


 魔術師組に肩を貸されて立ち上がるユーリスに声を掛ける。見た感じでは無事そうだが一応確認だ。


 しかしユーリスは返答を寄こすことなく、アリアーレたちを振りほどいて近くに落ちている剣を拾いに行ってしまった。蛇毒の危険性については流石に知っている筈。何も言わないという事は、言うまでもなく無事だということだろう。


「……まぁ噛まれてないならいい。それとカイン、触るなよ」


 ついでに、死んだ巴蛇の口の中を覗き込むカインに忠告しておく。彼は、まさか、という表情をして肩を竦めた。


「触るわけないじゃない。ただ、口の中に寄生虫がうじゃうじゃいてさ、気持ち悪いなって」

「んなもん喜び勇んで見るな……気持ちの悪い」

「それは僕が? それとも寄生虫?」


 片眉を下げて問うてくるカインに無言で首を振って返し、俺はアリアーレたちの方へ戻る。「どっちかなぁ? ねえ団長さん、どっちかなぁ?」と背後から聞こえてくるが無視。どっちが気持ち悪いかなんてそんなの決まっている。どっちもだ言わせるな。


 俺はメランを見下ろしながら、近づいてきたミーティアに問いかける。


「拘束は終わったか?」

「うん。両手足をモーリュの葉を編み込んだ縄で縛ったから魔法は使えないよ。じゃあ運搬はよろしくね。私はあのでっかい剣持ってあげるから。一回持ってみたかったのっ!」


 意気揚々と大剣を拾いに行くミーティアに、一応忠告。


「付いてる血には気を付けろ」

「蛇毒は怖いもんねぇ。ここの当たりぎゅってするの」


 言いながら、ミーティアは鳩尾あたりを両手でぎゅっと抑えつけた。口ぶりからして蛇毒に侵された経験があるのだろう。しかしでけぇな。でかさを強調するあの仕草は自覚あんのかないのか、どっちなんだい。あーーーーーーる。ありがとうございます。助かります。


 そんなどうでもいい思考は頭の隅に追いやり、すでに手足を拘束済みのメランを両肩で担ぎ上げる。装備込みで恰幅のある成人男性を担ぐとなるとそれ相応に重いが、重量的には大剣と大差ない。


 なので特に問題は無いのだが、傍から見た場合はその限りではないらしい。

 両手を胸の前にあげて猫の手をしているアリアーレが、心配そうな面持ちで問いかけてくる。


「だ、大丈夫ですか? 重いですよね、手伝いますか?」

「別に平気だ。というかなんだその手。どこを揉む気だ」

「エルザさんの身体ならどこでも揉みますけど。私が言ってるのはその人の話です」

「怖いこと言うな。とにかく平気だ。それよりミーティアを手伝ってやれ。一人じゃキツイはずだ」

「わかりました」


 アリアーレが振り返ると同時に俺も歩き出す。

 伴って、担がれたままのメランの手足も揺れた。俺は失態を侵した。その揺れに動きが紛れたせいで、一瞬、気づくのが遅れてしまったのだ。


 ――メランが、目を覚ました。


「【シェオル】」


 メランが俺の耳元で、そう小さく呟いた。

 俺は咄嗟にまだ近くにいたアリアーレの背中を蹴飛ばし、後退しながら傍を離れる。それからメランを振り落とすものの、逃げて距離を離すほどの時間はない。


 仰向けに横たわるメランは、確かに俺の目を見て、口角を吊り上げていた。

 瞬間、火山の噴火にも似た爆炎が、辺り一帯を飲み込んだ。

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