第25話 再び相まみえる

 しばしして、放流口からかすかに声が響いてきた。

 酷く間延びするような高い男の声。反響しているもののアーテルのものに違いないだろう。一人だけ先行して姿を現し、十mほど離れた後ろからメランとノワールが並んで歩いてきた。

 空腹を訴えるアーテルの嘆きを聞き流しながら、俺はミーティアに合図を送る。彼女が小さく頷いた後、俺は微かに震えるアリアーレを激励した。


「もうすぐだ。大丈夫、お前なら出来る」


 返事はなかった。アリアーレの目はメランたちを追って離さない。

 鳴り響くであろう轟音に備えて耳を塞ぎ、数秒後。

 竜の咆哮にも似た破壊音が大気を揺らがせ、放流口が瓦礫と土塊で塞がった。

 衝撃波と共に迫りくる土煙からアリアーレを守る。彼女はそれでも目を細めて身体を竦ませたが、けして怯むことなく即座に詠唱を開始した。


 メランたちを見やれば、衝撃波と砂礫に飲み込まれて動けない様子。

 その間も詠唱は紡がれる。


 さらに言えば、爆破に使った魔晶に取り込まれていた魔力はすべて消費されたわけではなく、爆破の余波で周囲に拡散している。その魔力を取り込むことで、魔術師二人の魔法はいとも簡単に臨界へと至った。


「――今だ、撃て」


 跳ねるように飛び出して、アリアーレは杖を振りかざした。詠唱魔法と並行して、杖に内蔵された魔晶にも魔力を流し込む。それによって魔法の指向性は、振るわれた杖の先端が描く軌道の接線方向へ半自動的に決定されるのだ。


 裏返った声で最後の詠唱文を叫び、眩い光を帯びた魔力の塊が放たれた。

 放出の反動で宙に浮いたアリアーレの身体を後ろから受け止める。対岸のミーティアも同じように杖を振るうと、隕石が如き火炎が天井を覆った。


 上空と側面、二方向から襲い来る絶対不可避の魔法が、メランたちの姿を完全に飲み込んだ。水路の爆破など比にならない轟音と爆撃。吹き荒ぶ嵐さえ耐え抜く大樹が、悲鳴のような音を立てて大きくしなる。


 抱き寄せたアリアーレと共に身を屈め、肌を焼くような爆風を耐え凌ぐ。

 地形を変えるほどの威力は、しかしメランたちを仕留めるには至らない。奴らは身を寄せ合って一つの影となり、魔術師であるメランが二人の魔法を相殺し仲間を守り切っていた。


 されど、無傷ではない。

 メランの足元で身を丸めているアーテルとノワールは五体満足で無事だが、魔法の相殺に掛かった黒衣の魔術師はすでに満身創痍。天を掴まんと掲げられた右腕は焼け爛れ、身に着けた装威は所々が燃え尽きている。


 それも想定の範囲内。すぐさま二の矢、ユーリスとカインによる波状攻撃が奴らを襲う。


「――っ! 待ち伏せとは卑怯だよねぇ!」


 向かってくる炎の矢を、跳躍したアーテルが空中で迎え撃った。

 空中で出来の悪い光華のような爆発が起こり、あどけない相貌を怒りで満たしたアーテルが煙の中を突っ切って出てくる。


「こすっからい鼠がさぁ! 小賢しい上に鬱陶しいんだよぉおおおおおお!!」


 雨の用に降り注ぐ魔法に正面から突っ込んでくるという奇天烈きてれつ怪奇かいきな光景に少々眉根をひそめるも、本来の目的は果たせている。アーテルは一発一発狙いを定めて撃ってくるカインの方へ、衝動の赴くまま駆け出した。


 しかし、もう一方。

 ノワールは冷静沈着だ。膝をついたメランの元から離れる様子はなく、ユーリスが滅多矢鱈に撃ち込む魔法を的確に鉄球で相殺していく。その光景を見て、俺は対岸のカイルに「お前はカインの援護に行け」と手話で指示を出した。


 次いで、肩を上下させて息をするほど疲労困憊しているアリアーレに手を貸して立ち上がらせる。


「大丈夫か?」

「は、はい……っ、まだいけます」

「よし。俺は降りてノワールを引き離す。その隙にミーティアと合流してメランを拘束しろ」

「わかりました」


 そう言い残し、俺は背中の大剣を抜いて切立った坂道を滑るように降りた。

 メランとノワールはすぐに俺の姿に気が付くものの、乱雑に撃ち込まれる魔法の対応に意識を割かれてこちらに構う暇がない。


 一瞬だけユーリスがいる方を見て、駆ける。

 ノワールが舌打ちをし、魔法を弾いた鉄塊をそのままこちらに振るった。なんとも器用なことをする。

 だが、大雑把で精細に欠けた攻撃故に、動き自体は読みやすい。


 身を屈め、あるいは地面を蹴り、肉薄の距離へ。

 ユーリスの魔法が一瞬止んだその瞬間、ノワールの懐に入り、大振りの一閃を見舞う。

 鈍い音を立てて空を割く大剣がノワールの腹を叩きつける直前、彼女は鬼の形相で裂帛した。


「ちっ……、動きなさいメランっ!」

「――ッ!」


 苛立ちながら左腕を振り上げたメランの手の平から、呪砲が放たれる。

 振りかぶった大剣を寸でのところで盾にした俺は、しかし魔法の勢いまでは殺しきれず大きく後ろへ吹き飛んだ。水と砂利の上を跳ねながら転がり、その勢いを利用して立ち上がる。


 力を失ったようにだらりと垂れるメランの腕。手首まで覆う薄汚れた黒衣の裾から、さらさらと光る砂のような物が零れ落ちた。砕けた魔晶のように見えるが、その推察が正しいかどうか確かめる暇はない。降り注ぐ追撃の鉄塊をさらに後退して躱す。


 どうやらユーリスの魔晶が尽きたらしい。カインのように狙いを定めて撃っていればまだ途切れていないはずだが、功を急くばかりにはやってしまったのだろう。

 挑発的な表情を見せるノワールと、距離を開けて対峙する形となる。


「まさかここで待ち構えているなんてね。正直驚きだわ。どうしてここだとわかったの?」


 ノワールは戦棍メイスの柄を捻って鎖を巻き取り、目端を窄めて問うてくる。


「その問いに俺が答える必要があるのか?」

「ないわね。でも気になるじゃない。地下水路の設計図に書かれた出入口は三十か所以上あったのよ。なのに貴方たちはここにいる。偶然にしては、ねぇ?」


 言いながら構えを取るノワール。わかってはいたことだが、やはり奴らは地下水路の構造を知っていたらしい。


 地下水路の設計はヴァリアント皇家が主導した計画だ。民間人はおろか敵国の人間が当時の資料を閲覧できるわけがない。奴らがその設計図を手に入れているなら、皇家に最も近い軍の中枢――近衛兵に帝国の間諜が潜んでいるという噂は一気に真実味を帯びることになる。


 しかし、水路に通じる出入口のほとんどが崩落しているという情報が無いのであれば、それを伝えるわけにはいかない。そもそも取り調べは俺たちのやることじゃない。ここで問答する必要はないと断じて会話を流した。


「悪いがお前たちと会話をするために来たわけじゃない」


 言い終える前に走り出し、大剣を大きく振り上げた。剣の腹に掬われるように巻き上がった水と砂利がノワールを襲い視界を覆う。


「甘いわねっ!」


 ノワールは鉄球を飛ばして立ち昇った水の膜を打ち破ると、棍棒に早変わりした得物を振り回して地面に突き立てた。身体を浮かせ、捩り、遠心力を伴って振るわれる棍棒は、ノワールの足りない膂力を不足なく補う。

 俺はそれを大剣で阻み、腰を据えて受け止めた。


「ぬんっ!」

「あら」


 凄まじい衝撃だが、鉄塊に比べればよほど軽い。膝の発条ばねでノワールを押し退け、腹を狙って横薙ぎ。棍棒を盾にして剣の直撃を防いだノワールを、力任せに吹き飛ばす。

 大きく吹き飛ばされたノワールは、持ち前の身軽な身体捌きと巧みな棍棒捌きで身体を地に付けることなく着地した。


 一瞬、メランを見やる。消耗しているが抵抗の余地はありそうだ。少なくともノワールを無視して彼を拿捕するのは不可能だろう。とはいえアリアーレたちが合流するまでに回復されても敵わない。


 一秒に満たない逡巡の末、俺はカインに貰った魔晶を取り出し、メランに向けた。


「寝てろ」


 メランが力なく上げた腕を無慈悲に弾き、魔晶を向けて魔力を込める。地下水路の爆破用に用意した魔晶なので、放たれる魔法も爆発性の火炎。それをもろに受けたメランは易々と吹き飛び、倒れたまま動かなくなった。


 奴が身に着けている黒衣は近接戦闘を考慮して幾らか改造されているが、元は魔術師専用の防具。魔晶の構造を模倣した繊維が魔力を吸収することで、魔法が直撃した場合の威力を自動で軽減する。この程度で死ぬことはあるまい。


 そして振り返り、向かってきたノワールを迎撃。

 棍棒を支えに飛躍してくるノワールが空中で柄を捻った。すると棒先から魔力のうねりが生じ、それは俺の身体を貫いて背後まで伸びる。反射的に背後を見ると、魔力の糸は分離された鉄塊に繋がっていた。


「戻りなさいっ!」


 ノワールが叫ぶと、勢いよく吊り上げられた魚のように鉄塊が引き寄せられた。しゃがんで躱すと、髪の毛を掠って頭上を過ぎる。


「くっ――!」


 ノワールは引き寄せた鉄塊の勢いを利用して身体を回転させ、連接戦棍フレイルに戻ったソレを振り下ろす。巨岩の落石を思わせる打撃は俺の鼻先を掠めて地面を穿ち、水と土と砂利の柱を立ち上げた。


 その柱の奥から、魔力を帯びた鉄塊が直線状に伸びてくる。

 躱そうと身体を捻るものの足元が悪く体勢を崩し、鉄塊に大剣を持っていかれてしまった。

 その様を見て、ノワールは高慢な声を上げる。


「皇国の傭兵は魔物の相手ばかりで対人戦闘は慣れていないようね!」

「……」


 大剣を取りに走るかどうかの、一瞬の逡巡。もちろん否だ。

 滑らぬよう爪先を泥の中に突き立て、身体一つでノワールの元へ走る。未だに降り注いでいる泥と水を被りながらの体当たりだ。


 ノワールは咄嗟に構えようとしたが、振り抜いた鉄塊の慣性で制御の利かない武器を持っていては、とても防御は間に合わない。

 体格差のある男からの体当たりは、女の身体など易々吹き飛ばす。


 俺が対人戦闘に慣れていないなど、見当違いも甚だしい。

 クルトの団で一番弱かった俺を超々前線型に仕立て上げたのは、他でもない当時の仲間たちだ。

 強くなるまで毎日毎日、死ぬ一歩手前までボコボコにされ続けた。


 だから対人戦闘は俺の最も得意とする戦い方だ。

 少なくともノワールのように足りない膂力を武器で補うような人間には負けたりしない。


 すぐさま倒れて仰向けになったノワールに馬乗りになり、強引に武器を奪い取った。見よう見まねで鉄塊を分離し、腕を踏みつけて動けなくしてから振りかぶる。


「ちょっと! 女の顔をそんなもので殴るつもり!」

「戦場で武器を持つ者に性別などあるか、阿呆」


 側頭を殴りつけると、ノワールは一瞬で意識を失った。

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