第24話 願望
明け方。
木枝の隙間を抜けてくる払暁の光が、疲労した瞼をさらに重くする。
各員、配置についた状態で放水口を監視し始めて数時間。メランたちが最速で移動している場合、もう間もなく姿を現す頃だ。
堀の上からお互いが視認できる距離に身を隠す。
魔術師組は二手に分かれ、アリアーレは俺と、ミーティアはカイルと同じ場所に身を潜めている。カインとユーリスの遠距離隊は、爆破の余波がギリギリ届かないであろう位置だ。
極度の緊張からか、呼吸が浅くなっているアリアーレの背中を何度か
すると木製の杖を握る手に力が入り、みしっ、と軋んだ。アリアーレにとっては事実上初めての実戦だ、無理もあるまい。
俺は背中を擦るのを止め、代わりに心臓の鼓動を真似るように指先でトントンと叩く。放流口から視線を外さぬまま、声を潜めてアリアーレに問いかけた。
「不安か?」
「うまく、いくでしょうか……?」
杖が再度音を立てて軋む。俺は穏やかな声音であることを務めた。
「心配するな。その為に集めた仲間だろ?」
視界の端で、アリアーレが視線を上げたのがわかる。
つられて同じ方を見やると、大きな木の幹に隠れているミーティアがいた。大柄なカイルはその背後で身を低くしている。美女と野獣。いや、別にカイルは野獣と言うほど浪人じみた見た目ではないのだが。
こちらの視線に気づいたミーティアは、にまっと笑んで片目をパチッと閉じる。さすがの余裕である。アリアーレの表情にもかすかに微笑みを宿し、いくらか緊張が和らがせたようだ。
「通路を爆破したら詠唱開始ですよね」
「そうだ。詠唱文、ちゃんと暗記してるか?」
からかうように言うと、アリアーレはこちらをきっと睨みつけてきた。
「ば、馬鹿にしないでください。今だって忘れないよう毎日暗唱してるんですから……」
「失敬。兄貴譲りの勤勉さだな」
そう言うとアリアーレは少しだけ誇らしげな表情をする。
その顔を見てから、俺は視線を元に戻す。
いや、厳密には元見ていた場所の少し上。ユーリスが潜んでいるであろう場所だ。姿は見えないが、待機し始めてから動いた気配がないのでいる筈。気配を消すことに相当気を払っているようだ。
思わず深い息が漏れる。
まるで心の中にわだかまる何かが溢れ出すような溜息だった。
ユーリスの話をカインから聞いた後、迷わなかったわけではない。
傭兵経験のない素人、経歴は嘘で実戦経験もない。
このまま作戦を続行すれば彼の存在自体が綻びになりかねない、と。
しかし、彼が抜けてどうなるだろうとも考えた。
まず頭数が減る。明確な痛手に違いない。人員が欠けることによる動揺や不安もあるだろう。仮に個々の実力や経験がその穴を埋めてくれるとして、じゃあ新米のアリアーレはどうなるか。
ユーリスは彼女が自ら勧誘した男だ。経歴に嘘があったと知れば少なからず、否、酷く動揺するだろう。我が身の振り方に今この瞬間も思い悩み、極度の緊張状態にあるアリアーレに対し、これ以上の心理的負担を強いるわけにはいかない。
故に、作戦には参加してもらうことにした。野営地で待機させていても意味がないし、なにより彼の嘘は悪意によるものではなく、単なる見栄に過ぎない。カインに嘘を見破られても逃げ出すことなく、その後も粛々と作業を続けたのであれば、その見栄を現実にしようという覚悟は持ち合わせている筈だ。
想い人の気を引く為についた嘘を、現実にしようと足掻くのなら。
英雄に恋い焦がれたという彼が、その拙い夢に手を伸ばそうというのなら。
ならば今は信じるしかあるまい。ユーリスという男を。
カインには言われた。状況を鑑みたとしても甘すぎる対応だ、と。
俺は言った。上等だ、と。
嘘も、不安も、
その為に俺は、鉄を纏い、剣を取ったのだから。
「……はっ」
自覚もなく漏れ出した声に、アリアーレは疑問符を浮かべて首を傾げる。
「どうかしました?」
「いや、なんでもない」
彼女と目を合わせ、小さく首を振って返す。
なんてことない、単なる思い出し笑いだ。
生きることに必死だったこの十年で、いつの間にか彼方へと追いやられ忘れていた、原点の記憶。
生まれ育った村を出てまでも、あえて傭兵の道を選んだ理由を。
「安心しろ。俺が全部守ってやる」
ぽかんと呆けた表情をするアリアーレは、しかし満面の笑みを湛えると、はい、と小さく返事をした。
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