第22話 誰だって最初は
千年物の大樹や、堀の深い河川が伸びる、大きな山の麓。
碌に管理もされず長年放置された結果、周辺は乱雑に草木が生い茂っている。その奥にある、一見するだけでは洞窟に見える空洞が、地下水路へ続く放流口である。
街道から外れた場所という事も相まって、外界から半ば閉ざされている場所だ。
少し離れた場所に野営地を築いた後、地下水路近くで奇襲の準備を進める。
専らの作業は、円形状になっている水路の出口を崩落させる為の魔晶を仕掛けること。魔力伝導率の高いキントラノオ科のつる植物に魔晶を括りつけることで、遠隔からでも魔法を発動することができる。
ここは場所柄、高低差があり水場も多い。近接戦には向かない場所だ。
故に、目指すは魔術師二人の高火力魔法による超短期決戦。
作戦は至極単純で、まず絨毯のように敷き詰められた魔晶で水路を崩落させて退路を断つ。放流口は堀の深い袋小路となっているので、そこに詠唱魔法による最大威力を叩き込む。これだけだ。
無論、対応される可能性は十分考えられる。
魔術師は部隊の『大砲』であると同時に、部隊を守る黄金の『盾』でもある。メランという男が本当にグリード並みの魔術師であるなら、地下水路でミーティアがやって見せたようにこちらの魔法を相殺、あるいは軽減してくるだろう。
そうなった場合の二の矢も用意しておかねばならない。
「かなり老朽化しているようだし、崩すのにこんな量の魔晶は要らなかったね」
そう言いながら両手を払って土を落とすカイン。
彼の言う通り、水路内部の外壁や天井は外から見える部分だけでもかなり老朽化している。ひび割れた壁は少し力を入れて動かせば外れそうなほど。山の下という立地の関係もあり、俺たちが手を下さずとももう何年も持たないだろう。
亀裂に嵌め込むように最後の魔晶を設置し、俺は放水口の方へ降りる。
どこからか地下水が漏れ出している上、小石や折れた枝葉が散乱するこの場所はかなり足場が悪い。油断していると容易に足を取られる。
「かなり滑るな」
足裏で地面をぐりぐりと踏みしめる。
仮に二人の魔法で行動不能できなかった場合でも、ここに降りて戦うのは避けた方が良い。遠距離攻撃で分断を誘導し、各個撃破が望ましいだろう。
空を仰ぐように首を曲げ、上で作業中のユーリスを呼ぶ。
「ユーリス。魔晶はどれくらい余りそうだ?」
「ニ十個ちょっとかな。さては何かに使うつもりだね」
にやりとほくそ笑みながらこちらを見下ろすユーリス。
何か奇天烈怪奇な策を期待している目だが、残念ながらそんなものはない。
「お前とユーリスで均等に分けろ。魔法で仕留め切れなかった場合は遠距離から波状攻撃を仕掛けて奴らを分断する」
「なんだ、思ったよりつまらない案だね。――奇数だから一個あげるよ」
ユーリスは手のひらサイズの魔晶をひょいと投げ落とした。
慌ててそれを受取ろうとし、足を滑らす。
「うおっ……!」
持ち前の体幹とバランス感覚で何とか転倒は防いだ。ついでに魔晶も掴んだ。が、大股に足を開いたせいで元に戻れない。
プルプルと震えながらゆっくり態勢を変えようとしていると、近くで作業中だったアリアーレが慌てて助けに来る。
「だ、大丈夫ですか――っ!」
「ちょ、まて」
慌てて制止するが、アリアーレは止まらない。というか止まれない。
当然の帰結というか、馬車に撥ねられた人に駆け寄るくらい焦りながら来たものだから、彼女まで濡れた小石に足を取られた。
前傾姿勢で転んだアリアーレはそのまま俺に突撃して倒れ込む。
アリアーレのことは受け止めたので怪我もなく無事だが、俺は濡れました。頑張って耐えた意味がない。耐え忍ぶことが必ずしも良い結果に繋がるわけではないという社会教訓でしょうか。救いは無いのですか……?
しかし俺は大人の男なので、アリアーレが無事であったという事実をもって濡れた意味はあったのだと己に言い聞かせることにした。大人の男はそんな些細なこと気にしないんだよなぁ。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。すみません、結局転ばせちゃいました……」
ぺこぺこと謝るアリアーレの肩を軽く叩き、そんなに謝らなくていいと励ます。
「元はと言えばあの馬鹿のせいだからいい。気にするな」
水路の上を見やると、悪戯っぽい顔で笑っているユーリスがいた。憎たらしいことこの上ない。
「それより、そっちの作業は終わりそうか?」
「はい。ほとんどミーティアさんがやってくれてますけど……」
気まずそうに眉を下げ、アリアーレは消え入るような声で呟く。
魔術師組の仕事は、山に余計な被害が出ないようにすること。
今もミーティアが大きな木の幹に術式を刻んでは、木の根元に蔓を巻き付けて繋いでいっている。
術式の内容は指向性を反転させるというもので、最終的に放流口をぐるりと囲うように設置される。魔法の余波を防ぎつつ、反射された魔法がさらにメランたちを襲うという二段構えだ。
作業自体は順調に見えるが、何か問題でもあるのだろうか。
そのようなことを問うと、アリアーレは苦々しい表情を張り付けた。
「私、あんまり役に立ってないから、そのことが申し訳なくて……この間も何もしてませんし、今日も何もできないのかなって」
「なるほどなぁ」
どうやらアリアーレは、作業の手際が悪くて落ち込んでいるようだった。
心構えは実に殊勝なことだが、今回ばかりは比べる相手が悪い。
「しかしなアリアーレ。ミーティアは活動歴で言えば俺より長いベテランだ。こういう作業はこの団の誰よりも慣れてる」
「それはそうなんですけど……」
気後れからか、アリアーレの表情はどうにも芳しくない。こんなことであまり思いつめてほしくはないのだが。
けれども、このままではアリアーレも沈んだまま戻らないだろう。
多分、アリアーレは生粋の理想家なのだ。
わずか六歳で学区を訪れ、学園で魔法の才能を磨き、弱冠十六歳という若さで『高位』の資格取得も視野に入れるほどの秀才。
魍魎跋扈するこの世界で、自他ともに認める天に恵まれた人間。
彼女の頭の中には常に思い描く理想の自分がいて、今はそれに準えていない現実の自分を恥じている。
地下水路でのことも、彼女はユーリスを介護してはいたものの、魔術師として役割を果たせたわけではない。
それは、自分ならもっと上手くできるのにという、無自覚な傲慢だ。
そして誰しもが一度は抱え、やがて自ずと気づくものでもある。
しかし、アリアーレはいまだ十代の少女。
揺らぎ易い自意識と漠然と湧き上がる自信に、自分が振り回されているとも分からぬまま、ただひたすら突き動かされる年の頃。
まさに思う。かつての俺自身だと。
そんな曖昧で不安定な時期の真っ只中にある彼女へ贈る言葉は何が良いだろう。
励ましか、共感か、あるいは慰みか。
幾らか逡巡した結果、かつて俺自身も掛けられた言葉を伝えることにした。
「アリアーレ。お前の気持ちはわからないでもない。だが、はっきりと言っておくぞ」
一拍置いて、伏し目がちに俯くアリアーレに向けて言う。
「新米が出来ないことで気落ちするな、烏滸がましい」
けして優しい言葉ではない。辛辣でさえあるだろう。
十年以上前、故郷を出て腐っていた俺に、クルトが掛けてくれた痛烈なまでの激励。
それでも、この稼業でやっていくと決めた者にとっては必要な言葉だ。
「いいか、今のお前がミーティアに劣るなんて当たり前なんだ。才能は経験を担保するわけじゃないからな。だから出来ないことを嘆くな。出来るようになるよう見て学べ。必要なら教えを乞え。一歩ずつ経験を積んでいくんだ」
「……」
「お前は同世代と比べて一番最初に出発点に立ったってだけだ。まだ歩き出したばかりなのに落ち込んで俯いてたら、後から来た奴らにどんどん追い抜かれるぞ」
アリアーレから言葉での反応はなかったが、唇を強く結んだことだけはわかった。
しかし、数秒もすればアリアーレはすっと顔を上げた。晴れやかとまでは言えぬものの、先ほどまでの迷いはないように見える。
「……そう、ですよね。魔法の知識だって、最初っからあったわけじゃないし」
「その通りだ。俺だって魔物の知識を実戦に活かせるようになるまでそれなりに時間が掛かった。何事も積み重ねだ。一朝一夕にやろうとするな。わかったか?」
「はい。……私、頑張りますね」
アリアーレは胸の前で両手をぎゅっと握り込み、決意を固めた顔で頷いた。腰を曲げて深々と一礼し、彼女はミーティアの元へ駆けあがっていく。
その藍色の目には、十年来の馴染みがあった。
かつての団長、クルト・マクギネスが時折見せたのと同じ目だ。
いつでも明るく、思いやりがあり、穏やかで、人懐っこい。
そして誰よりも勤勉で、誠実で、義理堅く、どこまでも志の高い男。
あの目を見せたクルトが誓いを反故にしたことはない。
彼は片腕と両足の自由を失ってまでも、やるべきことを成し遂げたほどの
それは同じ血を引く妹であるアリアーレにも言えることなのだろう。
きっと彼女はいつの日か、俺が知る限り最高の魔術師になる。
確証などない。
ただ、確信に似た予感だけがあった。
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