第19話 兎と再会
翌々日、キヴァニアの街の正門外。
手配した馬車の荷台に、数日分の食糧や日用品の他、武器防具の手入れに必要な道具、野営に必要なテント等を積み込んでいく。
山の麓の排水口までは約二日の道のり。
奴らの足をどれだけ早く見積もったとしても、到着するのはそれより半日後だ。休息と準備を整える時間は十分ある。
食糧の手配を依頼した商人と積み荷の確認を進める。荷台の幕から顔を出してやり取りしていると、馬車の陰からカインが顔を覗かせた。
「団長さん、向こうの確認は終わったよ。で、アリアーレちゃんとミーティアさんがまだ来てないみたいだけど、何か知ってるかい?」
「魔晶の用意が遅れたみたいだ。出発までには間に合う」
「そっか。いや、女性陣の荷物が三人分あるみたいでね。その事について確認をと思ったんだけど……」
なるほど、それは確かに妙だ。
使える馬車の数には限りがあるので、遠征慣れしているミーティアはもといアリアーレについても荷物は必要最低限で済ませるよう事前に言ってある。二人分より少ないことはあっても、三人分などあるはずがない。
まぁないとは思うが、一応確認しておく。
「御者のではなくてか?」
カインは首を大きく左右に振り、大げさに残念がって見せた。
「残念ながら御者は全員男だよ。でもわかる。アリアーレちゃんとミーティアさんはいるけどさ、男所帯だとどうもむさ苦しくて敵わないよね。華なんていくら居てくれても困らないわけだし、そうだ、今からでも女性の付き人雇わない?」
「そんな金はない。で、荷台に余裕はあるのか?」
胡乱な提案はにべもなく一蹴しておく。カインは肩を竦めた。
「カイルさんの荷物が少ない分、いちおう収まってはいるよ」
「ならいい。お前は出門手続きを済ませてきてくれ」
「了解。まだ時間ありそうだしついでに市場でも行こうかな。団長さんは何かいる?」
「じゃあ、なんかいい感じの頼む」
「ゴミみたいな頼み方だね。次回以降は改めるように」
口の悪すぎる台詞を残して、カインは正門方面へ歩いて向かっていった。あいつはお腹がすくと死ぬほど口が悪くなるんだ。そして靴みたいな名前の棒状の軽食を食べると元に戻る。なんで?
冗談はさておいて、荷台の確認だ。
特に食糧は最重要品。日用品は自然にあるものである程度代用可能だが、食糧は確保が困難であることが多い。野兎や川魚は条件によっては全く確保できないことも多いので、多少余分に詰んでおきたいところだ。
肉や魚の干物、日持ちする野菜に調味料。中でも一番多いのは水だ。人間水さえあればとりあえず何とかなる。水最強。さすが人体の半分以上を構成している主成分なだけある。毎日適度に飲め。
水への多大な感謝をしつつ荷物を固定していると、足元に何かが触れる。妙にふわっとしていて生温かい。
一体何だと視線を下げると、そこには茶色くこじんまりとした人の顔サイズの毛むくじゃらがいた。
通称、野兎である。
「お前、どっから入りやがった」
首根っこを捕まえて荷台の幕間から外に放るが、すぐに身体を起こして再び荷台に飛び乗ってくる。
そしてまた、俺の足元へ。
その後は何度外に放っても、負けじと俺の足元に寄ってきた。
荷台には入るくせに食糧を狙うわけでもなく、臆病者の代表としても知られる野兎であるくせに警戒心がなさすぎる。
一体全体なんだんだと嘆息していると、ふと、思い出した。
「……お前もしかして、こないだの兎か?」
人語を理解などしていないだろうに、野兎はぷうと喉を鳴らした。
思い出したのは、皇子の護送についた先日の任務でアマナと見張り番をしていた際に遭遇した野兎。魔物化した同族の凶爪から結果として救った為か、何故か妙に懐いてきたあいつだ。
あの時の野兎は、森の方向へ蹴り飛ばして野生に返した筈。
仮に同じ個体ならばどうしてここにいるのだろう。
というか、あの森からこのキヴァニアまで、魔物に襲われることなく一匹で
しかしこうなると、殺しでもしない限り戻ってきそうだ。
常日頃から世界一の博愛主義者を自称する俺は無駄な殺生を好まない。生き物好きなんよなぁ俺。え、野兎? 状況によっちゃ獲って食うけど何か? あによ、生きるってそういうことじゃない。俺を責めるな。世界を責めろ。世界一の他責思考者はハイ俺です……。
逃がすのは諦めて、膝を曲げて野兎の頭を撫でつける。
「馬車で十日の道のり歩いてきたのかお前……」
驚嘆なのか呆れなのか自分でもわからないような声が出た。
とはいえ、このまま馬車に乗せて連れて行くわけにもいかない。
さてどうしたものかと頭を悩ませていると、不意に幕間が開かれた。
「……ハルモニアさん? 何故ここに?」
ハルモニアさんは険しい表情で野兎を一瞥すると、それから俺を見て苦言を呈した。
「食糧を積んだ荷台に野生の動物を乗せるべきではありません」
「乗せたんじゃなく乗って来たんです」
「言い訳は無用です。速やかに外へ」
「逃がしても戻ってくるんです」
口を突いて出る言葉。自分でも言い訳がましいなぁと思っていたら、どうやらハルモニアさんもそう思っていたようで、露骨に不機嫌そうな表情を作った。
「……御託はいいからさっさと外に出ろっつってんのよ」
地に響くようなどすの利いた声。半ば反射的に従ってしまった。
「ハイ、すみません。只今」
素早い動きで野兎を抱え上げ、言われた通りさっさと荷台から降りる。なんだ今の怖い声……。
背中が汗で濡れるのを感じつつ、きびきびとした動きでハルモニアさんと対面する。
「今すぐその兎を元居た場所に戻してきてください」
まるで殺し屋のような鋭く冷たい目つきに
ただ、言葉面こそ丁寧であるものの、言い方が完全にお母さんのソレだった。
よって、俺の返答も子供然とした言い訳となる。
「いや、あの、勝手に懐いてきてェ……」
「……」
「こいつ、皇都の近くの森にいた奴っぽくてェ……」
「……」
「だから、その、元居た場所には戻せなくてェ……」
「……」
「……」
さっきから視線の圧がすごい。交渉の余地などないからさっさとしろと訴えかけてくる。
二の句を失い押し黙る俺に一歩詰め寄り、ハルモニアおかんは小脇に抱えられている野兎を一瞥した。
「エルザ様が戻さないというなら、わたくしが内々に処理いたしますが」
「物騒なことを……戻します、戻せばいいんでしょ」
とぼとぼと馬車から離れ、野兎を解き放つ。
しかし、やはりと言うべきか、こっちを向いて止まり毛繕いを始めた。試しに一歩引いてみると、ぴょんと近づいてくる。二歩三歩と後退しても同じようにぴょんぴょんと。非常食のくせして可愛いなコイツ。
だんだん放っておくのが忍びなくなってきた。
たとえここで野生に戻したとしても、こいつにとってここは慣れぬ土地。いずれ他の動物や魔物に襲われるだろう。俺自身すでに愛着めいたものも感じているし、なによりこんなに懐かれているのを無下には出来ない。したくもない。
頭を指で撫でながらどうしようか悩んでいると背後に人が立った。振り向くまでもない。ハルモニアおかんである。
「まだ終わりませんか、エルザ様」
「このまま野生に返すのは忍びなくてですね……ハルモニアさん、別途報酬は払いますので、屋敷の庭なりで世話してもらうことはできませんか?」
「できません。そもそもわたくしも同行いたしますので、屋敷は別の使用人が管理することになっております」
「そうですか……ん?」
他に頼れる当ては、と思考を巡らせようとして、引っかかりを覚える。なにやら聞き捨てならないことを言われた気がするのだが。
自分でもわかるほどの怪訝な表情で振り返り、ハルモニアさんを見上げる。
「ついてくるって言いました?」
「はい。お世話役として皆様に同行いたします。殿下からのご用命ですので、拒否権はございません」
「一応危険な仕事なんですけど……」
ハルモニアさんもそれはわかっているはずなので控え気味に言うと、彼女は静かに瞑目して言った。
「自衛の心得はあります」
「まぁ邪魔しないのであれば。……女性用の荷物三人分ってハルモニアさんの分ですか?」
「そうです。別途馬車の手配をするのは手間ですので」
しれっとそう宣うハルモニアさん。手間って、滅茶苦茶勝手なことするなこの人……。カイルがミニマリストで助かった。そうじゃなきゃ俺が荷台に押し込まれるところだった。その場合はハルモニアさんじゃないの? 当然俺だよ。
「それよりも、早くそれをどうにかしてください」
言われ、視線を野兎に戻す。円らな眼が可愛らしくて憎たらしい。
「お前、なんで来ちゃったんだよホント」
呆れ交じりに呟くと、再びぷいぷいと喉を鳴らす。
俺は諦め混じりに溜息を吐き、野兎を抱えて立ち上がった。そのままハルモニアさんを振り返って言う。
「どうせ行先は山ですし、連れて行って放します。途中で逃げ出せばそれでも良し。食糧にだけ近づけさせなければいいでしょう」
「……では、必ずエルザ様の目の届く場所に置いてください。放置はなさらぬよう。食事や排泄物の処理等、すべての世話をご自分で行ってください。兎の主な食料は――」
唐突に始まったハルモニアおかんのペット飼育講座に耳を傾ける。
そのまま会話の主導権をハルモニアさんに握られてしまい、俺は道中野兎の世話役を務めることと相成った。
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