第16話 共同生活

 夕刻。

 皇子に屋敷は今日から使っていいと言伝を貰い、宿から少ない私物を持って街の北東まで来た。


 市街地からやや離れた場所にある小丘のように競り上がった土地。

 丘上の最も高い位置に築かれた近衛の屋敷は、皇子の邸宅とほぼ同等の大きさだ。一人はおろか、仮に団員全員が住むとなっても大きく有り余る。


 屋敷の維持管理の為に使用人を付けるとは言われたが、なかなかどうして。

 こうして屋敷の前に立ってみると、多少、怖気づいてしまう自分がいた。


 門の外からぼけぇっと屋敷の全貌を眺めていると、不意に背後から声を掛けられる。

 その方を振り向くと、アリアーレとカインがいた。少し離れて、ユーリスがこちらに歩いてくるのが見える。


「中、入らないんですか?」

「思っていた以上にデカくてな。圧倒されてた。というか、お前たちもここに住むつもりか? 俺と違って借りている部屋があるだろう」


 単純な疑問を呈す。

 俺以外の団員は、この街に元から住んでいる奴らだ。少なくともアリアーレは食堂の寮住まいで、他の連中も持ち家はないだろうが、借家なり借間なりがあるはず。

 すると、カインは片目を閉じ、人差し指を揺らし、チチチと舌を鳴らす。


「団長さんはこんな広い物件に一人で住むつもりかい? 贅沢な人だねぇ。駄目だよ独り占めは。利分は団員にも分けてもらわなくちゃ。せっかく口下手な団長さんの代わりにこの僕が交渉してあげたんだからさ」

「別に住むなという話ではなくてだな……」


 拒絶しているように聞こえてしまったのだろうか。特にそんなつもりはなかったのだが。

 しかしカインはそんな心配をよそに眉を上げて笑いながら言う。


「冗談さ。わかってるから皆まで言わないでよ」


 ぱしぱしと肩を叩いてくるカイン。調子のいい奴だ。

 身体の三倍くらいはある大きな荷物を背負っているアリアーレに視線を向けると、彼女は俺の目をまっすぐと見ながら、蒼天よりも碧く曇りのない目でこう言った。


「私はエルザさんと住むために来ました」

「そっか」

「私はエルザさんと住むために来ました」

「そっかぁ……」


 一字一句同じことを二度言われ、俺は押し黙る。いったい何を言えとおっしゃる。

 目を合わせていられず視線を上げると、ユーリスがちょうどアリアーレの隣まで来た。

 すっかり体調も戻った様子で、俺を一瞥した後、屋敷の方に視線をやった。


 回復したのは良いことだが、なんだか少しだけ依然と違う。

 その違和感がどこから来るのかはすぐにわかった。

 今のユーリスには、俺を敵視する視線がないのだ。


「大丈夫か、ユーリス?」


 今なら普通に会話できるかなと、自然な切り出しで声を掛けてみる。

 しかし返ってきたのは、わかりやすい敵意こそないものの、素っ気ないものだった。


「平気だ。気遣いは結構」

「そうか……」


 会話が終わる。会話というか、定型文のやり取りだが。

 視界の端で、アリアーレとカインが互いに目を見合わせたのが見えた。


 俺たちの相性悪いことはすでに皆の共通認識らしい。ユーリスの態度はアリアーレに対しても俺に対してもかなり露骨だから、当然と言えば当然である。うん、空気悪いよね、不甲斐ない団長でごめんね?


 一人で勝手に沈んだ気持ちでいると、ユーリスが屋敷の門戸を開いた。

 樹木を象った装飾が施されている鉄格子の扉は、少し反動を入れて押すだけで慣性によって開いていく。


「中に入ろう。アリアーレちゃん、荷物持つよ」

「ありがとうございます。ちょっと重いですよ」


 アリアーレは忠告を添えつつ素直に手に提げている分の荷物をユーリスに渡す。


「もんだっ」


 受け取った瞬間、明確にユーリスの身体がかくんと傾いた。

 いったい何が入っているんだろうか、あの手提げ鞄。

 ユーリスは転倒だけは気合で防ぎ、鞄を見て怪訝顔をしながらも余裕そうに肩を竦めてみせる。


「……いないね、これくらい」


 好きな子の前ではかっこつけるのが当たり前。ユーリスも男の子してる。


 ところで、ただでさえ上り坂になっている道を滅茶苦茶大きい荷物を背と手に持った状態で歩いてきているのに、どうしてアリアーレは額に汗の一つも掻いていないの。もしかして体力お化けの怪力さんなの? 傭兵団結成の約束をした日の夜、もし断っていたら頬を挟んでいた両手でそのままぐちゃってされてた可能性あるな。こわぁ……。


 俺が勝手に怯えていると、ユーリスが先導して敷地内へ入っていった。


 大きな扉を開いて館へ入ると、玄関口で使用人姿の女性に出迎えられる。

 長い紫掛かった髪をうなじあたりで結んだ妙齢の女性。

 女性はゆったりとしたスカートをふわふわと揺らしながら、数歩歩いて目の前まで来る。


「お待ちしておりました。わたくし、ベルガ殿下より皆さまの世話役を仰せつかっております。ハルモニア・カウスと申します」

「これはご丁寧に。エルザといいます」


 俺が代表して挨拶すると、他三名も口々に名乗る。どうでもいいけど同時に喋らないようにしようね。名乗る時は特に。


 ハルモニアさんは一人一人に丁寧な会釈をすると、「こちらへどうぞ」と短く言って皆を先導し始めた。

 長い廊下を進みながら、ハルモニアさんが屋敷内部の説明をしてくれる。


「近衛屋敷は地上三階建てとなっております。一階には食堂、浴場、客間、大広間。二階と三階には皆様方の個室と内倉がございます。各部屋はご自由に使用していただいて構いませんが、各階に一部屋ずつ、わたくしが使用している部屋がありますのでご留意ください」


 内装をじろじろと観察しながら、カインが何気なく問う。


「ふぅん。それってどの部屋です?」

「いずれも階段を上がって左手にある部屋でございます」

「階段のすぐ近くって、なんだか監視されているようで落ち着かないよね」


 誰に問うでもなく、空々しくカインは言う。

 監視という意図があるかはともかく、確かに階段の近くは人の動きに目を配りやすい位置だろう。

 ハルモニアさんは一瞬だけ立ち止まり、カインを振り返って厳とした口調で言った。


「ベルガ殿下より皆様の世話役を仰せつかっております。どうかご理解くださいませ」

「つまりそれが皇子殿下のご意向というわけだね。了解、もう文句は言わないよ」

「ご配慮くださりありがとうございます」


 ハルモニアさんは粛々と礼をし、再び前に向きなおる。

 彼女は監視の意図を暗に匂わせはしたが、他にまったく人の気配がしないことから察するに、現在この屋敷に控えている使用人はおそらく彼女だけだ。一人では監視も何もないだろう。


 屋敷中央の階段から二階へ上がると、廊下が左右に分かれ、突き当りでさらに左右に分かれている。俯瞰するとちょうどHのような形で、真ん中の渡り廊下の部分に二部屋(その内左がハルモニアさんの部屋)、その他に合計二十を超える部屋がずらりと並んでいた。

 その様に圧倒されているアリアーレが、ぽつりと呟く。


「部屋多いですね」

「本来は近衛兵が使う屋敷です。一つの屋敷に数百名が寝泊まりすることも珍しくありませんから、当然部屋の数も多くなります」

「ここの部屋ならどこでも自由に使っていいのかい?」

「はい。三階も基本的な内装は二回と同様ですので、お好きな場所を使用してください。お申し付けくだされば部屋の維持管理もわたくしがお引き受けいたしましょう」


 全員が何となく目を見合わせる。


「俺はいいです」と俺が。

「私も自分で」とアリアーレ。

「僕も結構かな」とカイン。

「いらないね」とユーリスが答えた。


 全員から同様の返答を受け、ハルモニアさんは身体の前で手を重ねる。


「わたくしはこれから夕餉の支度をしてまいります。御用があれば何なりとお申し付けくださいませ。それでは失礼いたします」


 ハルモニアさんが会釈を残して、階段を下りていく。

 さて。では、俺たちは荷物の整理から始めようではないか。

 皆同じ結論に至ったのか、カインが両手を叩いて代表して言った。


「じゃあまずは部屋割りだね。僕から提案があって――」


 カインが話し始めたのに対して、即座にアリアーレが割って入った。


「私はエルザさんと同室か隣り合わせがいいです」


 瞬間、空気が凍る音がした。

 俺もカインも絶句した。ユーリスは不機嫌そうに俺を睨んだ。


 いや、睨まれているとか、今は心底どうでもいい。


 当のアリアーレを見れば、きょとんとした顔で俺を見ている。

 それの何が怖いって、彼女の目には、期待とか、興奮とか、高揚感とか、そういった色は一切浮かんでいないところだ。まるで、そうすることが当然の所作ですよね、とでも言わんばかりに彼女はそう宣っている。


 俺はしばしの逡巡の末、いったんアリアーレを無視することにした。


「カイン、お前が決めろ」

「え、なんで無視するんですか?」


 驚愕が滲む声音。無視する。


「カイン、決めろ」

「なんで無視するんですか?」


 驚愕は消え失せ、冷気が伴う。無視する。


「……団長さんは渡り廊下の右の部屋、後は男女で左右に分かれようか」

「それでいこう」

「ねえ、エルザさん? なんで無視するんですか?」


 耳朶にじっとりと粘りつくような声色。無視する。無視したい。無視させて。ひえぇ、怖いよぉ……。


 恐怖で身動きの取れない俺は、アリアーレから視線を逸らすことだけした。

 見かねたカインが、なんでなんで、と繰り返す壊れた蓄音機と化したアリアーレをどうどうと誘導してくれる。すまないカイン。お前最高だな。


「……とりあえず左側を女性用にしようか。アリアーレさんはこっちね」

「エルザさん、なんで無視するんですか? ねぇ? なんで? 私無視されたくないです。エルザさん。無視しないで。嫌です、無視されるの。凄く嫌。心がきゅーってなります。あ、涙出そう」


 そう捲し立てられると、流石に良心が痛む。

 なので、本音を建前で塗り潰して答えた。


「……ほら、風紀がな。いちおう皆での共同生活だから」

「私変なことしないですよ。ねぇ?」


 その発想がアリアーレ側から出るのがすでにもうアレ。普通は男側が言う言葉だからそれ。俺が「ほら、アリアーレは妹みたいなもんだからさ笑」とか言い出してからにしてください。生涯言わねぇと決めた。今決めた。


「同じ屋根の下にはいるから。それで我慢してくれ。頼む」

「……わかりました」


 ようやく諦めてくれたアリアーレが、カインによって一番近くの部屋に押し込まれる。

 ふぅ、と一息つき、カインがこちらに戻ってくると、扉が開いた。


 荷物を降ろして身軽になったアリアーレがすたすたと歩いてくる。

 なんだよまだ何かあるのかよ怖いなぁなんて思っていると、彼女はユーリスから預けていた荷物を受け取り、次いで俺の手をすっと握って両手で包み込んだ。

 手ににぎにぎと揉み、目を伏しながら呟く。


「エルザさん、私無視は嫌です。もうしないでください」

「悪かった。もうしない」

「嫌とか駄目なことははっきり言ってくれた方がマシです。反応されないのが一番辛いです」

「申し訳ない」

「……硬い」

「すみません」

「なんで謝るんですか。硬い方が好きです」


 アリアーレがそう言うと、ずっと俺を睨んでいたユーリスがふと自分の手を見た。大丈夫、この仕事してるならお前も十分硬くなってると思うよ。知らんけど。


 推定手フェチのアリアーレは、両手でたっぷり三十秒ほど俺の手を堪能すると、ようやく手から手を放して部屋に戻って行った。手手手手うるせぇな。手のうた歌うぞ。お願いだから歌わないで。

 何ともいたたまれない空気が流れ、耐えかねたカインが辟易と口を開く。


「随分好かれているね。まったくもって羨ましくはないけれど。……いや、本当に」


 もはや同情心しか感じない瞳で、カインは俺を見てくる。

 やめろ。そんな憐みの目で俺を見るな。起きていることだけ見れば役得の筈なのに惨めになるだろうが。はっ倒すぞ。


「なんでそんなに好かれているんだい?」

「なんというか……昔、俺に助けられたみたいでな。憧れが時間経過でああなったらしい」

「みたいって、団長さんは覚えてないのかい? あれだけ思われておいて随分と罪作りなことじゃないか。まぁあの不気味な笑顔にも一切たじろいでいなかったし、もう心酔の域だよね。ご愁傷様」

「他人事だと思って……」


 言うと、カインは部屋の方へ向かいながら飄々とした態度で告げる。


「実際他人事だしねぇ。ユーリスくんにとっては堆い壁だろうけれどさ」

「は?」


 露骨に苛立ちを見せるユーリス。そんな声色が返ってくるとは思っていなかったのか、カインは怪訝顔で振り返った。


「まさか怒ってるのかい? あれだけ露骨な態度を取っておいて指摘したら駄目っていうの結構理不尽だと思うよ」

「人の恋路をからかうなよ。気分が悪い」


 ユーリスはそう言い残すと、カインを押し退けて右側の部屋に入って行った。

 その背を見送り、俺を見てきたカインは肩を竦めると何も言わずに左側の部屋に入っていった。


「先行き不安だな……」


 ほとんど無意識の内に漏れ出た呟き。

 言葉になったことで、その不安が心に重くのしかかる。

 俺は深々と嘆息して自分の部屋に入るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る