第15話 契約

 依頼遂行中に帝国の傭兵団と接触したことを協会に報告すると、その日の内に事情聴取を受けることになった。

 事情を鑑みれば不自然なことではないが、なんとも性急な話である。


 当初は、カインが負傷していた為、彼の救護を仲間に任せ、俺一人が代表して聴取を受けることになっていた。

 だが、話が進む中で職員の方で何やらやり取りあり、その関係か途中で担当がお偉方の役員らしき男に代わると、今すぐにでもその聴取を始めたいと打診があった。


 その男曰く、現在、然るお方がお忍びで協会にいらしており、その方が件の話を聞きたいと仰っているらしい。


 然るお方とやらの正体に何となくの検討をつけつつ、俺はそれを了承した。


 協会に駐在している治癒術師にカインとユーリスを診てもらった後、職員以外立ち入りを禁止されている三階まで上がる。


 基本的な構造は二階と同様で、階段を上がると左右に伸びる廊下があり、片側が窓、その反対側に部屋が四つ、そして両方の突き当たりに一部屋ずつある。


 今回通されたのは右側突き当たりの部屋。

 扉の左右には男女一組の護衛が控えていた。


 通路にある四つ部屋のものとは、見た目からして異なる重厚な扉。

 絢爛けんらんな意匠で象られており、まるで皇居の一部を切り抜いてきたというような出で立ちだ。


 単に権威を示す為の装飾を施したという体ではない。


 職員が重々しい音を立てて鍵を開けるが、扉を開こうとしなかった。何故かと問おうとしたら、中からも同じように音がする。


 内と外から施錠する二重構造。明らかに造りが違う。


 つまりそれだけの面倒を掛ける存在が、この中には居るということだ。

 それが誰であるかは、言うまでもない。

 しばしして、中から扉が開かれ、見覚えのある老執事が姿を現した。


「エルザ様でございますね」

「貴方は確か、あの時邸宅にいらっしゃった……」


 老執事は胸元に手を当て、恭しく礼をして名乗った。


「ヴァリアント皇家の家令を務めております。名を、クリスチアーノ・アドラメレク・ヴォルド・ヘンリー・ゴブロット・ロン・ディグリス・オン・ラヴィア・メグ・マディローと申します」


 なっが……。乳くらいなっが……。何の話?


 無論、名前の話だ。


 ヴァリアント皇国では、皇族、華族、貴族の家令は、先代の名を引き継ぐという風習がある。故の長名だ。

 区切りからして、彼は十代目のはず。流石は皇族。家令の歴史もそれだけ長いというわけだ。


 背後からも、そんなような気配を感じた。

 皆の心の声を読み取ったのか、あるいは慣れっこだからなのか、老執事は何の感慨もなく続ける。


「少々長い名前でございますから、御用の際はクリスチアーノ、もしくはマディローとお申し付けくださいませ」

「ではマディローさん。中には全員入っても?」

「構いません。ですが、入室の折、武装解除と身体検査を受けていただきます。ご容赦くださいませ」


 それに異論のある者はいない。

 刀剣や杖といった武装を協会職員に預け、扉前の護衛による身体検査を受ける。完全防備のまま来てしまったアリアーレの着替えをしばしの間待ち、全員の準備が完了した後マディローが言った。


「それでは皆さま、中へお入りくださいませ。殿下がお待ちでございます」


 先立って部屋に入り、真っ先に目に入ったのは、皇子ではない人物。


「来たか」

「団長……」


 それはジル・クライヴその人であった。

 いるとは思っていなかったので面食らってしまったが、今は軽く会釈をするのみで済ます。部屋の中に視線を通わせ、一人掛けの椅子にちょこんと腰を据える子供の姿を見た。

 その子供は、すっと立ち上がるとこちらを見据えて言った。


「お久しぶり、と言うほどでもありませんね。エルザさん」

「お久しぶりでございます、皇子殿下」


 ヴァリアント皇国現皇帝の第一皇子、ベルガ・オル・ヴァリアント。

 皇子は真珠のような輝きを持つ瞳をこちらに向け、十の年頃には似つかわしくない怜悧れいりな笑みを浮かべる。


「硬いのは好きません。楽にしてください」

「皇帝様は厳格として知られていても、ご子息様は存外気さくということかな?」


 調子を崩さずそう訊ねたカインに、皇子は冷たい視線を向けた。


「あまり気安いのも好きません。仮にも商家の子息ならば礼節を重んじなさい」

「……申し訳ございません」


 氷獄を思わせるほど冷えた声音に加え、身分を言い当てられたことでカインは頬を引き攣らせて謝辞を口にした。まぁ、不用意なことを言ったコイツが全面的に悪い。


「立って話すには長くなります。皆さん、どうぞお好きな場所に掛けてください」


 皇子にそう促され、各々着座していく。

 俺とアリアーレ、ユーリスが並んで座り、ジル団長の隣にミーティアとカイン。カイルが皇子の正面の一人席に腰を下ろす。


 皇族の前とあって、皆程度の差はあれ緊張に満ちた面持ちだ。

 そんな中、唯一その緊張から外れた場所にいる皇子が、第一声を放つ。


「エルザさんたちが先ほど、魔物討伐の依頼遂行中に帝国の傭兵団と接触したと伺いました。まずはそれについてお話をお聞かせ願いたいのです」


 全員に目配せ。最後にジル団長と目を合わせ、俺は皇子の方を見て話す。


「ミズチ討伐の依頼を受けて地下水路に向かい、そこで接触しました。人数は三。一人は団長格らしき恰幅の良い魔術師の男。名はメラン。一人は二振りの短剣を扱い、小柄で童顔、茶色い短髪の男。名はアーテル。一人は連接戦棍フレイルを扱い、長身でつり目、黒い長髪の女。名はノワール」

「メラン、アーテル、ノワール……」


 団長が、なにやら熟慮顔で呟いた。

 それが気になったのは、どうやら俺だけではないよう。皇子が俺から団長に視線を移し、問い掛ける。


「何か心当たりがありますか、クライヴさん」


 団長はそれに瞑目し、首を小さく左右に揺らす。


「いえ、仔細までは。ただしメランという男、以前に名を聞いたことがあります。たしか、十年ほど前に突如として頭角を現し始めた傭兵団の団長だったかと。国境を越えて名声が轟いているとなれば、少なくとも帝国においては名の知られた男のはず」

「なるほど。帝国は、まさに彼の国における貴方のような存在まで徴用しているというわけですか」


 皇子は目を伏し黙考する。

 しばし沈黙が訪れるも、皇子はすぐにその空気に気付き、ぱっと顔を上げた。


「すみません、事情の説明がまだでしたね。クライヴさん、お願いしてもよろしいですか?」


 団長は俺たちの方を向き、げんしゅんな表情で語り始める。


「知っての通り、現在ヴァリアント皇国は隣国である帝国との戦争状態にある。とはいえ実情としては長らく冷戦状態。ここ数年は両国ともに目立って大きな軍事行動は取っていなかったが、つい先日、東の国境守備隊が帝国の傭兵団に襲撃され、敵勢力の一部が国境を越えた。今回、貴様らが接触した傭兵団は、その勢力の別動隊と見られている」

「検問などの状況は?」


 そう問うと、団長がマディローさんに目配せした。

 皆で囲う長方形の机に、マディローさんが大きめの羊皮紙を広げる。ヴァリアント皇国の国土全域を記した地図だ。


 最南端に皇都があり、東に進むにつれて同間隔に、学区キヴァニア、ロクサの街、そして国境守備隊の駐屯地と続く。

 団長はロクサの街をぐるりと指でなぞる。


「先立ってはロクサの街で検問を敷いている状況だ。キヴァニアまでの主要な街道にも同様に警備隊を派遣しているが、配備が遅れてしまっている」

「まさかそれだけ?」


 思わず出てしまったという風を装った、カインのすっとぼけ声。

 しかし団長も人材の不足には思うところがあるのか、彼の不自然さを指摘はせず、眉を下げて苦々しく言った。


「我々はキヴァニアで街の防衛に就かねばならん。しかし、帝国と渡り合えるだけの実力があり、信用に足り、かつすきの傭兵団もそういなくてな。深刻な人手不足だ」

「皇国軍や近衛は? 殿下を狙っているとなればすぐにでも伝令を出して配備すべきでしょう」


 問うと、団長の視線が皇子へ向く。皇子は淀みなく答えた。


「近衛は諸事情あって頼れません。軍については国境守備隊の再編に主力を回しています。あそこが完全に瓦解してしまえば現状の冷戦状態が解けかねませんので。恥ずかしながら、今の皇国に帝国との全面戦争を行う軍事力はありません」


 その時カインが、獲物を狙う豹のような眼をしたのを見逃さなかった。

 わざとらしくパチンと指を鳴らし、皆の視線を一身に集めると、前傾に身を乗り出して団長と皇子を同じ視野に収める。


「ではその任、我々がお引き受けいたしましょう」


 皇子は表情を変えず、団長は胡乱気な顔で、それぞれカインを見やる。

 カインは自身満々な顔でピンと指を立てると、身体を半分座席からはみ出させた。ミーティアが気を利かせて身体を仰け反らせる。でもあんまり意味無いな……なんでとかどこがとかはあえて言わないが。胸!? 胸!! 胸胸胸胸!! ……こんなこと考えてるってバレたら多分殺されるな俺。いろんな意味で。

 途方もなく下らない想像をしている内に、話が進む。


「皇子殿下は僕の身分をご存じでした。ならば、ローグ商工会についてはすでに内部調査をなされているとお見受けします」

「御尊父の剛腕アダム・ローグ氏の噂はかねがね」


 暗に肯定する皇子に、カインは小さく喉を鳴らして続ける。


「その上で、武装解除や身体検査を受けはしましたが、殿下のいらっしゃるこの部屋に我々を招き入れてくださった。ということは、我々エルザ傭兵団のことを、ある程度は信用頂けている事かと愚考します。違いますか?」


 皇子は身じろぎ一つ取らず、カインのことをまっすぐに見据えて告げる。


「続けてください」

「では誠に勝手ながらそのように解釈させていただきまして。先ほどジル・クライヴ氏がおっしゃった、実力、信用、手漉きの人材という三つの要件。これらを一切の不足なく十全に満たし、役目を果たすことが可能な人材がおります」

「ほう、十全に」

「ええ。不測の邂逅を果たした帝国傭兵団を撃退した確固たる実力、殿下から直々に身元を保証されるほどの社会的信用、そして新生したばかりで先立つ依頼を抱えていない手漉きの傭兵団」

「そんな都合の良い方々、いったいどこにおられるのでしょう?」


 白々しすぎる皇子の問いかけに、カインはにやりと口角を上げた。

 もはやカインも皇子も、お互いの思惑をわかった上でやり取りしている。

 それでも形骸化した様式美に従うかの如く、カインは自らの演説をこう締めくくった。


「それこそ他でもない、我々エルザ傭兵団です。我々に任せていただければ、必ずや帝国の蛮行を阻止してご覧に入れましょう」


 カインは真に迫った声色で、そう言ってのけた。


 まぁ、帝国との戦いは半ば敗走だったこととか、俺たちがソロを集めただけの急増傭兵団で信用も何もないこととか、いろいろ言いたいことはあるが、敢えて言わない。

 この場で言うべきではないから、カインも口にしていないのだ。


 かすかな微笑みを湛えた皇子は、瞑目したまま言った。


「なるほど。では、エルザ傭兵団にヴァリアント皇国から正式に命を下すことにしましょう」


 もはや軽佻けいちょうですらある皇子の言葉に、その場にいた全員が居住まいを正す。

 若干一名、怪訝そうな様子を隠しもしない男がいたが、顔には出しても言葉にはしなかったので、今は無視しておく。


 皇子はカインから俺に視線を移すと、真珠のような目をすっと細めた。


 その目に浮かぶのは、子供が抱く誇大な好奇心などではない。

 己に課された至上命題を、何を賭しても必ず成し遂げんとする揺るぎない意志だ。


 この目で見られると、どうしても落ち着かない気分になる。

 けして不快というわけではないのだ。

 敢えて言うならば、もどかしい焦燥感だろうか。


 まったく、子供特有の中性的な見た目と声以外は、つくづく子供らしくない。

 そんな内心が表情にでも出ていたのか、俺の顔を見た皇子がふっと小さく笑った。


「僕に見られるのは慣れませんか?」

「……いえ、そんなことは」


 つい、言い淀んでしまった。これでは肯定しているも同然だ。

 俺は己の失態を内心で悔いたが、幸い、それ以上皇子が詰めてくることはなかった。どこか含みのある視線だけは、なおも続いているが。


「エルザさん。貴方がたは先刻接触したメランという男が率いる三人組の消息を追ってください。よろしいですね?」


 有無を言わさぬ言葉の圧。首肯を返す。


「承知いたしました」

「殿下。もう一つだけ、よろしいでしょうか?」


 まるで待ったをかけるように、再びカインが口を挟む。

 まだ何かあるのかと視線が寄せられ、彼は笑みを浮かべながら眉根を寄せた。


「なんでしょう?」

「先程も申し上げました通り、我々は新生したばかりの傭兵団。先立つ物が何かと必要な身でございます。差し当たり我が商工会の持つ伝手を頼ることも可能ではありますが、殿下直々の勅命を理由に支援を求めてしまうと、それを理由につけ入る隙を与えかねません。商人とは利益に貪欲な者らです。相手が皇家といえども容赦などありませんでしょう。一介の商人の相手など些事さじでありましょうが、そのようなことで殿下のお手を煩わせるのは心苦しく思います。ですからここは殿下直々のお力添えを頂ければと、そのように愚考しております」


 言葉こそおもんぱかったように取り繕っているが、半ば脅迫めいた物言いだ。

 皇子は目を細めて薄く笑うと、「クリス」と声を掛けた。

 それに応じ、執事のマディローが皇子の傍へ馳せる。


「近衛の屋敷を彼らに与えることにします。手配を」

「畏まりました殿下」


 一礼し、マディローは退出する。

 やり取りからして、本来は近衛兵が使う屋敷を俺たちに与えるという意味だろう。

 執事を見送った後、俺は確認するように問うた。


「我々に近衛兵の屋敷を?」

「ええ。傭兵団の活動拠点としてちょうどいい場所でしょう。それにエルザさんはキヴァニアに到着してからこっち宿住まいでしょう。住居として使用していただいても構いませんよ」


 皇子の言う通り、俺は現在宿住まいの身。

 協会と提携している宿である為、福利厚生の利用で宿泊料は減額されているが、それでも毎日となれば少なくない出費だ。薄給の身にはそれなりに痛い。


 故に屋敷を与えられるという話は、非常に魅力的に映る。

 映るのだが、なんだか土壺に嵌まっている気がしてならない。


 カインと皇子が繰り広げた、お約束じみた演目。

 それとは別の、あるいはそれ以上の思惑を、皇子は巧みに隠している。


 これは、そう。

 確信にも似た『予感』だ。


 だが、今は何も言うまい。せっかくカインが『上手い方向』に話を進めてくれたのだから、素直にその恩恵に与ることにしよう。


「……では、ありがたく使わせていただきます」

「そうしてください」


 芯に響くような声音と共に、まだ小さい手が差し出される。

 俺はそれを優しく握り返した。

 不意に力を入れれば、ぽっきり折れてしまいそうなほど華奢な指。


 ふと、目が合う。

 それはあの日、目が合った時と同じ瞳だった。

 見惚れるほど端正な顔が破顔し、囁くような声でベルガは言う。


「よろしくお願いしますね、エルザさん」

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