第14話 剣と魔法
「【――其は血と涙に濡れる
メランによる呪文の詠唱が始まると、それを皮切りとして剣戟の音が鳴り響いた。
カイルの抜刀がアーテルの短剣を弾き、カインの剣術がノワールの戦棍を阻む。
その間隙を素早く抜け、大剣による横薙ぎ一閃。
メランはそれを詠唱しながら床を蹴って軽々と躱す。
「【――贄を
呪文の詠唱と共に、メランの周囲に滞留する魔力が吹き荒ぶ。
魔法の発動には三つの異なる行程が必要となる。
術式の構築、魔力の集積、そして指向性の補助だ。
中でも魔法の中核となる『術式』は、大きく分けて二通りの構築法がある。
一つは、刻印。
魔晶が持つ『魔力を蓄積する』という特性を活かし、あらかじめ魔晶に術式を刻み込んでおくことで、即座に魔法を発動できるようにするという方法だ。
この方法の場合、魔法の規模は使用している魔晶の性能に依存する。
魔晶は元となる鉱石によって魔力の最大含有率が異なり、それを超える魔力を注ぎ込めば形状を保てなくなり崩壊する。その上、集積した魔力の一部が吸収されてしまう為、最終的な魔法の効力が大幅に落ちるという欠点がある。
それでも極めて効率が良い方法なので、多くの魔術師に用いられている一般的な手法だ。
そしてもう一つは、詠唱。
術式を
こちらは詠唱が終わるまでどうしても時間が掛かる上、魔力の集積も完全に自力で行わねばならないが、魔晶を使う時と違い集積する魔力に一切の際限がない。
それはつまり、術者が使い手であればあるほど――魔力を集積すればするほど、最終的な魔法の威力は指数関数的に跳ね上がるということだ。
これは、単なる直感。
しかし直感とは、いわば無意識の経験則だ。
頭の中でうるさいくらい響く警報を無視する理由にはならない。
魔術師として最高峰の称号である『高位』。
それを有するグリードは、俺が知る限り最高の魔術師だ。
そしてこの男は、彼と同じか、もしくはそれ以上の練度で、詠唱と集積を行っている。
相当な使い手だ。
故にこの男は、必ず止めなければならない。
「ふんっ!」
石壁ごと薙ぎ払うように大剣を振るう。
壁を覆っていた石と土塊が勢いよく飛散し、メランを襲った。
無論、ちゃちな打撃による有効打を狙ったわけではない。
飛散させた石と土は、詠唱の妨害のため。
人間の身体というのはよくできていて、異物が体内へ侵入しようとすると、個人の意思を軽く超越して拒絶反応を示す。意識していてもそれを抑えることは困難で、不意の出来事ならなおのこと不可能だ。
術式の詠唱は言葉を正しく発音せねばならない関係上、かなり意識的に口を開くことになる。
そこに多量の石と土が飛んで来れば、多少なりは口に入るだろう。
そして人の身体は、石も土も等しく異物と判断する。
「っ!」
メランが土混じりの唾を吐き出し、詠唱が中断される。
同時に、集積していた魔力も霧散した。
と。
「しゃがめっ!」
背後からの裂帛に、反射的に身を屈める。
直後、髪の毛を掠めるようにして、鉄塊が頭上を過ぎ去った。
「あら、惜しいわね」
背後を振り返ると、嗜虐的な表情を浮かべて舌なめずりをするノワールが見えた。
カインは無事だが、苦悶の表情を見せながら壁を背に倒れている。
カイルはアーテルとの
とはいえ、これはまずい。
数的優勢は崩された。せめてユーリスがまともに動けるならば状況は違うが、青白い顔の今の様子では期待できそうにない。
考えている間に、ノワールの追撃が飛んでくる。
「……っ!」
絶え間のない追撃。戦棍を振るうノワールは、重みに振り回されるせいで動きこそ緩慢だが、その分一撃が非常に重い。大剣を盾代わりにして受けても衝撃が骨まで響き、全身が硬直する。
「さっさと唱え直しなさい、メラン」
「【――其は血と涙に濡れる
後退しながら、メランが詠唱を再開する。
「【――贄を
……これはまずい。詠唱を止められない。
ナイフを投げるか。いや、さっき投げてしまったから手元にない。カインは、動こうとしているがあれでは軽くあしらわれてしまうだろう。
カイルは戦闘中。やや劣勢気味だが、拮抗している。
ミーティア、アリアーレ。ノワールの直線上に俺がいる状況で魔法には頼れない。
ユーリスは、残念ながら使い物にならない。
なおも詠唱は続く。
「【――
「っ! ミーティア、逃げろっ!」
魔法を止められない以上、ひとまずは逃げるしかない。
詠唱文を訊く限り、これは火の魔法。練り上げられた魔力の規模からしても、メランが言っていたようにこの通路ごと焼き払える規模だ。発動時、この場に残っていたら間違いなく死ぬ。
カインにも目配せ。顎でしゃくり、お前も行けと。
「威勢の良いことを言ったわりに逃げるのね。つまらない男どもっ」
ノワールは嘲笑し、戦棍を振り回す。
鉄塊が空を割く音を聞き、俺は大剣から手を放して身一つで飛び出した。
置き去りにした大剣が吹き飛ばされ、ノワールが口角を上げて目を細める。
「そう来るのね」
アーテルに一度見せた戦法だ。故にノワールの対応も早い。
彼女は戦棍の柄をぐるりと捻り、鉄塊へと繋がる鎖を
「ワタシ、こっちの方が得意なのよ?」
「知るか。もうただの棒だろう」
穿つように繰り出された棍棒の突きを、俺は手のひらで押し出すようにして受け止める。
あまりにも無謀な行為に、
「んなっ!」
「ふんっ!」
押し返されてバランスを崩したノワールの首に腕を掛け、腰を入れて振り抜く。実に軽い。いとも簡単に壁に打ち付けることが出来た。
「【――我が名は
閉じた空間に、
詠唱はすでに完成間際だ。
「良いねぇ! 食らいついてくるねぇ! オジサンみたいな人久しぶりだよぉ! いっつもみんなすぐに死んじゃうからさぁ! あぁああたのしいなぁ!」
「舌を噛むぞ、小僧!」
カイルとアーテルの剣戟が交差する。
膂力の差で押し負けたアーテルは、壁を伝って距離を取った。着地と同時に跳ねるように再び接近する。
その間に、割って入った。
「ちょっとぉ、良いところなんだから邪魔しないでよぉ!」
俺からの横槍に子供のような癇癪を起こすアーテル。
が、今はそんなものに構っている暇はない。太刀を鞘に納め撤退したカイルを追い、俺も通路に入る。
「あ、待てよぉっ!」
「【――あまねくおおう火の池よ、どうかすべてを焼き払ってほしい】」
背後で、魔力が解き放たれる気配がした。
「【燃ゆる大地の裁き】」
見ずとも、身を焦がすほどの熱を、身体が感じ取った。
瞬間、我知らず内に裂帛の声を上げていた。
「――走れぇっ!」
先行するカイルが、遅れているカインを担いで通路を抜ける。
通路を抜けた先で、ミーティアがこちらを見ていた。
何かするつもりなのは見て取れた。故に俺とカイルは通路を抜ける瞬間、彼女を起点に左右に飛ぶ。
通路の奥から迫りくる、
ミーティアは杖を振るい、通路に向けて魔法を解き放つ。
「んっ、だぁあああっ!」
それは、力任せに放たれた魔力の塊。
会敵時からひたすらに魔力を集積し続け、そして通路を走る間に臨界に達した、嵐のように暴力的な魔力の奔流。
迫りくる炎を押し留め、相殺し、跳ね返す。
魔術師の役割とは、究極的には『大砲』である。
後衛に立ち、魔力を操り、敵に暴虐の限りを
その点で言えば、彼女ほどの逸材はそう居まい。
依頼の前、彼女は自らの来歴を遠慮気味にこう語った。
ミーティア・コメットは、学区の歴代卒業生の中でも随一の『稀代の火力馬鹿』と評された天性の魔術師であると。
「燃えちゃえ、ばぁあああああああかっ!」
大きく息を吐き、次いで溜まった鬱憤を晴らすように叫ぶミーティア。
通路には、黒煙と悪臭が充満している。
壁や天井が崩落しているのか、鈍い音が断続的に響いてきた。
その音に紛れて、軽やかな足音が、一つ。
黒煙を切り裂き、そして纏いながら、アーテルが姿を現す。
「うっそっ……!」
切迫したミーティアの呟きに、俺は咄嗟に手を伸ばす。
黒いローブの背を掴み、力任せに引っ張る。たたらを踏んだミーティアの身体を受け止めると、今し方まで彼女がいた場所に凶刃が振り下ろされた。
「もうっ、にげないでよぉおおおおおおおおおおっ!」
短剣を振りかざして猛追してきたアーテルを、割って入ったカイルの刀が受け止める。
「その執拗さ、忌々しくさえあるな」
アーテルを弾き返し、カイルは流れるような所作で納刀。
そして、一意専心の構えを取る。
「それって東洋剣術だよねぇ? ご立派に構えなんか取っちゃってぇ、何もさせないってぇのぉおおおおおっ!」
壁を伝い、獣のような柔軟さで、なおも向かってくるアーテル。
それを遮ったのは、カイルの抜刀ではない。
型も形式もない、無骨を極めた長剣の一薙ぎだ。
「――すっ、込んでてよっ!」
身を低く保ち、カイルの大柄な身体を盾にして、アーテルの死角から突如踏み込んだカインが、凶刃を振るう男を通路の中に吹き飛ばす。
そして、抜刀。
「――!」
蓮の葉の散り逝くが如く、紫電が揺らぐ。
目にも止まらぬ速度で抜かれた刃が、九条の閃光となりて、瞬きさえ許さぬ内に通路の壁と天井を斬り裂いた。
衝撃波が走り、一瞬の間を置いて、通路が波打つように崩壊していく。
東洋剣術を操る流浪の剣士、カイル・ロード。
東洋の血を色濃く残す彼の容貌は、まさしく風来坊のそれ。
されど、極めた武人の力に一切の偽りなし。
「……これならばそうそう追っては来れまい」
深く息を吐き、崩れた通路を見据えて言うカイル。
「全員無事だな……大丈夫か、カイン?」
脇腹を押さえてしゃがみ込むカインに、俺は手を差し伸べる。
その手を取り、痛みに呻きながら立ち上がったカインは、長剣を背に戻しながら首を振った。
「これ以上はちょっときついかもね。三人目の足手纏いになるのは御免被りたい。それにミズチは奴らが殺していたし、通路も崩落させてしまった。いったん戻らないかい?」
「あいつら、帝国の人間なんでしょ? 私たちの手に負える案件じゃなくない?」
ミーティアの言葉に、皆が頷く。
「そうだな……いったん戻って報告しよう。カイル、カインを頼む。ミーティアはアリアーレと一緒にユーリスを」
「うむ」
「りょーかい」
ほとんど蚊帳の外状態だったアリアーレとユーリスの元へミーティアが駆け寄る。
そしてカイルの肩に担がれたカインが、苦悶しつつ言った。
「僕は荷物じゃないんだけど……」
「今は荷物である」
「結構酷いこと言うじゃないか……ああっ、あんまり上下しないでぇっ」
カインの情けない声が響く。どうやら歩行の振動で痛むらしい。特に歩き方を改めないあたり、カイル的にはそれくらい我慢しろということなのだろう。まぁまぁ鬼畜。それが武人のすることか。
順々に、仲間たちが入り口方面へ向かって歩き出していく。
俺は背後を警戒しつつ、
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