第13話 邂逅

 さながら葉脈のように広がっている地下水路は、ヴァリアント皇国初代皇帝の時代に作られた今はもう使われていない負の遺産である。


 何故そんなものがあるのかと問われれば、理由は単純明快。

 キヴァニアの街は、かつて水害によって甚大な被害を被っているからだ。


 記録によれば、十日以上続いた嵐が原因で起きた土砂崩れ河川の氾濫によって、街そのものが水没しかけたらしい。これは周囲に巨大な山や河川が多く、キヴァニア自体も低地に築かれた街である為だ。行き場を失った濁流が、まるで重力に引き寄せられるようにして、この街を飲み込まんとしたのである。


 今ほど街の規模が大きくなく、人も多くなかった為、致命的と言える損害は出なかったようだが、それでも再興に十年費やしている。たった十日の嵐が生み出した被害にしては、大きすぎる代償であろう。


 それでも皇国がこの土地を捨てずに再興させたのには理由がある。


 周辺を山と河川に遮られたこの土地は、当時の周辺諸国にとって最も重要な軍事的要衝だった。そして皇国はキヴァニアを囲う四国の中で唯一、山にも川にも遮られることなく安全な街道を繋げられる地形にあったのだ。


 皇国にとってそれは、キヴァニアを支配しやすいという利点でもあり、同時にキヴァニアを失った場合、最も責められやすい立場に陥るという欠点でもあった。


 故に初代皇帝は、この土地を何としてでも死守せんとしたのである。


 皇国にとっては幸いなことに、十日の嵐はキヴァニアのみならず周辺諸国へも少なからぬ被害を齎していた。どの国も軍事的行動が大幅に制限されたことで、それを好機と見た皇国は、復興作業と並んで地下水路の建設に取り組み始めることになる。

 街が浸水せぬように、とにかく無作為に水路を造った。


 しかし時が経ち、とあることが起きる。


 世界最強の魔物と呼ばれ、百年以上前に英雄グラディオール・ベン・ベネディクタによって征伐された古代竜エンシェントドラゴン龍樹ジュナルナーガ』が、人類の前に姿を現したのである。


 彼の竜の出現は、世界規模の地殻変動を引き起こした。


 ほとんどの人間にとってはまさしく災害であったが、しかしキヴァニアにとっては僥倖であった。周辺の大地が沈降し山が崩れ、それに伴い河川の形も変わったことで、キヴァニアが水害に見舞われる可能性が極めて低くなったからである。


 結果として、地殻変動の影響で一部が崩落し、機能を果たせなくなってしまったこの水路は、それ以来放棄されたまま、取り壊すことも埋め立てることもできず、まさに負の遺産となってしまったのだ。


「酷い臭いだね……鼻が取れてしまいそうだよ」


 カインは酷く顔をしかめながら呟いた。

 街の中にある入り口から繋がっているこの地点は、すぐ近くに下水が流れている。換気が十分ではないのか、確かに酷い悪臭が漂っていた。


「一部はまだ下水道として使っているらしいからな。そのせいかもしれない」

「知りたくない情報をどうも。ミーティアさん、布余ってたら貸してくれない?」

「いいよ。はいこれ」


 カインはミーティアから大きめの布を受け取り、鼻と口を覆うようにして顔に巻き付けた。ちなみに女性陣はすでに付けている。カイルは平気そうにしていて、俺も同様に平気な方。一方で、ユーリスは胸を押さえて嗚咽していた。

 少し遅れてついてくるユーリスに、ミーティアが声を掛ける。


「だ、大丈夫?」

「心配ごむよォヴェ」


 流れるような嗚咽。心配にしかならないんだよなぁ。

 地図によれば下水道と繋がっているのは入り口付近だけなので、奥に進めば臭いはマシになるはずだ。それまで辛抱してもらうしかない。


「嗅覚が過敏なのか堪え性がないのかわからないけどさ、あそこまでなるものかな。気持ちはわからないでもないんだけど」


 先頭まで躍り出たカインの口ぶりはどこか非難がましいが、声音は彼を心配しているように聞こえた。そういう男なのだろう。新手のツンデレさんかな?

 ふと、カインが振り返った。並んで歩く俺とカイルを見て、問いかけてくる。


「団長さんとカイルさんは平気そうだね。こういうのは慣れっこかい?」

「臭いなんて気にしていられる職業じゃないからな」

「だね。カイルさんは?」

「家業が農作であった故、糞尿の匂いには慣れておる」

「なるほど。僕は商人の家系だったからこういうのは不慣れなんだよね。……匂いが付いた服は保証してくれるのかな?」


 目を細めて訊いてくるカインに、俺は首を横に振る。流石にそれくらいは自己責任じゃないと困る。

 そう言われることはカインも想定済みだったようで、肩を竦めるのみだ。


「なんだ、残念」


 地図を頼りにしばし進み、六つ又に分かれる場所まで来た。

 依頼書にある目的地は、向かって右から三番目の通路を進んだ先だ。


 今回受けた依頼は、河川から遡って水路に入り込み、そのまま巣食ってしまっている水棲魔物『ミズチ』の群れの殲滅である。


 ミズチはウミヘビから変異した中型の魔物で、別名こうりゅうとも呼ばれており一応竜種に分類されている。水中を波打つように素早く泳ぎ、強靭な牙による噛みつきが特徴。口内に細やかな毒腺がびっしりと生えており、仮に噛まれた場合、素早く解毒を行わなければ数時間で死に至る。


 倒し方の定石としては、一度噛んだ物は相手が死ぬまで放さないという特性を逆手に取った陽動だ。牙自体は大抵の金属で防げるので、籠手を着けた腕を噛ませ、刃渡りの長い刃を突き立てることで容易に倒せる。


 一つ注意しなければならないのは、ミズチは基本七から十体程度の群れで動くということ。同時に襲われれば全身を金属で覆いでもしない限り、毒が回る以前に食い殺されて終わる。


 昔、一度だけ食い荒らされた死体を見たことがあるが、あれは本当に酷い有様だった。倒し易さに見合わない危険な魔物であると、俺がミズチを警戒するようになったきっかけでもある。


「この奥だな。道が狭くなるから、みんな気を付けてくれ」

「りょ、りょりょうかいぜぷ……」


 どもりつつ噛みまくりながらアリアーレがか細い声で返事する。

 彼女にとっては初の魔物討伐ということで、極度の緊張状態であった。共にあつらえた傭兵装備に身を包み、ぷるぷると小さく震えている。頭からつま先まで完全防備は正直似合っていないが、それが何とも可愛らしい。家で飼いたい感じ。犬じゃねぇんだぞ。

 俺はアリアーレの前に立ち、優しく肩に手を置いた。


「とりあえず落ち着け。初めての依頼で不安なのはわかるが、何かあれば俺が守ってやる。安心しろ」

「も、もちろん僕も君を守るよォ……」


 ギリギリ嗚咽こそしなかったが、いまだ臭いの余韻が残っているのか覇気のない様子でユーリスは言った。本当に大丈夫だろうかコイツ。

 アリアーレは杖をぎゅっと握り直し、全身をぎゅっと引き締める。


「そ、そうですね。みんないるし」

「そうだ。なんならミーティアもいるし、初回は見てるだけでも良い勉強になる。頼むぞ」


 最後の言葉はミーティアへ向けて。俺の視線に気づくと彼女はパチンとウィンクしてきた。お茶目だ。

 まあまあ愉快な赤髪の女ことミーティア。聞いたところ一個年上の二十六歳らしい。いろんな意味でそうは見えねぇ。まぁ俺も年相応の事が出来ているかと言われたら出来ていないんですか……。むしろ出来てる奴ってこの世にいる? いねぇよなぁ!


 気を取り直して、いざ通路に入ろうとすると、カイルに肩を掴まれ制止させられた。見ると、険しいしい表情で通路の奥を見つめている。


「どうかしたか?」

「血の匂いがしておる。待たれよ」

「え、そう? ……やっぱり鼻、馬鹿になっちゃったかな」


 眉根を顰め、カインは呟く。

 俺は通路の方へ顔を向け、すっと臭いを嗅いでみた。確かに言われてみれば下水の臭いに混じって微かにつんとした血液特有の臭いがする。


「よく気付いたな」

「臭いには慣れておるからな。如何様にする?」

「そうだな……カイル、この臭い、人だと思うか?」


 その問いに、カイルは目端を絞って唸った。

 ミズチの捕食対象は多岐に渡る。魚類、動物、微生物、魔物、自分より身体が小さければ何でも食べる。であればここに巣食う個体の場合は、排泄物に寄せられて集まったエビやミミズなどの分解者を捕食している筈だ。


 そんな環境下で、血の匂いが漂うほどの出血が起こり得るのは、迷い込んだ他の魔物かあるいは人間を捕食した場合に限られる。

 しばしして、カイルの返答はこのようになった。


「人とは思わぬ。だが警戒されよ」

「……よし。俺とカイルで先行する。少し離れてついてきてくれ。……アリアーレはユーリスを頼む」


 こくこくと頷くアリアーレを確認し、通路に入る。

 内部調査の為に協会が電燈を設置してはいるが、それでも通路は薄暗く、加えて湾曲もしているせいで先の状況はわからない。

 腰のナイフに手を据え、足音を立てぬよう奥へ。


 どこからか水滴の落ちる音だけが響く。

 それを掻き消すように、鼓膜を突き刺すような金属音が響いた。


 背後を振り返り、皆と目を合わせる。

 すでに死にそうな顔のユーリス以外は臨戦態勢を取っている。アリアーレは口を布の上から抑えていた。声を出さなかっただけ上出来と言えよう。


 あと数歩、前に進めば道の先が見えるというところまで来た。

 すると。


「街の下に魔物を飼っているだなんて、皇国はよほど軍備に難があるようね」


 蛇のような狡猾さを感じさせる女の声が聞こえてきた。

 それに続けて、眠たそうに間延びした男の声が響く。


「こんなでっかい水路の管理なんて帝国にだってできないでしょうよぉ。てーか、できてないおかげで見つからずに済んでるんだからさぁ、むしろ感謝しなきゃぁ」

「愚かねアーテル。皇国はこれだけ広大な水路を管理もできず、一部を下水道代わりに使うだけで、そのほとんどを持て余しているのよ。宝の持ち腐れだわ」

「でもさノワール。皇国にとっては無用の長物だよぉ。自国の領土をこそこそ地下から移動する理由がないじゃないかぁ。現にボクらも迷いに迷ってようやくここまで来れたくらいだしぃ」

「……アナタ、本当に残念な脳みそしているわね」

「酷いなぁ。何とか言ってやってよメラン」


 二人の言い合いを、厳とした野太い声が制する。


「下らぬいさかいは慎め。ここが敵地であることを忘れるな」


 会話の内容からして、彼らはおそらく帝国の人間だ。

 先日、協会のエントランスで聞いた話が頭の中で自動的に再生される。

 理由はわからないが、おそらくベルガ・オル・ヴァリアント皇子を狙っている帝国の傭兵団だ。

 このまま捨て置くことはできない。


「厳しいなぁメランは。肩の力は抜いてこうよぉ」

くどい。気を引き締めろ。耳をそばだてている鼠がいる」


 気づかれたか。音を立てぬようカイルと目を合わせる。

 と、メランと呼ばれていた男は、冷淡な声をこちらに向けて放った。


「気配を消しているようだが、足手纏いを二人も連れているようだな。姿を見せるがいい。さもなくば貴様らのいる通路を焼き払う」


 俺は背後にいるミーティアに視線を送った。

 彼女は眉を寄せて首を左右に振る。この狭い空間を魔法で攻撃されては、全員を守り切れる確証はないと。


 なにも全員で姿を見せる必要はない。ここで待てと手で制し、俺が一人代表して彼らの元まで歩む。

 狭い道を抜け、開けた通路へ。その前方、目と鼻の先の位置に奴らはいた。


「一人ではあるまい。忍ぶことさえできぬ無能が、少なくともあと二人いるだろう」

「誰のことだかわからないな。ここにいるのは俺だけだ」

「貴様一人で戦うつもりか? 我らが何者かもわかっていないだろうに」

「帝国の傭兵団だろう。数だけ多い烏合でお馴染みのな。俺一人で十分だ」

「大した自信だ。よかろう。どの道一人も生きて返すつもりはない」


 アーテル、そしてノワールと思しき男女が、不敵で交戦的な笑みを浮かべた。


「やれ」


 それを合図に両者が同時に飛び掛かってくる。

 小柄な男、アーテルが持つのは刃幅の広い三日月形の短剣を二振り。

 長身の女、ノワールが持つのは柄の長い戦棍メイス


 背後から加勢しようと足音は聞こえるが、これには間に合うまい。

 俺を侮ったのか、幸いにも二人とも大振りだ。ならば対処は容易い。


 腰のナイフを引き抜きざまにノワールへ向けて投擲。戦棍は重心が先端にある武器だ。使い手がどれだけ屈強な肉体の持ち主でも、振るおうとすれば自ずと遠心力に引っ張られる。

 その状態で投擲物を躱そうとすれば、動きが大きく崩れ、隙が生じる。

 狙い通り、ノワールはバランスを崩した。


 次いで、振り上げた腕はそのまま背中へ。大剣を手にし、アーテルへ向けて渾身の振り下ろし。

 されど、短剣使いは小柄で身軽。アーテルはその一撃を易々と躱した。


「こんな場所でそんな大物振り回しちゃぁ駄目でしょぉ!」

「ならこれはどうだ」


 俺は振り下ろした大剣から手を離し、徒手空拳で応戦した。

 そんなことをされるとは思っていなかったのだろう。アーテルは童顔に驚愕を張り付けて短剣を振るった。精細を欠いた一撃だ。身体をわずかに捩って躱し、振り抜いた拳を叩きつける。


 しかし、寸前で籠手に防がれたので有効打には至らず。

 アーテルはくるくると回転しながら距離を取った。同じくノワールも追撃する様子はなく後退する。


 何故ならすでにカインたちが加勢に来ているからだ

 長剣を構えながら、カインは皮肉めいた口ぶりでうそぶく。


「やぁ帝国の傭兵さん。ミズチ討伐ご苦労様。僕らの代わりにやってもらっちゃって悪いね。報酬は、そうだな。国が特別に用意してくれる君たち専用の特待部屋、なんてのはどう?」


 狡猾な笑みを浮かべ、それに答えるのはノワールだった。


「面白いことを吠える坊やね。潰してみたくなっちゃう」

「美人のお尻に潰されるのは嬉しいけどさ、残念ながら年上のオバサンは好みじゃないんだよね」


 その言葉にすっと目を細めたノワールが、獲物を狙う毒蛇のように舌なめずりをした。


「女性に掛けるのは睦言のように甘い言葉だけでいいのよ」

「せめてねやを共にしてから言って欲しいね」

「お前そういうこと言う奴だったんだな」

「今煽ってる最中なんだから口挟まないでよ団長さん」


 何故かカインに叱られる。

 大剣を拾い上げ、構えを取ると、アーテルがつまらなそうな声を上げた。


「げぇ。六人もいるよメラン。三対六なんて卑怯じゃないぃ?」

「二人同時に掛かってきておいてよく言う」

「ボクは良いんだよぉ。でも君らはダメェ。不利なのはつまんないしぃ、甚振るなら一方的な方が楽しいもんねぇ?」

「身勝手の極みであるな」


 不快感を露わにするカイルに、好戦的な笑みを浮かべてアーテルは言う。


「そっちのオジサンは甚振り甲斐がありそうだよねぇ? その顔どんな風に歪めて泣くのかなぁ? 東洋人はこっちじゃ珍しいしさぁ。見てみたいなぁ、見せてくれないかなぁ?」

「狂人であるか。哀れな小僧よ」


 カイルは腰元にいている太刀に手を掛けた。


 空気がしんと静まり、水音だけがかすかに響く静謐の間。

 まさに一触即発。誰かが動けば、全員が動く。

 そして。


「時間を稼げ。焼き払う」


 メランが、そう短く呟いた。

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