第9話 保護

 時たまに聞こえてくる捜索隊の声から、遭難者は三人おり、それぞれレグザ、ノリト、ミーティアという名であることが判明した。


 俺もそれに倣って名前を呼んでみるが、反応はない。


 この場所は渓流瀑が多く、絶え間ない瀑布の音が声をかき消してしまう為、相当近くに寄らないとどれだけ叫んでも聞こえない可能性がある。同様に向こうが叫んでいても聞き逃してしまう可能性がある為、集中して聴覚を研ぎ澄まさねばならない。


 無論、視覚による捜索も怠るべからず。舐めるように視線を這わせ、草木の裏や岩陰など、一見するだけでは死角になるような場所も隈なく探すことが重要だ。


 そうしてしばらく下流の方へ下っていると、流れの緩やかになっている淵を見ると、剥き出しの岩に何かが引っ掛かっているのが見えた。

 近づいてみると、それは魔術師が良く使う肩掛け鞄だった。


 拾い上げて中を確認すると、やはり魔晶や魔道具などが入っていた。

 中身を取り出して鞄を軽く絞り、水を切っておく。何を悠長なことをと自分でも思うが、持ち運ぶのに濡れたままだと少々気持ちが悪い。


「いるとすればこの下か」


 この川は上流の方で枝分かれしている為、アマナたちは川幅が広く早瀬になっている方を捜索中だ。

 こちらにも人員は割かれているが、おそらく俺より後方にいる。


 となれば、ここは俺が行くしかあるまい。


 やや歩調を早めて、渓流を軽やかに下る。

 瀑布の音に負けぬよう声を張り上げていると、不意に、かすかな叫び声が聞こえた。

 声を抑え、聞き耳を立てる。瀑布や葉音にかき消されているが、確かに聞こえた。切裂くような女性の声。切迫の悲鳴だ。


 俺は弾けるように走り出し、声のした方へ向かう。

 声は小さく、山の中故に反響しているが、近づくにつれて大まかな方向は徐々にわかってきた。

 岩を蹴って跳び、二十mほどの高さがある崖上に降り立つ。


 崖下を覗くと、滝つぼのすぐそばで興奮状態の熊と対峙している女性がいた。

 特徴的な黒衣の服装と手に持つ杖から見るに、彼女が遭難者の魔術師だろう。足元には二人の傭兵が横たわっており、女性は熊に杖を向けてがたがたと震えている。


 猶予は幾許も無い。

 俺は大剣を掲げて崖下まで跳んだ。逆手に持って振り下ろすようにして熊の頭上から落下し、穂先をうなじの当たりに突き立てる。刀身の半分ほどが身体にめり込み、勢いをそのままに熊の身体を地面に縫い付けた。


 大剣を引き抜いてもなお呻く熊を見て、念のために心臓あたりをもう一刺し。

 お前もただ生きていただけなのだろうが、こちらにも事情はある。許せ。


「……で、無事か?」


 熊と対峙していた女性は尻もちをつき、こちらを凝視していた。歯をがちがちと何度も震わせ、されど杖は依然こちらを向いたまま。

 恐怖に飲まれてもなお仲間を守らんとするその姿勢、感服ものである。

 俺は大剣から手を離し、彼女を落ち着けるようにジェスチャーを取りながらゆっくりと近づく。


「熊は殺した、落ち着け」


 言いながら、アマナから受け取った魔晶を取り出そうと懐に手を入れた。

 途端、女性は声にならない悲鳴を上げて杖に魔力を込めた。先端に取り付けられた魔晶から光弾が放たれ、俺の顔があった場所を通過する。


「こないでぇっ!」


 身を捩って躱したので当たりはしていないが、どうやら極度の恐慌状態に陥っているようだ。

 刺激せぬよう、俺は一歩後退する。


「わかった、離れる」

「だ、だれかぁ……っ!」


 絶望に満ちた声音で、女性は祈るように呟く。


 これは良くない。信号弾を撃とうにも、こちらがその動きを見せれば彼女はまた魔法を撃ってくるだろう。それ自体は躱せるだろうが、流れ弾によって二次被害に繋がりかねない。今の彼女はそんなことに思考が及ばぬほど取り乱している。


 後続が到着するまでこのままでもいいが、おそらく彼女の仲間が合流しなければ同じことを繰り返すだけだ。果たして後続に彼女の仲間はいるだろうか。クライヴの仲間では意味がないが……。


 要救助者は三人。彼女と気絶している二人で相違ない。

 ならば男二人がレグザとノリトで、この中で唯一、意思疎通の図れる彼女がおそらくミーティアだろう。


 名前というのは人の意識に根強く結びつくものだ。

 俺は努めて落ち着いた声色で、彼女の名を呼んだ。


「君がミーティアだな」

「……な、な、なんでっ」

「君の仲間から頼まれて、君たち三人を探していた。俺は救助隊だ。安心して欲しい」


 嘘だ。俺に捜索を頼んだのはアマナで、彼女の仲間など顔も名前も知らない。

 が、この状況において事実は重要ではない。

 なによりもまずミーティアを落ち着かせることが急務なのである。


「いまから他の救助隊にこの場所を知らせる為に信号弾を撃ちたい。取り出してもいいか?」


 彼女は震えながらもこくりと頷いた。

 俺は極めてゆっくり、危ないことなど何もないよと見た目でわかるように示しながら、懐から魔晶を取り出し、空に掲げた。

 魔力を流すと、ぼっ、と音を立てて煙と光が立ち上っていく。


 しばしして、遠くの方から幾人もの声が聞こえてきた。


「いたぞ、こっちだ!」


 追手じみたことを言って最初に現れたのは、なんとジル・クライヴ団長。

 団長は俺の顔を見るなり怪訝そうに顔をしかめたが、すぐに要救助者の三名を見ると、ほっとしたように息を吐いた。


 次いで、その後ろからばらばらと見知った顔や見知らぬ顔が現れる。アマナもいた。にこにことにやにやのちょうど中間あたりの笑顔を浮かべている。なんだその顔、鬱陶しいな。はっ倒すぞ。


「大丈夫かっ!」


 ミーティアの仲間たちが血相を変えて駆け寄り、三人を介抱する。

 仲間の顔を見て酷く安心したのか、彼女は手に持っていた杖を力なく落とした。


 束の間の安堵の空気が流れる。が、まだ救助は終わっていない。


 気絶している二人は頭を打っているようで、早急な治療が必要とのことだった。両傭兵団が二人をそれぞれ運び出す準備を進める中、どちらにも所属していない俺はひとまず恐慌状態を抜けたミーティアに近づき、声を掛ける。


「ちょっといいか」

「……は、はい」


 とはいえ、いまだ混乱はしている様子のミーティア。あまり長話は出来そうにないので、さっさと要件を済ませる。


「これ、たぶん君のだろう。上流の方で岩に引っかかっていた」

「あ……あ、ありがとうございます……すみませんでした」


 伏し目がちに呟くミーティア。魔法を撃った罪悪感か、単に無表情が怖かっただけか。いずれにせよ自戒はほどほどで良い。


「君は仲間を守ろうとしただけだろう。気にしなくていい」


 そう言うと、彼女は少しだけこちらを見て、小さく頭を下げながら再度謝辞を口にした。


「ありがとうございます」


 仲間に付き添われて去って行くミーティア。

 それをぼぅっと眺めていると、不意に背後から声を掛けられた。


「エルザ」

「団長。どうも」


 団員への指示出しを終えた団長が、熊の死骸を眺めながら思案顔で訊ねてくる。


「あれをやったのは君か」

「はい。一刻を争う状況だったのでやむを得ず」


 団長が懸念しているのはこの山の生態系についてだろう。

 食物連鎖の上位捕食者である熊は、生態系の要とも言える存在だ。個体数が減れば熊によって制御される生態系のバランスが崩れ、小型動物の減少や水質の汚染を招く。

 故に意味もなく殺すのはご法度なのである。


 無論、今回はその意味があったから殺したわけだ。

 団長もそのあたりは理解しているようで、先の質問も、あくまで俺がやったかどうかを確認したかっただけらしい。


「要救助者も無事に保護できたことだ。協会には私の方から報告を入れておこう」


 その言葉の意味するところが分からず、俺は疑問符を浮かべながら聞き返す。


「どういう意味ですか?」

「貴様は捜索依頼を受けてここに来たわけではあるまい。アマナが白状した。貴様に手伝いを頼んだとな。まったく勝手な真似をしてくれる……」


 眉間に皺を作る団長。労しい。アマナ、とっちめちゃっていいと思います。


「別に、もののついでです」

「だとしてもだ。貴様にも相応の報酬を支払うよう、先方には私から掛け合っておく」

「……じゃあ、まぁ、お言葉に甘えて」

「うむ。ではな」


 団長たちを見送った後、俺は本来の目的である鉱石採集に取り掛かる。


 全十三件の触媒採集を終えた頃には、日も落ち空は宵闇に満ちていた。アリアーレと夕食の約束をしていた気もするが、予定が空いていたらって言ったし、まぁ大丈夫だろう。大丈夫かな? 大丈夫だよね? 大丈夫だって言って。ねぇ。ねえ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る