第6話 デート?

 宿に荷物を置き、公衆浴場で汗と疲れを水に流した後、最低限の荷物だけ持って件の酒場に出戻った。




 しかし、店の中を見てもアリアーレの姿は見当たらない。


 ちょいと店員を引き留めて訊くと、どうやら彼女はついさっき退勤したらしく「エルザさんが来たら待ってるように伝えて、着替えてくるから!」と息巻いて帰って行ったそう。




 そういうことなら、と俺は店先の邪魔にならないあたりで待ち惚ける。


 腕を組み、壁に背を預け、顎を引く。俺はさすらいの凄腕傭兵、俺の目は誤魔化せない、などと周囲を警戒するように視線を這わす。下らぬごっこ遊びに一人で興じる二十五歳男性。なんだこいつ怖すぎるだろ。




 しかし、ごっこ遊びでのおかげで、遠くからたったっと走って来るアリアーレの姿を発見した。


 ……うーむ。


 いや、変ではない。決して変ではないのだが、変だった。


 何が変か具体的に言えば、彼女の服装だ。睡蓮花のような美しいいろどりのゆったりとしたワンピース。これから愛しの彼との逢瀬なんです、と言わんばかりの格好である。




 何かが致命的に食い違っているような気がしてならないが、とりあえず近づいてきた彼女に声を掛けた。




「アリアーレ」


「あ、エルザさん……っ!」




 アリアーレはおっかなびっくりとした様子で急停止し、硬直する。どうやら声を掛けるまで俺の存在に気づいていなかったようである。




 硬直から回復したアリアーレは、はっとした様子で服装に不備がないか確認し、勤務中は縛っていた長い髪を指で軽く梳いた。そよ風に靡いてかすかに揺れるプラチナブロンドが陽光に照らされて淡く輝く。




 走っていたせいか潤んで見える両目が、俺に向けられたまま離れない。




「ど、どうでしょうか……?」




 な、ナニガでしょうか……。いや、わかる、わかるのだが、うーん。どう答えたらいいものか……。


 しばし逡巡したが、まぁ別に、誉めてどうこうなるわけでもあるまい。俺は思ったままを口にした。




「可愛いよ。良く似合ってる」


「あ、ありがとうございますぅ……」




 頭からプシューと湯気を出す勢いで照れるアリアーレ。


 彼女の頭が冷えるのを待ち、調べておいた近くの店に入る。個室はないが、客席ごとに仕切りがあって人目が遮られている内装。個人的な話をするにはちょうどいいと思ったのだ。




 しかし、その配慮が今回は良くない方へ働いてしまった。


 向こうは完全にデートのつもり出来ている。どうして彼女がそのつもりなのか知らないし、わかりもしないが、店の雰囲気も相まって席に通された時の彼女は、もうまともに口を利けないほどテンパっていた。いや、ほんとになんで?




 仕方がないので、飲み物だけ頼んで落ち着くのを待つことにした。


 片や無表情の男、片やテンパって顔真っ赤の女。


 そりゃあ飲み物を運んできた店員も怪訝そうな目で見るさ。その立場だったら誰だってそうする。俺もそうする。




「……なんでそんなに緊張してるの?」


「うぇへっ、ききききんちょしてまぺんっ!」




 それが緊張じゃないならなんだ。奇行か?




「落ち着け。噛みまくってるぞ」


「すすすすすみません……っ!」


「謝る必要はない。深呼吸だ、ほら、吸って、吐いて、吸って、吐いて」




 俺の言葉と手の動きに合わせて、アリアーレは深呼吸を繰り返す。


 そこまでやってようやくコミュニケーションが可能なレベルまで落ち着いたアリアーレは、途端にきっと意を決したように目をかっぴらき俺を見た。さっきから怖いって。




「エルザさん!」


「なんでしょう」


「まま前にお話ししたと思うんですが、私が成人したら団に入れてもらえるという話って、まだ有効ですか!」


「……えーと」




 今度は俺が思考停止する番だ。




 とりあえず、前に話したというのはいったい何の話だ。俺とアリアーレは初対面ではないということか。いや、クルトに妹がいるという話は聞いたことがあるが、会ったことはない。こんな強烈な女、一度会えば死ぬまで印象に残り続ける。忘れるわけがない。




 それから団に入れてもらえるというのはどういうことか。そもそもクルトの傭兵団は解散済み。それももう一年も前の話だし、手紙で兄とやり取りしているなら知っている筈だ。




 何一つ理解できずに停止していると、アリアーレは勢いそのままに続けた。




「私、一応学園を十番以内の成績で卒業してるんです。高位魔術師ハイメイジの資格も取れるかもしれなくて、百戦錬磨のグリードさんには及ばずとも、きっと役に立てると思うんです!」




 グリードとは、元仲間の高位魔術師の名だ。団解散後に一時期コンビを組んでいた、柄ワル酒カス駄目駄メイジの中年である。




「そりゃ……凄いな」




 言われ、俺は素直に感心してしまう。


 一部の魔術師のみが名乗ることを許される『高位』の称号は、史上最難関と言われる国家資格だ。並の魔術師では生涯を掛けても取得できないと言われるほど、膨大な知識と卓越した才能が必要とされている。




 件のグリードが高位を名乗り始めたのは三十を超えてからで、それが史上で二番目の速さ。ということは、仮に彼女がこの歳で高位の称号を得られたら場合、それがどれほどの偉業であるか、よくわかるだろう。




 ただ、今はそんなことはどうでもよくて。




「凄い、凄いんだけど。……俺たち初対面だよな?」




 そう言うと、一瞬、本当に瞬きの間よりも短い一瞬だけ、アリアーレの表情が消えた。


 それに気づいて、背筋が凍る。


 直感したのだ。


 たった今、超えてはならない一線を踏み躙りながら超えたことを。


 アリアーレは赤い顔と照れ顔はそのままなのに、打って変わって一切言葉を詰まらせることも焦ることもなく言う。




「会ったことありますよ、私とエルザさんは」


「……どこで?」


「私が学園に入学する為にこの街に来る前です。皇都で何度も何度も会ってます。兄が傭兵団を立ち上げる時にエルザさんや他の皆さんのことを誘って、それから何度も何度も何度も何度も。会ってますよ。覚えてないんですか?」




 急激な豹変。表面上は何も変わっていないのだが、なんというか、彼女を取り巻く雰囲気が、まったく違うものに変わった。え、何こいつ。マジで怖いって。


 アリアーレは何かに気づいた様子で、あっ、と両手を叩いた。




「当時はまだ五歳でしたし、髪も短かったですからね。それに私はいつも兄の後ろに隠れてましたから、覚えていなくても仕方ないかもしれません。じゃあ今、ちゃんと覚えてください。アリアーレ・マクギネスですよ。アリアーレ、マクギネス」




 甘くとろけるような声音で、刷り込むように自分の名前を連呼する。




「ちゃんと呼んでください、アリアーレ・マクギネスです」


「アリアーレ・マクギネス」


「はいっ!」




 アリアーレは満面の笑みを浮かべながら、可愛らしく返事をする。


 傍目に見ればお洒落した見目麗しき可愛らしい少女に、好意剥き出しの笑顔を向けられている構図だ。世の男性諸君がそれなりに羨む光景だろう。だから今、俺がこの世に生を受けて以来最大級に表情を引き攣らせて、滂沱の冷や汗を掻いているなど誰も思うまい。


 いやマジで。クルトさんよ。お前の妹、死ぬほど怖いって。

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