第2話 竜

「エルザ、そろそろ発つぞ。さっさと済ませろ」


 粗雑な物言いでそう言ってきた男に、俺は小さく会釈だけ返す。

 嫌味は男だとは思うが、けして言い返したりなどはしない。


 現在、名高い傭兵団が長期の護衛依頼を請け負ったと風の噂で知った俺は、知り合いの伝手を辿って頼み込み、傭兵団の雑用として同行させてもらっている。

 そういうわけで、扱いがおざなりでも文句が言える立場にない。

 そもそも、そういう態度が嫌なら、さっさと魔物の死体の処理を済ませてしまえばいい話なのだ。だからこれは俺の仕事が遅いのが悪い。あと社会が悪い。


 分厚い皮膚を持つ魔物の肉を割き、心臓部から暗赤色に輝く結晶体を取り出す。

 地面に置いたそれにナイフを突き立て二つに割ると、結晶全体が波に攫われる砂のように砕け散った。


 この結晶体は『魔晶』と呼ばれ、巷では魔法の源として知られている。

 魔晶には大気中から魔力を吸収しエネルギーへと変換する性質があり、外部から術式を刻むことでそれを触媒に魔法が使えるようになる。そして、ある一定の大きさまで砕くと形を保てなくなり、このように粉々になるのだ。


 では、何故砕かなければならないのか。


 そもそも魔晶は、本来は魔物の体内にあるものではないし、こんなにくすんだ色もしていない。

 魔晶とは、端的に言えば、地底の鉱物が魔力を帯び、性質変化したものを指す。


 例えば地面の中で、極小の虫がほんの僅か、魔晶を体内に宿す。季節が巡って地上へ現れたその虫を、小型の動物が捕らえ食す。小型の動物をさらに大きな動物が捕らえ……、と同じことの繰り返しが続くわけだ。

 いわゆる生物濃縮によって魔晶の欠片が徐々に体内に蓄積してゆき、心臓部で血液と混ざって凝固し、こうしてくすんだ色の魔晶となるのだ。


 先も言ったが、魔晶とは魔法の源である。

 これを体内に宿した動物は、次第にその性質を変容させ、魔物と化す。


 魔物となった生き物は凶暴性が増すだけでなく、体躯を成長させ、身体機能を大幅に増強される。生物濃縮によって体内の魔晶が大きくなればなるほどその差は顕著となり、たとえばそこらにいる小さな蜥蜴トカゲが、やがては軍の手に負えないほど凶悪な竜にもなるのだ。


 一応、貴重品に分類される魔晶を砕かねばならないのはそれが理由だ。

 そもそも魔晶の削りカスを血液で固めて出来たようなものなので、術式を刻むこともできないし、用途の幅も極端に狭い。持って帰ってもただの不良債権なのである。


 最後の一体を処理し終え、俺は近くの湖に死体を放り込んだ。

 この湖は流水域だ。あの魔物たちも肉食魚に食べられながら母なる海へと還るだろう。

 ついでに血の沁み込んだ土も大雑把に掘り起こして湖へ放る。血の匂いは動物や魔物を引き寄せる。二次被害を防ぐ為の重要な後処理だ。


 すべて終わって荷物を纏め、手に付いた汚れをさっと湖で洗い落とし、いままさに出発せんとする馬車を追いかける。荷台に荷物を投げ入れてから飛び乗ると、ちょうど馬が走り出した。


「おせぇぞ。雑用がちんたら仕事してるんじゃねぇ」

「すみません。気を付けます」


 言い訳は余計な論争を生むので、ここは素直に謝罪をしておく。

 戦にも種類があり、特に舌戦というものは如何に場のペースを握るかが重要な戦いとなる。ここは俺にとってはアウェイの場。口論になれば周りの人間は全員こいつに味方するはずだ。俺はそんな愚行を犯さない。けしてこいつの顔が怖いからとか、声が威圧的でビビるからとかじゃないよ。ほんとだよ。


 肩身の狭い空間で、馬車の揺れに身を委ねることしばし。

 することもないので景色を眺めながら、隣で繰り広げられる会話に耳を委ねる。


「今回の依頼、なんで受けたんすか? いつもはこんなちんけな護衛任務、門前払いで一蹴してるでしょ。いくら報酬が良いからって」


 一番の若輩らしき男が誰にでもなく訊ねた。その隣の男が、粗暴な口調で答える。


「ボケが。報酬なんざ二の次なんだよ。味噌っかすの甘ったれ坊主の護衛ってとこに意味があんだ」

「どういう意味っすか?」

「いいか、あの坊主はヴァリアント皇国次期皇帝の嫡男だ。碌に世間を知らねぇガキでも皇族は皇族。手垢付けておけるなら、どんだけクソカスな依頼でもやるだけ得なんだよ」


 粗暴な男の言葉に、若輩くんが露骨に嫌そうな顔を作る。


「要はコネ作ろうってことっすか。いいんすかそれで。実力で実績を積み重ねてこそのクライヴ傭兵団でしょう」


 何やらポリシーめいたことを言った若輩くんを、対面に座る訳知り顔が不遜に笑う。


「そうも言っていられないのだよ。引く手数多の我が傭兵団とて、目先の金がなくては立ち行かぬもの。皇族、貴族、政治家相手にコネを作り、安定した収入源を確保しておくことは重要だ。ああはならぬようにね」


 名指しこそされなかったが、言いぶりからして俺のことだろう。

 このクライヴ傭兵団に臨時で雇ってもらう前、団長のジル・クライヴには経歴を余すことなく伝えてある。傭兵は信用稼業でもある為、それ自体はいたって普通のことだ。むしろこの業界においては経歴を隠す者こそ厭われる。

 訳知り顔はなおも続けた。


「それに最近では戦争に人造の魔物を投入する野蛮な国家もあると聞く。周辺諸国と比べ軍事的に優れているとは言えないヴァリアント皇国のことだ。実力ある傭兵団は早い内に囲っておきたいというのが本音だろう」

「はぁ。くだらねぇっすね、政治ってのは」


 若造くんが辟易とした声を出すと、途端、馬車が大きく上下に揺れた。

 咄嗟に武器を構え、馬車の進行方向を見やる。


「んだ、あれは……」


 粗暴な男が苛立ち交じりに吐き捨てる。

 視界の先、おおよそ百mほどの地点に、岩石を思わせる黄褐色の巨躯を持つ竜がいた。竜が地団太を踏めば地面と一緒に馬車も大きく揺れる。馬が怯えて暴れそうになるのを御者が必死に宥めている中、竜の眼がぎょろりとこちらを向いた。

 気づかれた、と誰もが思うよりも先に、前方から切れるような叫び声が上がった。


「総員、直ちに武器を持て! 前方に現れた竜を討伐する!」


 クライヴ傭兵団団長、ジル・クライヴによる号令。

 傭兵たちは各々武器を携え、次々と馬車を降りていく。倣って俺も後に続こうとするが、団長の持つ戦斧に阻まれ、足を止めた。


「貴様は残れ」


 舌戦では退いたが、今回ばかりはさすがに反論せざるを得ない。


「相手は竜です。総力を持ってかからなければ――」

「我々が受けた依頼は要人の護衛だ。彼らを放り出すわけにはいかない。この場合、慣れない者同士で共同戦線を築くより、部外者である貴様一人が要人の護衛に当たるのが最も効率がいい」


 ぐうの音も出ないほど真正面からの正論パンチ。反駁の余地もない。

 団長は懐から四つ折りになった羊皮紙を取り出した。広げてみると、それは大雑把な地形が記された即席の地図だった。


「地図の印の地点に傭兵団が有する私設基地がある。ひとまずはそこへ向かい、我々の帰還を待て。正確な順路は御者が知っている。貴様は命の代えても彼らを守るのだ」

「……わかりました」


 不承不承、俺は指示に従い踵を返して馬車へ戻る。

 団長が竜の元へ走り去っていくのを見送るように、俺と皇子を乗せた馬車は来た道を引き返し始めた。

 壮絶な戦闘が繰り広げられている場から、どんどんと遠ざかっていく。


「彼らが心配ですか?」


 まだ声変わり前の男児の声が背後から響く。

 首を捻って振り返ると、依頼された護衛対象であるベルガ・オル・ヴァリアントがフードを脱いでこちらを見ていた。真珠のような輝きを持つ両目に見つめられ、俺は思わずたじろいでしまう。

 顔の造形はいたって普通の子供のソレなのに、どこか浮世離れした雰囲気やこの状況においても落ち着き払ったその態度が、彼を年齢以上に大人びて見せている。


「心配なのでしたらあなたも行ってください。僕は一人でも構いません」


 未練がましく彼らを見つめていたからだろう。俺を慮って、ベルガ皇子はそんなことを言った。


「そういうわけにはいきません。御身の身の安全が最優先です」

「であればなおのこと。キヴァニアの街までは十日も掛かる長旅です。もし彼らが竜に敗れた場合、あなた一人では僕と御者を守り切れることはできないでしょう。なれば彼の竜の征伐にこそ最善を尽くすべきです」

「……」


 俺は何も答えずに、視線だけを外へと向けた。

 皇子はまるで言い聞かせてくるような声音で続けた。


「人を見る目には自信があります。あなたがいれば彼の竜の征伐は確実なものになるでしょう」

「なぜそう言える?」


 皇族に対して敬語を使うことも忘れ、問い返す。

 回答はすぐに返ってきた。


「あなたが魔物を解体している姿を見ていたからです。あなたの手捌きには一切の無駄がなく、考えられうる最も効率の良い方法で魔晶を取り出していた。魔物の生態や身体構造を熟知している証拠です。違いますか?」


 言われ、返答に窮した。答えなかったのではなく、答えられなかった。

 確かにそうだ。あの魔物の生態については良く熟知している。

 いや、あの魔物だけではない。公的に確認されている魔物の基本的な情報はほとんど頭に入っている。傭兵としてやっていくのに重要な『知識』は、死に物狂いで身に着けた。

 人を見る目に自信があるというのは、どうやら嘘ではないらしい。


「彼らだけでも倒せるかもしれませんが、しかし犠牲は出るでしょう。戦場に身を置く以上、それも覚悟の上でしょうが、やはり犠牲など出ない方がいい」


 消え入るように呟かれたその言葉は、どこか祈りにも似ていた。

 それは、かつて、どこかの少年がしたのと同じ祈り。


「なにより彼らは彼の竜との戦い方を知らない」


 なるほど。人だけではなく、魔物を見る目もあるようだ。

 確証があるわけではない。だが、おそらくあの竜は一般的な竜とは違う。団長たちがそれに気づいていなければ、たぶん勝てない。勝てたとしても、皇子の言う通り大勢が犠牲になるだろう。

 それは、なんとしても避けなければ。


「……御者、引き返して小丘の陰に隠れてくれ」

「なんだ。子供にせっつかれたからって、団長様の命令に逆らえってか」


 傭兵団側で雇われている御者は、当然ではあるが難色を示した。

 しかしベルガ皇子は御者の背中まで近づくと、子供ながらに厳とした声音で言った。


「では、ヴァリアント皇国第一皇子ベルガ・オル・ヴァリアントが命じます。彼の場所へ戻り、竜の征伐に助力なさい」


 御者は首だけで振り返って皇子と俺を見た。

 そして肩を落としながら深々と嘆息し、手綱を振るって馬を停止させる。


「近くまで戻ったら俺ぁ小僧と一緒に隠れるぞ。で、お前らまとめておっちんだら小僧を囮にして逃げる」

「いいでしょう。父上がどうするかまでは僕の知るところではありませんが」

「知るか知るか。そんときゃ国外逃亡でもすらぁ」


 軽い調子でそう宣う御者の背中を、皇子はくすくすと笑って眺める。


「やはり明晰な方です。頼まれてくれると思いました」

「はっ。クソみたいなガキの御守りさせられたなぁ、憐れな雇われ兄ちゃんよ」


 そんなことを口にしながら、御者は隊列を離れ、またまた来た道を引き返した。

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