第8話 美味しい紅茶

 抱きかかえられたまま飛行して、数分後には目指していた北の森にたどり着いていた。見えない結界が三つ位かけてあり、そのうちの一つは目くらましの意味があると、擦り抜けて行くときに感じた。

 大きな洋館のような城。あまり絢爛豪華なところを好まないクロウらしい。案内された部屋は広く、調度品はフィーギル王国の城にある物と遜色ない気がした。しかし、あまり多くの物が置いてあるわけではなく、ソファとテーブル、絨毯などで、シャンデリアもシンプルなものだった。

 私を部屋のソファに座らせたクロウはパチッと指を鳴らして紅茶セットを机の上に出現させた。

 前世で好きだった紅茶の匂い。茶菓子で用意されたのはチーズケーキだった。

「再開を祝してささやかだけど先に、君が好きだったものを用意させてもらった。……人間は輪廻転生があると、生前の君は話していた。だから変わったことがあったら教えてくれ。全部君好みに変えるから」

「ありがとうございます……って違います」

 向かいのソファに優雅に腰を降ろしているクロウ。室内だからか羽をしまい、にっこりと笑うその姿が記憶にあるものよりも柔和に感じた。

 大賢者として生きていた時間からどれくらい過ぎた?転生の時間は魂の傷でも変わるはず。転生の間に呪いが解けなかったけど、彼なら力が弱まれば解けると踏んでいたのに。

 私は食欲をそそられる匂いに、くっと我慢をする。クロウの手のひらの上で転がされては話が進まない。勘違いじゃなければ、凄い勢いでこの洋館に向かって力の塊が迫ってきている。ブラウンだろう。闇落ちしてしまった彼の魂を救えない。人間に戻せないのであれば、殺すしかない。それをするのは私の役目。

 私に執着していて、どうしてそうなったのか、思い出せない罰は背負うべきだ。

 ニコニコ笑っているクロウは、私が話し出すのを待っているようだ。

「記憶を取り戻していると、判断しても大丈夫かな?数日前までは君との繋がりもとても弱かったんだけど、急に強くなったんだ。それは記憶を取り戻したから呪いの力が強まったんだと思っている」

 流石魔王。人間よりも魔法に長けているだけはある。記憶と呪いの強まりを把握しているなんて。

 私は心を落ち着かせるため一口紅茶を飲んだ。

 ふんわりと香る匂い。苦みはなくとても美味しい紅茶だ。

「美味しいです」

「ありがとう。君に紅茶を淹れたくて練習したかいがある」

「え、自分で淹れたんですか」

 今魔法で出現させたから、手で淹れたとは思ってなかった。

「いや、君に会ってここに連れて来られるか分からないから、毎日紅茶を準備して、空間魔法の中に保存していたんだ。そうすれば淹れたてを飲んでもらえるだろう?ちゃんと毎日淹れ替えているからね」

 とろけるような笑顔。昔と変わっていないと思う反面、私のギフトは「絶対強者を産み出す聖母」。彼に恋をしただけ不毛なの。この恋は諦めないと人間の世界が終わってしまうかもしれないから。

「私のことを忘れないでいてくれたの、嬉しいです。と言っても私自身記憶が戻ったのは最近なんですけど」

「うんうん」

 記憶に残っているクロウは冷静沈着で、話しかけにくい雰囲気だったような気がしたけど、どうした。滅茶苦茶優しくなってるじゃん。

 会っていない間に何があったんだ??

「それで、魔王様。私は先ほど一緒にいた人物、第二王子のブラウンと貴方を倒す旅に出たところだったんです」

「全くそんな雰囲気無かったけど?君が襲われていると思ったから慌てて飛び出したんだ。怪我は無かった?」

 ふわっと私の体が浮かびあがったかと思うと、クロウの膝の上にちょこんと座らされ、顔や腕を触られて怪我の有無の確認をされる。

 聖女の服装で旅に出ては目立つと思ったので、冒険者風を装っていたけど、クロウの体温が直接近くにあると思うと、心臓がうるさい。

 顔があつい。前世ではクロウとキスをしたことだってあるのに。今は聖女という立場もあるから恋愛はしてこなかったけど、恋愛初心者じゃないのに、相手に翻弄されている気がしてしまう。

「怪我はないようだね。シャーロットが気が付いてないことは無いでしょ?彼、もう人間じゃないよ」

「やっぱりそうですか」

 影から出ていた黒いものは、魔物特融の物。城の結界は特注品で、歴代の聖女がかけたもの、私がかけたものとがある。媒介は術者しか知らないことになっているから結界を引き継ぐときは、結界そのものに力を注ぐ、そして新しい結界の維持をしている。

 そんな厳重な結界をも通りすぎるだなんて、勇者だったブラウンの魂はもう無いのかな?

「あ、俺が目の前にいるのに直ぐに違う事考える。今話振ったの俺だけど」

 そう言うとクロウは私の頬を軽くつねる。

「キス、したいけどそれは気持ちをちゃんと伝えあってからだもんね」

「ちょ、魔王様」

「あと、その魔王様ってやめてよ。昔みたいに、名前で呼んで」

 吐息がかかる距離に顔が近づいている。前世の記憶のクロウと全く違う気がする。違う魔物が魔王になったんじゃないのかな。

 そう思いたいけど、確かに私がかけた呪いを彼の体から感じ取れるから、人間違いはしていない。

 なら、どうしてこんなにもクロウは私にメロメロなの!!

 ……そうだよ、メロメロの呪いをかけたんじゃん、自分。

 犯人は、自分だよ。マジこの状況の犯人って私じゃん?クロウの本心とは違う行動をさせているのは、クロウに申し訳ないじゃんか。

 冷静でかっこいいと評判の魔王で、魔族の女子には実は人気があったんだって、大賢者だった私は知っているんだからね。恋敵がどれだけいるかを調べるためだったと本心を伝えたときに、クロウに何とも言えない笑顔をされたのを思いだす。

「クロウ様」

 目を真っすぐ見て名を呼ぶ。この世界に置いて、名を呼ぶというのは特別なことだ。魔物にとっては余計に。自分という個の認識になるから自分以外に名を知っている者はいない者もいると聞く。

「なに、シャーロット。前世も今も素敵な名前だね」

 ふぅっと耳に吐息をかけてくるので、私は慌てて膝の上から降りようとするが、クロウは離してくれず、逆に腰をギュッと掴まれた。

「久しぶりの再会なんだ。逃げないで送れよ。それとも紅茶が飲みたいのかな?」

「違います」

 逃げることを諦め、クロウの呪いを解かないとと、深呼吸する。

 昔の自分がかけた魔法は彼の心臓に絡みついているのが見える。とても綺麗な魔法陣。数百年と時間が経っても色褪せていない魔術に自分でも惚れ惚れしてしまった。

 私はクロウの頬に手を触れる。

 恋をすることは叶わないけど、触れるくらいいいわよね?

「クロウ様、私は貴方にかけた魔法を解きたいと思ます」

「いや、このままでいいよ」

「魔法のせいで苦しんできて……って、今なんて言いました」

 クロウの瞳の奥に宿る熱は愛情だと思う。でもそれは私が魔法で相手に植え付けたものだとしたら、どんな愛を囁かれたとしても正直に喜べない。

 偽りの感情であるのなら、それから解放してあげないと。

 私の差し出した手に自分の手を重ねて、スリスリするクロウ。

「前世のシャーロットには素直に愛を囁けなかっただろう?この呪いのお陰か今は思ったことを素直に口に出すことができるんだ。メロメロの魔法がどんなものか正直心配していたけど、これならむしろずっと君の魔法がかかったままの方が、愛を囁ける」

「いや、魔法の力を借りて愛を囁かれても私は嬉しくないです」

「本心なのに?」

 クロウの言葉は全部本心だというの?でも愛を囁いてくれるのならば、呪いなんて関係なく言って欲しいというのが乙女心じゃない。

「もう、クロウ様の馬鹿。本当に乙女心が分かってないんだから」

 恋をしないと決めているのに、これって告白をしてるも当然よね?

 どうしましょう。

 彼の呪いを解いて、魔物と人間界との亀裂をしっかりと直して、私はそのまま身を隠す方向で進むつもりでいたのに。

 まさか、呪いを上手く利用して私を口説いてくるだなんて、考えてもなかったわ。

「乙女心は分からないけど、シャーロットが呪いのせいで口説いてくるのを嫌がっているのだけは分かった。だが、正直俺は口下手だ。この力が無くなってしまったら、君とどう話して良いのかも分からない」

「そこは考えてくださいよ。長命な魔族の王様でしょう。初恋が私だったとかじゃないでしょう。今まで口説いてきたようにしてください」

「いや、君が初めてだよ。恋に落ちたのも、これから先も恋に落ちたいと思った魂も」

「だ・か・ら・魔法が効いているときに言われて素直に喜んでもいいのぉぉぉ」

 ドドドドドドドドド。

 勢いよくこちらに迫ってくる音が聞こえる。

 力の塊からするにこれはブラウンだ。魔物に落ちてしまった、哀れな魂。

 クロウは部屋の入口に視線を向ける。

 私の腰に回している腰の手はそのままで。

 いや、この雰囲気ブラウンが向かってきているよね?そんな状況でこれを見られてもいい気分じゃないというか話がややこしくなるのではないかな?

 抱きかかえられる形で、クロウは私のほうに視線を向けて子どもに問いかけるような優しい声で私に質問をする。

「シャーロットは彼のことを覚えていないのかい?」

 ブラウンとの会話が聞こえていたようだ。私はそれに激しく頷いた。勇者には会ったことがあるけど、大賢者時代にブラウンの魂に会った覚えはない。

 クロウの声が私の脳裏に直接響く。まるで私の記憶を全部掘り返そうとしているようだ。

「俺以外も虜にするなんて流石シャーロットだ。忘れられていて可哀想だとは思うが、それも仕方がない。それだけ魅力が無いってことだもんな。でもこの先ずっと追いかけられるのは迷惑だから、ここでケリをつけた方がいいかもしれないな。シャーロット君が助けたことのある魔物を覚えていないか?大賢者だったときに君が探していた薬草を見つけた魔物がいただろう?」

「薬草を届けてくれた魔物……?」

 確かにいたような気がする。人間の入り込めない場所に生息しているのを使ってどうしても作ってみたい薬があった。

 魔物が人間と一緒に暮らせる環境を作るために、魔物が好きな嫌な感情をよく吸った薬草で飲み薬を作れば人間を襲わないようになるかと思ったのだ。

 魔界にしか生息していない薬草。結局薬を作ったけど、実用性は無かったので、手を取り合って生きるよりも棲み分けることが重要なのかなと当時は結論づけた。

「あの時の、魔物がブラウンだって言うの?」

「ちょっと違うな。そのときの魔物が命を落とし、君に会いたいと強く願った。そこで魔物の魂だったのに、人間に生まれ変わるチャンスがきて、勇者として生まれることができた。魔物の魂を抑えるために、女神が力を抑制した反動での勇者としての力だと思う。その魂のときも恋路を邪魔されたな。あのときの最期は流石に覚えているだろう?その後に何故かもう一度人間に生まれた。それが今の彼だ」

「ちょ、ブラウンにそこまで好かれている感じはしなかったんだけど」

「シャーロットの魂は美しいんだ。俺が君のことが好きなのは魂だけじゃないけどね。多分君のような魂の輝きだと自然と周囲を魅了していると思う。今まで無事だったのが不思議なくらいだ」

「褒めてないわよね」

「褒めている。俺以外の者の手に落ちていなかったことに感謝している」

 顔が近いなと思っていたら、おでこにキスをされる。

 一瞬触れるだけだったので、一体何が起こったのか私には理解できなかった。

「ふえ」

「シャーロット、愛しているよ。だが、この先は俺と彼で決着をつけるべきだと思うから、ここで紅茶を飲んで待っていてくれないか」

 それほど広い洋館では無いと思ったのだが、ブラウンは中々この部屋にたどり着かない。クロウが屋敷に何か術をかけたいたのかな。

 膝の上から降ろされ、更に指を鳴らすと、テーブルいっぱいに大賢者だった頃に好物だった物が並ぶ。焼き菓子に果物、それにパンやローストビーフまであった。

「直ぐに戻るから、待っていて」

 優しく頭を撫でるクロウ。

「ちょっと、待って」

 私の呼び止める声は届かず、姿を消すクロウ。大きな力が二つ出会ったのを感じた。

「私、こんなに食いしん坊だと思われているのかな」

 一人では到底食べきれない量がテーブルいっぱいに並んでいる。

 いつ再開できるか分からない私のために用意してくれていたのだと思うと、嬉しくて。

 でも、私のギフトは彼との恋を邪魔する気がするの。

「どうしたらいいの、気持ちを伝えても一緒にいられないじゃない」

 幸せな家族を作りたい私には、こんなギフトはいらない。

 一度の転生だとまだ呪いの効果が残っているのならば、もう一度生まれ変わるまで待ってもらうこともできるかしら?

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