第2話

真一が独房の扉を開けた瞬間、背後からぞっとする冷気が押し寄せてきた。振り返っても、そこにはただの暗闇が広がっているだけだったが、その暗闇の奥に何かが潜んでいるという感覚が確かにあった。背筋に嫌な汗がじわりと滲み出し、手にした古びた懐中電灯の明かりが頼りなく揺れる。


「早く出よう…こんな場所に長居は無用だ…」


心の中で自らを奮い立たせ、真一は足を踏み出した。扉の外に続く狭い通路は、刑務所のどこかの地下であることを示すが、そこは普通の世界とは明らかに異なる雰囲気が漂っていた。通路の壁は汚れ、ひび割れており、天井からは水が滴り落ちている。その音が静かな空間に響き、何とも言えない不気味さを醸し出していた。


真一は震える手で懐中電灯を握りしめながら、暗い通路を進んでいった。歩を進めるごとに、空気がどんどん重くなっていくのを感じた。呼吸がしづらくなり、胸が圧迫されるような感覚が増してくる。通路の先には、さらに深い闇が待ち構えているように思えたが、引き返すことはできなかった。


やがて、通路の先に一つの扉が現れた。鉄製の頑丈そうな扉には、古びた錠前が掛かっていたが、何かがその錠前を強引にこじ開けた跡があり、扉はかすかに開いていた。そこから漏れ出す異様な臭いが、真一の鼻を突く。それは血と腐敗が混じり合ったような、耐え難い悪臭だった。


「なんだ…この臭い…」


恐る恐る扉を押し開けると、そこに広がっていたのは異様な光景だった。部屋の中は暗く、薄い霧のようなものが漂っている。壁や床には無数の血痕が散らばり、かつてここで何かが起きたことを物語っていた。だが、その部屋の中央に目を向けた瞬間、真一の心臓が止まりそうになった。


そこには、奇妙な形をした何かが横たわっていた。それは人間の形をしているが、その姿はあまりにも異常だった。体の一部が異様に膨れ上がり、顔の輪郭は歪み、目は白く濁っている。まるで何かが体内で暴れたかのように、内側から皮膚が破裂している部分もあった。真一はその光景に足がすくみ、吐き気を覚えた。


「これは…一体…」


思わず口元を押さえる真一の耳に、どこからか低いうなり声が聞こえてきた。それは何かが苦しんでいるような、悲鳴にも似た音だった。部屋のどこかから響いているその声は、徐々に大きくなり、真一の意識を狂わせるように響き渡る。


彼は動けない体を無理やり動かし、部屋を出ようとしたが、その時、何かが背後から彼を引き戻そうとする力を感じた。冷たい何かが首筋に触れる感覚があり、真一は恐怖に駆られて振り返った。そこには、先ほどの異形の死体が動いていたのだ。


「嘘だろ…」


死んでいるはずのそれが、まるで何かに操られているかのようにゆっくりと起き上がり、歪んだ顔をこちらに向けた。その目には生気がなく、ただ虚ろにこちらを見つめていたが、その瞳の奥には深い怨念が宿っているようだった。


「…助けてくれ…」


聞き取れるかどうかの微かな声で、それは言った。しかし、その声には人間らしさがまったく感じられず、むしろどこか嘲笑するような響きがあった。真一は必死に後退し、部屋を飛び出そうとしたが、足がもつれて転倒してしまった。振り向くと、その異形の存在がまるで這い寄るようにしてこちらに近づいてくる。


恐怖で息が詰まりそうになりながら、真一は這いずるようにして通路に戻り、扉を閉めた。だが、その瞬間、扉の向こうから何かが激しく叩く音が響いた。中の存在が出ようとしているのだ。真一は震える手で錠前を何とか閉め、後ずさった。叩く音はしばらく続いたが、やがて止んだ。


「もう…限界だ…」


恐怖に押し潰されそうな感覚の中、真一は壁に寄りかかり、荒い呼吸を整えようとした。だが、その時、ふと自分の手に何かが触れていることに気づいた。冷たい、ぬるりとした感触が指先に伝わってくる。真一は恐る恐る手元を見た。


そこには、真っ赤な血が滴っていた。自分の手が、まるで血に染まったように赤く染まっている。その血はどこからともなく流れ出てきて、真一の手を濡らしていた。目を疑うような光景に、彼は背後を振り返った。


そこには、無数の手が壁から生え出していたのだ。まるで地獄の亡者が、這い上がってこようとしているかのように、それらの手は真一の体に触れようとして伸びていた。その手には指先がないものや、骨がむき出しになっているものもあり、その異様な光景に真一は思わず悲鳴を上げた。


「やめろ…!」


彼は必死に手を振り払ったが、それらの手は次々に現れて彼を捕まえようとした。真一は全力で通路を駆け出し、その場から逃れようとした。しかし、通路はどこまでも続き、出口の見えない迷路のようだった。背後からは、あの異形の存在が追いかけてくる音が聞こえてくる。


やがて、真一は行き止まりの壁にぶつかった。絶望感に打ちひしがれながらも、彼は壁を叩き続けた。だが、逃げ場はない。振り返ると、闇の中から無数の手が迫ってきていた。真一はもうこれ以上耐えられないと感じた瞬間、壁の一部が突然開いた。


「こちらへ…」


どこからか女性の声が聞こえてきた。その声には優しさがあったが、同時に不気味さも漂っていた。真一はその声に従うしかなく、開かれた隙間に飛び込んだ。暗闇の中を駆け抜けるようにして、彼は再びどこかへと迷い込んでいった。


しかし、その先に待っていたのは、さらなる悪夢だった。狭い通路の先には、巨大な空間が広がっていた。そこには何十もの檻が並んでおり、それぞれの檻の中には何かが閉じ込められている。真一は息を呑み、恐る恐る近づいた。


「ここは…何なんだ…」


檻の中に閉じ込められていたのは、かつて人間だったかもしれない何かだった。その顔は歪み、体は異形に変えられていた。彼らはみな苦しそうにうめき声を上げ、檻の中で蠢いていた

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