死独房

白雪れもん

第1話

古びた鉄扉が重苦しい音を立てて閉じられると、薄暗い独房に静寂が戻った。冷たいコンクリートの床に、男が一人座り込んでいた。名を真一という。彼の腕には錆びた鉄の手錠が嵌められており、擦れるたびに痛みが走った。周囲にはかすかな湿気と腐敗したような臭いが漂い、息をするたびに喉を刺激する。


「ここが…死独房か…」


真一は自らの声に驚いた。独房の中は静まり返っており、彼の囁き声がやけに大きく響いた。この刑務所に入ってから、幾度も耳にしていた「死独房」という名前。そこに送られた者は、二度と外の世界に戻れないと言われている。刑務所の中でも、特に悪質な犯罪者や問題を起こした囚人が収容される場所だとされていた。しかし、その実態を知る者はほとんどいない。


真一は無実の罪で捕らえられ、この刑務所に送られてから、周囲の囚人たちと距離を保ちながら過ごしていた。だが、ある日、何者かによって自分が殺人未遂を企てたと告発され、それがきっかけでこの恐ろしい独房に送られることになったのだ。証拠も何もない、ただの濡れ衣。しかし、誰も真一の言葉に耳を貸さなかった。


独房の中は、唯一の光源である天井の小さな窓から差し込む薄暗い光だけで、昼か夜かも分からない。壁には過去の囚人が掻き残した無数の傷跡が刻まれており、その一つ一つが、ここで過ごした者たちの絶望を物語っていた。


「これからどうする…」


真一は、冷えた床に手をつきながら立ち上がった。ここから出る方法を探さなければならない。そう決意したが、希望はほとんどなかった。壁や扉は頑丈で、脱出の手立てなど何も見当たらない。独房の隅には古い木製のベッドと、小さなバケツが置かれているだけ。人間としての最低限の尊厳すら奪われたこの場所で、真一の心には徐々に焦燥感が広がり始めた。


時間の感覚が失われていく中で、彼の意識は徐々にぼんやりとし始めた。眠気が襲いかかり、立っていることすら難しくなってきた。朦朧とする意識の中で、真一はふと、過去の記憶が鮮明に蘇るのを感じた。


幼い頃、彼は両親に連れられて田舎の小さな神社を訪れたことがあった。そこで見た巨大な石像と、両親が何かを祈っていた姿が、なぜか今になって頭に浮かび上がる。あの時の光景が、今の自分に何の関係があるのかはわからないが、記憶の断片が次々と繋がっていく感覚が、異様なまでに鮮明だった。


「おい、こんな時間に寝るなよ。夢を見ることになるぞ」


突然、真一の耳に男の声が響いた。驚いて振り返ると、そこには誰もいない。だが、その声は確かに自分の耳元で聞こえたのだ。


「誰だ…?」


声を出しても、返事はない。だが、確かに誰かがいたという感覚が残っている。真一は立ち尽くし、息を整えようとしたが、心臓の鼓動が激しくなっていくのを感じた。自分は正気を失い始めているのか? それとも、これは独房に仕組まれた何かのトリックなのか?


再び静寂が訪れた独房の中で、真一は冷や汗を拭い、ベッドの上に腰を下ろした。どこかから風が吹き込んだのか、部屋の空気が一瞬、ざわりと揺れたように感じた。その風と共に、彼の耳には微かに、囁き声が聞こえてくる。


「真実を告白しろ…さもなくば、お前もここで…」


真一は立ち上がり、声の方向に歩み寄ろうとしたが、足がすくんで動けなくなった。背中に冷たい汗が流れ、全身が震えた。誰かが、何かが、自分を見ている。そう確信したが、そこには何も見えない。


「この独房には、何かがある…」


彼は自分に言い聞かせるように呟いた。逃げられない。だが、ここで気を失ってはならない。真一は、精神を保つために何かをしなければならないと考えたが、思考はまとまらなかった。恐怖が彼の理性を徐々に蝕んでいく。


どれほどの時間が経ったのか、突然、鉄扉がガチャリと音を立てて開いた。真一は反射的に後退したが、そこには誰もいない。ただ扉が開かれ、外の闇が広がるだけだった。


「出ろ…」


再び声がした。だが、今回はそれがどこから来たのかすらわからなかった。扉の外には真っ暗な通路が続いている。そこから出れば自由になれるのか、それともさらに深い恐怖が待っているのか。


真一は一歩踏み出し、独房の外へと歩み始めた。しかし、次の瞬間、背後で扉が一瞬の隙もなく閉まった。真一は振り返り、独房の中を見た。何かが自分を引き戻そうとする力を感じたが、必死にそれに抗い、歩みを進めた。


暗闇の中で、彼は進むべき方向を見失いながらも、出口を目指して歩き続けた。しかし、道のりは終わりの見えない迷路のようで、何度も同じ場所を回っているような錯覚に陥る。


その時、不意に目の前の壁が揺れ、そこに一枚の紙が貼り付けられているのを見つけた。震える手でそれを剥がし、紙に書かれた文字を読むと、そこにはただ一言、「お前はここで終わる」と記されていた。


真一はその場に膝をつき、力尽きたように紙を握りしめた。独房の暗闇が、彼を飲み込もうとしているのを感じながら、彼は静かに目を閉じた。だが、その瞬間、どこからか別の声が聞こえた。


「生き延びろ…」


その声は、今度こそ確かに、真一の背後から聞こえてきた。彼は目を開け、再び立ち上がった。目の前には、明らかに新しい扉が現れていた。今までにはなかったものだ。真一はその扉に手をかけ、恐る恐るそれを開けた。


扉の向こうには、全く異なる世界が広がっていた。それは光と影が複雑に交錯する場所であり、真一はその場に立ち尽くしていた。まるで、彼を迎え入れるかのように広がる空間が、彼の次の試練を示していた。


「ここからが…始まりか…」


真一は、自分の運命に立ち向かう覚悟を決め、再び歩みを進めた。この「死独房」の真の恐怖が、いよいよ彼を襲おうとしていた。








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