仲直りパーティ

空野わん

仲直りパーティ

 私は料理が得意だ。


 毎日夫と9歳の息子の健太のために腕を振るう。閃いたレシピを思い通りに作れた時の爽快感は私を虜にする。


 今日は大事に手入れしている大きな牛刀と骨スキ包丁の出番だ。骨付きの大きなブロック肉を仕入れることができたからだ。



 ——どんなにストレスを溜め込んでいても料理をしている時は無心になることができた。鼻歌を歌いながら料理の準備をする。


 今日の料理は特別だ。

 マンションの2階上に住んでる高村さん一家をお招きしておもてなしするための料理なのだ——


 先日、健太と高村さんの息子のマサト君が喧嘩をして、はずみでマサト君を突き飛ばし軽い打撲を負わせてしまった。

 暴力を振るった健太を私は叱った。人に暴力を振るうことは人間として最低だと幼い頃からずっと教え続けてきたからだ。どんな理由があったとしても。




 ——ブロック肉に牛刀を入れてたくさんの細かいブロックと大きめのステーキサイズを何枚かに分けていく。鼻歌も今日は調子がいいな。音をはずさずに歌えている。——




 健太にひとしきり道理を話した後、喧嘩の理由を聞いた。どうやらマサト君に父親のこと、つまり私の夫のことを馬鹿にされたというのだ。


 お前のお父さんは仕事ができないダメなやつだ、いつだって上司のおれのお父さんに迷惑を掛けている、お前知らないの? お前のお父さんは会社の中でみんなに馬鹿にされてるのにヘラヘラ笑ってるらしいぞ。クソだな。


 健太は喧嘩の経緯を悔し涙を流しながら話してくれた。私も一緒に泣いてしまった。健太を抱きしめながら。

 なんてひどいことを言う子だろう。マサト君の顔が脳裏に浮かび、怒りで頭の中が真っ白になった。高村さん夫妻はマサト君に我が家の悪口を日頃から吹き込んでいるのは確かだった。


 いい? 健太。それでも暴力を振るうのは人間として最低なことなんだよ? お父さんの仕事の迷惑になったらお父さん可哀想だから。そうだ。マサト君とマサト君のお父さんお母さんも呼んで、うちでごめんなさいと仲直りのパーティをしようか。ね?


 健太は泣きながらうなずいた。健気だ。悔しいだろうに父親の迷惑にならないよう、ことを丸く収めることに納得してくれたようだ。家族のことを大事にしてくれている。本当に本当に、いい子に育ってくれている。私は健太が泣き止むまで、強く抱きしめ続けた。



 ——分けた大小のブロックに塩胡椒を振る。きちんと血抜きされた新鮮でいい肉だ。きっと高村さんも喜んでくれる。最高の素材を用意できたのだから、あとは私の腕の見せ所だ。

 鼻歌はもう3曲目。ちょっと切ないけど爽やかなラブソングを歌う。私がお父さんに片想いしていたときに流行った曲だ。懐かしくて涙が滲んできた——




 健太が喧嘩を起こしたその日の夜、私と夫は高村さんの家まで出向き頭を下げた。

 高村さんは夫の頬を張り飛ばした。夫は顔を白くしながら、何度叩かれても謝罪の言葉を言いながら頭を下げ続けた。


 高村さんの奥さんは私に対して、こんな情けない旦那の子供だったら人に暴力を振るっても仕方ない、人を妬む子供に育ってしまっているんじゃないか、この人でなし家族、と言った。


 私も頭を下げ続けていたが、玄関の奥に私たちを眺めているマサト君の姿が見えた。高村夫妻は美男美女で、その2人から生まれたマサト君もやはり相当な美少年だ。少しふっくらして柔らかそうな体つきが西洋画の天使の絵を思い起こさせた。


 その美少年が、頭を下げ続ける私たちに皮肉に歪んだ笑顔を向けていた。

 私は奥さんからの罵声とマサト君の笑顔が押し付けてくる侮辱になんとか耐え続けた。




 ——切ないラブソングは最後の大サビ。若くて気持ちひとつでなんでもできたあの頃を思い出すと滲んでいた涙が露となって頬を伝った。

 あの時はしがらみで縛られることなんか考えもしなかったな。


 でもその曲を歌い終わると、世の中なんて滅んじまえ! みたいなロックナンバーを陽気に歌い出すんだから、私には節操も情緒もないんじゃないか。笑い声が漏れてしまう——




 高村夫妻は私たちに病院でかかった医療費とちょっと驚くくらいの慰謝料を求めてきた。トラブルを大きくしたくなかった私たちは、貯金からそれを支払い、お詫びも兼ねてご家族でうちに食事に来てくれないかとお願いした。マサト君には健太とずっと仲良くしてほしいから、と言い添えて。


今日がそのパーティーの当日なのだ。



 ——太い骨、細い骨に骨スキ包丁を当てて残った肉をこそぎ落としていく。こんなにいいお肉は一片たりとも無駄にはできない。


 ガシュッ、ガシュッ。

 ガシュッ、ガシュッ。

 ガシュッ、ガシュッ。


 骨の上を包丁が滑る音が響く。それが鼻歌のロックナンバーのドラム代りとなり、私は気分が高揚してきた。いつの間にか鼻歌は大声で歌う1人ライブになっていた。


 ああ、今日はきっと、今までで最高の料理ができそう。

 これなら、高村さん夫妻もきっと満足してもらえる。これで文句を付けられたら私にできることなんてもう何もないわ。


 健太は自分ができることを頑張っている。夫も家族のために身を粉にして働いてくれている。私はこの料理の腕で家族を守るんだ。



 高村さんとの約束の時間まであと30分。奥さんから電話がかかってきた。どこに行ったのか、朝からマサト君の姿が見えないという。

 うちでお待ちすれば良いじゃないですか、そう伝えると、奥さんは少し迷った様子だったが、それもそうね、今日の約束のことは伝えてあるし、まあギリギリまで待ってみるわ、と言い、一方的に電話を切った。


 ステーキが焼き上がり、塩、ワサビ、バルサミコ酢などのソースと一緒にテーブルに並べる。

 細かなブロック肉をたくさん入れたシチューが完成した。デミグラスソースで煮込まれた肉はとても柔らかかった。脂がとろけそう。大成功だ。


 地元で生産されている新鮮な野菜でサラダを作り、30分は並ぶ有名なパン屋で買ったバゲットを焼いて皿に並べた。高級スーパーで仕入れてきた普段は絶対に買わない値段の赤ワインとワイングラスを準備した。肉料理にはやはり赤ワインが1番。子供向けには葡萄ジュースを買っておいた。


 来客を告げるチャイムが鳴った。モニターを見ると画面いっぱいに高村さんが写っていた。

 玄関のドアを開け、招き入れる。夫妻は落ち度でも探すかのように部屋のそこかしこに不躾な視線を巡らせていた。落ち度なんかあるはずがない。今日のために塵ひとつ、くすみひとつ、髪の毛の一筋も残らないように部屋を磨き上げたのだ。


 ダイニングに入ると、テーブルの上にきれいに並べられた料理を見て夫妻はため息を漏らした。当然だ。料理にも食器にも照明にもこだわり、花まで飾ったのだ。私は高村さん達を絶対に満足させるためにできることは全てした。


 椅子に座るよう促し、私と夫も席につく。夫がワインをあけ、高村夫妻のグラスに注ぐ。私はマサト君に葡萄ジュースを手渡した。


 最低な人間の私は、満面の笑みを浮かべながら仲直りパーティの開始を宣言した。


「マサト君、健太も反省しているから許してあげてね。さあ、仲直りパーティを始めましょう!かんぱい!」


 マサト君はいただきますも言わずにステーキにかぶりついている。かなり満足しているみたい。夫妻もまんざらではなさそう。この調子ならなんとか仲直りは果たせそう。



 よかった。

 よかったね、健太。



 (了)

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