3 王太子には逆らえない
「お前……」
扉を開けた王太子殿下は、私を見下ろす。
流れる沈黙。重苦しい雰囲気が広がり、誰も何も発することができない。
私は気が気ではなかった。次の王太子殿下の発言次第で私の運命が決まってしまう。
平凡なこの人生、平凡なりに順風満帆に生きてきたつもりだった。
ああ、短かったなこの人生。もう少しメイドとして働いて弟のために学園にかかる入学金を貯めてあげたかった。
ごめんねジュリオ。お姉ちゃん、もうダメかもしれない……。
運を天に任せる勢いで心の中で涙しながら運命の宣告を待ちわびていると、未だに何も発しない王太子殿下の隣から新たな人影がひょこりと姿を現した。
「どうした、ロズウェル。なにかあったか?」
「馬鹿、ヴィラン! お前そのまま出てくるな!」
こちらへ歩いて来ようとするその人影を、王太子殿下が慌てて制する。
しかしその王太子殿下の制止も虚しく、ヴィランと呼ばれた男が顔をのぞかせる。
その新たな男の姿に私はまた固まってしまった。
なぜ王国きっての美丈夫二人がここに。
ヴィラン・ド・オーランジェ。
これも王国でその名を知らぬものはいない有名人だ。
十代から頭角を現し、最年少で近衛騎士入りを果たした天才騎士。三年で筆頭騎士へと登り詰め、つい先日は王太子と共に出陣した東部戦線を経て将軍へと上り詰めたスーパーエリートである。
ストレートの銀色の髪はいつも背中でひとつに結ばれ、真摯な光を宿した紫の瞳は見るものを魅了する不思議な力を持つ。
王太子と対をなす美貌を持つといわれ、二人が夜会で並び立てば黄色い悲鳴があがる。
そのヴィラン様は何故かシャツをはだけさせた状態で姿を現した。
私の目の前にはヴィラン様の、それはそれは見事な腹筋が視界いっぱいに広がる。
私はその腹筋から目が離せないながらも、努めて冷静に現状を分析する。
壺を割ってしまった私……は今回は置いておくとして。
部屋の中には王太子殿下とヴィラン様の二人。
何故かはだけたシャツ。そんな状態のヴィラン様が慌ててこちらに来ようとするのを阻止した王太子殿下。
そして何より重要な情報。ここは滅多に人が立ち入らない西の宮だということ。
人目をはばかって会う二人。つまり、これらの状況から意味することは。
私はしばらく黙考した上で、全てを理解した。
「お二人は逢瀬をされていたと。つまりは
不肖シュレナ・オルグニット、完全に理解しました!
大いに納得してそう告げると王太子殿下から「違うわ!」と盛大に突っ込まれた。
「大体、お前は誰だ。名を名乗れ」
憮然とした表情で言われ、私はすぐさま名乗りをあげる。王太子殿下の機嫌をこれ以上損ねてはならない。
これ以上失態を重ねたら物理的に私の首が飛んでしまう。私はすぐさま頭を下げ、メイド服のスカートの襟を持ち上げて挨拶する。
「し、シュレナ・オルグニットと申します。この度は失礼を致しまして、誠に申し訳ございませんでした」
頭を下げれば今度は視界に割れた壺の欠片が目に入る。本当にとんだことをしてしまった。この壺はいくらするのだろう。弁償額だけで給金が飛ぶかもしれない。そんなことになったら弟の入学金はどうすれば良いのだろう。
ふと、そんなことを考えたところで私はあることに気づいた。
さっきのヴィラン様の腹筋の下あたりに、ものすごく覚えのある気配が漂っていた気がしたのだ。
私が小さな頃から感じとることのできる、
しかし相手はヴィラン・ド・オーランジェ。
オーランジェ家はシュレーン王国において公爵位を賜わる家柄。格上の貴族に、傾きかけた伯爵令嬢である私が気軽に接することなどできるわけが無い。
けれど。一度気になると、どうしても気になってしまって。私は王太子殿下の許しを得ずに、顔を上げてしまった。
「すみません! 失礼します!」
突然顔を上げたことにより驚いた様子の王太子殿下の脇をすり抜けると、つかつかとヴィラン様に近づく。
ヴィラン様は明確な意志を持って近づく私に戸惑っている。私はそのすきに彼のはだけたシャツに手をかけ、一気にボタンを引き裂いた。
「やっぱり……」
ヴィラン様のお腹には怪しく輝く赤い紋様があった。白い肌に浮き上がったそれは明らかに人工的に付けられたものであり、呪いと呼ばれるものの類である。
とある機会によりこういった呪いに遭遇する機会が多かった私は思ったより進行した様子の呪いに深刻な顔をする。
種類からして恐らく初めは臍の上にちょこんとあったはずの紋様は、幾何学模様を描いてその勢力を広げている。
今はヴィラン様の腹筋の下半分程を覆っていて、これ以上広がると厄介なことになるのは目に見えていた。
今ここで力を見せるのは間違っているのかもしれない。けれどこれ以上広がればヴィラン様が苦しむことになる。
少し逡巡した私は、しかし首を振って左耳につけていた小ぶりのイヤリングを外した。
その瞬間、王太子殿下とヴィラン様が目を見張る気配を感じた。
恐らく私の髪と目の色が変わったことに気づいたのだろう。しかし、今はそれについて説明するつもりは無い。
「じっとして下さい」
ヴィラン様にそう告げて、腹筋の紋様に手を伸ばす。その瞬間、手のひらからぽうっと光が放たれ、ヴィラン様のお腹に浮かんだ紋様が少しづつ消えていく。
「なっ!?」
「どういうことだ!?」
王太子殿下とヴィラン様が驚愕の声を上げる。その間にも私が放った光がヴィラン様に付けられた紋様の五分の一程を消滅させ、止まった。
今の時点ではこれ以上の浄化はできないようだ。ヴィラン様はなかなか高度な呪いをかけられているらしい。
「これで少しはマシになっているはずですが、どうですか?」
ヴィラン様に話しかけると、未だ呆然としたままの彼は自分の身体を見下ろして放心したように呟く。
「身体がだいぶ楽になった……」
「そうですか。よかったです」
本当はもっと浄化できれば良かったが、今はこれ以上は無理そうだ。私に力がないばかりに申し訳ない。
しゅんとしていると、急にお仕着せ服の首根っこを掴まれる。ハッとして自分の置かれた状況を思い出した私は、ダラダラと背中から冷や汗が伝う。
カタカタと震えながら後ろを振り返ると、それはもう、麗しの美貌に誠に爽やかな笑みを浮かべた王太子殿下が、獲物を定めた獣のような瞳で私を見下ろしていた。
「シュレナ・オルグニットとか言ったか……? なぜお前がひと握りの限られたものにしか使えない『聖』魔力を使えるのか。そしてなぜここに立っていたのか、そして――」
ここで不意に王太子殿下は足元へと目を向ける。
背中に伝う冷や汗が倍増した。
「なぜ壺が割れているのか、逐一説明してもらおうか?」
「はい、喜んで!」
王太子殿下には逆らえない。
私は本能的にそう悟った。
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