2 シュレナ・オルグニットの不幸
「――今日は使われていない部屋の掃除をします」
そんな、厳格なメイド長のそんな言葉が全ての不幸の始まりだったと、今となってはそう思う。
シュレーン王国の太陽の座する王都テレアに存在する王城フォンブレン。
そこがシュレナ・オルグニット――私の今の勤め先である。
と言ってもなんのことはない、なにかの役職に就いている訳ではなく、ただのメイドの一人、としてである。
メイドとしてそこそこの仕事をし、そこそこの給料を貰い、実家に仕送りをする。
そんな単調な生活を続けているだけの、どこにでもいる使用人の一人だ。
何事もなければそこそこの勤続年数で、そこそこの相手を見つけ、そこそこの持参金を持って嫁ぐことになる落ちぶれかけた伯爵令嬢だ。
そんなThe・平凡を地で行く私が何の因果か、この国の王太子に目をつけられてしまうという人生最大の
そうとはつゆ知らず私はその日も呑気に厳格なメイド長の命令を実行すべく、馴染みのメイド同僚と共に部屋の掃除に取りかかっていた。
「今日一日、一人一部屋ずつ、か。どうするー?」
王国が始まって以来存在するフォンブレン城。王族が住まう城なだけあって部屋の数は多く、どれだけ手入れしようとも掃除が間に合っていない部屋は数多く存在する。
特に今はこの滅多に使われなくなった西の宮は、半年に一度ほど定期的に掃除は行われるものの、それ以外は足を踏み入れるものがいないほぼ忘れ去られた区域である。
同僚は私の他に五人。皆同じ時期にメイドとして王城に出仕し、三年ほど生活を共にしてきた仕事仲間だ。
皆地方貴族の令嬢で、あわよくば王都の武官や文官との出会いを夢見て王都へやってきた、らしい。
私とは少し目的が違うものの、同じような身分やお家柄と合ってすぐに打ち解けることができた。
そんないつもの面子で部屋の掃除割りを決める。一人一部屋とあって、さほど時間をおかずに役割分担をすることができた。
「じゃあさっさとやっちゃいましょ。お昼までには部屋の埃をとって窓を綺麗にするところくらいは終わりたいわ」
「そうね、西の宮って部屋数が無駄に多いからしばらくかかりそうだもの。さぁ、張り切って掃除するわよ」
「それじゃあまたお昼ねー」
口々にそんなことを言い、各自の仕事を開始する。上流階級の貴族令嬢ならいざ知らず、地方の名家でもなければ私たちくらいのほぼ名ばかりの令嬢は、大抵は自分のことは自分でできる。
そんなこんなで私たちは真面目に仕事をすべく各自掃除道具を手に、部屋の埃をはらい、家具を運び出し、窓を拭いていたわけだが――。
「この壺、邪魔ね……」
ふと立ち止まり、私は呟いた。
目の前には私の身の丈の半分ぐらいはあろう金色の壺が、部屋の隅に鎮座していたのである。
こう言ってはなんだが全身金ピカの壺は、ぶっちゃけ見た目がかえって安っぽい。
王城には廊下や部屋に絵画や壺が一定間隔で置かれていたりするが、それは季節ごとに配置換えを行う。
その管理を行うのもメイド達の仕事であり、使われない西の宮にその品々を収めることも多い。分かりやすく言えば物置きだ。
ここもそういった部屋のひとつだったのだろう。しかしそれにしてもこの金の壺は見た目が派手な割には重厚な品には見えない。
だから西の宮のこの部屋にずっと放って置かれていたのだろうか。
「掃除の邪魔になるから、どこかに運び出したいけど……」
身の丈の半分はあるこの壺。果たして運べるのだろうか。
試しに抱えてみる。見た目ほど重くないようで、両手で慎重に抱えると、ひょいと持ち上げることができた。
「しばらくどこかの部屋に置いておこう」
助けを借りずに移動させられそうなので手頃な他の部屋に移動させよう。
そう思い、今度は壺を全身と両手で抱え込むように持ち上げる。
いくら見た目は安っぽそうでも王城にある壺はそれだけで価値のある品だ。
万が一壊そうものなら自腹で弁償しなければならない。それだけは絶対に御免だ。
「落とさないよう、慎重に……」
そうっと、そうっと……。
万が一にも落とさないよう慎重に壺を抱えて運び出した私は、担当している部屋の丁度真上にあたる、上の階のまだ掃除の手が届いていない部屋に一時的に避難させるため、壺を抱えて移動を開始する。
そこそこの時間をかけて壺を運び、上階の部屋の扉へ立った時。
中に人の気配があることに気づいた。
少し開け放たれた扉の隙間から風に乗って話し声が聞こえてきたのだ。
おかしい。ほかのメイド仲間たちはそれぞれの部屋の掃除が終わっておらず、こちらにはまだ誰も来ていないはず……。
ま、まさか……幽霊!?
「だ、誰かいるの……?」
小さく呟きながら恐る恐る部屋の中を覗き込む。思わず身に抱えた壺をぎゅっと抱き締めながら、それを運んでいた時よりもさらに息を殺してそうっと中を覗き込む。
扉がキィ……と僅かに音を立てて開き、覗きこめそうな程の隙間ができる。
私は慎重に部屋の中へと目を凝らす。
音を立てずに部屋の中を覗き込むと、話し声が耳に聞こえてきた。
「……いつまで持ちそうなんだ?」
「今はまだ、一人で対処できている」
「しかし支配力は強まっているんだろう?」
「問題ない。まだ抗える」
「だがっ……!」
なにかを言い争う気配。男の声はふたつ。少し物音がして、そしてなにかの衣擦れの音。
「もう、こんなに広がっているじゃないか! なぜ今まで言わなかった!?」
「自分でどうにかする気だった」
「お前は、また一人でどうにかしようと……!!」
バンッ! と強く台を叩く気配。
切羽詰まった状況に乗せられて思わず真剣に話を聞いていた私は、その音にびっくりして両手を離してしまった。
「あっ……」
しまった。
気づいた時には既に遅く。
手に持っていたはずの壺が、床に叩きつけられる。
――ガシャン!
「誰だ!?」
扉の中から鋭い声が飛ぶ。
つかつかとこちらへ足音が来る気配。私は壺を割ってしまったという事実に凍りつき、逃げることができなかった。
バン、と扉が無惨にも開け放たれる。
私は壺を落とした体制のまま、その男と対面した。
「あ……」
そして凍りつく。
目の前にいたのは誰であろう、この国において知らぬものはいない人物。
緩くカーブした金髪に、サファイアの如く青い瞳。甘やかな美形と称され、頭脳明晰、剣の腕も一流、将来は賢王となるだろうと噂されるシュレーン王国王太子、ロズウェル・オーランド・シュレーン殿下。
――やばい、私今日死んじゃうかもしれない。
壺を割ったことに加え、王太子殿下の話に聞き耳をたてていたこと。度重なる失態に私は思わず死を覚悟した。
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