第10話 接近禁止の理由

「ルーカスぅ?」


 猫のフェリシアから目を離したアリスが、悪戯っぽい笑みを浮かべて後ろにいるルーカスを見た。

 ルーカスは頭を抱えてしまっている。


 フェリシアといえば、全てを見透かすようなアリスの笑みにドキドキが止まらない。


「殿下。一回フェリシアとちゃんと話してみたらどう? あの子なら絶対に大丈夫だから」

「しかし……! フェリシアには、本当の私を知って嫌われたくない」


 アーサーはその端正な顔を歪ませる。こんな表情をすることがあるのかと、フェリシアは初めて知った。いつも涼やかに微笑む顔しか見たことがない。

 《嫌われたくない》と、もうひとつのアーサーの声も聞こえた。切実な二つの声が、重なって聞こえる。


 アリスはこれみよがしにため息をつく。


「はあ……。とりあえず、ちょっと殿下はそこの長椅子に座って。その子も一緒でいいから」

「なんのつもりだ?」

「いいからいいから〜!」


 有無を言わせないようなアリスの声に、アーサーは訝しげな顔をしている。だけれど、彼女もこのままでは引かないと思ったのか、渋々腰を下ろした。


 そしてフェリシアはアーサーの膝の上にそっと置かれる。


「座ったぞ」

《アリスはいつも突拍子がないからな》


 アーサーが腰を下ろしたのを確認したアリスは、それを見て満足そうな笑みを浮かべる。

 

 ――刹那。彼女が右手を振り上げ、短く何かを唱える。するとそこには光の球が生まれ、その光球は真っ直ぐにフェリシアへと振り上げられた。


「姉さん、何を……!」

「アリス……っ!」


 ルーカスとアーサーの慌てた声がする。

 フェリシアはその眩しさに目を開けていられず、ギュッとその双眸を閉じた。



「なんてことだ……」

《一体、何が起きている……?》


 アーサーの声が聞こえる。

 フェリシアはその声に導かれるように、ゆっくりと瞳を開けた。


 痛くはない。こちらを心配そうに覗き込んでいるアーサーの顔も、アリスの不遜な顔も、ルーカスが額に手を当てて困惑している顔も全てが見える。


 先程までと違うのは、視界の高さだろうか。


(あら、そういえばわたくし随分とアーサー殿下と顔が近いような……)


 そう思って再度アーサーの方を見る。紫水晶のような瞳は目をまん丸にしながらも真っ直ぐにフェリシアを見ていた。とても近い。


 あたりを見渡したフェリシアは、自身が猫から元の姿に戻っていることに気が付いた。


 そうだ、ルーカスは『危険を感じたら元に戻る』と言っていた。そして恐らくアリスは、この猫の姿がフェリシアが化けたものだと気付いたのだ。だから、先程ああして攻撃の真似をした。


「あの猫は、フェリシアだったのか」

《フェリシアだ。本物のフェリシアだ。はあ、かわいいし柔らかい。最高だな。いや待て、フェリシアがここにいるということは、この心の声が全部筒抜けなのか……!?》


 アーサーのふたつめの声が先ほどまでよりもずっと騒がしい。


「は、はい、申し訳ありません。殿下」


 そんなことよりも、フェリシアは自分がしでかしたことが急に怖くなった。猫になって殿下の執務室に忍び込むだなんて、とても無礼な行為だ。それに、国家に仇なす諜報行為だと断じられても仕方がない。


《久しぶりのフェリシアがかわいすぎて致死量だ。猫の姿もかわいいが、やはり本物のフェリシアのほうが良い香りがする》

「大丈夫だ、フェリシア。きっとルーカスに唆されたのだろう。わかっている」


 ついに二つの声の大きさが逆転した。

 先程のアーサーの言葉を借りれば、フェリシアの香りが云々……と聞こえる方はもしかしてアーサーの心の声だというのだろうか。


 顔が熱い。フェリシアか沸騰しそうなくらい羞恥で赤くなる。本人的にはそんな気持ちだったのだけれど、もちろん顔には出ていない。


《フェリシアは照れると項が赤く色付くんだよな。そこがかわいいし食べてしまいたい。はっ、ダメだ、これはフェリシアに聞かれてしまう――》


 後ろからそんなアーサーの声が聞こえたフェリシアは、慌ててうなじを押さえる。知らなかった、そんなこと……!

 色々とキャパオーバーになったフェリシアは、そのままキュウと気を失ってしまった。



 *


 その後、フェリシアは王宮にて医師の診察を受けた。アーサーの心の声に驚いたのもあるが、ルーカスの魔法により姿を変幻させていたことや、執務室でアーサーの重い魔法を身に受けたこと、連日の心労のせいだろうとのことだった。


 目が覚めると、青ざめた顔のアーサーがフェリシアのベッドのそばで憔悴した顔をしていた。


「フェリシア! よかった、君が無事で……」


 アーサーは急いでフェリシアの手を取ろうとして、ハッと気が付いた顔をして引っ込める。


(やはり、そういうことなのですね)


 フェリシアも気が付いていた。きっとあの心の声は、アーサーと身体が触れた時に聞こえるものだ。


 フェリシアが身体を起こそうとすると、躊躇していたアーサーの手のひらが背中に触れた。フェリシアを支えながら、空いている手でクッションを背とベッドボードの間に差し入れてくれる。


《フェリシアの背中……っ、なんて華奢なんだ》という声も、しっかりフェリシアに届いた。


 気を取り直したフェリシアは、一度こほりと咳払いをする。


「アーサー殿下。わたくしは大丈夫ですから」

「……フェリシア。私のせいで心労をかけてしまってすまない。君を困らせないように、早く解決したかったのだが」


 アーサーは項垂れるように頭を下げた。

 それを見たフェリシアは、ベッドの上でふるふると首を振る。


 彼の本音は、猫の姿の時にたくさん聞いた。


 あの貴族のような考え方をする派閥は他にもいるだろう。もしかしたら、アーサーはこれまでもフェリシアの身に降りかかる火の粉を払ってくれていたのではないだろうか。


「実は……アリスがいる魔塔と共同で自白魔法の研究をしていたら、あまりにも複雑な術式だったためか魔力が暴走してしまったんだ。それから、私は触れたものに心の声が筒抜けになってしまうようになった」

「まあ……それでルーカスはどこか訳知り顔でしたのね」


 アーサーのその説明を聞いて、フェリシアはようやく合点がいった。

 あのルーカスは、全てを知った上で、フェリシアに協力してくれていたのだ。


「でも、初めからそう教えていただければよろしかったのに……?」


 フェリシアはおずおずとアーサーを見た。


 『距離を置こう』という言葉が、そうした問題を解決するための時間であることは分かったけれど、そう言ってもらえればあれこれ悩まずに済んだ気もする。


 フェリシアの言葉に、アーサーはぎくりとした顔をした。


「……君は聞いただろう。私の心の声を」


「はい。聞きましたけれど」



 紫の瞳がじっとりとフェリシアを見つめている。悪戯が露見した子供のように、どこかバツが悪そうだ。


 だが、それでいて奥底には仄暗い熱情を孕んでいるようにも見える。



「私は君を前にすると、感情の制御が難しくなる。なんとか外面だけでもと取り繕っているのに、あんな欲望丸出しの自分を君に知られたくなかったんだ。脅えさせたくなくて」


「そんなことは……」


 ――あるかもしれない。


 ない、と即座に否定しようとしたフェリシアだったが、あの声がアーサーの心の声だったとすれば『かわいい』やら『食べてしまいたい』やら何かと甘すぎる言葉のオンパレードだったことを思い出す。


 おまけに、恥ずかしがるとうなじが赤く染まるだなんてこと、フェリシアは自分で意識したこともなかった。


「で、でも、こうして接近しないようにしたらいいのではありませんか? お茶会や夜会、それに登城まで制限しなくても」


 ぱたぱたと手で顔を仰ぎながらなんとかそう絞り出す。


 羞恥で顔に熱が集まる。今もまたうなじが赤くなってしまっているかと思うと、ジリジリとした熱視線を意識してしまう。


 アーサーは首を振る。


「君が近くにいたら、絶対に傍にぴとりと寄り添いたいし、触れたくなるから無理なんだ。これでも婚約式が終わるまで我慢していた」


「そ、そうなのですか……」


「私は君が思うよりもずっと、君に執着しているんだよ。フェリシア」



 眉目秀麗な王子は、そう言ってどんな砂糖菓子よりも甘やかに微笑んだ。


 でもそれは、フェリシアだって同じだった。

 会えない日々で、 想いを強くしたのはこちらも同じだ。


「……わっ、わたくしも、アーサー殿下を心よりお慕い申しております。その、確かにびっくりはしますけれど、嫌ではありませんので」


 フェリシアは意を決してアーサーの手を取った。

あまりにも緊張しすぎて、胸が痛いしうるさい。


 フェリシアの気持ちが筒抜けだとしたら、それこそ彼への気持ちが溢れて騒がしいことだろう。



「それよりも、距離を置かれるのは悲しかったです。わたくしの気持ちも、こうして触れるだけで伝わったらよいのに……」


 フェリシアが心からそう呟いた時、どこかでなにかがプツンと切れる音がした。


 それから二人がどうなったかと言えば、お察しのとおり。アーサーからの口づけと、たくさんの《かわいい》が降り注いだフェリシアはまた許容量の限界を超えてパタリと倒れてしまった。


 再び焦ったアーサーが懸命に看護し、ロージーにジト目で見られながらフェリシアは侯爵家に戻ることとなった。



 婚約者が愛しすぎるが故に溢れてしまうハレンチな心の声を明かしたくなかった王子のひと悶着はこうして幕を閉じた。


 そしてまだ解呪の方法は見つからないので、今後フェリシアは開き直ったアーサーの心の声を存分に聞かされることになる。




***



それから数日後。スッキリとした顔のルーカスがレアード侯爵家を訪ねてきた。



「ごめんフェリシア。君に謝らないといけないことがある。夜会の時にアーサーの隣にいた金髪の令嬢は、変化した俺だったんだ。悪いやつの炙り出し用で内密にしないといけなくて……」


「あぶりだし……?」


「うん。炙り出し。おかげでいっぱい湧いた」



 フェリシアの元には、隠し事がなくなって解放されたらしいルーカスが、種明かしにあらわれた。



 そういえばフェリシアは、マーカム家の茶会で一緒だった噂好き令嬢やバリヤーニ侯爵とは、あれから一切会うことはなかったのだった――

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