第6話 令嬢たちとのお茶会
今日のフェリシアは、マーカム伯爵家主催のお茶会に招待されていた。
令嬢や貴婦人たちが集まるお茶会は、社交界においてとても重要な意味がある。
今日のお茶会は、伯爵令嬢キャスリンがホストを務める。何度か顔を合わせたことがあるが、人当たりのよく穏やかな人だ。
「フェリシア様! ようこそいらっしゃいました」
フェリシアが到着した時には、既に数名の令嬢たちが集まっていた。
駆け寄ってきたキャスリンに「招待ありがとうございます」とお辞儀をする。
「……いらしたわ」
「どういうおつもりなのでしょう……」
貴族家の派閥などの関係で、王太子の婚約者であるフェリシアにいつも全員が好意的とはいえない。
さらには無表情な所も相まって、令嬢たちの間でフェリシアが扱いづらい令嬢であることは間違いないだろう。
だけれど、今日はさらに輪をかけて様子がおかしかった。
(……? どうしたのかしら)
ざわりとした雰囲気の変化をフェリシアは敏感に感じとる。
これ見よがしに、ヒソヒソと内緒話をするような仕草も見え、あまり心地いいものでは無い。
「っ、フェリシア様、どうぞこちらに。私の隣にぜひ来てくださいませ」
「ありがとう」
どこか焦った笑顔を浮かべるキャスリンだけれど、彼女は懸命にフェリシアをもてなそうとしているのを感じる。
まあ、噂話も陰口も、いつものことだ。
「フェリシア様、今日の趣向は隣国で流行っているというお菓子です。ちょうど父が先日お土産に買ってきてくれたものが美味しくて、ぜひにと取り寄せましたの」
「そう」
少しだけふくよかなキャスリンは、お菓子の話をする時にとても幸せそうだ。
つられて微笑んでいる――つもりだけれど、上手くいっている気がしない。
(とても可愛くて美味しそうなお菓子ですし、幸せそうなキャスリン様を見ているとこちらも楽しいです……けれど)
相槌を打ったきり、二の句が継げないフェリシアの"氷鉄"を前に、キャスリンはすっかりたじろいでしまっている。
(どうしましょう。気の利いた会話をしなければ。確かマーカム伯爵家では今年葡萄の生産が盛んで、増益が望まれるのよね。いえでも、この話はこの場に相応しくないでしょうし、もっと楽しい話題を探さなければ)
フェリシアは懸命に考えを巡らせる。
「す、すいません。フェリシア様には珍しくなかったでしょうか。得意げになってしまって申し訳ありません」
だけれど、無表情のフェリシアにじっと見つめられていたキャスリンは、自らの問いかけが失敗したのだと感じてすっかり萎縮してしまった。
彼女のそんな様子をくすくすと嘲笑するような声も聞こえてくる。
フェリシアにはキャスリンを蔑むつもりなどない。無表情の自分に話しかけてくる貴重なご令嬢だというのに、うまくできない。
こういう所がダメなのだ。
殿下との茶会でも話かけてもらうばかりで、ちっとも気の利いた話題を提供できない。
こういうところで、未来の王妃としての資質が欠けていると言われているのかもしれない。
だけれど、ここで諦めないと決めたのだ。
「……キャスリン様。こちらのお菓子は、隣国のものと全く同じではないのではないですか?」
「えっ、どうしてそれを」
「バターサンドは見たことがありますが、こうして干し葡萄が挟まっているのは初めて見ました。マーカム伯爵家の特産品ですから、組み合わせて素敵な菓子を作られたのではありませんか?」
先日、失敗ばかりではあるが、厨房に入ってクッキーを作ったフェリシアである。
これまで考えたことは無かったが、無限の可能性を感じた。
目の前に置かれている菓子から、なんとかキャスリンとの会話の糸口を見つけたい。
そう思っての事だったが、目を見開いたキャスリンが、頬を赤らめて心から嬉しそうに笑ってくれた。
「そうなのです! 私、なんとか葡萄と組み合わせたくて……! さすがフェリシア様です。我が家のことや菓子にも造詣が深いだなんて」
「たまたま、自分で厨房に入ってみる機会がございまして。大変でしたけれど、職人のありがたみを感じました」
「まあ、フェリシア様がご自分で!? 素晴らしいですわ」
「わたしもやってみようかしら……」
「ほら、最近ヴェラルディ家発祥の菓子もいくつか流行っていますしね」
いつの間にか、キャスリンだけではなく同じテーブルにいる令嬢たちもわいきゃいと流行の菓子の話を始めた。
フェリシアは「まあ」や「そうなの」と懸命に相槌をうつ。
会話には反応が大事だと本にも書いてあった。
これまで目の前の勉学や王妃教育にばかり気を取られていたから、同じ歳頃の令嬢とこんして賑やかに話をした事がなかった事に気がつく。
(なんだかとっても楽しいですね。こうして会話が弾んだのなんて、いつ以来でしょう)
皆に囲まれていても相変わらずフェリシアは能面のままだろうけれど、それでも会話は弾んでいる。
皆は微笑んだり目を丸くして驚いたりととても可愛らしい。
「どうかされましたか? フェリシア様」
また会話にあまり参加しなくなったフェリシアのことを、キャスリンが心配そうに見つめている。
(そうだわ。皆さまのお力もぜひお借りしたいです)
そう思ったフェリシアは、お菓子談義に花を咲かせる令嬢たちにも意見を聞くことにした。
「皆さまがとても可愛らしいなと思って見ておりました」
「えっ!?」
フェリシアの突然の発言に、テーブルにいた令嬢たちは動きを止める。
この場で最も美しく、身分も高い。そして王太子の婚約者であるフェリシアからそんな言葉が飛び出してくるとは思ってもみなかった。
むしろ、いつも無表情で、皆を見下しているのではないかと囁かれたりもしていた。そのフェリシアの口から飛び出してきたのは思いがけない言葉だった。
「フェリシア様、それはどういう意味でしょう……?」
勇気のある令嬢が、どこかけんか腰にほう尋ねた。その様子に、いい雰囲気で安心しきっていたキャスリンもオロオロと慌て出す。
「言葉のままです。皆さま色々なことを上手にお話をされて、それでいて表情も豊かで。一緒にお話を聞いているだけで、嬉しい気持ちになれます」
「え……?」
あれ、なんか思ってたのと違うかもしれない。令嬢たちはそう思った。
確かにフェリシアの表情こそ全く動かず、氷鉄のままだ。だが、彼女のその神の贈り物のような唇からは、今までに聞いたことがない言葉が漏れ聞こえる。
「恥ずかしながら、わたくしはこのように表情が豊かではありません。ご一緒になった方を楽しませる事が出来ないことに悩んでおりますの……」
キャスリンは、なぜだか、フェリシアがしゅんとしょげているように見えた。気の所為かもしれないけれど、確かにそう見えた。
「毎晩マッサージや笑顔の練習もしているのですが、うまくいかないのです」
「そ、そんなことはありませんわ。フェリシア様は素敵です」
「ですが、わたくし本当は皆様のように微笑みたくて」
「かっ、かわいい〜〜……っ」
ついに、ひとりの令嬢の心の声がダイナミックに漏れた。完璧令嬢だと思っていたのに、フェリシアからぽろぽろと零れる言葉は確かな本音に聞こえる。
まさか氷鉄令嬢の無表情が、彼女が望んだ怜悧な表情ではなかったなんて。
見下している訳でもなんでもなく、ただ表情筋が死んでいるだけ――……
これまで知らなかった事実に、令嬢たちは胸がときめいた。かわいい。
「フェリシア様、こう! 口角を上げるトレーニングが効果的だと聞いた事があります」
「思いっきり口をすぼめたりなどもいいとか。絶対に誰にも見られたくないですけれど!」
令嬢たちは懸命にフェリシアに表情筋をなんとかする方法を伝える。フェリシアといえば、真剣な顔でその一つ一つに耳を傾けて「今夜挑戦してみます」などと回答した。
それらの話題が一段落したとき、唐突に爆弾が落とされた。
「そういえば、先日の夜会はフェリシア様はご欠席でしたね」
「ええ。所用がございまして」
アーサーに欠席するように言われた夜会のことだ。フェリシアは家で大人しく恋愛小説を読んだり、ルーカスから教わった基礎魔法の練習をするなどして静かに過ごした。
「あ、あの、その話題は――」
「その日、アーサー殿下がいつもと違うご令嬢を連れていらして! どうしたのだろうと話題になっておりました」
怪しい雰囲気を察したキャスリンが静止しようとしたが、時すでに遅し。
噂好き令嬢の口からは、とんでもない言葉が飛び出した。
「ご令嬢を……?」
「ええ! 見たことがない金髪のご令嬢でした……ってあれ、もしかして、フェリシア様はご存知ありません……でしたか……?」
「……はい」
険しい表情になったことはしっかり伝わったらしい。
元気よく話していたはずの噂好き令嬢の声がどんどんと小さくなる。
フェリシアがそう頷けば、先程まで賑やかだった茶会は途端に通夜のように静かになってしまった。
もしかしたら、フェリシアが登場したときの微妙な空気はそのせいだったのかもしれない。
(わたくしを呼ばなかった夜会で、他のご令嬢を? アーサー殿下はやはり、わたくしと婚約破棄をするおつもりなのかしら)
恋愛小説で、悪役令嬢が婚約者の王子に婚約破棄を言い渡されるシーンを何冊も目にした。
真実の愛を見つけてしまった王子が、主人公と愛を深めるお話。
「キャスリン様。少し気分が悪くなってしまいましたので、わたくしこれで失礼いたします」
「フェリシア様……!」
かたりと席を立ったフェリシアは、同席していた他の令嬢たちにも声をかけてその場を立ち去った。
まるで悪い夢のよう。
馬車に乗り、帰路に着く間も。フェリシアはずっと沈んだままだった。
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