第2話 婚約破棄したくない

 

◇◇


 夢の中のアーサー殿下はいつもどおりに紳士で優しく、甘やかな恋人だった。その事に安心して、フェリシアは彼と談笑する。

 

 いつもの王城の一室でのふたりきりのお茶会の一幕だ。

 他愛もない話を殿下がして、それにフェリシアが相槌を打つ。

 各国の情勢にまつわる小難しい話から、市井で流行しているという楽しい話まで。殿下といると話題が尽きることはない。

 話し下手なフェリシアも、殿下といれば自分の実力以上に会話を引き出されているような気がした。誉められると、嬉しいから。


 だが、突如として場面が庭園でのお茶会のような風景に切り替わると、状況は一変した。


 アーサーの隣には銀髪の美しい令嬢がいて、ぴっとりと彼に寄り添っていたのだ。


『距離を置こうとは言ったが、これからしばらく、とは言わず、ずっと会うことはできない。私はこの娘と婚約することになった』


 こちらを見るアーサーの瞳は冷たく、声色も冷え切っている。


 令嬢の顔はどうしてだかハッキリとは見えずにぼやけたままだが、わたくしの方を見て、口角を吊り上げたように……見えた気がする。


 そんな。


 距離を置いたのは、他に気になる女性が出来たからだったのか。なんということだろう。


 殿下はこちらに背を向け、その女性と手を組んでその場から離れて行く。


 それを追いかけようと、足を動かそうとするも、フェリシアの足はその場に縫いとめられたように前に進まない。


「だっ、ダメです! あ、あら……」


 飛び起きたフェリシアが慌てて手を伸ばすと、そこは王城の一室でも庭園でもなく、もちろん彼女の自室だった。


 窓からはうっすらとおひさまの明かりが射し込み、朝が来たことがわかる。


――夢……だったのね。それでも……。


 婚約者の――恋人の心変わりをまざまざと見せつけられて、未だにフェリシアの心臓は痛いくらいにばくばくと強く打っている。


「お嬢さま? どうかされましたか?」


 フェリシアの奇声を聞きつけ、例の侍女が部屋に入ってくる。その侍女が持ってきた温かな紅茶をこくりとひと口飲んで、ようやく落ち着くことができた。


「ひどくうなされていらっしゃったようですね。昨日は疲れていらしたので、それででしょうか」


 侍女が心配そうにフェリシアの顔を覗き込む。そのやさしい表情と紅茶の温かさにじわりと心が温かくなる。無表情だけど。


「……実はわたくし、アーサー殿下に距離を置こうと言われたの」


「はえっ!? なんですか、それ!!」


 昨晩は言えなかった胸の内が、自然とフェリシアの口からぽろりと零れた。

 侍女のロージーは一気に眦を吊り上げて、鬼の形相になる。


 普段からフェリシアの相談ごとにも乗ってくれる、気の置けない仲だ。そうフェリシアは思っている。


 感情を表に出すことができないフェリシアにとって、喜怒哀楽でころころと表情の変わるロージーの存在にとても救われていたりもする。密かなあこがれだ。


 飲みかけのティーカップをソーサーに戻して、フェリシアはさらに続けた。


「彼の真意は分からないけれど、もしかしたらアーサー殿下はつまらないわたくしに愛想が尽きたのかもしれなくて」

「いやいやいや、神に誓ってもそれはないと思います」

「わたくし、あまりおしゃべりが得意ではなくて、お茶会の時も黙って頷くだけになってしまうことが多いから……きっと、退屈だったのだわ。これまでも殿下にとっては苦痛だったのかもしれないと思うと悲しくて……」

「ぜええええったいに、誤解だとおもいますけど!?」


 ロージーはやけに気合いを入れて、フェリシアの推測を否定する。


 なんとも心強い侍女だ。

 その勢いに気圧されてぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、フェリシアは「それでも」と続けた。


「でもわたくし、諦めたくないわ……だから、頑張りたいの、色々」


 最後の方は、恥ずかしくなって少しだけ声が小さくなってしまった。ポソポソと言ったけれど、ロージーには全てちゃんと聞こえていた。


 フェリシアが決意を込めてそう言うと、侍女は「お嬢さまの決意顔、かわいすぎ」とかなんとか呟いて顔をおさえた。


 距離を置かれて、その行く先にあの夢の中のような出来事があったとしても。

 婚約破棄に至らないよう、まだ出来ることがあるかもしれない。

 そう思っての事だったのだけれど……


「フェリシアお嬢様。どうしてアーサー殿下がそのような事を仰ったのか私にも分かりかねますが(絶許)、私もお嬢さまに全力で協力します!」


 握り拳を作ったロージーは、気合十分だ。

 それだけで、わたくしもとても嬉しくなる。


 途中なにやら聞き取りにくいところもあったけれど、彼女が付き合ってくれるならそれは心強い。


「ええ、お願いね。わたくしの表情筋が最優先だけれど、殿方の心を掴むにはどうしたらいいのかも学ばなくてはならないわ」

「わかりました。では早速、私はその道のプロたちに話を聞いてきますね。手練手管に優れた者を選定して参ります!」

「頼んだわ、ロージー」

「どんとこいですお嬢さま。"アーサー殿下の御心を取り戻せ大作戦"絶対に成功させましょう!!!!!」

「ええ! とっても心強いわ」


 フェリシアはにっこにこのロージーと固い握手を交わした。

 

 こうして、フェリシアと侍女のロージーによる、どこか明後日の方向に向いた取り組みが始まった。

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