第3話 お菓子作りを学ぶ
翌日。フェリシアは侯爵家の厨房にいた。
長い銀髪はひとつに束ね、いつものデイドレスよりも質素なワンピースに、借りてきたエプロン姿で。
「お、お嬢様が本当にやるんですか……?」
突然のことに明らかに困り果てている若き料理長のロックを前に気合十分だ。
「ええ。まずはよろしく頼むわ。簡単なものからでいいから、お願いします」
「うう~ん……そうですね……いや困ったなぁ。お嬢様、これまでに料理をされたことはありますか?」
ロックからの問いかけに、フェリシアは首を横に振る。
「ありません」
「厨房に来るのも……」
「今回が初めてですわ」
恐る恐る質問をしていたロックは、フェリシアの明朗回答に「ソウデスヨネ……」と呟いて頭を抱えている。
深窓の令嬢がなにがどうして気合十分で厨房にいるのか。本当に混乱している。
「ロックさん! お嬢様にお料理の伝授をよろしくお願いしますね」
フェリシアの後ろから、侍女のロージーが援護の言葉を飛ばす。
ばちんと大袈裟にウインクをしたりして、可愛らしいことだ。
「ロージー、お前か……」
その侍女を恨めしげに一瞥したあと、ロックはまたうんうんと唸り始めた。
フェリシアの自分磨き計画が始まった。
その道のプロに教えを乞う、第一弾は料理にした。
アーサー殿下は甘いものに目がなく、フェリシアとのお茶会の際は毎回流行りの菓子がテーブルに並んでいる。
『フェリシア。これはマカロンという菓子だよ。食べた事はある? 摘んで、こう齧ってごらん』
『フェリシア。見てご覧。ショコラというのは溶けやすいらしい。ずっと手で持っていないようにね』
新しい菓子が並ぶ度、アーサーはフェリシアに細かく菓子の説明をしてくれた。きっと彼は菓子に造詣が深いのだ。
(アーサー殿下がお好きなのでしたら、わたくしも菓子を作ってみたいです……!)
色々と考えた結果、それならばと閃いたのだ。最終的にはあのレベルの菓子を作りたいとは思うけれど、何分料理なんてこれまでやったことがない。
そんなフェリシアの申し出にロックが困っていることは分かっていても、こちらだってゆずれない闘いなのだ。
「……厨房に入ったことのないご令嬢が作れるようなもの。怪我をせずに出来るもの……うーーーん。……火傷なんてさせようもんなら、俺の首が飛ぶな……物理で」
目の前の料理長はブツブツと呟いている。
何を言っているかはわからないが、ロックがとても困っていることだけはわかる。
少し待つと、覚悟を決めたらしきロックが顔を上げた。
「よし! ええと、では、混ぜるだけのものにしますね。クッキーなんてどうでしょう」
「クッキー。とてもいいですね」
「では、まずは卵を――」
「卵……これね。こうするのよね」
目の前にあった卵を掴んだフェリシアがそれをボウルに叩きつけようとしたところを、すんでのところでロックが止めた。
「アッお嬢様、私が用意しますので!! 最初は!! 混ぜるところからにしましょう!?」
「……分かりました。指示に従います」
見よう見まねでやろうとしたのだけれど、この様子では失敗しそうだったらしい。
料理長の形相に手を止めたわたくしは、こほりと咳払いをすると、落ち着いた所作で卵をテーブルの上に戻した。
貴族令嬢として過ごしてきたわたくしに、当然ながら料理のことは分からない。
菓子の流行やそれに合う茶葉などは分かっても、菓子本体などとても作れたものではない。
ちなみに今は苺を用いたケーキがよく出回っている。市井にはぱふぇというらものもあるらしいけれど、フェリシアはまだ食べたことは無い。
――全部、アーサーが教えてくれたことだ。
「しかしお嬢様、どうして急に料理を始められるんです?」
卵を素早く片手でボウルに割りいれながら、ロックが問う。
フェリシアは勉強のために読んでいた書物の一節を思い出しながら、 答えた。
「『男性の心を射留めるには、まずは胃袋を攻めましょう』と書いてありました。だから、わたくしも手ずから菓子を作ったら、受け取っていただけるかと思ったのだけれど……」
侍女のロージーが色々と提案してくれる中で、フェリシアはまずは料理をしたいと考えた。それが一番効果があると書いていたから。
「そうなんですねぇ」
「……でもやっぱり、難しいわよね。わたくしのような何も知らない者が、こうして菓子を作るだなんて……あなたにもこうしてご迷惑をおかけしてしまっているし」
すっかり意気消沈してしまったフェリシアは、そう言って視線を落とす。
自分の思いつきのために、料理長をはじめとした使用人の皆に迷惑をかけてしまった。
以前アーサー殿下とお茶会をしたときに、彼がクッキーを手ずから食べさせてくれた。
フェリシアが恥ずかしがると、殿下は「今度は私にもちょうだい」と言って、フェリシアの方からクッキー渡すようにをねだったのだ。
フェリシアは震える指を叱咤しながら、彼の口の中にクッキーをほおりこんだ。あれはとても緊張する一幕だった。
普通の婚約者ならやっていることだとアーサーが言っていたから、次からは凛とした態度で臨むことが出来た。やればできるのだ、フェリシアは。
(でももう、ご一緒することはないのかもしれません)
フェリシアはまた、夢に見た冷たいアーサーのことを思い出して、身が凍えるようだった。
「……おっ、お嬢様! 思い付きました! そうです、魔法を使えばよいのです」
完全に落ち込んでいるフェリシアを前に、オロオロとしていた料理長は明るい声を出した。
この国には、魔法の力というものがある。力の差はあれど貴族には魔力がある。
フェリシアが暮らすこの国では、力の強弱の差はあれど、貴族は魔力があった。魔法を操るために大切な力だ。
フェリシアも貴族の一員。さらには高貴な侯爵家の身だ。幼い頃から魔法を学び、当然のように使うことが出来た。
とはいっても、フェリシアは魔力がさほど強くはないようで、ささやかな水魔法程度しか扱えない。
「魔法を……料理に……?」
フェリシアは首を傾げる。
そのような使い方は、聞いたことがない。そもそも料理をするような職業を持つ人の多くは平民で、その平民はほとんどが魔力がない。
そんな彼らが知っている方法が何かあるというのだろうか。
「それが、誰でも使えるようになっているのです。このヴェラルディ印の魔道具を使えば」
わたくしの疑問を見抜いたのか、料理長は意気揚々と道具を棚から取り出す。
ティーポットよりも大きい透明のガラスとその周囲の桃色の不思議な素材でできている、見た目にはとても愛らしい道具だ。
「こちら、『フードプロセッサー』といいまして、そのガラス部分に野菜などを入れてボタンを操作すれば、食材をあっという間に細かく刻むことができる特殊な道具になっています」
「へえ……! それはとっても素敵ね」
フェリシアはその道具を目の当たりにして、まずはその機能に感嘆する。
ヴェラルディ家と言えば、領地で魔道具の開発に勤しむ伯爵家だ。
社交は一切しない。その立ち位置は他の貴族と一線を画しており、とても稀有な存在だ。
そういえば、最近そこの領主が同じ年頃の令嬢に代替わりしたのではなかっただろうか。
自分とさほど歳の変わらない令嬢が、領主として家を背負って立つことになる。その出来事は、フェリシアをとても勇気づけた。
立場は違えど、王妃となる予定のフェリシアにはその活躍が眩しく思えたのだった。
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