第16話 コボン


 僕はわき目もふらずに森の中を走り続けた。

 鬼女たちに捕まれば一生奴隷のようにこき使われるか、人肉のスープになるかの未来しかない。

 疲れたら少しだけ立ち止まり、自分の体にマッサージを施す。

 それによって心肺機能と足の筋肉が復活して、また走れるようになった。

 いまのところ僕の脱出に鬼女たちは気がついていないようだ。

 森は静まり返り、フクロウの鳴き声だけが朗々と月夜の空に響き渡っている。

 ミンカさんはまだ気絶しているのかな? 

 あのまま眠ってしまったのかもしれない。

 だとすれば、僕にとっては好都合だ。

 ひたすら走っていると見覚えのある道に出た。

 これはグレンドーンの村からコボンの街へと続くあの道だ。

 あそこにあるのは僕が捕まった泉じゃないか! 

 ついに僕は帰ってきたのだ。

 間違えないようによく確かめて、コボンの方角へ向けて再び走り出した。

 そうやって一時間ほど走っていると、森が切れて平原が僕を迎えてくれた。

 ここまで来れば一安心である。

 鬼女たちは基本的に森から出ないからだ。

 これは鬼女の村に滞在中に聞いた話だから間違いないだろう。

 僕を捕まえるためだったら多少の無理はするかもしれないけど、街まではやってこないはずである。

 安全を確実にするためにもコボンに着くまでは気が抜けない。

 少しだけ立ち止まって自分にマッサージを施し、僕はまた走り出した。

 


 夜が白むころコボンに到着した。

 高い壁に囲まれた大きな街だ。

 まるで野球のスタジアムみたいだね。

 門はまだ閉まっていたけど、しばらくすると番兵さんが大きなあくびをしながら出てきた。


「お、早いな。そこで夜を明かしたのか?」

「いえ、夜通し歩いてきたんです」

「どこから来たんだ?」

「グレンドーンです」


 嘘は言っていない。

 僕はあの村に転移したのだから。


「ああ、あの村の住人か。通行料は500ミルトだぞ」


 そんなお金が必要だとは思わなかった。

 でも、僕には鬼女の村長さんからもらった10万ミルト金貨がある。


「これで支払ってもだいじょうぶですか?」


 ポケットの奥から金貨を取り出すと番兵さんは案の定びっくりして目を見開いていた。


「金貨とはすごいな! おつりは詰め所にいかないと出せないぞ。それともあんた、コボンの住人になりに来たのかい?」

「ええ、できたら住みたいと考えています」

「うむ……、転入税と住民税は合わせて4万8千ミルトだからな。よし、だったら事務所で手続きをしてやろう。ついてきな」


 僕は事務所に案内され細かな文字の書かれた木の札を渡された。


「コボンの住民である証明書だ。無くしたらまた税金がかかるから大事に保管しておくように。有効期限は一年間だ。それ以降は書き換えが必要だぞ」


 この証明書がなければ街に出入りするたびに500ミルトが必要になるそうだ。

 居住権はなくてもよかったかもしれないけど、ホームタウンは大切だ。

 資金に余裕があるのだから持っていても損はないだろう。


「住む場所の当てはあるのかい?」

「いえ、ぜんぜんわかっていなくて」

「やれやれ、田舎がいやで逃げ出してきた口だな。まあ、気持ちはわからんでもない。俺はオットウ村の出身だ。山奥の暮らしが嫌で逃げ出したのは18のときだった」


 おじさんの昔語りがはじまったけど、僕はじっと耳を傾けた。

 少しでも情報を得ておこうと思ったのだ。


「とりあえず住む場所を探すのならディグラン通りに安い宿が並んでいる。不動産屋も近くにあるぞ」

「ディグラン通りですね。値段はどれくらいですか?」

「一泊1500ミルトが相場だ。飯付きなら1800ミルトってところだな」


 だんだん通貨の価値がわかってきたぞ。


「仕事はどうするんだい?」

「なにか探すつもりですが、いいのはありますか?」

「いちばん手っ取り早いのは、やっぱりダンジョンだろうなあ」

「ダンジョンがあるんですか!」


 さすがは異世界である。

 まあ猫人がいて、鬼女の村があるくらいなのだからダンジョンがあってもおかしくないか。


「おいおい、グレンドーンから来たのならダンジョンのことくらい知ってるだろう?」


 番兵さんは疑わし気に僕を見た。


「あ、はい。寝てないのでちょっとぼんやりしていました。ところでダンジョンはどこに? あ、ほら、僕はこれまで村から出たことがなかったので……」

「ダンジョンなら西門を出てすぐのところだよ。いけばわかる」


 僕が入ってきたのは東門だから、ちょうど反対側にあるんだな。

 落ち着いたら行ってみるのもいいだろう。

 街に入り、居住権を得るだけで4万8500ミルトもかかってしまった。

 あの金貨がなかったらかなり苦労しただろう。

 でも、気のいい番兵さんのおかげでいろいろと知ることができたぞ。

 僕はお礼を言って詰め所を出た。


 詰め所で手続きをしていたらそれなりの時間が経っていたようだ。

 まだ早い時間だったけど街の通りには人が溢れている。

 ああ、朝市が立っているんだな。

 鬼女の村から持ってきたリンゴを朝食代わりにかじりながら露店を見て回った。

 食料品を扱う人がほとんどだけど、中には衣料品や生活雑貨を取り扱っている店もあった。

 へえ、ガラス瓶なんかも売っているんだ。

 都会だと、この世界の文明度も高いのかもしれないな。

 コボンの街には下水道まであるようだ。

 しばらく歩いていると武装した一団に出くわした。

 革の鎧や剣などで装備をかためている。

 ひょっとしてあれが冒険者たちかな? 

 どうやら西の方へ歩いているぞ。

 これからダンジョンに行くのかもしれないと思いついていくことにした。


 武装した一団は西門を抜けて石畳の道をまっすぐに歩いていく。

 しばらくすると古墳のような石と土でできた山のようなものが見えてきた。

 どうやらここがダンジョンの入り口のようだ。

 おお、親切に看板が出ているぞ。


『コボン・ダンジョン 入場料300ミルト コボンの街の住人は無料』


 どこへ行くにも料金がかかるんだなあ。

 まあ、管理費と思えば仕方がない気もするけどね。

 これだったら住民税を払っておいて正解かもしれない。

 長くいればいるほど恩恵は大きくなるだろう。


 ダンジョン前の広場には大勢の冒険者たちがいた。

 みんな、これからダンジョンを探索しに行くようだ。

 冒険者だけでなくポーターと呼ばれる荷物持ちも大勢いるな。

 彼らは武器や鎧などは装備していない。

 せいぜい木の棒を杖にしているくらいのものだ。

 こういった人たちにマッサージを施せば商売になるかもしれないな。

 いやいや、きっと大儲けができるだろう。

 よし、僕の未来は明るいぞ。

 とりあえず今はこの場所を確認するにとどめておき、街へと引き返すとしよう。

 帰りの西門では居住証明書を見せるだけで素どおりすることができた。

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