第3話 猫族の女の子


 獣人の女の子は警戒した声を出した。


「誰?」


 身のこなしはとても敏捷そうだったけど、なんだかやつれた感じのする人だ。

 まるで、お腹を減らした野良猫のような印象を受ける。


「驚かせてごめんね。僕は旅人なんだ。雨宿りをしようと思ってここに来たら、君がいて……」


 本当は泣きに来たんだけど、それは恥ずかしいから黙っていよう。


「そうなんだ……」


 女の子は珍しそうに僕を見つめている。


「本当に旅人?」

「そうだけど、どうして?」

「汗臭くない」


 言われてみれば僕は汗をかいていないし、土ぼこりにまみれてもいない。

 死ぬ少し前、エッチの後にシャワーを浴びたから、むしろさっぱりしているくらいだ。

 目の前の女の子は獣人だから、普通の人間より鼻がいいのかもしれないな。

 嗅覚が鋭いといえば犬を連想するけど、猫だって人間の数万から数十万倍あるそうだ。


「今日はほとんど移動しなかったから」

「ふーん……」


 女の子は疑わしそうに僕を見返している。


「君はこんなところでなにをしていたの。もしかしてけがをしている?」

「けがなんてしていないよ。どうしてそんなことを聞くの?」

「泣いていたみたいだから」


 そう指摘すると女の子は服の袖で慌てて目の周りをゴシゴシ拭いた。


「えへへ、今日は仕事で失敗しちゃってね、ご飯抜きなんだ。水しか飲めないと思ったら悲しくてさ」


 さっきまで不審者を見るような目つきで僕を見ていたのに、今度は身をくねらせながら照れている。

 なるほど、猫のように表情と態度がころころ変わるようだ。


「お腹が空いているの?」

「まあ……」


 よく見るとボロボロの服には穴が開いている。

 そこから見える体はあばらが浮き出るほど痩せているではないか。

 あ、体の方に体毛はないのか……。


「なにを見ているの?」


 しまった、ぶしつけな視線を気づかれてしまった。


「ごめん! あのさ、よかったら僕のご飯を半分食べる?」

「え……?」


 僕もかなりお腹が減っているので、すべてを渡すことはできない。

 でもサンドイッチを半分こして、カフェオレとプリンを上げるくらいならしてもいいだろう。


「ほら、ここにサンドイッチがあるんだ」


 ガサゴソとビニール袋の口を開けると、女の子は真ん丸の目をして覗き込んだ。


「本当にサンドイッチ! た、食べてもいいの?」

「プリンもあるよ」

「プリン!? 聞いたことがあるだけで食べたことはないよ……」

「遠慮しなくてもいいからね。ただ、プリンは二個あるからいいけど、サンドイッチはこれだけなんだ。だから分けて食べようね」


 女の子はゴクリとのどを鳴らして唾を飲み込んだ。

 僕は封を切ってサンドイッチを分けようとしたのだけど、先ほどからパラついていた雨が本格的に降り始めてしまった。

 これでは大事な食料が濡れてしまうな。


「降ってきた。とりあえず私の家へ行こう。ぼろ小屋だけど雨はしのげるから」


 これは渡りに船だ。

 このまま雨の中にいれば風邪をひいてしまうかもしれない。

 それにうまく交渉すれば一晩の宿だって借りられるかも。

 そう考えて、僕は素直に女の子の誘いに乗ることにした。


 案内されたのは本当に粗末な小屋だった。

 屋根は飛ばされないように石が載せてあったし、壁には穴もあいていた。

 扉を開けると一間しかなく、小さなテーブルといす、隅の方にワラが積んであるだけだ。

 あのワラの山が寝どこなのだろう。


「遠慮なく入って」

「あの、ご家族は……?」

「そんなのいないよ。独り暮らしだから」

「えーと、結婚されていたり、彼氏がいたりとかは?」


 前世の記憶が僕を慎重にさせる。

 もう二度と修羅場はごめんだった。


「いないってば。なんか関係あるの?」

「いや、独り暮らしの女の子の家に入っていいのかなって思ったから……」

「種族が違うんだから大丈夫っしょ。いいから入んなよ」


 この世界ではそういうものなのかな? 

 もといた世界ではケモナーはたくさんいたぞ。

 少々無防備に思えるけど、僕にとっては都合がいい。

 雨も降っていることだし遠慮なくお邪魔することにした。


 家の中は薄暗かったけど、女の子は火をつけなかった。

 燃料代を節約しているのだろうか?


「あの……」

「ああ、サンドイッチだね。いま渡すよ」


 僕らは椅子に腰かけて夕飯にした。


「僕は最上寛太。君は?」

「リゲータ」


 リゲータは話しながらもサンドイッチの包装を広げる僕の手から目を離さない。

 よほどお腹が空いているのだろう。

 その目は期待に満ち溢れ、口の端をペロペロと舐めている。


「はい、ハムと野菜のサンドイッチだよ。これはカフェオレね。ストローを使ったことはある?」


 首を横に振るリゲータにストローの使い方を教えてあげた。


「美味しい! 甘い飲み物なんてはじめて」

「甘いものを飲んだことがないの?」

「うん、お砂糖は貴重だもの。ケーキは婚礼のパーティーを手伝ったときに少しだけもらったことがあるんだ。美味しかったなあ……」


 リゲータはケーキの味を思い出して舌なめずりをしている。

 小さな舌がまたチロチロ動くのがちょっとだけ色っぽくて、僕は視線を逸らした。


「甘いものが好きなら、デザートにプリンもあるからね」

「とっても楽しみ!」


 リゲータは胸の前で手を合わせて喜んでいる。


「ありがとう! 人間にこんなに優しくされたのは初めてだよ」

「そうなの? ここら辺には人間がたくさんいるみたいだけど……」

「この村の奴らは意地悪なのばっかりなんだ。まあ、私はあいつらのお手伝いが仕事なんだけどね」


 リゲータは農家の手伝いをしたり、雑用なんかを請け負ったりして日々の食料などを手に入れているそうだ。

 でも労働環境や待遇はよくないみたい。

 それは、この殺風景な部屋の中を見ればわかることだった。


「今日は穀物蔵でネズミを捕まえていたんだ。だけど、そのときに大麦の入った袋をひっくり返しちゃってね……」

「それで報酬がもらえなかったの?」

「うん……。本当は豆を一袋とカボチャを一つもらえるはずだったんだ。でも、お昼のパンをもらっただけになっちゃった」


 かなり厳しい世界だなあ。

 日本のブラック企業だってここまでひどくはないだろう。

 それでも僕は生きていかなければならない。

 そのためには働かなくてはならないのだ。


「ねえ、この村で働くことはできないかな?」

「カンタが? 仕事はあるかもしれないけど、おすすめしないよ」

「どうして?」

「だって、給料がめちゃくちゃ安いんだもん。カンタは人間だから、私たち獣人よりはマシだと思うけど……」


 獣人は差別されているのか……。


「でもさ、僕は一文無しなんだ。この食料がなくなったらご飯を食べることもできないんだよ」

「え、それなのに私に食べ物を分けてくれたの……?」

「まあ、困っていたみたいだからね」


 リゲータは真剣な顔になって僕を見つめた。


「やっぱりカンタはこの村を出ていった方がいいと思う」

「そうかな?」

「街に行った方が仕事はあるはずだよ」

「近くに街があるのかい?」

「東へ一日歩くとコボンって街があるよ。ここよりずっと大きくて、人間も獣人もいっぱいいるの。そこならもっとましな仕事があるはずだよ」


 歩いて一日というと30~50キロくらいだろうか? 

 だとすれば食料と体力が残っているうちに移動した方がいいかもしれない。


「カンタはなにか得意なことはある?」


 そう聞かれて僕は自分のステータスを思い出した。


「あ~……、僕は美容魔法師なんだ。聞いたことある?」

「知らない。それはどんな仕事?」

「職業というかジョブというか……」


 職業もジョブも同じ意味かと思ったけど、リゲータの反応は違った。


「カンタはジョブ持ちなの?」

「そうだけど?」

「すごいじゃない。だったら仕事には困らないと思うよ」


 どうやら、ジョブというのは特殊な才能のようだ。


「で、その美容魔法というのはなにができるの?」

「僕のレベルはまだ低くて、今できるのはマッサージだけなんだけど、このマッサージには疲れをとる効果があるんだ」

「すごいじゃない。へ~、疲れをとる効果かぁ……」


 リゲータがチラチラと僕を見ている。

 ひょっとしてマッサージをしてもらいたいのかな? 


「よかったら試してみる?」


 僕としても自分の力を試すいい機会だ。


「いいの? 働き詰めでクタクタなんだ。少しでも体が楽になるのならやってもらいたいなあ」

「それじゃあ、ご飯を食べ終わったらやってあげるよ」

「うれしい!」

「その代わりと言っては何だけど、今夜はここに泊めてもらえないかな?」

「こんなぼろ小屋でよければどうぞ」


 リゲータはまったくの無警戒でにっこりと笑った。

 これで雨に濡れることは避けられたけど、本当によかったのかな? 

 リゲータは僕が彼女を襲うなんてこれっぽっちも考えていないようだ。

 思うに彼女は自分の魅力をちっとも理解していないのではないか?

 大きな瞳、しなやかな体、人懐っこい態度、そのすべてが僕を魅了するといってもいい。

 いや、僕に限ったことじゃない、大勢の男たちがリゲータを好きになると思う。

 ひょっとしたら獣人の身体能力は人間より上で、襲われたとしてもじゅうぶん対処できるとか? 

 それとも、もう少ししたら怖いお兄さんが帰ってくるなんてパターンも考えられるぞ。

 でも、いずれにせよ雨の夜に外へ出ていくという選択肢はない。

 僕はビニール袋からプリンとプラスチックのスプーンを取り出してリゲータに渡した。

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